托卵

押田桧凪

第1話

 みぃちゃんは私の姉だった。私がみぃちゃんのことをお姉ちゃんと呼ぶようになったのは、みぃちゃんを嫌いになったからだった。


 あの日、終業式が無事終わろうとしたタイミングで、「強制された拍手に意味はありますか!」という叫び声が飛び込んできたことを覚えている。その後、校長先生のありがたい話が終わった時、なんていうか、うっすらと拍手しづらい雰囲気が作られたことを皆が感じていて、それがお姉ちゃんの狙いだったことにようやく私は気づいた。でも、その頃にはもう姉は退場して(させられて)いた訳だから、目論見が達成されたところを見ずに去ってしまったのは残念だなぁと少し同情した。だけど、私の中の「みぃちゃん」が壊れてしまったのは確かで、あれを皆から私のお姉ちゃんだと認識されることも、ちょっと妥協して「お姉ちゃん」と駆け寄って呼ぶことにも抵抗があったから、私はずっと憮然とした顔で下を向いていた。なるべく、誰にも気づかれないように。


 みぃちゃん語を喋るみぃちゃんはかわいくて、私の自慢の姉だった。


「いたいいたいするの、ここ。だからなでなでして」


「こう?」


「ちーがーうっ。もっとぴぃたりしゅるの、ぴぃ。ほら。今みぃがやってるみたいに」


「こう?」


「びしゃしゃ!」


 舌使いが幼稚園児だった。笑い方が変だった。なのに、みぃちゃんは放送部に入っていて、給食の献立を毎日伝える役割があった。あの日、終業式のあとは早帰りで給食は無かったはずなのに学校のスピーカーから流れたのは「みぃみぃ」鳴いている姉の声だった。その声は赤ちゃんみたいだったし、猫のようでもあった。


 みぃちゃんを、そう呼ぶようになったのは、単に名前が美咲だからという訳ではなかった。みぃちゃんが小学1年生の時、私は幼稚園の年長で振り仮名の入った絵本はすでに何冊も一人で読めるようになっていたが、みぃちゃんはそれを訥々と、吃るようにしか読むことが出来ず、私が代わりにみぃちゃんに読み聞かせをするという具合だった。お父さんはそれを見て、ひどく心配した。病院に行くと、みぃちゃんは軽度の学習障害──ディスクレシアだと診断された。みぃちゃんは「み」が読めなかった。だから、みぃちゃん。みぃちゃん、自分の名前は覚えようね。み、み、み。これが「み」だよ。


「ぴぃ?」


「み!」


 ここでもし、私がのび太だったら安直に「ピー助」と名付けただろうし、でも美咲は女の子で、「み」が書けないから「みぃちゃん」だった。


 私とお母さんは何度も、何度もみぃちゃんに新聞の折り込みチラシの裏面に「み」を書く練習をさせて、お風呂場の鏡に指で一緒になぞるようにして書いて、私はそれのお手本を書いた。国語の教科書の音読も宿題には出されてなくても、毎日やった。みぃちゃんは言葉のかたまりと発声を対応して認識することができないのだと、後になってから知った。


 五十音をようやく覚え終わった頃、みぃちゃんの次なる課題は文字枠に収めるように字を書くことだった。私は罫線が一番太い漢字練習帳を買って、少しずつ大きさの調整に慣れさせようとしたが、歪んでいるのが文字なのか線なのか分からないくらいぐちゃぐちゃになったページには、右利きの人が左手で書いたときのような乱雑な文字の並びがそこにあった。


「みぃちゃん、ちゃんと四角の中に入れて書こうね」


「なんで? びしゃしゃ! わたし書けないよ。そんなの絶対できない。できない、できない、できない、できない!」


 そうやって癇癪を起こした時はすぐにお母さんがキッチンから飛んできて、子守唄として幼稚園の頃に習った「かいじゅうのバラード」を優しくみぃちゃんに歌った。多分、それは当時、中身が難しくて読めなかったがタイトルだけは覚えている『ほめて育てる 〜新しい情操教育の始め方〜』という本の影響で、その本は絵本の並んだ本棚に立て掛けてあった。でも、それは私のための物じゃなかった。みぃちゃんに対しての、育て方だった。絵本の他には、多くの種類の図鑑が家にあった。


