アマロ    白蛇抄第15話

伊吹山には鬼が居る。

人はそれを高麗童子と呼んでいる。

高麗とは外つ国の事である。

うすく青い瞳を持ち、ちじれた髪は僅かに異種の血である茶色を呈していた。

其の容貌を垣間見た人は高麗童子と彼を呼んだ。

これが、大台ケ原から居を移した光来童子であるとは、知る人はいなかった。

「かなえ」

心に刻んだ思いのままを口に乗せると童子は空をあおいだ。

瞳は空の色を移したかと思うほどに青い。

双眸に浮かぶ一抹を孤独と呼ぶ。

葵い瞳が溶けおち、涙の雫も青いのではないかと思えさえする。

だが、童子は空に向かい手を差し延べた。

舞い落ちてくる伊勢の姫君の幻影をしっかりとつかみとるために。

「かなえ・・・」

何度、かなえを連れ去ろうと思った事であろう。

其のたび

(かなえを人として、いかせしめたい)

この楔が足をからめた。

父。如月童子は人と通じて自分をもうけた。

だが、其の裏側が思い当たるようになった。

如月とて人をして鬼の妻にしようとはかんがえだにしなかったはずである。

この地で生きる法が如月にすがるしかない、外つ国の女子を見つけたとき、

「この女をいかせしめるため」

と、己の言い訳がなりたった。

若き頃に外つ国の女子に出会った事も、如月の心に憧憬をつくらせ、

如月の目の前で行き倒れるしかない外つ国の女をすておくことができなかった。


アマロは英吉利のケジントンにくらしていた。

伯爵の爵位の通り、絢爛な生活は裕福としかいえない。

このアマロが、ケジントンからリバプール行きの船にのったのは、

年老いた母の病の報をしったゆえである。

アマロは三日の船旅の後、母にあえるはずであった。

家に残した七つの娘と五つの息子の事がきになったが、長の別れではない。

この後には長の別れになるだろう母に、せめて一目合いたいと、

アマロは単身、故郷に赴く法を船旅にした。


ゆれる船内で母への不安が一層大きく揺らされる。

アマロは船室にこもったまま、母の延命をいのりつづけていた。

だが、運命と云うものは皮肉なものでしかない。

この船はアマロの祈りも虚しく、盗賊船に遭遇する事になる。

母の延命を祈るどころではない、己の命の灯さえかき消される事態がおきた。

身に着けている貴重な品物を奪い取られるぐらい、安いものだと思わす船員の屍を盗賊の後ろにながめながら、アロマもやはり、身に着けていた宝石を自らはずし刃を向ける盗賊にわたした。

そして、女ばかりが残った船。

甲板に引きずり出された女は、一塊になり己の運命をなげいた。

強奪を終え、船の食料さえ、自船に運び込んだ盗賊は女達の前にたった。

ここで殺されるも。この船に捨て置かれるも。結果は同じだ。

互いの肩を抱いた女達はせめての延命を願うしかなかった。

漂流し始めたこの船を捜してくれるものが居るかもしれない。

リバプールに到着しない船をきっと、さがしにくる。

見つけ出されるまで、幾日かかるかわからないが今ここで殺されるよりは生き延びれる可能性がある。

出来るだけ穏やかに。

アロマは盗賊の頭領格と思う男にかたりかけた。

「どうぞ、命だけはおたすけください。このまま、私達を・・・」

何と言えばよいか、判らなかった。

船の中に捨て置いて下さい。こういえばよいのだろうか。

「もし、私達が生延びることがあっても、貴方方の事はいっさい何もはなしません」

男に願いながら同時にアロマは他の女達にも、いっていた。

アロマの言葉にふるえながらも、女達はしゃにむにうなづくだけしかできなかった。

「あのとおりです。いっさい、何も話す事さえ出来ないでしょう。ごしょうですから」

アロマの願いを聞いている男はじっとうでをくんでいた。

その腕を解くと

「たしかに、おまえの言うとおり、俺たちの事は毛から先も喋れやしないだろう」

と、アロマをみすえる。

「だが、御前は違う。恐ろしくて口を訊く事さえ出来ないあいつらとはちがう」

つまり、アロマは喋る。俺たちの事を喋るという。

「いえ。おやくそくします。私もけして・・」

アロマの言葉が男の一喝で途切れた。

「残念なことだが」

男はそういった。

「われわれは盗賊である以上、欲しい物は我が物にする。吾らの搾取を邪魔立てするものには、制裁をあたえ、いらぬものはすておく。要る、要らぬはお前たちが勝手にはならない。われらがきめる」

