第16話 まっすぐな君




──などと話していた日の翌日である。




「君があたしの下駄場に手紙を入れた人?」

「あ、ああ。本当に来てくれたんだ、晴海さん」

「まあね」


 ……いつも通り中庭で昼飯を食おうとしたら、とんでもない状況に出くわした。




 まだ昼休みが始まって間もなく、閑散とした中庭に二人の男女が向き合っている。


 一人は言わずもがな晴海で、そしてもう一人は大人しそうな見た目の男子生徒だった。


「……マジか」


 どうすればいいのかわからずに、俺はとりあえず近くの柱に身を隠した。




 そっと相手の男の様子を伺う。


 やはり普通のやつだ。ちゃんと着た制服、軽薄そうな雰囲気もない。ネクタイは一年の赤色だ。


 顔に覚えがないので別クラスだろうか。介入したくなるが、昨日断られたのでとりあえず様子見する。


「それで? 話があるって書いてあったけど、何かな?」


 余計な談笑を挟むこともなく、晴海が直球でそう聞いた。


 まるで逃げ場を与えまいとするような質問に、ぐっと男が顔を強張らせる。


「ああ……これは確定だな」


 もはや疑いようもない。あいつは晴海に好意を抱いている。


 しかも、結構マジのやつだろう。その表情や固く握られた拳、若干赤く染まった頬は、数日前の俺とそっくりだ。




「その。噂で聞いたんだ、晴海さんが高峯ってやつと付き合ってるって」


 やっぱりクラス外にまで浸透してたのか。初デートの時に会った二人組が噂してたみたいだしな。

 

「それって、本当なのか?」

「うん。同じクラスの高峯とお付き合いしてるけど」


 肯定された途端、男の顔に一筋の影が差した。


 また覚えのある表情である。なんだか妙なデジャヴを感じはじめた。


 しかし、気弱そうな見た目に反してきっと眦を上げたそいつは声を張り上げた。


「お、俺っ! 前に一回、晴海さんに助けてもらったことがあって! そ、その時からずっと、気になってて……」


 おお、直球でいった。そんな場合ではないのに感心してしまう。


「多分、晴海さんは覚えてないだろうけど……」

「ううん、覚えてる。前に廊下で他の人ぶつかれられて、ノートとか落としちゃってたよね」


 ハッとする男子生徒。


 それから嬉しそうに相貌を緩めて、盗み見していた俺は苦笑した。ああいうところが異性を惹きつける理由なんだろう。


「そ、そうだよ。俺、周りの目が恥ずかしくて……でも晴海さんが、全然気にせずに拾ってくれてさ」

「だって見てて気分悪かったんだもん。君は悪くないのに、誰も助けないで笑ってるのがさ」


 追い討ちのようにそんな言葉を投げかけられれば、いよいよ男の目に宿る感情が高まる。


 密かに固唾を呑んで見守る中、そいつはぐっと大きく息を吸い込み。


「その時から、お、俺………晴海さんのことが、好きだったんだ!!」


 ついにその思いの丈をぶちまけた。


 全身から絞り出したような告白がこちらにまで届き、俺は三度目の既視感に襲われる。


「気がついたら、廊下ですれ違うと目で追うようになってたんだ。日を増すごとに、自分の中で気落ちが大きくなって、こんな気持ち初めてで……」


 あいつも初恋、か。案外誰しもがあっさりとそれを知るのかもな。


「でも、彼氏ができたって聞いて、居ても立ってもいられなくなった」

「……そうだったんだ」

「あっ、勘違いしないでほしいんだけど、晴海と高峯の邪魔をしたいわけじゃないんだ」


 慌てて弁明するように言うけど、少なからずその可能性は期待しているのだろう。目が諦めてない。


「ただ、自分の気持ちを聞いてほしかったっていうか……その、身勝手でごめん」

「……うん」


 なおも変わらぬ声音で相槌を打つ晴海の表情は、ここからでは見えない。


 彼女は今、どんな顔で男の告白を聞いているんだろう?