 だけど、みぃちゃんはすぐ物を失くすし、服を汚したり、平気で破いたりして学校から帰ってくるものだから、似合うか・おしゃれかじゃなくて、いかに長く着られるかという機能性だけで両親は服を選んだ。だから、その点では私の方が恵まれていた(?)わけで、恩寵を授かるとも表現すべき両親の過保護具合から、私はみぃちゃんに怒りの矛先を向けたというよりは、欠けてるくらいがちょうど良くて可愛かったはずなのに、誰も持たないみぃちゃんだけの欠損を畏れるほどに愛でる気持ちの悪い両親の愛が許せなかったのだと思う。


 生まれたときには姉という存在は私のすぐ傍にいて、もっと立派で、頼りがいがあって、私を守ってくれて。でもそういうのは絵本の中だけの「姉」でしかないのだと何となく感じ取りながら私は成長した。



 体育館と放送室で姉が問題行動(として処理されたが、私にはその意図が一切理解できなかった)を起こし、その後職員室に私は呼ばれ「美咲を見なかったか」と何度も訊かれたが、私はその行方を知らなかった。知っていたとしても、答えたくなかった。それは、お姉ちゃんを決して庇うためなんかじゃなくて、これ以上「身内」として扱われるのが嫌だったからだ。一家の恥という言葉が私の頭の中をぐるぐる渦巻いて、ああこれがお姉ちゃんに一番お似合いの言葉なんだって、腑に落ちた。


 私は帰宅すると「みぃちゃんはもうこの家にはいないから」とただ一言、お母さんから告げられた。その横顔が恐ろしく冷めていて、怖かった。リビングのソファでお父さんの肩を抱き寄せながら、嬉しそうに泣いていた。


「美咲も一人立ちできるようになったんだねぇ、よかったよ」とどこに光があるのかも定かではないような深海魚みたいな虚ろな目をして、意味の分からない言葉を呟いた。ぞわっと背筋から冷たいものが這い上がって、私はやっぱりあれとは姉妹じゃなかったんだと思い直すことにした。


 同時に私は、みぃちゃんが焼き芋のふやけた皮を剥いたときの黄色いぽってりと輝く色味に似た笑顔を振り撒きながら、私のことを「」と呼んだ時のことを思い出した。それが私に与えられた名前で、みぃちゃんによって命を吹き込まれ、心臓と肝臓の位置が間違って逆になってしまったみたいな哀れな名前を与えられて、ふっと鼻で笑った。


「私は、みり! みりだよ。みぃちゃん。お名前、似てるね。覚えやすいねぇ」


 小さい頃の私にとって、名前を間違えられることは緊急事態だった。ましてや、それが実の姉によって取り違えられた存在になってしまうことが、みぃちゃんの「み」に屈服したようで悔しかった。名前を覚えてもらおうと必死だった。でも、いつしか間違えても「みぃちゃんはかわいいからね」で許してしまえるようになった。きっとそれは両親からの刷り込みだった。


 みぃちゃんはハウスダストと犬アレルギーを持っていて、姉なのに私よりも弱くて、食べ方も汚なかった。子供用の矯正具を使っても箸の持ち方が下手だった。


「みぃちゃんはできない子なの。だから、あなたが守ってあげるんだよ」とてきとうな理由をつけて、両親の勧めで私だけ剣道を習わされた。県大会に行けるぐらいには強くなった。私はみぃちゃんが嫌いだった。


「でも、もし溺れるようなことがあったらそれはお互い様よね。泳げる人でも死んだりするし」と言われ、今度はみぃちゃんとスイミングスクールに通った。私の方が進級は早かった。私はみぃちゃんが嫌いだった。


 みぃちゃんはすぐにポロポロと歯が抜けて、すぐに生え変わる体質(?)だった。私の中の常識では、大人の歯になったら抜けないはずだったのに、みぃちゃんだけは異質で、虫歯になっても抜けばいいだけだった。食事中にクチャクチャと音を立てて食べるのも多分そのせいで、図鑑から得た知識で判断するに、「多生歯性」と言われる爬虫類の持つ特徴の一つで、犬歯のように歯が尖っているため細かく噛み砕く能力が備わっていないからだと私は考えた。でも、みぃちゃんは爬虫類なはずが無いし、他にも私と違うところで言えば、左だけ肩甲骨が異常に浮き上がっていることや、両足の親指の巻き爪がひどく湾曲していて靴下を何度も破いたことといった、より凶暴さを付与するエピソードしか思い浮かばず、そういったおよそ「化け物」に分類されるものを題材にした絵本や図鑑が身近にあったせいか、私は特に気にならなかった。