男の言葉が通るように辺りに響くときりつまった口笛と拍手とほうほうの歓声があがる。

アマロは男の言葉を聴くとわずかな安心を得た。

少なくとも、女達は盗賊の搾取を邪魔立てしたりしない。

この時点で命の保障は得られたと思ったからである。

「親方・・親方・・・」

盗賊の手下はねだる。

ゆっくりと手下を振り向いた男は後姿のままアマロの前でうなづいた。

頷いた男が

「まず。上にたつ者から、欲しい物をとる。この、残りは平等に分配される」

男は、ゆっくりとアマロをふりかえり、屈強な身体を僅かにこごめてみせる。

つまり。

「俺は鼻っ柱の強い女がすきだ。頭のいい女もな。

震えて口もきけない女ばかりが、女と思っていたが、お前はそうじゃないな」

男の選択がきまり、残りの女はねだった手下達の取り分になる。

男の提示した運命がどういう事であるかを知るアマロの瞳は恐怖に見開かれたままになっている。

断れば、それは搾取を邪魔したということになるのだろう。

陵辱か死か。

この二つに一つの選択しかない。

アマロ自身が自分の運命を選択しているこの僅かの間に手下達もまた、己の嗜好に合う女を選択している。

いやおうも無く生きる道を指し示される女達は震えるまま従順な羊のように男の手に引きずられてゆくことを観念していた。

「あ」

僅かな声が漏れたアマロを見た頭領格は静かに口を開いた。

「力の無い者は、いらない。見た目から淫売と判る女も要らない。

女は共有される道具だから、要らぬ病を持ち込まれては困る」

この選択肢からこぼれた老婦人が一人、甲板に取り残された。

男達は気に入った女を腕に抱え込んでいる。

女を抱え込める者はこの盗賊集団の中で上位の者なのだろう。

こんな事が判ったって何の足しにも成りはしない。

アマロは男を見詰め返した。

呪詛を籠め、憎しみを籠め、男をくいいるように見詰めるしかなかった。

「おまえは・・せめて、俺だけの女になれるように努力するしかない」

男はアマロに伸ばした手をひろげてみせた。

「それとも、この場で死ぬぐらいの覚悟でいるか?」

すておきにはせぬ。

搾取を阻んだ女はいかしておけぬ。

男の冷たい宣託を知ったアマロの口を付いた笑い声に自分でおどろいた。

「共有させないだけでも、ありがたいとおもえということですか?」

男は冷徹。わらってみせた。

「頭のいい女だけが、生きるか死ぬかを自分で決められるんだ」

アマロは男の後ろにある抜けるような蒼空をみつめた。

この空の下に夫と子供がいる。

たとえ、一生逢う事が出来なくなっても彼らの存在を思う事はできる。

この空の下で彼らを思う自分をなくすまい。

思いは自由だ。

アマロは、うなづいた。

自分の選択で生きる事を選ばすこの男は、そんなに捨てたもんじゃないだろうとアマロは娼婦のようにうなづいた。


船を移るとき老婦人の哀願がきこえた。

「わたしもつれていってくださいよおおおお」

例えこの先に陵辱しかなくても、

何人もの男のなぐさみものにされても、

要らぬ者として置き去りにされるに勝る過酷な仕打ちは無い。

こんな、こんなときだから。

こんなことが、こんなことが。

連れ去られる方が余程、どんなに幸福であるかと老夫人がおしえていた。

悲痛な声がとぎれ、老婆は海賊船に招待される掛け橋が取り外されるのを見詰めるしかなかった。

船が動き始め、ぶんどった獲物を片付けだす下っ端の横を数人の女が、幾人かの男にひきずられ、船倉の奥にきえてゆく。

アマロだけが頭領の側に立ってそれをみおくっていた。

「さて・・・」

男がアマロを見る。目はもう一度上から下までアロマを舐める。

「お前の心がけ次第だが。他にやるにはおしい・・」

アマロの美貌をして、アマロを独占したくなると男はもらした。

だれかれお構いなく伽の相手を勤めるよりは、この男だけの女で居た方が良いだろうと、男はアマロをなだめてみたのか、おどしてみたのか。

「どっちにしろ・・」

答えかけてアマロはやめた。

陵辱にかわりはしない。こういえば、男の癇がたつ。

癪に触ったばかりに男はいうとおり、アマロを群れの中になげこむ。

せめても、たしかにこの頭領格の男の独占下に入った方がアマロの身も安泰である。

アマロが言いかけた言葉を飲み込んだ事で、男はアマロを支配下に置いたと覚った。

「いい心がけだ」

アマロの選択を了承すると

「俺の名はロァだ。ついてこい」

