第18話 心の熱




 ホイッスルが鳴って、ボールが投げられる。



 

 ふわりと落ちていく球へ、城島ともう一人が同時にジャンプした。


「よっ、と!」

「くっ!」


 ボールを取ったのは、城島。


 180センチを超える身長で余裕そうにキャッチすると、着地してドリブルを始める。


 ほとんど一緒に降りた相手は、姿勢を低くして注意深く様子を見始めた。


「始まった始まった!」

「頑張ってー!」


 女子の誰かが、黄色い声を上げる。


 中には高峯の名前を呼ぶ子もいて、やっぱり見てる子は彼を見てるんだなと思った。


「みんな頑張れー!」


 あたしもそれぞれのチームに向けて声援を送る。


「ふっ!」


 まず、城島が右側へ動く。

 

 相手が咄嗟にカバーしようと反応して……次の瞬間、手の中からボールだけが左に飛んだ。


「アキ!」

「おう!」


 床をバウンドしたボールを、前に出てきた高峯がキャッチする。


 フェイントで相手を騙した城島は、そのまま右に向けて走り出した。


 


 合わせて、近づいてきた相手の二人から逃げるように高峯も動く。


 前後から囲まれる前に、すごいスピードで迂回して前の一人を抜いてしまった。


「うわ、足はっや」

「いけいけ〜!」


 高峯は移動しながら、また見たことのない真剣な横顔でコートの中を見渡した。


 そして、ちょうど斜め前でアピールしている城島を見つけると、低い姿勢でパスを出す。


「おっけぃ!」


 危なげなくキャッチし、彼がゴールに向かった。


 しかし、最後の砦である残りの二人が立ちふさがって妨害する。


「っと……」

「ヘイ、城島!」

「! あいよっ!」


 ドリブルしながら迷っていた城島が、二人に付かれて動けない高峯とは反対側にいた太田にパスを回した。




 相手チームが三人もそっちに振り向いて、すごい勢いで囲みにかかる。


「太田! こっち回せ!」

「頼む!」

 

 その前に、太田がボールを高く投げた。


 一人ガードの外れてた高峯が、その場でジャンプしてボールに手を伸ばす。



 

 ガードしてた男子も飛ぶけど、少しだけ高峯の方が高く、見事にキャッチした。


「やべっ!?」

「しっ!」


 着地してすぐに、相手に背を向けてから螺旋を描くようにドリブルで前進する。


 完全に邪魔のないポジに移動して、高峯はゴールに向けてシュートした。




 放物線を描いて飛んだボールは、吸い込まれるようにゴールに向かっていく。


 そして、緩やかに回転しながら落ちていって……真っ直ぐネットを通り抜けた。




 ビーッ!と響くブザー音。


 観戦してた勢から、小さく歓声が上がった。

 

