大阪・煮物屋さんの暖かくて優しい食卓

山いい奈

プロローグ

こんばんは。煮物屋さんと申します

 まず、中華鍋の形をしたテフロンのフライパンをコンロで熱し、ごま油を引き、牛肉のスライスを焼き付けて行く。


 しっかりと香ばしく炒まったら、隣のコンロに置いてある、11号サイズの土鍋に入れる。まだ火は着けていない。


 同じフライパンにごま油を少量足して、くし切りの玉ねぎを炒めていく。ごま油が全体に回ったらほんの少量ぱらりとお塩を振る。こうする事で玉ねぎから水分が出やすくなり、早く炒まるのだ。


 玉ねぎが透明になり、甘い香りが立って来たらそれも土鍋に入れる。


 続けて炒めるのは乱切りにした人参。こちらは炒めると言うより、からからと混ぜ合わせて全体にごま油が回ったら土鍋へ。


 次はじゃがいも。ごろりと大きめの一口大に切っている。ふたり掛かりで丁寧に面取りもした。それもフライパンでころころとごま油を回して行く。


 表面に薄っすらと透明感が出てきたら、こちらも土鍋へ。


 そこへ、食材ひたひたに出汁を投入する。昆布とかつお節から取っている合わせ出汁だ。


 そこでようやく火を点ける。強火にして、まずは沸騰ふっとうするまで待つ。


 その間にフライパンやボウルなどを洗っておく事にしよう。こういう効率は料理をする者全てに通じるのだ。


 さて、洗い物を水切りかごに置いた頃、土鍋のふちからお出汁がふつふつと沸いて来る。


 そこで火を弱めの中火に落とす。このタイミングでシリコンスプーンを使って全体を優しく混ぜ合わせる。そして、ことこと、そんな火加減で煮込んで行くのだ。灰汁あくも少し出るので網じゃくしで丁寧ていねいに取って行った。


 落としぶたをして、人参とじゃがいもが柔らかくなるまで煮込む。


 その間に今日のおしながきを作ろう。すでに昨日のおしながきを消して綺麗にしてあるホワイトボード。店のドアに掛けるので、サイズはA3程度である。


 まずは1番上に「本日のおこんだて」と書き、上半分ほどのスペースを空けておく。


 そして、下半分に料理名である。「メイン」と書き、今煮込んでいる料理名を堂々と書く。そして。


「姉ちゃん、今日の小鉢の名前どうする?」


 厨房に立つ姉に聞きながら、ボードに「小鉢」と書き込む。


「今日はねぇ、ツナときゅうりの酢の物と、お揚げと小松菜のごま炒めやで〜」


「お、ええねぇ」


 言いながら、言われた料理名を書いて行く。


 今できるのはここまで。製作途中のホワイトボードをカウンタテーブルに置いて、厨房に戻った。


 土鍋のじゃがいもにそっと竹串を刺してみる。するとするりと通った。良し、味付け開始だ。


 まずは甘みを加える。砂糖、そして日本酒である。


 日本酒は甘めのものを使う。料理酒では無く日本酒だ。スーパーなどでも売られている安いパック酒である。


 また落としぶたをして、5分ほど味を含ませてやる。


 そして醤油を加える。そこでまた落としぶたで煮込んで行く。


 その間にグリンピースの準備だ。これは缶詰のものを使う。ざるで水分を切って、ざるごと沸いた湯の中へ。缶詰臭さを取るための一手間なので、再沸騰したらすぐにざるを引き上げる。


 さて仕上げだ。落としぶたを取り、火を強め、軽く水分を飛ばす様に煮詰めて行く。


 味見もする。煮汁を小皿に取って口に含むと、出汁と牛肉、野菜の旨みと甘みが合わさったふくよかな味わいが広がった。ごま油は食材を炒めた時に使っただけなので、軽く風味がする程度。だがそれが良い。うん、我ながら美味しい。


 そこにグリンピースを散らしてざっと混ぜたら。


 肉じゃがの出来上がりだ。


 さっそく2人分を、1人前ずつ器に盛る。


「姉ちゃん、肉じゃができたで」


「こっちもできてるで。用意するな〜」


 肉じゃがは火を止めて、ふたをして置いておく。煮物はこうしておくとさらに味が沁み込んで行くのだ。


 肉じゃがをカウンタの台に上げ、フロアに回る。すると姉が小鉢の2品を置いてくれたので、肉じゃがと一緒にカウンタの席へ。


 肉じゃがを奥に置き、その斜め前に小鉢を添え、3品が3角形になる様に並べて、スマートフォンのカメラ機能を使う。3品が美味しそうに見える様に角度などを調整して、かしゃりと撮影。