男の名前をしらされた。

ロァに命ぜられるままアマロは彼に従った。

いきておればこそ。

アマロは悲壮な覚悟を決意に替え、生きる事をえらんだ。


ロァの部屋は操舵室のうしろにある。

小部屋の前にたつと、ロァはアマロをふりかえった。

「女のかわりはいくらでもいる」

ロァの言葉の意味を理解するのにさして時間はかからない。

「ジニー」

ロァは部屋の中にいる女の名をよんだ。

ドアを開けたジニーなる女の顔を見詰めるアマロの前でロァはつげた。

「ジニー。下におりろ」

顔を出したジニーのこわばった表情をアマロはみつめつづけた。

ロァにオンリーの女がいるのは当り前のことであろう。

だが、ジニーの立場はアマロの出現で一気にくずれさった。

ロァの言葉に従うしかないジニーはロァの一言で安泰な地位を新しい女に譲らなければ成らなくなった。

ロァが今までの略奪でも、他の女に興を得なかったことに安心していたジニーの慢心がくずれさってゆく。

ロァが下に降りろと命じた事はすなわちジニーを捨て新しい女を替わりに刷るということである。

下に降りればジニーは多くの男たちに身体をなげうつことになる。

が、そうなってもかまわないほどロァの興味が他の女にうつってしまうなら、もうジニーの手当ての法はない。

「飽きられたのだ。で、無ければよほど新しい女に心うばわれたのだ」

一度飽きた女を他の男たちに晒したロァが思いをかえることはない。

雑巾のように他の男の穢れを拭った女になれば、

ロァは尚更ふりむきはしない。

異常なほどに独占欲が強い。

ジニーは今まで見てきた事実でロァを判断すると

いまから、娼婦にもなれない自分をあざわらった。

そうだろう?娼婦なら身体を売った見返りは金で清算される。

女の持ち物だけが慰められる男の欲望を拭い去るぼろ布になる。

今の今までロァの権力と云う傘下で安泰な立場を得た事が見返りだったとするなら今のいままで、ジニーは娼婦だったろう。

だが、これからは、違う。

娼婦にもなれない女がだれかれお構いなく身体をひらいてゆくだけ。

見返りなぞ何ひとつもなく・・・。

ジニーはアマロにとり替わられた「ロァの女」の立場を憎しみを籠めた一言をそえてアマロにゆずった。

[お前さえこなければ・・・]

アマロの横をすり抜けるとき、呟かれた言葉の鋭さはロァの言葉を裏打ちしている。

ロァの好む所である鼻っ柱の強い女であるジニーがロァの一言で敗退を決意していた。

けれど、アマロは虚しいだけである。

『こんなことが、私達の憎しみあいになる?』

もし、普段の生活の中でアマロがうら若き乙女で、ジニーと永年の恋敵で、ロァを奪い合っていたならばあるいはロァの選択に勝ち誇った気分を味わえるかもしれない。

だが、現実は違う。

自分の人生を投げ捨てる。

こんな惨めな境遇にまだ、哀しい争奪がある。

いっそ、ジニーに負けていればよかったと思おうにも、思える領分がない。

我が身の保身が欲しいのはアマロも同じであった。


ロァの横をすり抜けた女に惜別の翳り一つも見せぬまま、ロァは新しい女を部屋の中に迎え入れるに大げさすぎる礼を見せた。

ドアのノブを押さえ大きく開くと、胸元に左手をあて、右手の平で部屋の中へどうぞとアマロをいざなう。

「公爵夫人。どうぞ、中に」

もちろん、今あったばかりのロァがアマロの身分をしるわけはない。

多少なり着衣の品が良く、その好みもアマロの気品につりあうものであった。

アマロの外見上をいうか、あるいは、ロァのアマロへの気に入りようを公爵夫人とたとえてみたか。

ロァの部屋に一歩入れば後ろ手でドアを閉めるロァはアマロを食い入るようにみつめていたが、

「俺の女になっておいてそんはない」

なおも、アマロに向けて、服従すべきを説く。

「まず・・」

ロァは部屋の奥にあるもう一つのドアを指指した。

「バスタブがある」

船の中で何よりも得がたく貴重なものは水である。

ロァとロァの女だけがこの水を使い放題に使える。

身体を洗うためだけに水を貯め、そして、捨て去る。

船上生活においては、尚、この上も無い贅沢である。

そして、ロァはいう。

「汗くさい男にだかれたくなかろう?」

男と女のその時に、いくら目を瞑ってみても、匂いと云うものは現実への意識をとりもどさせてしまうものである。せめても荒くれた男に犯される女にならずにすむ事はもっと、贅沢であろうとわらう。