「おお〜! 高っち、ないっしゅ〜!」

「え、いや、普通にすごかったんだけど。高峯めっちゃ動けるじゃん」

「うん。体鍛えてるらしいよ」

「へえ、だからか」


 感心してる真里達に、城島とハイタッチしてる高峯を見る。


 なんだか、あたしもちょっと誇らしい気持ちになった。




「高峯マークしろ! 城島に持っていかせんな!」

「了解!」

 すぐにボールが相手チームに渡され、先生のホイッスルで試合が再開する。さっきので目をつけられたみたいで、最初から高峯は狙われ気味だ。


 そして今度は、相手のチームが仕掛けた。


 ボールを持ってる一人が前に出て、高峯達が動こうとした途端に他の二人が邪魔をする。


「くっ!」

「やっべ!」


 しつこく付きまとわれて動けない中、太田がボールを取ろうとした。


「よっと」

「あっ」


 けど、バスケ部員であるその男子の素早い動きにあっさり抜けられてしまった。


 木村と後藤もガードしようとしたけど、その前に綺麗なフォームでトスされたシュートが決まってしまい。


 二十秒もしないうちに、二度目のブザー音が鳴った。




 また歓声が上がり、相手チームの男子はこっちに向けて手を振った。


 それからあたしに振り向いて、謎のキメ顔を見せてくる。


 愛想笑いでやり過ごせば、その男子は急に機嫌良さげに、今度は高峯に向けて得意げな顔をしていた。


「うわ、対抗心むき出しじゃん」

「モテる女は辛いですな〜」

「ほら、彼氏のこと応援してあげたら?」

「そうだね」


 他の子も応援してるし、これまでは全員それとなく応援してたけど、いっちょかましてやりますか。


「高峯ー! 頑張れー!」


 口元に手を近づけて、大きな声でエールを送る。


 試合を再開しようとしていた高峯達は、驚いた顔であたしに振り向いた。




 直後、相手チームの男子達が一斉に高峯を睨みつける。彼はその視線にビクッとした。


「お前らァ! 絶対勝つぞォ!」

「「「「おぉッ!!」」」」


 あ、なんか相手の方のスイッチ押したっぽい。


 肝心の高峯は、ニヤニヤしてる城島に何か言われて苦笑いしている。


「あー、こりゃ荒れるね」

「だね。やらかしちゃったかな?」

「いやいや、むしろこれで高峯もやる気出たんじゃない?」


 そう言われて彼を見ると、丁度こっちを見ていた。


 目が合い、頷いてくる。


 あたしはちょっと驚いてから、笑顔を作ると握り拳を顔の横で作って頷き返した。




 そして、三度目のホイッスルが鳴る。








◆◇◆








 再開された試合は、途端に白熱したものになった。


 やる気……ていうか、負けん気?を増した相手チームの勢いが凄くて、めちゃくちゃガチだ。


 すると、高峯達も同じくらいやる気を出し始めて、どっちともバチバチにぶつかり合った。




 高峯達が点を入れたら、次は相手が入れて、その繰り返し。


 ディフェンスとオフェンスを頻繁に入れ替え、体操靴が激しく床を擦る音が幾つも重なる。




 こういうのを一進一退、っていうんだっけ。まるでプロの試合を見てるみたいな熱気だった。


「ボール城島に行ったぞ!」

「よいっしょ、っと!」


 七分が経過した頃、城島がゴールからかなり遠くでシュートする。


 ややゆっくりめにボールは飛んでいき、そのまますっぽりと輪をくぐって、何度目かの黄色い声が上がった。


「しっ、やりいっ!」

「ヒロ、ナイス!」

「アキこそ、いいパスだったぜ!」


 笑い合ってる高峯達を讃えるみたいに、甲高いブザーが鳴る。


「城島凄いね。現バス相手にチョーセッセンじゃん」

「経験者は違いますな〜」

「いや、それ言ったら一番ヤバいの高峯でしょ。あいつ、鍛えてるって言っても食らいつきすぎじゃない?」


 真里達の言う通り、高峯は凄かった。


 確かな技術があるバスケ部員相手に、身体能力とチームワークでついていってる。


 今も息が上がっているけど、まだ余裕がありそうな様子だ。




 時には強気な攻めで、かと思えば城島達との繊細なコンビネーションで相手を出し抜く。


 得点もほとんど高峯と城島が入れたもので、他の子達も凄い凄いって騒いでた。


「にひひ、これは陽奈も惚れ直したんじゃな〜い?」

「あはは、かもね」


 小柄な体をさらに屈めて、下から覗き込んでくる大耶に相槌を打つ。




 ふと、中学の時のことを思い出した。


 一度、空手部のマネージャーやってた友達に頼み込んで、大門先輩の試合を見に行ったことがある。


 その時もこんな感じで、あたしは観客席から先輩を見ていた。

 

 真剣に試合に臨む先輩の姿には、胸がいっぱいになるくらいドキドキして……けど、高峯に同じものは起こらない。




 代わりになんだか、よくわからない温かな気持ちがじわじわと湧いていた。



(なんだろうな、これ)

 


 初デートで抱き寄せられた時も、美味しそうにお弁当を食べてくれた時も、同じ感じがした。


 知らない高峯を見て、新しい一面を見るたびに、その暖かさは少しずつ〝熱〟になっていく。


 この熱は、どんな感情から生まれているものなんだろう?




 

「あれ? あそこにいるの、宮内じゃない?」

「え?」


 そんなことを考えていたあたしの思考は、真里の一言で現実に戻された。


 真里が見ている方に振り向くと、本当に宮内さんが観戦している女子達の端っこにいた。


 いつもみたいに、静かな様子で佇んでいる彼女が見ているのは……もしかして、高峯?


「なんで……」


 わざわざ、と呟きかけた時。




 激しい音が体育館に木霊した。




 しんと周りが静まり返って、あたしはバスケットコートに向き直る。

 

 すると、何故か尻餅をついてる相手チームの男子の前で、同じように転んだ高峯が苦しげな顔をしていた。


「高峯っ……!?」

「アキ、大丈夫か!?」


 城島がすぐに駆け寄って、あたしはハラハラとしながら見守る。


「え、何が起きたの……?」

「なんか、シュートしようとしたのをブロックされて、足引っかかって一緒に転んだみたい」

「でも高峯くん、すごい転び方してなかった……?」

「ちょっと、ヤバくない……?」


 ヒソヒソと囁かれる周りの子の言葉で、なんとなく経緯を察した。




 ゆっくりと立ち上がった高峯は、険しい顔で足首を抑えてる。


「アキ、とりあえず休んでおいた方がいいんじゃないか?」

「…いや……まだやれる」

「っ……」


 今、一瞬こっちを見た……?


