第20話 近くて遠い人




「明日からの体育、陸上じゃん。キッツイわ〜」

「暖かい時期にやるんだから、まだマシだろ」

「延々走るのが面倒なんだって。アキは嫌じゃねえの?」

「まあ、そこまでは」

「そっか。俺は部活辞めてから体育以外で動いてないからなぁ」


 ボヤくヒロに頑張れよ、と笑う。


 中学の時は真冬の時期にやってたので、あの身が切れるような寒さがないだけマシだ。


 女子はバレーボールだっけ。引き続き体育館を使うようで、少し羨ましい。

 

「あっ、いたいた」


 廊下を歩いていると、一人の女子が声をかけてきた。


 ヒロと二人で立ち止まると、いかにも明るい印象を受けるその子は気さくに手を挙げる。


「やっほー、高峯くん。あっ、城島君も」

「よーっす」

「飯田さん。何か用か?」

「この前は手伝ってくれてありがとう。はい、これ」


 同学年の赤いリボンをつけた飯田さんは、小包を差し出してくる。

 

 それから、ちょっと照れ臭そうな顔をした。


「クッキー焼いてきたんだ。あの時、本当に助かったからお礼にと思って」

「あれくらい気にしなくていいのに。わざわざサンキューな」

「ううん。あっ、それでちょっと聞きたいんだけど。晴海さんと付き合ってるって本当?」


 受け取って早々にそう聞かれ、俺は苦笑する。

 

「本当だよ」

「そっか。じゃ、またね!」

「ああ、また」


 要件はそれだけだったようで、飯田さんは行ってしまった。


「おー、A組の飯田じゃん。なに、またなんか手伝ったの?」

「この前教室の掃除当番の時、ゴミ捨て場で袋破れてペットボトルぶちまけちゃっててさ。どうせ捨てにきてたし、拾い集めるの手伝ったんだよ」

「ほーん。相変わらずなことで」

「マジで大したことじゃないんだけど」


 別に俺と彼女以外知らないというのに、お礼までくれるとは義理堅いことだ。


 大概は助けたその場で終わりか、酷いと内申稼ぎだの偽善者だの言われることもあるので、少しホッとした。


 


「にしても、まだたまに晴海とのことを聞かれるなぁ」


 男ってのは単純なもんで、人気の可愛い子が誰かと付き合っても、他に可愛い子がいればすぐに興味が移る。


 なので男子の方はほぼ落ち着いたんだが、最近は女子の顔見知りにちょくちょく同じ質問をされていた。


「やっぱ晴海の知名度って凄いわ」

「はー。やれやれ、これだから恋愛経験ほぼなしのチェリーボーイは。今時ツチノコレベルだろ」

「は? お前を土に埋めて見つけられなくしてやろうか?」

「いやツッコミの切れ味よ」


 お前それは、いくら俺が小百合一筋だったつっても戦争だぞコラ。


「今のはお前のことを探りにきたんだよ。フリーかどうかってな」

「なんでそんなことを? 噂の真相を確かめるためか?」


 表立ったやっかみは少なくなったものの、いろいろ噂が流れてるのは知ってる。

 

 晴海が俺を小百合から略奪しただの、本命は晴海で小百合はキープだったの、最初に聞いた時はかなりイラっとした。


「飯田ちゃんはお前のこと狙おうとしてたんだろ。で、晴海っていう強力なライバルの存在に身を引いたんだ」

「狙うって、俺を?」

「そうそう。アキは見た目もいいし、中身も良さげだから、って感じじゃねーかな」

「……あんなことで?」

「普通は恋愛なんてそんなもんだよ。ちょっといいなって思ったら、積極的なやつは動くさ」


 それは高校生の恋愛という、ある意味重々しくないものだからこそできる判断なのだろうか。


 まあ、俺や晴海みたいに、何年もかけるような恋をしてる方が少数派なんだろうけど。


 

 