ロァが繊細にも匂いに拘る。

もっといえば、海賊らしからず香を好んだ。

ロァの中に貴族への憧れがあるせいであり、それが自分の女としてアマロを部屋に招じいれるに「公爵夫人」と呼んだわけもそこにあった。

が、このロァの匂いへのこだわりが、ロァがアマロを気遣った意味とは違うところで、見知らぬ男に犯される女の精神的苦痛をやわらげることになるのである。

「とにかくは、まずその特典にひたってみるがよかろう」

つまり、砕けた言い方をすればロァはアマロに一風呂浴びて来いといってくれているのである。


突然紳士を気取りだした男はじっとアマロが浴室から出てくるのをまっていた。

汗を流し終えたアマロは浴室の端の壁に吊るされたバスローブを眺めていた。

身体を包むに大きすぎるバスローブはロァの物であろう。

その横に、昨日までジニーが使っていたに違いない小ぶりなローブがある。

アマロは迷った末、荒いざらされたロァのバスローブに手を通した。

汗を流したアマロは一端脱いだ自分の服を着なおす気になれなかった。

ロァはこういう女の気持ちを見抜いた上で、バスタブを特典だといいのけていえるのである。

だが、かといって、どうせ、一糸纏わぬ裸身になる男と女の痴情の沙汰がドアの1枚向こうにあると覚悟していても、なに一つ纏わずでてゆくわけにはいかない。

そして、アマロは随分長い間、二つのローブをながめ選択に迷った。

ジニーの使っていたローブを羽織れば、自分がジニーの代わりになるようでいくらか、惨めであった。

事実はその通りでしかない。

いつか、また、ロァは新しい女を得、アマロもまた、ジニーのように下にいけといわれる日がくる。

ロァの云ったとおり、「女」の代わりでしかない。

それでも、ジニーの使っていたローブを使う事は、遠慮会釈無いロァの欲望を拭ったあげく、消耗品として扱われ捨て去られた女に成り下がったジニーにまで、屈服するように思えた。

が、かといって、ロァの物を纏うことは、ロァにジニーの代わりでなく、ロァの女として、認めてほしい。ロァのローブにくるまれるように、ロァ自身にくるまれたい。ロァの「女の代わり」でなく、ロァの「女」になりたいと表明するにひとしいことになる。