 足から手を離した高峯は城島に頷いて、彼は躊躇したけど、元のポジに戻る様子に仕方がないといった顔で戻る。


 先生も問題がないって判断したみたいで、ホイッスルの音で止まっていたタイマーが動き始めた。




 さっきまでよりずっと静かに、緊張感を増して試合が進む。


 高峯も変わらずにプレイしてるけど、どこか動きが鈍くて、見ていてハラハラした。


「大丈夫なん、あれ?」

「なんとかって感じで動いてるけど……さっき、絶対足首いってたよね?」

「陽奈、止めた方がいいんじゃない?」


 三人の心配した言葉はあたしが思っていることそのもので、本当ならすぐに止めたい。




 でも……さっきの、あの目。




 勘違いかもしれないし、あたしの気のせいかもしれないけど。








 見ててくれ、って言われた気がした。








◆◇◆








「城島を前に上げさせんな! あと二分粘ればこっちの勝ちだ!」


 相手のリーダーの言葉に、得点表を見る。


 点差は12対13。高峯達の方が不利だ。高峯があまり動けない今、城島さえ邪魔してしまえば、あとは時間切れで負けてしまう。


「ちっ、太田! そっちに回すぞ!」

「分かった!」


 複数人に囲まれて立ち往生していた城島は、苦し紛れの顔でパスを出す。


 マークされてなかった太田が、落ちてきたボールに手を伸ばして──取り損ねた。


「あっ、やべっ!?」

「今だ! 取っちまえ!」


 リーダーの指示で、太田の手が弾いたボールに相手のメンバーが動き出し。


「っ!!」


 その時だった。


 


 ガードが一人に減らされていた高峯が、ボールに向けて走り出す。


 相手はさっきのことで警戒してなかったみたいで、妨害されずに高峯はコートを駆けた。


「っと!」


 そして、まだ誰も取っていなかったボールを飛び上がるようにキャッチして。


 その姿勢のまま、ゴールに向けてシュートを繰り出した。




 ゆっくりと空中に半円を描くボールを、みんなが見つめる。


 あたしもじっと、祈るみたいに両手を組んでその行く先を目で追いかけて。


「ぐっ!」


 高峯が着地に失敗して転んだのと同時に、ボールが輪っかを通り抜けた。


 ビー!と、すぐに音が鳴る。




 ほぼ同時に振り返って得点表を見ると、先生が高峯達の方に2点加えるところだった。


 やった、逆転した! 


 いやっ、そんなことより高峯、さっきすごい声出して──!


「「「うぉおおおっ!!」」」

「「きゃー! 高峯くんすごーい!」」


 その瞬間、周りからこれまでで最大の歓声が弾けた。


 まるで高峯のことをヒーローみたいに、口々に囃し立てる。


「おお〜、高峯やるな」

「真面目に高スペックすぎな。あれバスケ部入ってもいけんじゃね?」

「ひ〜な〜、本当にいい男捕まえたじゃーん!」


 真里達も凄いって言ってるけど、あたしは正直それどころじゃなかった。



 

「おいアキ、さっきやべえ音してたぞ? 大丈夫なのか?」

「ああ、だいじょ……ぐっ」


 高峯が立ち上がろうとして、途端に体を支えようとしてた手を床から引く。


 手首もやっちゃったみたいだ。流石にあれ以上は無理でしょ。


「あの、せんせ……」

「──先生。聡人くんが重傷なようなので、保健室に連れて行きます」

「……え?」




 歓声を切り裂いて響いた声にそちらを見れば、一歩前に出た宮内さんが胸のところで手を挙げていた。


 一瞬、ちらりとこちらに目を向けられて心臓が跳ねる。


「ああ。高峯、これ以上は俺も見過ごせん。保健室に行って診てもらえ」

「うす……」

「あっ、おい、手ぇ貸すから急に立つなって」


 城島に手助けされながら立ち上がる高峯は、自分じゃ歩けないみたいだった。




 そんな彼に足早く近づいて、宮内さんは先生に向けて話す。


「こちらの先生には自分で説明しておくので。それより早く、彼を保健室に」

「……まあ、そうだな。宮内なら平気か。俺からも言っておく」


 あたしがびっくりしてる間に、話をすませた宮内さんが高峯に近づいた。


「城島君、私に任せて」

「……宮内さん、いいの?」

「ええ、平気よ」


 滅多に見ない真剣な顔をした城島と向き合い、彼女は言い切る。


 しばらく二人は見つめ合って、やがて城島がへらりと笑った。


「じゃ、よろしく。気をつけてくれよ」

「勿論。丁重に運ぶから」

「小百合……?」

「……安心して、聡人くん。保健室まで付き添うわ」


 宮内さんが高峯の手を自分の肩に回して彼を支えながら、体育館の出口に向かって歩き出した。

 

 その途中で不意に途中で立ち止まると、あたしに振り向いた。


「あなたは来ないの? 聡人くんの彼女なんでしょ?」

「っ。い、行く!」


 まるで挑発するようなその言葉に、あたしは咄嗟に言い返して走り寄る。


 宮内さんとは反対側から高峯の体に手を回して、しっかりと支えた。


「行きましょう」

「うん」

「あっ、ちょっと、陽奈!」

「ごめん真里! せんせーには上手く言っといて!」




 顔だけ振り返って頼むと、すぐに彼を保健室に運ぶのだった。




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