 よくお医者さんが家に来ることがあった。みぃちゃんのための「定期検診」と称して行われていたそれは、私がドラマや映画の中で想像する「手術」という事象に近い気がしていた。というのも、ぴったりと閉じられたみぃちゃんの部屋の扉の奥から、「みぃみぃ」と鳴く悲鳴が聞こえるのだった。それも、学校の音楽室のようなポツポツと穴の空いた防音仕様のはずの部屋から。いや、みぃちゃんは鳴いているというより、哭いていた。産みの苦しみを体現しているようだった。


 はっきり言うと、みぃちゃんはかわいくなかった。ブスだった。でも、みぃちゃんは生得的に(あるいは経験的に?)それを分かっていたのか、どこにそんな脳味噌があったのか私には疑問だが、「女が泣けば男は簡単に堕ちる」ことを知っていて、可哀想をかわいいに捻じ曲げてしまう魅力を陰で存分に発揮していた。甘い蜜を吸うというよりは、ティースプーン一杯で一生を終えるミツバチに似た、全身から絞り出すような儚さがあった。樹液に群がるカブトムシのように馬鹿な男はみぃちゃんのそこに惹かれて、集まってきた。泣けば許してもらえるみぃちゃんが嫌いだった。


「できないことより、できることに目を向けましょう」が口癖だった小学校の先生はずっと間違っていた。そうやって陽なたでは育ちにくい植物だからと決めつけて、水をあげないのは傲慢で、みぃちゃんは疾うの昔に枯れていた。


 私の人生はガチャ的には外れで、みぃちゃんからすれば当たりだったのかもしれない。小学校の頃までみぃちゃんの責任を取るのはいつだって私で、板張りの古びた物置小屋の中にみぃちゃんと一緒に閉じ込められた。うさぎ小屋の隣だった。それが私たちへの「お仕置き」だった。みぃちゃんは訳もなく「みぃみぃ」鳴いていた。たぶん、「みり」と私の名前を呼びながら咽び泣いていたのかもしれない。


「ねぇみぃちゃん。何して怒られたの?」


「わかんなーい。びしゃしゃ! 傘でぐるぐるしたぁ。グッサグッサって」


 今となっては「知的ボーダー」「グレーゾーン」といった言葉がすぐに浮かぶが、みぃちゃんは何で怒られているのかも分かっていないようだった。両親が頭ごなしに叱るだけでは、食事中の態度も改善しなかったのに、学校側の対応が間違っていることは明白だった。


 だから、中学校に入学した時には私は驚いた。中学二年生のみぃちゃんは私から見て、とても「先輩」だったし、およそカーストの中で上位に君臨しているらしかった。どうやって一学年8クラスある学内でその地位を築き上げたのかは分からなかったが、「いじめられることより笑われることを選んだ」のだと私は察した。みぃちゃんは私の自慢の姉になった。みぃちゃんも、私も中学校生活は順調だった。あの日までは。



 冬休みが始まった。みぃちゃんが家に帰ってこなかった日から一週間が経った。その間、私は悶々と日々を過ごしながら、学校の宿題や冬季講習に通う合間もみぃちゃんのことを考えていた。けれど、もうそれは私の中のみぃちゃんの像と合致するはずがなく、何の因果か会えない時間の分だけみぃちゃんへの嫌悪感が募るなんて、ひどく滑稽だと思った。


「お姉ちゃんは、なんでいなくなったの?」


 塾の帰り、送迎の車の中でお母さんに訊くとあーと宙を見つめながら、ルームミラー越しで私と目が合った。すっと息を吸い込む音が小さく聞こえた。


「みぃちゃんはね、怪獣なの」


 何の前置きも無かった。いつもなら、「いい? これから言うことはちゃんと聞いてね。そう、あなたのために言ってるの」とお母さんは捲し立てるようにして言うし、そしてそれは間接的な私への説教であって、本心から私のことを心配している訳ではないことを私は子供ながらに知っていた。要は、みぃちゃんの学校内の行動の監督責任が私に一任されていることの戒めだった。その会話の中では、一度もお母さんは私の名前を呼んだことがなかった。だから、その唐突な一言も私にとってある意味衝撃的で、一呑みで嚥下することを許さなかった。か、い、じゅう……?