汚れた自分の服か、裸か、ジニーのローブか、ロァのローブか。

四者択一の結論は、これから起きる事実がきめさせた。

アマロの気持ちがどうあれ、これから起きる事は、ロァの女こそが、ロァにすべき交渉である。ならば、いくら、こだわってみたところで、形はロァの女になるしかない。

どうせ、生きるなら。どうせ、ロァの女になるなら。

額づいて、いきるまい。ロァこそをアマロの女に屈服させてやる。

ふん、と、アマロは鼻をならした。

「外はおまえの物でも、中身は私、アマロ」

それが証拠にアマロの脱いだ服をロァのローブの合った場所につりさげる。

その横にはロァがきれない小さな女物のローブ。

「ロァ。お前が纏うものなんかないだろ?」

ロァのローブをまとうと、浴室のドアを開け、アマロはロァの前にたった。

大きすぎるローブを纏った女がロァの目に、幼い子供が父親の靴に足を突っ込んだようにかわいく映っているとは、よもや、思ってもいない。

「これは、これは、公爵夫人。私どもがうかつでしたな」

ロァは女の心を見抜くに長けているとみえる。

ジニーが着ていたものになぞ手を通したくないアマロをなだめた。

「近いうちに、公爵夫人のお目触りを」

女としての自尊心をロァに見抜かれたアマロは、ただ、ロァをやりこめるため、ロァの話の腰をおった。

「ロァ」

居高々に呼び捨てにしてみせると、一気にいいつのってみせた。

「私は、公爵夫人ではありませんことよ。伯爵夫人でしたの。もっとも、海賊風情の愛人に身をおとすのですから、どちらでも、よいことですけれど」

棘のある言葉をぶつけられたロァは、怒るかと思った。

だが、

「おまえは、俺を充分にそそる女だ」

男にこびることない、女の自尊心の高さをしてロァはいう。

「俺は鼻っ柱の強い女を、こいつでくみしく男だ。それを今からめにみせてやる」

ロァは着ていた服をぬぎだした。

下着の中でこんもりと存在を主張している物で、アマロを組み敷くと豪語すると

「伯爵夫人に失礼になってはいけまい?」

素裸になった男は浴室のドアをあけた。

「俺のローブをかえすきはないか?」

アマロは黙って首をふった。

「ベッドの中でまっているか?それとも、ドアを開けてそのまま海に走り出すか。今おまえがきめろ」

卑劣。ロァの言葉を聴くアマロの胸に湧いた思いはその一言である。

アマロはロァのバスローブを脱ぎ去り、思い切りロァに投げ付けると同時にベッドの中に潜り込んで裸体を隠した。

「いきてゆくか・・・」

楽しげに男は呟くと、汗を流した後に渡される「女」を思い浮かべほくそえんだ。

アマロはいちまい上手の男に思いのまま操られる自分に悔し泣きをうかべながら、運命の時が僅かに伸ばされた事だけを感謝した。

「ところで・・おまえ。名前は?」

せめて、即物的な物扱いにならぬことだけをよろこぶしかない。

「アマルシァ・・・。アマロで・・いい」

ロァに屈服する以外生きる法がない。

「アマロか・・。大事にしてやるさ」

ロァの呟きがドアに半分隠れ、アマロは裸体の身体を包んだケットを口に押し当てるとロァに聞こえぬように声を殺すと大声でないた。

泣いて、諦める以外ない。

ロァの身体に幾つか残った刀傷は、ロァの運命の強さをものがたっていた。

アマロはその庇護にはいるいしかない。

これだけはわかっていた。


ゆっくりとバスタブに浸かった男がローブを纏い、アマロの側ににじりよった。

「俺は、たかが、海賊風情でしかないが、女まで略奪するのは主義じゃない」

ケットから覗いたアマロの髪にふれると、ロァは海図を開いた机の前に歩み寄ると一本の葉巻に火をつけた。

紫煙があがり、アマロはその葉巻の香に目を閉じる事になる。

夫、ケジントンが愛飲していたと同じ香の葉巻の香に目を閉じればそこにケジントンがいる錯覚にとらわれる。

「ふううん?」

アマロの様子に何おかを悟ったロァはたずねた。

「お前の亭主だった男は・・」

にやりとロァが笑ったことなぞアマロはしらない。

「子供を生ませる交わりしか、みせてくれなかっただろう?」

貞淑な妻につつましい交わりを与え、伯爵の血筋が継承されてゆく。

「それが、どんなにつまらない事でしかなかったか、おまえはしるまいの」

ロァがなにをいいたいのか?

その現実を身をもって知らされるのは寸刻のちのことである。


熱る身体が熱の逃げ場所をもとめアマロの息は荒い。

ロァに与えられたことは、アマロの屈服でしかない。

ロァに抗う事が出来ないのは、しかたがないことではある。

だが、アマロの思い立った「ロァを屈服させてやる」ことと逆の事が、アマロの身体におきた。

ロァの恣意でしかない屈辱な痴態であるのに、アマロは、己の身体に意志など通じないことをしらされ、堪えきれず嗚咽をもらした。

世間知らずの伯爵夫人が、知らされた肉体の暴走はかんぷなきほどにアマロの精神をいためつけ、その底にロァに縋る(女)をうみはじめている事さえきがつかせず、ロァの執拗な愛撫にアマロの自我はすでに崩壊していた。


アマロに覚醒がおとずれるまで、ロァに引きずり落された誨淫はアマロを深い眠りをあたえつづけていた。

かすかな葉巻の香がアマロの嗅覚を刺すと、アマロの意識は混濁を整頓しはじめていた。

「ケジントン・・?」

葉巻の香はアマロをケジントンの屋敷で悪夢にうなされたかとおもわせていた。

だが、身体の芯に残る快感の残骸がすぐさま、アマロの勘違いだとおしえはじめてゆく。

「そうだった・・」

アマロは海賊の虜囚になったのだ。

ベッドの中にはアマロ一人がみっとも無く裸体をさらけている。

あたりをみまわしてもアマロの裸体を楽しんだ男の姿はなかった。

たった一人の寄る辺が、ロァでしかないことが、おかしくて、アマロはふんとわらおうとした。

どこに逃げる事さえも出来ない海の上で、尚且つ、海賊の頭領に縋るしかない自分がいっそうみじめである。

そのうえ。

思い出しても羞恥のさたでしかない。

ロァの手管にものの見事に陥落した。

「娼婦以外のなにものでもない」

伯爵夫人だった娼婦と、海賊。

愚劣に似合いすぎる男と女になりさがり、醜い欲望におぼれきった。

「それでも、しんでなるものか」

もっと、惨めに成ってもけして、生きる事は放棄しない。

この意味に置いて、ジニーは朋友ともいえる。

下に降りたジニーは、もっと惨めに成っても生きてゆこうとする人生の先達である。

そのジニーの安泰の位置を奪い去ってまで生きようとしたアマロだ。

「つよくならねばならない」

子供に残せる事は何一つなくなったけれど、敗退に泣く生き方だけはせおうまい。

それだけが(母)の生き様と云うあかしを立てる唯一の法だときめた。


「おや?おきたかね?」

ドアを開けて入ってきたロァはアマロにわらいかける。

女を牛耳った男の余裕がただようと、アマロはさっき伯爵夫人の名にあらぬ自分の変貌ぶりをおもいかえさせられていた。

思い返しても身の毛がよだつはずであるのに、アマロの膚は赤らみ上気のさまをあらわしはじめている。

「ふん?」

女の中におきた変革が何を物語るか、嫌と云うほど、女を女に替えてきたロァには、語るに落ちたアマロの主張である。

「お前の荷物を・・・」

ロァがアマロの前に差し出した鞄は確かにアマロのものである。

「あっているか?」

アマロは不思議な目をしていたに違いない。

(貴方が、わざわざ?)

