1章 ご飯は大切な血肉を作る

第1話 貧血ならお酒よりしっかりご飯を

 今日は木枯らしが吹き始め、肌寒い日になった。そろそろジャケットやコートなどが必要になるだろうか。


 「煮物屋さん」がある曽根駅から阪急電車で2駅上った庄内駅近くに、豊南ほうなん市場がある。食材の仕入れはその市場で行なっている。


 今日も姉弟は紺色のステーションワゴンに乗り込み、千隼ちはやの運転で仕入れに向かう。


 その日のメインはいつも市場で決める。要は何がお買い得なのかで決まるのである。佳鳴かなると千隼は点在する精肉店を行き来しつつ、吟味しながらゆっくりと歩いた。


 綺麗に磨かれたいくつものショウウィンドウや、オープンにされた冷蔵ワゴンの中には、様々な種類の新鮮なお肉が並べられている。そこに貼られた100グラム単位の値段を見ることも忘れない。


「姉ちゃん、今日は鶏肉が安いな。手羽元がこの値段やで」


「ほんまやね。あれ、ささみと鶏レバもお買い得や」


「じゃあ今日は鶏肉のフルコースと行くか?」


「う〜ん、お野菜少なくならへん? 栄養バランスは良くしたいで?」


「野菜の種類は少なくなるけど、たまにはええやろ。あ、野菜そのものはたっぷり使うで」


 千隼は当然という様に言う。佳鳴は「そうやなぁ」と少し考えると。


「小鉢の方で少し工夫してみようか。メインはやっぱり手羽元使った煮物?」


「おう。こう、煮物っちゅうか「炊いたん」みたいな感じにしたいな」


「優しい味付けか。うん、じゃあ小鉢の味付けはあれやろか。すいませーん」


「へい、らっしゃい!」


 佳鳴がショウウィンドウの向こうに声を掛けると、男性店員の威勢の良い返事が帰って来た。




 そうして出来上がった今日のメインは、鶏手羽元と大根の炊いたん、である。たっぷりのお出汁だしを使い、味付けはお砂糖と日本酒、薄口醤油でほのかに付ける程度。


 大根は少し厚いめの半月切りにし、隠し包丁を入れて面取りもして、米のぎ汁で下茹でした。手羽元は切り込みを入れてから表面を焼き付ける。そのふたつを土鍋でことことと煮込むのである。


 手羽元は骨と骨の間に切り込みを入れることによって、味みが良くなり、骨からの身離れも良くなる。


 小鉢はいつもの様にふた品。ひとつはささみと水菜の梅肉和えだ。水菜はしゃきしゃき感が残る様にさっと茹でてから冷水に取り、しっかりと水分を絞ってざく切りにし、しっとりと蒸して粗熱を取って解したささみと合わせて、梅肉で和える。


 梅肉は紀州梅干しを使い、お出汁とお醤油、お砂糖で伸ばして作った。仕上げに白ごまを振って完成である。


 さっぱりとした梅の和え衣が、ささみのあっさりとした甘さと水菜の爽やかさを引き立てる一品である。


 もう1品は鶏レバを使う。大きなボウルに水を張って鶏レバを入れ、ぐるぐると回す様に混ぜて血のかたまりを取り除き、氷水に浸して臭み取り。千切り生姜しょうがと下茹でしたたっぷりの角切りこんにゃくと合わせて、日本酒とみりん、お砂糖とお醤油で煮付ける。


 甘辛い味付けが鶏レバの癖を抑え、奥に眠る甘さをさらに引き上げる。ぷりっとしたこんにゃくにほろっとした歯ごたえの鶏レバが口の中で踊り、生姜のほのかなぴりっとしたアクセントが心地よい。