「でも、本気だってことだけは、知ってほしい。こんな理由だけど、俺……本当に晴海が好きなんだ」


 もう一度自分に言い聞かせるかのように呟いて、それきり口を閉じてしまった。



 

 中庭に沈黙が降りる。


 どこか別の場所からの喧騒が木霊し、その静寂はいっそ痛々しいほどだった。


「……すげえな、あいつ」


 俺は、柱の陰で呟く。


 告白してくるのは軽いやつが多いって話だったが、こんなガチのもいるんだな。


 立場で言えば恋敵なんだろうが、成功確率が低いと知っていながらも踏み出した勇気に少し感心してしまう。




 それは何度か感じたデジャヴのせいかもしれない。あそこで視線を彷徨わせている男が、小百合に告白した時の自分と重なって見えた。


 正直に言えば、俺はあの時成功すると確信があって告白したわけではなかった。


 単に積年の想いが抑えきれなくなって、幼馴染という他者より濃い関係性を担保に挑戦した。結果は知っての通りだが。


「なるほどね。それで告白してくれたんだ」


 恋敵くんに妙なシンパシーを覚えていると、ようやく晴海が声を発した。


「あ……ああ。あんなことでって思うかもしれないけど、でも俺は本心から……」

「大丈夫。そんなに怖がらなくても、君の気持ちはちゃんと伝わったよ」


 俺はまたしても驚く。晴海の声が想像以上に真剣だったからだ。


 真剣な相手にはちゃんと対応する、という口ぶりだったが……本当そうだ。


「ほ、本当か?」

「うん」


 途端に顔を上げた男が、パッと表情を喜色に染め。




「でもごめん。その気持ちには応えられない」




 きっぱりと告げた晴海によって、即座に消え失せた。


 一切の可能性を感じさせない端的な答えに、俺までも衝撃を受ける。


「君の気持ちは受け取ったよ。でもあたしは今、高峯以外と付き合う気はない」


 続けてそんなことを言われ、不謹慎にも少し嬉しくなってしまった。


 い、いや駄目だろ俺。他人の不幸で笑うような人間にはなるな。


「は、はは……そうだよな。こんな浅いきっかけで好きになられても、迷惑だよな。そもそも、彼氏いるし」


 ……いたたまれん。あの自虐したような笑い方も非常に身に覚えがある。


「違う。そういうことじゃない」

「え?」


 だけどそんな男に、優しく叱るようにして晴海はかぶりをふった。


「理由は関係ない。人が誰かを好きになるきっかけなんてそれぞれなんだから、そこを否定したりしない。どんなものでも、それは君の大事な気持ちでしょ。ないがしろにする必要はないよ」

「……あ、ありがとう?」


 拒絶されたと思ったら突然擁護され、男は混乱しているようだった。


 お断りと同時にフォローもするとは……晴海、器用なやつ。


「だけど、あたしはそれを受け取れない。それだけは分かってほしいな」

「……分かった。聞いてくれてありがとう」

「ううん。これからいい出会いがあるといいね」


 完全に脈なしと判断したのか、がっくりと肩を落とした男は背を向けたのだった。




 男が立ち去り、中庭には晴海だけが残る。


 彼女はその場に立ったままで、どうかしたのかと見守っていると──突然大きくため息をついた。


「あー、しんど」


 次に紡がれた言葉はそんなもの。


 やはり、こうもひっきりなしに好意を向けられるのは堪えるのだろうか。モテるというのも大変だ。


「ああいう相手だと、フる側も辛いなぁ……」


 俺の予想に反して、彼女は沈鬱そうな声音で呟いた。


「あー、てか偉そうなこと言っちゃった。いい出会いがあるといいねとか、何様って感じじゃん」


 その内容に目を見開くと、くるりと踵を返した彼女はベンチに腰を下ろす。


 ようやく見えるようになった顔には、苦々しいものがあった。


「けどあっちが勇気出してくれた以上、こっちも誠意見せなきゃだし……んあー、やっぱこういうの誰かに見せらんないや」


 ……一部始終見ててごめんなさい。




 しかし、驚いた。


 昨日とは全く違い、その表情には辟易ではなく後悔が滲んでいる。


 まるで、相手に合わせて自分も傷ついてるみたいな……


「フられる気持ちが分かるようになったからかなぁ……前よりきついや」


 独り言をつぶやく姿に、ふと俺の失恋に共感してくれたことを思い出した。


 もしかしたら晴海は、共感性や感受性といったものが高いのかもしれないな。


「……とりあえず、飯は別の場所で食うか」


 見られたくなかったようだし、変に声をかけて嫌な気持ちにさせるのを恐れた俺は、こっそりその場を後にした。






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