略奪したもろもろを一塊にした中からアマロのものと思われる鞄を探し、ひとつ、ひとつ、中身をたしかめてみたことだろう。

ロァの意外な心配りに驚きながら頷いたアマロは、ロァの優しさにもうなづくことになっていた。

が、頷いたアマロは、ロァが表面上の優しさだけを与える男でもない事を知らされる。

「着る物が無いと困るだろうと、思って、慌ててさがしてみたが」

ロァの手がアマロの腕をなでた。

腕は無論、ケットの中の裸体もまだ、一瞬の上気が膚をあかくそめたままである。

「着るものより、ほしいものがあるとみえる」

ロァは云うより早く、自分の身体をアマロの横にすべりこませる。

優しさより以上の物が、心を略奪しえる事をアマロに教えるために、ロァの技巧は精緻を増してゆき、ロァは一言アマロに

「俺は、いっそうお前がきにいった」と、ささやくと、それが嘘でないことを見せ付ける遊戯に没頭していった。


「ロァの女」は、いい身分である。

ロァの部屋をぬけでて、甲板の上を歩く事も自由である。

ロァの手下も新しいロァの女に、興味の目を向けこそするが、ちょっとした女房扱いで、丁寧な言葉を吐こうとつとめるところがおかしい。

甲板を歩くと甲板に油をしみこませていた手下が声をかける。

「姐さん。散歩ですか?」

船の上で散歩もなかろうが、アマロは洋上に目をこらしてみた。

「ここは、どのあたりかしら?」

アマロにたずられると男はちょっと口を尖らせるとぐっと唇をすぼませた。

(聞いちゃ、いけなかったのかしら?)

「まあ、なんですよ・・・」

言い渋ったのはアマロが思った通りのせいであるが、

「陸地がみえていたって、とても泳いでいけるわけじゃないんですがね」

男の前置きは、アマロがここに居るしかない事を自覚しているかを探る為らしい。

その通りねとアマロがうなづくと

「もう直ぐスペイン沖です」

(ス、スペイン?)

アマロは驚きを隠しながら、さらに男にたずねてみた。

「どこにいくきなのかしら?」

男は今度こそ答えを黙った。

「親方にきいたら、どうですか?」

「そ、そうね」

男が答えなかったのはこの先の事を聞かされてない下っ端であるせいであろうが、親方に聞けと返したのは貴方はしらないの?と皮肉られた気分をあじわったせいかもしれない。が、いずれにせよ、貴方もロァの重鎮でないのだから、知りたければ自分からたずねるしかないと、男はいいたかったのだろう。

「あそ、そうね・・。ロァにきくわ」

わざとロァの名前を呼んで見せる、寅の威を借る狐の如き虚勢をはる自分が馬鹿にみえてくると、早く男の側を離れたくなる。

が、

「あの、ジニーにあえるかしら?」

親方が一度捨てた女にいかに冷たいかを知っている男は、新しい女が親方に前の女のことをききがたい雰囲気を持つことも知っている。

が、そんなことよりも、新しい女がジニーに会いたがる素振りが、不思議であった。

「そりゃあ、親方にきくわけにゃあいかないだろうけど、何であんたがジニーになんかにあいたがるんだい?」

「ああ。別にジニーだけじゃないのよ。一緒に船に居た人の事もきにかかる」

男は首を振った。

「今は、逢わない方があんたの為だろうな。

ここに居るって決まった女とは、その内あえるさ」

男の言葉をアマロはききのがしはしない。

「まって。じゃあ、ここに居るって決まらない女はどうなるわけ?」

思いの他きつい声で男がこたえた。

「あんたはここに居ないと決めたら自分をどうするつもりだ?その答えをだしたくなくて、あんたは親方の女になることにしたんだろ?」

アマロは男の言葉の意味合いに注意深く頷いてみせるが精一杯だった。

「ここにいたって、おなじことなんだけどな・・」

アマロが頷くのを見取った男はしゃべりはじめた。

「此処に居れない女はもう直ぐこの船とコンタクトする、シュタルトの船に移るんだ」

「シュタルト?」

「ふん」

男は鼻先でアマロの感の鈍さを笑った。

「俺たちは海賊だぜ。人さまの物を奪って集めてるコレクターじゃないんだ」

男が言いたい事がみえた。

「つまり、奪った物を売りさばく・・?こういう意味かしら?」

さも、たいぎそうに男がうなづいた。

「品物だけじゃない。女もだ。めぼしい女だけを残して、後は何もかもシュタルトにうっぱらっちまうのさ」

アマロはひっと言う声が漏れそうになる口をおさえた。

「シュタルトに売られた女が、どうなるか、わかるだろ?」

口を手で押さえたままアマロは頷いた。

シュタルトは海賊が捕まえ、なぶった女を安い値段で買い上げ、あげくどこかに売りとばす。シュタルトという名前からしてもちろん英吉利人なんかではない。

そうでなくとも、まかり間違っても英吉利の女を英吉利に売り飛ばすようまぬけなまねはしないだろう。と、なると、捕らえられた女は見も知らぬ異国の、おそらく淫売宿にでもたたきうられるのだろう。