 それから静かに口を開いて、「もう怪獣になりかけているので、みぃちゃんは引き取られることになりましたっ」とどこか他人行儀な様子で、今度は私と目を一切合わせずに声を弾ませた。お母さんが怖かった。ねぇ私を見て、お母さん。私はみぃちゃんが嫌いだけど、なんで教えてくれなかったの、ねぇ。お母さん。頭が真っ白になるとはまさにこのことだと他人事のように感じた。怪獣という単語がカイジューとまるで違う言葉のように発音されながら何度もリフレインした。


 思えば、「怪獣」だと言われれば確かに納得できる点は多くあったはずなのに私はそれを悉く見落としていたわけではなく、みぃちゃんは怪獣である前に私の姉だったわけで、その可能性に思い当たることすらなかった。みぃちゃんが怪獣だったからではなく、姉だったからみぃちゃんが嫌いだったのだから。じゃあ、みぃちゃんって誰? 私にはもう分からなかった。


 それに、理科で習ったことでいうと怪獣が胎生だとは今まで聞いたことがなかった。家族共有のパソコンがリビングの机にあったが、PINコードをみぃちゃんの誕生日に設定しているところが何となく気に入らなかったので、家に帰ってすぐに図鑑で調べることにした。


 成り立ちの章から読み進める。『(中略)怪獣も元を糺せば一つの卵だったが、適応進化を遂げたことによって成熟して交尾、産卵に至るまで感染する宿主を乗り換えることが判明した』。


 また、怪獣の図鑑にはこうも書いてあった。『21世紀に入り世界で初めて確認された怪獣はオキメテウスの幼獣で、それは寄生虫の一種とされる吸虫に似ていた。感染経路は文献調査により、アメリカから輸入された淡水魚もしくは甲殻類が有力とされている。幼獣は人間の体内でクローンであるレジア幼生を生み出した後、セルカリア幼生へと変わり感染ステージが移行する。その後、メタセルカリアとなった幼獣は宿主の体内でほかの成体と交尾することで、排卵される。』


 その夜、お母さんはお姉ちゃんが怪獣だと知っていたのだと明朗な声で言った。それから、出生前診断NIPTを受けたのはほんの一時の気持ちだったのに、母体血清マーカー検査で染色体疾患が明らかになってもなお産むことをやめなかったこと。てのひらの上でこれから生まれる怪獣を潰すことも、生かすことも、それが最終的に命の選別になるとお母さんは分かった上で産むことを決めたこと。それらをゆっくりと一音一音かみ砕くように私に説明した。


 そっか、と思った。だから、お母さんはお姉ちゃんを愛していた。みぃちゃんは完全にお母さんのものだった。私がそこに入り込む隙間なんて無かったし、私はお母さんの中で一生取り込まれることのない異物だった。私はお母さんにとって怪獣みぃちゃんじゃない方、でしかなかった。


 パプアニューギニアで、完全に怪獣になったそれが宿主ごと焼かれたニュースを見たのはつい先日のことだ。みぃちゃんもいつかこうなる。そう、なってしまえばいい。むしろ清々しく送り出してしまえるくらいに私は怪獣を憎んでいて、それが姉であることに嫉妬していた。愛情の受け皿を全部、みいちゃんが奪った。だから、そうなって当然だと。



 翌日、みぃちゃんのかかりつけだったお医者さんが私の部屋にやってきた。ジャーマンポテトに振りかけた胡椒がポツポツと残っているような剃り残しのある髭を生やした四十歳くらいのおじさんで、突出した前歯が笑った時に見えた。


「言語聴覚士の溝辺といいます。美咲さんの居場所を知りたい、ということでしたね?」


 私は無言でこくこくと頷いた。お母さんが私のために手を回したのだろうか、その真意は分からない。


「美咲さんは現在、更生施設に送致されました。しかし、私どもといたしましては、殺処分ということは考えておりません。というのも、人獣法の整備がまだ進んでおらず、身体的欠陥なら立件できますが整備不良が原因なら責任を問うことができないからです」


