残されし者達

日結月航路

第1話

 秋も深まってきた土曜の午前、天気は快晴。

 ここは、市内のとある複合医療施設。

 規模こそ大きくはないが、薬局、眼科、泌尿器科、耳鼻咽喉科などが一棟四階建ての中で揃っている街の施設だ。

 建物のすぐ横と奥には駐車場が備えられており、およそ三十台が駐車可能となっている。

 駐車場の間には屋根付きの駐輪場まであり、様々な来客者に対応できる様子が伺えた。


 そこへ、国道から入ってきた一台の赤いコンパクトカーが駐輪場横へと駐車した。

 時刻は午前十一時三十分。


「それじゃあ、あなた、行ってきますから。送ってくれてありがとう」


「ああ、行っておいで。ここで新聞でも読んで待っているさ」


 そう言って敦賀泰造は妻を送り出した。 

 月に一度、妻を眼科へと送り届け、およそ一時間程度は待機するのであった。

 鞄から新聞を取り出し、運転席で広げる。


(さて……)


 その途端、彼の目つきが変わり、特殊任務遂行者のような鋭さとなった。

 敦賀泰造、五十五歳。

 温厚な身なりからは想像できないような雰囲気をまとい、状況を確認する。



(午前十一時三十二分、駐輪場横へ駐車。駐輪場を挟んで向こう、ターゲットの駐車推測位置は現在空車か。それ以外は程よく駐車されていて、空きはあと三か所。道路沿いに一か所あるが、ターゲットの心意からして、施設に近い箇所を利用するということは考えにくい。……よし、ここまでは問題無いな。こちらから向かいにワゴン車が一台、道路側に白いセダンが一台。いずれも常連の奴らが車内待機。だが、今日はこの私の思うがままに事は運ぶ。悪く思わないでくれ)


 泰造の言う通り、彼の他に二台の車両の中で、男性らが待機していた。

 彼らもまた、同じように家族を送り届け、車内で待機する者達だった。

 ワゴン車でスマートフォンを操作する中年男性、通称「スマホワゴン」。

 やたらと毎回飲み物を買ったり、周辺をうろうろする白いセダンの中年、通称「セダ缶」。


(ターゲットの到着予想時刻までは、およそ十分といったところか)


 泰造は紙面に目を通すふりをしながら、周囲を観察し続けた。

 スマホワゴンも同様に、スマートフォンを触りながら、五回に一度は視線を外へ向け、注意を払っている。

 セダ缶はコーヒー缶を片手に何気なく周囲を見ているが、ゆっくりと車外へと出て、道路の方へと歩き出した。


(セダ缶め、道路へ様子を見に行ったな。散歩を装い、駐車場内を自由に行き来して、チャンスを狙うとは。スマホワゴンはじっくりと腰を据えて待つつもりか。……確かに、あの場所は堅い。ターゲット補足においては十分だ。ただし、ターゲットには私の方が至近距離だ。これは誰にも譲れん)


 紙面をめくる泰造の手に力がこもった。



 午前十一時三十五分。

 セダ缶が車内に戻った。その歩みは、ややぎこちなかった。


(……セダ缶が少し不自然に車内へと戻った。ターゲットが来たのか? ん……あれは?)


 泰造が道路の方へと目を向けると、一台のBOXタイプの軽自動車がゆっくりと入ってきた。

 そうして、自車の前を通過し、ターゲットの予測駐車場所目前に駐車したのである。


(なんだ、あの爺さんは。危うくターゲットの場所に駐車するところだったじゃないか。……まあ、いい。もうそろそろ時間だ。あのまま爺さんがじっとしていてくれれば……ってちょっと待て!!!)


 BOXタイプ軽自動車からほぼ頭髪の無い、八十歳前後の老人が出てきた。

 そうしてやたらと細い身体を伸ばし、煙草を取り出すとターゲットの駐車場所へと居座った。

 静かに火をつけ、一服始めた。

 副流煙がやんわりと泰造の車両に当たっては遠ざかってゆく。

 軽爺(軽自動車の爺さん)は周囲のことなど全く気にする様子もなく、吸っては煙を吐き出している。

 今日も良い天気だ、とばかりに目を細めながら空を見上げていた。


 この行動に常連の三人は怒りをあらわにした。

 

 泰造は新聞紙を膝上で力任せに折り畳み、スマホワゴンは手元が狂いスマートフォンを落下、躍起になって車内を探している。

 セダ缶はというと口元から液体を噴き出してしまい、眼鏡と車内をティッシュでふき取っていた。

 


(ふざけるなあの爺ィ!あそこに居座られては、ターゲットは間違いなく道路沿いを選ぶ。そうなれば私の計画もフイになってしまう。……いや、落ち着け。まだ五分ある。今少し、状況把握だ)


 ふつふつと沸き起こる感情をなんとか抑えながら、泰造は新聞紙を後部座席へ放った。

 車内で待機する三名にとってこの状況は非常事態に近い。

 その為、ライバル視することは一旦休止させ、お互いに目を合わせ始めた。


 まず泰造は、三名の中でも一番若輩に当たるスマホワゴンへと目で合図を送る。

 スマホワゴンも素人ではない。やっと見つけたスマートフォンを胸ポケットにしまい、車外へと出る準備をしていた。

 泰造が頷いたその時、スマホワゴンが慌てて反対方向を見た。


 なんと、彼の家族が戻ってきたのである。彼は顔を歪ませながら、ドアロックを開け、寂しそうに泰造へ首を振った。


(なんだとッ。……く、奴はもう使えない)と、泰造は半ば呻いている。


(では、セダ缶、貴様だ!……ど、どうした。奴は一体何をやっている!)