だから、ここに居ても同じなのだと男はいったのだ。

「俺たちはシュタルトから、食い物や着る物をかうんだ。そうやって俺たちはいきのびているんだ。海賊家業だって、何も面白半分でやってるわけじゃないんだ。俺たちが生きてゆく方法なんだ」

アマロの侮蔑を回避したいのか男は幾分か流暢にしゃべりはじめていた。

「いいか。あんたも、此処でパンを齧り、一滴の水を飲んだその時から、うっぱらった女と船の中で死んだ船員の犠牲で命を繋いでるんだ」

アマロは大きく目を見開いていたに違いない。

「まあ。びっくりしたんだろうけどな、自分をせめるんじゃないよ。あんたがすることは、精一杯親方にきにいられて、どこにもうりとばされずにすむことさ」

男の妙な苦言にアマロは呟く。

「まだ・・まだ・・淫売宿にうっぱらわれる方がましよ・・。せめて、だれかれお構いなしに犠牲になんかしやしない。そのほうが・・」

アマロの呟きを聞きとがめた男はにやりとわらってみせた。

「だったら、今すぐにでも下におりてみるか?淫売宿に行く練習でもしてみるか?」

男の手がアマロの細い腕首をつかんだ。

蒼白な顔で男の手を振り解くアマロの様子に男が高く笑い始めるのとアマロは自分でも思わぬ言葉を口走っていた

「私にそんなことをして、貴方が果たして無事にいれるとおもってるの?」

アマロのおどしに男は手を離して見せたが

「親方の・・・あはは」

と、男は笑い続けた。

「親方の女で居たいのが・・本音じゃないか・・・」

「ち・・ちがうわ」

「ちがわしない。都合の悪い時だけいやだ、いやだと言って見せるけど・・本心はもう、すっかり親方の女そのものじゃねえかい?」

男の言う通りかも知れない。

唯一の特権であるロァの女であることをかさにきて、男に脅しを掛けれると言う事自体ロァの女である証拠である。

「他の男になぶられたくねえなら、姐さん。馬鹿をいっちゃあいけねんだよ」

それは、ロァの女であっても平気で掠め取ると言う事を含んでいる。

「貴方。いまの言葉をロァにはなしてもよくって?」

今度はあっさりロァの女としてのアマロの怒りがわいた。

男は愉快そうにわらった。

「はなしてみるがいいさ。うっぱらわれた方がいい。そういってみるがいいさ」

ロァにそういえば、ロァはアマロをそうすることを男は知っているというくちぶりだった。

「だけど、あんたが親方のもので居ようとする限り俺たちはあんたを尊重するし、

手を出したりしゃしねえ」

アマロの心の底にある恐れをみぬき、それでも、その恐れはロァの女である限り突き崩されぬ安泰なのだといいきかせてみせた。

身体を汚すだけだったはずの行為は既に、アマロの精神もけがしていた。

多くの犠牲の上でアマロの女であり続ける事は、アマロの精神をいつ、切れるか判らない綱の上を渡るより疲労させると知った。

そんなアマロだったが、それでも、これ以上他の男に身体を投げ打つことだけは、嫌だと思う自分をみすえさせられると、精神を腐敗させてもいいとさえ思えた。

それに、男の言うとおり、もう、此処で水の一滴を飲みパンを齧ったアマロはもう既に人の命を犠牲にして生き抜いてしまっているのだ。

精神も肉体も穢れきった女になり下がり、それでも、生きていたいと思う、底からの欲求に素直に従うことだけが唯一魂だけは、汚さずにすむと思えた。

アマロは心のそこで神に祈った。

『与えられた生をいかしてみせる。どんなことがあっても、自ら死ぬことだけはしない。是でも生きるか?それが貴方が下さった試練なら、たった、それだけをあかすためにだけでも、いきぬいてみせる』

