第二話「一輪の白い花」

 日葵が亡くなってから、もう数日になる。

 葬式などは家族葬で行われたが、日葵の両親から声をかけてもらって、俺も参加した。それが日葵の顔を見た最後の日──。



 時間は戻らない。

 どんなに後悔しても、二度とやり直しなどきかない。

 人生とはそういうものだ。


 それでも激しい後悔が押し寄せてくる。



 俺は──

 もっとあいつにしてやれることがあったのではないか。


 そう思うと、悔やんでも悔やみきれないのだ。



 人の死は突然やってくる。

 こちらの事情などお構いなしに──勝手にやってくるのだ。



 俺は吸い終えた煙草の吸殻を、近くに置いてあった空き缶で処理をする。

 そしてテーブルの上に置いてある透明な花瓶に挿された一輪の白い花へと視線を向けた。



 日葵が亡くなった翌日の朝──

 目を覚ますと、なぜか俺の布団の上に見たことのない白い花が一輪だけ落ちていたのだ。


 図鑑やネットで調べても、どこにも情報がない。


 この世のものとは思えないほど透き通った白い花。

 ──まるであいつを彷彿とさせるような美しい花だった。


 だから俺は、その花を花瓶に入れて大切に飾っていたのだ。



「そういえば──」

 俺は花瓶の花を眺めたまま、ひとり呟いた。

「結局、この花の名前は不分仕舞わからずじまいだったが…………」


 それ以上に奇妙なことがあったのだ。



 数日前、友人がひとり訪ねてきたことがあった。

 逢沢あいざわかい

 俺の音楽仲間でもあり、数少ない友人のひとり。


 日葵を失ったことで、俺が音楽を辞めてしまうのではないかと、心配して会いに来てくれたのだ。

 その時に彼が口にした言葉──



「なんでおまえ花瓶だけ大事そうに飾ってんの?」



 正直、耳を疑った。

 彼の目には『あの花瓶に挿された白い花』が見えていなかったのだろうか。


 魁は持参した缶のホットコーヒーを飲みながら「花瓶だけ飾っているなんてもったいない。せっかくなら花でも買ってきて挿せばいいのに」とか言ってきたので、適当な返事をして誤魔化したが──



 日葵が亡くなった翌朝に、どこからともなく俺の目の前に現れた一輪の花。

 いくら調べても正体がわからない謎の花。

 

 俺が漠然と心の中に隠し持っていた秘かな願い。

 都合のいいように解釈しようとしていた妄想とも言える。




 もしあの花が────




「…………日葵」

 あの時。俺は無意識で、そう呟いていた。



 そして、思えば『あの現象』もその日からだった。

 

 毎日、夢に見る光景。

 先が見えない暗くて狭い道を、ただひたすら歩いているのだ。

 そして背後から、あいつの声が聞こえてくる。

 ──日葵の声。


『どうか振り返らないで。あなたは前だけを見て────先に進んで』


 それでも俺は日葵の姿が見たくて振り返ろうとするのだが、決まって彼女を見るまえに目が覚めてしまうのだ。


 あの日から毎日のように見る夢。

 そして彼女の声を聞くたびに思いだす。


 彼女は生前、俺の前で口癖のように言っていた。


 俺の音楽が世界の人々を救うところを見てみたいと──

 それを見届けるのが自分の夢なのだと──


 そう、言っていたのだ。



 だから俺も約束をした。

 俺が音楽で世界を平和に導いてやる──と。


 そう約束をしたのだ。彼女と。




「そんな技術も、才能も……俺にはねぇよ」



 誰に言うでもない。

 ただ──

 どこまでも続くだだっ広い空を眺めながら、俺はひとりそう呟いた。

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