 セダ缶はというと、それどころではないらしく、ハンドルを握りしめながら、前後左右に頭を振って悶えている。

 時に固まり、時にのけ反り、しまいには車内から飛び出して勢いよく建物の方へと走り去ってしまった。

 どうやら蓄積した水分が散歩により身体をめぐり、突如生理現象が襲ってきたらしい。


(オォ愚か者めッ!!それでも玄人か!!……仕方ない、ここは私が直接出向くしかないのか!)


 午前十一時三十八分。

 その時、一台の営業用軽自動車が泰造の前を横切り、奥の方へと入って行った。

 ターゲットが到着したのだ。


 そう、ターゲットとは医薬品のルート配送を行っている二十代の若き女性だった。

 セミロングのヘアスタイルに、会社の制服を着用している。

 その表情はとても初々しく、泰造は横顔に一瞬気を取られた程だ。

 

(くそォォ、ターゲットがほぼ時刻通りに到着!……こうしてはおれん。あの爺ィめ!!!)


 居てもいられなくなった泰造がドアに手を掛けようとしたその時、軽爺が右手だけをすっと小さく後ろへ向け、

泰造の方へと合図した。その背中がなんと静かなことか。


(軽爺、一体何だというんだ……)


 間違いなく今から何かが起こる。

 それは泰造が起こすのではなく、割り込むように登場した軽爺なのだった。

 いつしか、彼の背中は汗ばんでいた。



 軽爺はゆっくりと手を下すと、ターゲットの駐車場所から歩みだし、今度はルート配送の女性へと

 笑顔で手を振った。

 配送の女性は窓を開け、軽爺に笑顔で応えた。


「あら、清さん。こんにちわ」


「やあ、桃果ちゃん。今日も時間通りで、お仕事熱心だね」

 

「そうですよー。皆さんのお薬を届けるっていう大事なお仕事ですもの」


「桃果ちゃん、場所取っておいたから、ここに停めなよ」


 そういって清は自分が陣取っていた駐車スペースを指さした。

 

「ありがとうございます。でも、なんだか悪いわ」


「なに、ほんの十分程度じゃろう?誰も怒りゃせんよ」


 清は煙草を携帯灰皿へと入れながら、桃果の駐車を見守った。

 


(なんと自然、なんとスマート!! 軽爺の奴、既にターゲットと顔見知りだったか)


 泰造はこの状況を只々見守っていたが、同時に自分の不甲斐なさを恥じた。

 しかし、まだ事は続く。

 

(落ち込んでる暇はない。全ては今この時の為にあるのだ!)


 スマホワゴンもセダ缶はもはやいない。

 この駐車場でターゲットを捕捉するのは、泰造だけだった。

 いや、彼よりも前に、もっと良いポジションに清がいる。


 それでも、泰造は全神経を視界に集中させ、眼鏡位置を補正した。

 いつも以上に緊張感が高まり、喉がカラカラだった。



 慣れた運転でバック駐車すると、桃果は薬箱を手に、ドアを開けた。


 ドアが開閉し、桃果の右脚が地に降り立ち、ハイヒールの音が小さく響く。


 泰造は息をのむ。あらゆる動作がスローモーションに見えた程だ。

 清はにこやかにその動作を見守る。



 右脚を着いて股が最大幅まで広がったその瞬間、スカート奥の白く美しいものが二人の男性の眼に飛び込んだ。

 それは、しなやかな脚を包むストッキング越しにもうっすらと、しかしはっきりと確認できた。





(おおおおおおおおおォォォ!!! パンチラ、ゲェェ------ッチュ!!!!!!)





 この瞬間、泰造の全てが報われた。

 




 降り立った桃果は軽く服装を正し、見守っていた清の方へと歩み寄った。



「清さん、今日もお薬ですか?」


「ああ、薬局で血圧の薬をもらうよ」


「それじゃあ、一緒に行きましょう」と、桃果は笑顔でこたえた。


 桃果は清に歩みを合わせながら、二人はその場を去って行った。  

 


「ありがとう、爺さん。今月もいいパンチラだった」



 どっぷりと汗を掻きながら、それでもすがすがしい気持ちで泰造は清に感謝した。

 ミッションコンプリート。

  

 その声が聞こえたかのように、清が今度は親指を立てて、後ろ手に示してくれた。

 


 ほどなく、要件を済ませた泰造の妻が建物から姿を現し、車へと戻って来る姿が見えた。

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