 一回聞いただけではよく分からなかった。私はむつかしい顔を作ってみせる。


「そうですね、言い換えると……」


 お茶持ってきたわ。空気を読まないタイミングで、お母さんが部屋に入ってくる。私は目を逸らすようにして、天井のペンダントランプに目を向ける。そば茶と合いそうにもない手作りのクッキーが置かれ、扉が閉じた。


「整備というのは、怪獣化の抑制──主に発声が発現の合図になるのでそれを防ぐことです。また言語の認識という意味でも、人間的な声に変調チューニングする必要があるわけで」


「だから、鳴かせてたわけですか?」


 存外にも問い詰めるような、熱を帯びた声が出た。別に姉を擁護するつもりはなかった。整備という言葉を使う目の前の男が、能面のような貼り付いた顔で怖いもの知らずに蜂の巣をつつくような果敢さにも思えてきて、またそれが、人を指して使うものではないことに後から気づいたからだった。


「まぁ、実験ですからね」


 そう言うと、男はお菓子が置かれた御盆を遮って私の膝下に一枚の紙を滑らせた。同意書と一行目に大きく書かれてある。記名欄にはすでにお父さんとお母さんの名前が連なっていて、残りは私だけ、ということだろうか。


「怪獣食の研究同意書です。美璃さんにもサインしてもらえますか?」


 そう言われて、ようやく私は気づいた。昨日の夕食に食べたあれの存在にゆっくりと思い当たる。お母さんからお風呂掃除を任され、みぃちゃんと一緒にお風呂に入らなくなったのはいつからだっけと考えていると、排水溝にウロコ(?)みたいなものが詰まっているのを発見した。私は念入りにカバーを洗浄してウロコを捨てようとすると、お母さんはビニール袋に入れたそれをつかんでキッチンに向かった。


 袋から取り出し、ざらざらした薄い皮を剥がす。すると、中から肉付きの良い白い綿のような組織が赤い斑点を含んで現れた。お母さんは急いで一つ残らずそれを掻き集めて、レシピを検索し、天ぷらにした。魚の臭みや理科室にある水槽から漂う磯の匂いは一切しなかった。見事な手さばきと調理技術に呆然としたまま、あっという間に出来上がってしまった。いい匂いがした。


 食卓に並んだそれを三人で囲み、お父さんは「これ本当に味付け塩だけ?」と呑気なことを驚いたように声を上げる。「もちろん。素材の味を活かすってこういうことよね」と得意げな顔で答えるお母さんもおかしかった。でも、おいしかった。何を食べているのか分からなかったのに、段々そのプリプリとした身を噛んでいくうちに、お姉ちゃんの記憶が流れ込んでくるような心地がして、私は途端に気持ちが悪くなって吐いた。


 確かにおいしかった。それは料理上手のお母さんだったから、手をつけることのできた領域だっただけなのかもしれない。私の口の中には吐いた後味とせり上がった胃液が混じって、もうそこにお姉ちゃんを感じることができなくて安心した。


 思い出したくもなかった味が舌の上でちろちろと私を舐め回す勢いに乗せられ、気づいたらペンを持つ手が動いていた。ましかくな字で書かれた私の名前がそこに並んだ。きれいだった。


 食糧難を救う、保存食・完全食になる、これ一つで1日分のタンパク質! という煽り文句から関心が集まり、怪獣食が昆虫食の代用として注目されるようになったのは今から三年前のことだ。


 書いた後になって、「お姉ちゃんは食べられるんですか?」と今更ながらの問いを口にする。男は静かに頷きながら、「まぁ、実験ですからね」と繰り返すだけだった。その間、わずかに口の端を上げたような気もするし、無表情のままだったようにも見えた。だが、明らかに一貫した私への無干渉と姉に対する興味が漏れ出るような青い炎にも似た雰囲気が、とても怖かった。


 三日後、柚子胡椒やいなり寿司と組み合わせて「ウロコ飯」と称した一連の自作レシピをお母さんが積極的に考案するようになってから、これまで片手間で更新していた母のSNSはネットで大きく話題を呼んだ。