 確認すると、なかなか良く撮れている。もうすっかりと慣れたものだ。


 それをまずはクラウドに上げ、続けてプリンタの電源を入れて、そこへ送る。するとプリンタが、ががっと小さな音を立てて少しずつ用紙を吐き出し始める。


 プリンタは厨房の隅に置いてあった。フォトプリントに特化したコンパクトなものである。こうして料理写真を、正確にはその日の献立をプリントするためだけに用意した。


千隼ちはや、写真行けた?」


「ああ、オッケー」


「じゃあ食べようか」


「おう」


 姉が茶碗に白米をよそってくれ、お椀に味噌汁も入れてくれる。それをカウンタ越しに受け取って、先に置いてあった3品に添えた。箸も出して。


 ふたり並んでカウンタ席に座り、料理を前にして「いただきます」と揃って手を合わせた。


 まずは味噌汁を啜る。これも出汁からきちんと取り、姉が作ったものだ。味噌は合わせ味噌を使っている。


「ん、今日の具は豆腐か」


「安定の美味しさやろ」


 角切りされた豆腐と青ねぎだけのシンプルな味噌汁である。こういう味わいがほっとする。身体に沁み入り全体に行き渡ると、すぅっと心が落ち着くのだ。


 さて、姉が作った小鉢だ。お揚げと小松菜のごま炒め。かりかりに炒まったお揚げとしゃきしゃきの小松菜。それをたっぷりのすり白ごまがまとっている。甘みと香ばしさが味わい深い。小松菜の仄かなくせと良く合っている。


 そしてツナときゅうりの酢の物。ツナは適度にオイルを切って、きゅうりは塩もみにしてある。それを甘さ控えめの甘酢で和えてあるのだ。こちらはツナのこくを感じさせつつもさっぱりとした風味である。


 さぁ、メインの肉じゃがだ。じゃがいもに箸を入れるとほろりと割れる。それを牛肉と一緒に口の中へ。


 じゃがいもの味沁みはあと1歩といったところだが、営業の頃には良い感じになっているだろう。火通りは完璧である。ほっくりとしていて、旨みが口の中に広がる。焼き付けた牛肉は香ばしさもまとっている。


 しんなりとした玉ねぎの甘味、ほくほくの人参、そして彩りにもなっているグリンピースのアクセント。


 味のバランスも良く、煮汁をたっぷりとまとった食材たちは良いふくよかさだ。


 そして白米。今日もつややかに炊きあがっている。


「うん。今日も美味しい。お客さん喜んでくださると思うで」


「小鉢と味噌汁もな。さすが姉ちゃん」


「ありがと」


 そうして自分と姉は、食事を進めていった。




 弟の作った肉じゃがを口に含むと、その滋味じみ深さについ「んふ」と満足げな声が出た。


 ここは「煮物屋さん」という名の飲食店である。姉の扇木おうぎ佳鳴かなると弟の千隼が経営している。


 大阪府豊中市の曽根という街の静かな街で、ひっそりと営業しているお店だ。曽根は阪急電車宝塚線が乗り入れている住宅地である。


 数十年前高架になった駅は、飾り気の無いしつらえなのだがまだ綺麗で、下にはスーパーマーケットや本屋さん、ファストフードなどが軒を連ねる。


 駅前には阪急バスの停留所もあるロータリーが広がり、その向かって右の奥、駅と細い道路を挟んで建つダイエーは、佳鳴と千隼が生まれる前からそこにあった。日々買い物客で賑わいを見せている。


 活気は控えめかも知れない。だが穏やかで暮らしやすい街だった。


 煮物屋さんの開店は夕方の18時。定休日は月曜日だ。


 カウンタ席だけのこぢんまりとした店で大人数向きでは無いが、繁華街では無いので団体客は滅多に来られない。地元のご常連の皆さまに支えられているのである。


 佳鳴が小鉢と味噌汁を作り、千隼がメインの煮物を作る。米をいて炊くのも佳鳴である。


 その日ごとにおしながきは決まっていて、それ以外は作らない。なのでホワイトボードに書いて表に出すのである。


 とは言え、お客さまがお嫌な食材は盛り付ける時に抜く様にしている。アレルギーをお持ちの場合は、一緒に調理をしている時点で影響が出てしまうので、そこは申し訳無いのだがご遠慮いただくしか無い。


 その日のお料理を作り、おしながき用の写真を撮って、プリントをしている間に味見を兼ねての晩ごはんなのである。白米は佳鳴は並盛り、千隼は大盛りだ。


 この「煮物屋さん」は、お料理を酒の肴にするか定食にするかを選んでいただくことができる。おひとりで来られてゆっくりと飲んで行かれたり、ご家族で来られて定食で夕飯にされたりと、ご利用方法は様々だ。


 ビールが瓶ビールにさせていただいているのは少し申し訳無いと思っているのだが、幸いそれで苦情などが出たことは無い。


 食べ終わるころにはプリントが終わっている。少しでも美味しそうに魅せるために、上質のマット用紙にファインプリントなので時間が掛かるのだ。


 佳鳴が使い終わった食器を洗っている間に、千隼がホワイトボードの上半分に料理の写真を貼り付ける。4隅をベージュのマスキングテープで固定した。


 そうして完成したおしながきは、千隼の手によって店のドアに掛けられるのだ。


 さぁ、そろそろ開店時間である。今夜はどんなお客さまが来られるのだろうか。

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