第2話 家来たちの企み

 「婚約の解消もあり得る」などと聞いてロイは危うく手に持ったカップを落としそうになる。今までも波乱はあれど何だかんだ上手くやっていたものが、今回に限ってはそうではないと言われたからだ。


「それは、考えすぎなんじゃ──」

「王族の婚姻は国策であり、貴族のそれは策略」

「そう、そうですよ。今はちょっとぎくしゃくしてるかもですけど。お二人ならまたすぐ仲直りできるんじゃないですか」

「一週間後です」


 リズは指を一本立てる。


「一週間後に、大奥様がこちらにいらっしゃることになっています」

「えと。それは何のために」

「成果と可否を見るため。とだけおっしゃっていました」


 ロイは唾を飲み込んで恐る恐る尋ねた。


「もしも、その、一週間もこの仲違いが続いてたりなんかしてたら」

「恐らく、大奥様は婚約の解消をお決めになられるでしょう。お嬢様ご本人が望んでいないのならそれも仕方がないかもしれない」


 リズは何か言いかけたロイを手で制すると、彼の目を見て続ける。


「でも、わたしにはそう思えない。私にはお二人はちゃんと想いあっているように思見えた。もし、わたしのこの考えが間違ってなかったとしたら。今回ばかりは荒療治が必要でしょう」

「荒療治?」

「ええ、お二人は互いに相手には自分しかいないと考えている節があります」


 確かに王家が王党派との結びつきを強くしたいと考え、侯爵家が王から信任を必要とするのならウォルフとディアナの婚姻は両家にとって最善なものだ。だが、探せば次善の相手ぐらいは簡単に見つかるだろう。


 最近何かと王城に出入りすることが多くなった聖女、王弟の家系にあたる公爵家のご令息、ディアナの弟、他の王党派貴族。リズが頭の中で思い浮かべた次善の婚約者候補について考えを巡らしていると、ロイが不安そうにこちらを見てきたため一度この考えを保留した。


「よく言うでしょう。嫉妬は恋のスパイスだと。いくらあのお二人だって背中に火が付けば自分から動いてくれるでしょう」

「上手くいくかなぁ」

「勿論。わたしのみでは無理です。なので、王子付きの護衛たるロイ様のお力をお貸しいただけますか?」


 ロイは「無論だ」とも言うように頷くと、手に持ったバゲットサンドの残りを口に放り込む。よく噛みながらリズの言葉を待っている。


「最近は何故かお二人の噂話がよく話されているようですから、今回のことも誰かの耳に入っているかもしれません……ロイ様は誰にも言ってませんよね」


 ロイは「俺じゃない」とでも言うように首を大きく横に振る。


「なら、よいのですが。しかし、お気を付け下さい。この城にはお二人のご結婚を望まない人が少なからず存在するのですから」




 ロイとリズはそれぞれバスケットと茶器を片付けると、それぞれの主たちの所に向かう。二人の結婚がかかっている重要な計画をなすために。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


 王城から城下街のロートホルン家の屋敷に続く道を進む馬車の中で、ディアナは市場の喧騒に目を向けていた。大通りの両側には露天商が軒を連ね、まだ日差しが強い中だというのに売り手も買い手も非常に活気に満ちている。

 ぼうっと外を眺めている主人に、リズは声をかけた。


「お嬢様。今日の茶請けのお味はいかがだったでしょうか」

「美味しかったわ。あれも、いつもの御用聞きから買ったのかしら」

「いえ、あちらをご覧ください」

 

 リズが指を差した先には赤い看板を掲げた露店がある。周りの店よりも目に見えて賑わっており、特に若い婦人が多く買いに来ている様子だった。


「一か月ほど前に帝国からこっちに来て、王都で茶の商売を始めたそうですが。お菓子も中々のもので、城下のご婦人方から評判になってます」  

「そう、帝国の方から……あの人たちも紅茶とお菓子を持ってくるだけならよかったのに」


 ディアナは自分の小柄な侍女の方に向き直って続ける。


「ありがとう、リズ。御用聞きにそのお菓子を買い付けておくように伝えておいてもらえるかしら」 

「かしこまりました」

「……それで、ね。その、お茶の時のことなのだけど」

 

 ディアナは自分の明るい色をした髪を弄びながら聞いた。彼女の耳は少し赤くなっている。

 リズは少し気恥ずかしそうにしている主人に「はい」と答えて続きを促した。


「もしかして、殿下に言い過ぎてたかもしれないと思って」

「ご安心をお嬢様。今日のお振る舞いに一つとて瑕疵はありません」

「そ、そう」


 リズは御者の方を一度見てからディアナの目を見て言う。


「お嬢様……お嬢様は本当にこのご婚約を望んでおられるのでしょうか」


 リズの問いに対してディアナ何も言えないでいた。ただ、握った手に痛いほど力を入れて続きの言葉を待っている。 


「もしそうでないのなら。そう、おっしゃって下さい。大奥様はともかく、旦那様なら良いように取り図って下さるでしょう」

「で、でも。結婚はずっと前から決まっていたことでもあるのだし──」

「お嬢様は、エーゼル侯ロートホルン家のご息女でございます」


 リズは大仰に言う。


「不法によってその権利が侵され、不遜によってその誇りが辱められたのであれば、我らは相手が王であろうと皇帝であろうと一戦交えてご覧に入れます」


 馬車の中で器用に片膝をついてディアナに臣下の礼をとった。


「そうだと言うのに。どうして王家の小倅こせがれ如きに何ら憚ることがありましょうか。もし、あなた様がお命じになされば我らは必ずや彼の者に無礼の対価を払わせて見せましょう」


 ディアナは忠実な家来から差し伸べられた手を慎重に取ったが、そのまま引っ張り上げて身を起こさせて席に着かせる。あっけにとられながらも忠義者の不器用なユーモアのおかげで気が楽になるのを感じていた。

 自分は少し気を張りすぎていたのかもしれない。そう思いながらディアナはリズにゆっくりと話しかけた。


「大丈夫よ、リズ。あの方の不器用さは知っているもの。でも、なんだか色々と気にしすぎていたみたい」

「ならば、良いのです。最近のお嬢様は根を詰めていらしゃっていたようですので、これからはもっと気楽にいきましょう」

「ふふ、いいわね。それ。次の春に領地に帰ったら久々に遠乗りにでも出かけようかしら」

「その時は、お供いたします」




 いつの間にか馬車は屋敷のほど近くにまで来ていたようだ。駆ける駿馬の紋章をかたどった金属細工が己の主人を出迎えるように控えている。武門の一族たるロートホルン家の屋敷はその気質を表すかのように武骨な様で構えられている。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

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