 報道では家庭内に怪獣が出たということよりも、「共存」という言葉を使って礼賛された。これまで隠し子のようにして扱われてきたみぃちゃんは白日の下で世間から「怪獣」の認定を受けた。当然、新聞社やテレビ局を始めとして人獣厚生施設の担当員を通じて、各種メディアからオファーが来た。


 あぁと私は思った。こういう、なんとなくの善意の総和で社会がつくられているんだなと。だから、よく世界一周旅行の隣に貼ってある、募金のポスターに載った栄養失調やはしかの子どもの写真はたぶん一番状態の悪い子を厳選してるんじゃないかっていつも不謹慎ながら思ってるし、みぃちゃんが国内での症例が通常非公開とされる「怪獣」だからといってチャリティー番組からオファーが来るのは馬鹿にされているようにしか思えなかった。誰かの善意はいつだって社会の悪意の裏返しでしかなくて、定食の付け合わせで出るたくあんみたいな存在感だった。命の授業といった名目で、数年後には道徳の教科書にみぃちゃんの写真が使われたりするのだろうか。



 もうすぐで三学期が始まるのが憂鬱だった。なんて言われるんだろう。怪獣の妹。いや、それはありきたりすぎる。もっと捻れよ。怪獣をなめんな。もともと同じ人間でしょ? なぜかそんなことを思った。今なら、正しく姉を好きになれる気がした。


「それでも産んだんだ?」と精子提供を受けて産んだ子供が母親に投げかけるドラマの一場面がふいに思い出された。野生から連れてきた訳でもないのに、みぃちゃんは──怪獣は子孫を残すことはもうできないわけで、私には飼う責任も育てる資格も無かった。


[1件のメッセージを受信しました]


 携帯が振動した。何だろう。どうせ出かけた両親から買い物のついでに要るものはあるのかという内容だろうと思った。件名なしと表示されたメールを開くと、「みぃみぃ」鳴いている録音メッセージが飛び込んできた。アドレスを確認すると、人獣厚生施設からだった。形見のつもりなのだろうか。こうやって電子化されることに虚しさを覚えた。


 あぁと思った。みぃちゃん語を喋るみぃちゃんを守ってきたのはいつだって私だったことを思い出した。みぃちゃんと離れたくて中学受験をした。無理を言って塾に通わせて貰った。でも私は私立に落ちて、ずっとサナギのままだった。私だけ羽化することも怪獣になることもなくて、みぃちゃんのお世話係だった。


 みぃちゃんの専属通訳になった私は点字ブロックの上を歩かされているような、でも杖のような軽さでも、教え導く訓練されたものを連れている感覚とも違って、電光掲示板に表示された母語で書かれた説明だけを頼りに、目的地に向かう観光客に似た心細さがあった。何一つ私はみぃちゃんの言葉を理解していなかったから。それをようやく思い出した。


「食べるために育ててるんだね。じゃあ、もう要らないね」


 そうやって怪獣を、みぃちゃんを簡単に切り捨てることが出来たならもっと楽に生きられたはずで、だけど血の繋がったお姉ちゃんは血の通わない言葉しか話せなかった。もう死んでもいいの連続に今があって、生きることの妥協を許してはくれないような生々しい現実に似ていると思った。


 みぃちゃんは怪獣で、私の姉で、それも大嫌いなお姉ちゃんで、みぃちゃんが私の姉でよかったと思える人生なんて一生来るはずが無かった。みぃちゃんはきっと、どうしようもなくみぃちゃんの人生を生きていた。小さい頃に親と連れ添って病院に行った時に自分の症状を上手く説明できない時に似たもどかしさがあって、生まれつきを否定したら、別人になる気がして、その邪さに耐えられなくて、だから私は落ちぶれていようと思った。私は人間の子どもだから。今日からは私がお姉ちゃんだから。


 買い物から帰ってきた両親は葬儀屋のパンフレットを大量に持って帰ってきた。どういう気持ちで、墓石を購入しようとしているのかもう私には分からなかった。だけど、きっとニコニコ耳を傾けて葬儀プランの説明を聞いている姿が容易に目に浮かんでやっぱり私が間違っている訳ではなかったことを再認識した。


「ちょっとこっち来て荷物運んでくれる? 


 お母さんが初めて、私の名前を呼んだ。

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