 しかし、仮にヒロの言うことが当たっていたとして、少し複雑な気分だ。


 前は自分の行動に自信を持っていたが、小百合にフられた今となっては微妙に思えてしまう。


「みんな、器用なんだな」

「まっ、お前はまず晴海のことをちゃんと恋人として好きになるこったな。どこまで進展した? キスくらい?」

「うぜぇ」


 ダル絡みしてくるヒロの質問をいなしつつ教室まで戻ると、そこである光景を目にした。




 小百合が、男に話しかけられている。


 C組の前の廊下で、いかにも陽キャって感じのイケメンな男があいつに何か言っていた。


「おっ、あれ隣のクラスのやつだな。サッカー部の期待の新人だっけ? ひょっとして口説かれてんのか?」

「………」


 俺は、何も答えられなかった。


 小百合とその男を凝視して、まるで根が張ったみたいに立ち尽くす。


 男の方は明らかに小百合に向けて好意的な様子で、俺に一つの事実を思い起こさせた。



 本来、小百合はモテるのだ。厳しめな性格とはいえ、その整った容姿と文武両道さは、それだけで俺じゃなくても惚れるやつがいる。


 中学の頃も、何度あいつと一緒にいることで嫉妬の罵声を浴びせられたことか。


 ちなみにかっこいいので女子にも人気だった。




 そして今、俺というお邪魔虫が消えた小百合に他の男が近づくのは、ある意味当然で。


「っ……」


 でも、俺は動けない。


 口説かれているにせよ別の用事にせよ、少し前までなら割って入った。小百合が好きだったから。


 俺以外の男が近くにいるのは嫌だという、子供じみた嫉妬を大義名分にして、邪魔しただろう。


 でも俺は、あいつにフられて……気のおけない幼馴染というポジションをも失った今、邪魔する資格もないんじゃないか。


 そんなことを考えたら、傍観する以外のことができなくなっていた。


「──────。」


 そして、小百合は。


 俺なんかが何かしなくても、自分で自分のことを守れる強い女の子だった。


 


 何かをあいつが言った途端、男は驚き、ばつの悪そうな顔に変わってそそくさと立ち去る。


「おお、見事な撃退。さすがだな」

「………ああ」


 ヒロに相槌を打った時、不意に小百合と目が合った。


「────。」

「あ……」


 その瞳に捉えられた瞬間、じわりと嫌なものが胸の中で滲み出す。


 見ていたのを気付かれた。


 助けに入りもせず、ただ突っ立っていたことを、どう思われるだろう。




 ドクンドクンと、鼓動の一回一回がやけにはっきりと聞こえる中で、視線が絡み合う。


 怖い、苦しい、逃げ出したい──晴海といる間は押さえつけられていた痛みを思い出す。


 それでも目を逸らさないのは、彼女といる時間が癒しをくれたからだろうか。


「……」

「あっ」


 そのうち、ふいと踵を返した小百合は教室の中へ入ってしまった。


 途端に胸の苦しさが解けていって、ほっと無意識に息を吐き出す。


「平気か?」

「……なんとか。ちょっと腹痛いけど」

「死人みたいな顔してた二週間前よりはマシだな」


 ポンポンと肩を叩いてくれるヒロの手が、さっきとは打って変わってありがたかった。




 少し調子を整えてから、俺達も教室に入る。


「あっ、来た来た」

「ん?」


 すぐ近くから声をかけられ、振り向くと晴海と美人トリオがいた。


 彼女達は難しげな顔を突き合わせて手元のプリントを睨んでおり、俺に振り向いた晴海が笑顔で話しかけてくる。


「いきなりで悪いんだけどさ、高峯と城島って英語できたよね? ちょっと教えてくんない?」

「おお、お安い御用だよん」

「俺達に教えられる範囲ならいいぞ」

「マジ? 助かった!」

「今日がウチらの命日じゃなかったのか!」

「これガチでわかんない、教えて」


 途端に顔を上げた美人トリオに苦笑して、早速教える姿勢に入る。




 と、その前にこっそり小百合の席の方を見た。


 あいつは机に教科書とノートを広げ、何かを復習しているようだ。


 こちらを気にしていないことにほんの少し安心して、晴海達の勉強を見ようと──。


「……って…だよね」

「ねー」

「クスクス……」

 

 その途中で、三人の女子が目に入った。


 普段から晴海達とも絡んでいないグループで、俺も話したことのないクラスメイト達。


 そいつらが小百合の方を見て何かを囁き合い、決して愉快ではない笑みを浮かべていた。


「……?」

「高峯ー、これどの単語選べばいいの?」

「あ、ああ。えっと、ここはだな……」


 その不快感の正体を探ろうとして、しかし美人トリオに呼ばれた俺はひとまずそっちに対応した。



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