 器に盛って整えて写真を撮ったら、味見を兼ねての晩ごはんだ。佳鳴と千隼はカウンタ席で並んで「いただきます」と手を合わせた。




 営業が始まり、ご常連始めお客さまがぼちぼちと席を埋め始める。身体の温まる「炊いたん」はお客さまに喜ばれた。


 お客さまがわいわいと寛がれる中、ゆっくりと開かれたお店のドアからおずおずと顔をのぞかせたのは、おそらく初めてのお客さまだった。


「あ、あの、鶏レバが食べられるんですか?」


 若い女性だった。か細い声で聞かれ、佳鳴は「はい。今日の小鉢ですよ」と応える。


「この「煮物屋さん」は初めてですか?」


 お伺いすると、女性は「はい」と控えめに頷きながら、そろりと入って来た。


「あ、あの、ええですか?」


「もちろんですよ。どうぞ」


 言うと、女性は1番手前の席に浅く掛けた。羽織っていた薄手のベージュのジャケットを壁のハンガーに掛け、黒いトートバッグはカウンタの下の棚に押し込む。


 佳鳴は女性におしぼりを渡し、この煮物屋さんの注文方法を説明する。


「お料理が決まっていて、定食にするかお酒にするか選べるんですか」


「はい。両方でも大丈夫ですし、お飲み物はソフトドリンクもご注文いただけますよ」


「そうなんですか……、あの」


 女性はふっと視線を逸らし、言い淀む様に口をもごもごさせる。が、すぐに顔を上げた。


「私、貧血っぽいんですが、お酒は止めた方がええですよね?」


 佳鳴は千隼と顔を見合わし、その視線をまた女性に戻すと「そうですねぇ」と頷いた。


「貧血だと思われるのでしたら、しっかりとお食事をされる方がええと思いますよ。では定食にしましょうか」


「はい。お願いします」


「かしこまりました」


 佳鳴と千隼は、さっそく食事の用意をする。「炊いたん」を器に盛り、小鉢とお味噌汁、白米を用意する。ただし小鉢のひとつにには、少し大きめの器を用意した。


「お待たせしました。熱いですのでお気を付けくださいね」


 揃った料理をカウンタ越しに女性に提供する。煮物は普通に盛り付けたが、梅肉和えの量を減らし、鶏レバの量を増やした。


「貧血だとおっしゃっていたので、レバの量を増やしました。しっかり食べて、血肉を作ってくださいね」


 佳鳴が言うと、女性は嬉しそうに目を細めた。


「ありがとうございます!」


 女性はさっそくおはしを手にするとお茶碗を持ち、大きな口を開けて白米を放り込んだ。それをゆっくりと大切そうに噛んで。


「ああ〜白いご飯も久しぶりや〜。やっぱりカップ麺ばっかりやとあきませんよねぇ」


 そう言って今度はお味噌汁をすする。今日のお味噌汁はお揚げと舞茸だ。女性は「お味噌汁も美味しい〜沁みる〜」と目を細めた。


「普段のお食事はカップ麺が多いんですか?」


 聞くと、女性は「そうなんです」と苦笑する。


「ひとり暮らしやので、自炊が面倒やって言うのもあるんですけど、カップ麺やったら安上がりでしょう? スープも飲んだらそれなりにお腹も膨れるので。私まだ学生で、バイトもしているんですけど、なかなか食費に回す余裕が無くて。なので今日は本当に久しぶりの贅沢ぜいたくです。鶏レバが食べられるって見て、つい入ってしまいました」


「確かにカップ麺やと1食200円もあれば済みますけど、やっぱり栄養不足が気になりますねぇ」


 佳鳴が言うと、女性はまた「そうなんです」としょんぼりとした表情で頷く。


「簡単に作れるものとかがあればええんでしょうけど、私実家にいる時もろくに料理とかせぇへんかったから、やり方が良く判らへんで」


 女性は言いながらお箸を動かす。大根を割って口に入れ、「あ〜これも美味しい〜沁み沁み〜」と顔を綻ばせた。


「電子レンジはお持ちですか?」


 佳鳴の問いに、女性は「はい。一応あります」と応える。


「じゃあ電子レンジだけで作れる簡単レシピ、お書きしましょうか?」


「ほんまですか!?」


 女性はお箸で手羽元を器用に頬張りながら、くぐもった声を上げた。それをごくりと飲み込み、口を開く。


「それは助かります! え、でもええんですか?」


「ええ。お手軽な材料で作れるものをセレクトしますね。ご飯を炊いて、インスタントのお味噌汁でも付けたら、立派なお食事ですよ」


「インスタントのお味噌汁、高う無いんですか?」


「スーパーやと、8食入りで100円ぐらいのものもありますよ。具は少ないんですけどね。お味噌も身体にとてもええんで、できたら飲まれた方がええと思いますよ」


「そうなんですか。自炊を諦めてたんで、ダイエーとかに行ってもカップ麺売り場とパン売り場以外はろくに見たことあれへんかった……。あ、朝はコッペパンなんです。おっきいのが100円ちょいであるんで」


「お昼はどうされてるんですか?」


「学食でおうどんとか卵丼とか、安いのを食べてます。外で食べたりするより安いですし、カップ麺よりは身体に良い様な気がするので」


「では晩ご飯を少しがんばってみましょうか。切らずに使えたり手で千切ったりして、包丁を使わずに作れたりも出来るんですよ。それにお客さま、スーパーもええですけども、豊島てしま公園の向こうに業務スーパーがあるのご存知ですか?」


 豊島公園は曽根駅から南に数分歩いたところにある公園である。ローズ球場やテニスコートなどがあり、結構な敷地面積を誇る。遊具もあって子どもの遊び場としても優秀だ。


「え、何ですかそれ」


 女性は興味をそそられたのか、生き生きとした目を輝かせてぐいと身を乗り出す。


「食材がスーパーよりかなりお安く買えると思いますよ。もしかしたらお客さまのお家からは遠くなってまうかも知れへんのですけど、冷凍食材なら買い溜めも出来ますし」


 この「煮物屋さん」は住宅地にあるのだが、曽根駅からそう離れている訳では無い。その駅から反対方向、南に進むと豊島公園があり、その裏に業務スーパーがあるのだ。


 このお店で利用することは無いし、自宅用の買い物はお店用の仕入れの時に一緒にするので、佳鳴たちがあまり行くことは無いが、その付近の住人から親しまれている様だ。自転車などをお持ちなら、少しぐらい遠くても足を伸ばすだろう。


「では駅から業務スーパーへの簡単な地図もお渡ししますね。最寄りは隣の服部天神はっとりてんじん駅みたいなんですけど、自転車なら曽根からでも充分に行けるかと。機会がある様でしたら1度行ってみてくださると良いかも知れません」


「はい。ありがとうございます!」


 女性は嬉しそうにぺこりと頭を下げた。

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