気丈な意志な裏側でアマロの精神は死に逃げ込むことを何度、宥めた事であろう。

「生きなきゃ・・」

アマロの精神は強くならざるを得なかった。

自分をして、多くの犠牲の上で生きる事を卑下するのでなく、感謝するしかない。

卑屈な精神は論理ににげ、かろうじて、均衡をたもった。

男はアマロの呟きに気がつくと、小さく笑った。

「どいつもこいつも生きてく事に必死なんだ」

男の言葉はアマロの今までの「生きる」がいかに安泰でしかなかったかを

あざわらう。

確かに今ほどアマロは生きる事に必死になっていなかった。

なにおももふりすてて、生きる事にしがみつくしかない不幸と無縁だった女は

ただ、安穏と幸せな生活に浸りこんでいた。

今ほど己の命をいとしむことも知らず、何物にも変えがたい唯一の執着である事も知らなかった。

それを知ったのはジニーも同じだったかもしれない。

命に必死になれるという意味においてアマロもジニーも、幸せな女であったかもしれない。

ジニーにはやはり、会いたいと再び思ったアマロはやっと一つの事実にきがついた。

ロァはジニーの事で「公爵夫人のおめざわりを・・」と言った。

その時のアマロはロァがジニーをどうするつもりかなぞよりも、自尊心が先立った。

だが、結果はロァのその言葉をふさいで、ロァをやり込めようとするアマロの癇高さがロァの恣意をいっそうそそっただけだった。

だが、今、アマロにロァのその言葉が意味が判った。

目の前の男に言われた

―品物だけじゃない。女もだ。めぼしい女だけを残して、後は何もかもシュタルトにうっぱらっちまうのさー

「あ」

気がついた事実にアマロは息を飲み込んだ。

ロァはジニーをシュタルトに売渡すつもりでいる。

さっきまで膚を合わせ、ロァの独占、オンリーだった女に平気で「下へ行け」

と云う男が、シュタルトに売渡す事に何の痛みをかんじよう。

だが、是がロァがジニーに飽きて、顔も見たくないという結果なら、アマロの胸にこんな痛みが走るわけが無い。

ロァが「公爵夫人のおめざわりを・・」と、いったように、アマロのせいなのだ。

だが・・・・。

品物のように売買される惨めさと、このまま下にいて、何人も男の欲望を拭う惨めさとどっちがましだろうか?

どのみち、先の運命はかわりはしない。

どのみち、これ以上惨めになんかなりゃしない。

「でも、ジニーはどうだろう?」

人の命を犠牲にして生きてゆく海賊なんかに抱かれてるより、見知らぬ異国であっても、精一杯、稼いだ金で買われるなら、この方が自分を腐敗させはしない。

いずれアマロもジニーと同じ運命ではある。

ならば、いっそ、アマロもシュタルトに売渡される方をえらぶべきであろう。

だが、こう考えたに関らずアマロはジニーが此処に残る事を選択するかも知れないと思った。

アマロはジニーがここに残ると選択するかもしれない一つのわけにきがついた。

それに気がつくと言う事はアマロもまたジニーと同じように、ロァを愛し始めているということである。

『ジニーはロァの側に居たい。

ただ、それだけのために此処に残ると云うかもしれない』

アマロは自分の心をジニーに照り返して見ているとは気が付かずジニーの気持ちを類推したにすぎないつもりだった。

じっとアマロを見ていた男に

「もう。いいわ」

と、話す事も聴く事もなくなったとつげて、アマロは男の脇をすりぬけた。

アマロが歩み去ってゆくのを見送っていた男はアマロが下に行く扉に向かうのを

みとがめた。

「姐さん。いかねえほうがいいといったろう?」

やけに男は執拗にアマロを制止する。

「なんだっていうの?」

アマロのきつい眼差しは「お前の言う事に何故したがわなければならない?」

と、男をといただしていた。

「ジニーに逢いたいってんだろ?でもな、いいか?今は風がいいんだ」

男の言葉はアマロを説得できない。

「風がいい?それがなんだっていうの?」

男のわけの判らない言葉に反駁をかえしながら、アマロの心の隅では男の言いたい事をつかもうとしていた。

「判らねえか?帆をそのままに船は勝手に進んでいるんだ。仲間は今、手隙なんだ」

「え?」

アマロが男の言う意味をやっと解した。アマロが今ジニーが下で何をしているか判ったと知った男は今度こそずばりときりこんできた。

「え?最中ってやつだ。そんなとこに姐さんがいって、ジニーが喜ぶかよ?いっそう、惨めじゃねえか?それとも、親方に棄てられた女を笑ってやりたくていくってのかい?」

「あ、あなた・・。あなただって、ジニーを・・」

ジニーの惨めさがわかっていながら、ジニーを弄ぶ男のひとりじゃないのか?

そんな男にかりそめにでも、ジニーをあざ笑うのかなぞといわれたくない。

アマロの怒りが言葉になりきるより先にアマロの平手打ちが男の頬で高くなった。

たたかれた頬を刷り上げながら男はわらった。

「なるほどな。親方がきにいるわけだ・・。だが」

男の言葉をこれ以上つながせるアマロでなくなっていた。

「いずれ、私もジニーと同じ?」

アマロにさきを言われた男は、こどもじみた、言い争いをさけるためか、静かな口調をくずそうとはしなかった。

「そん時は、俺にやった事を後悔するぜ」

アマロは出来るだけ、いけ高々にいった。

「そうね。あなたみたいに愚劣な男にだかれなきゃならないほどの後悔にまさるものはないわね」

怒るかと思った男は寂しそうにわらった。

「男って生物はどうしようもねえんだ。

ばかみてえに欲望につんのめっちまう。

女だけが惨めなわけじゃねんだ。

だけどな、こんな男の惨めさを黙って許してくれる。

これが、女なんだ。

まあ、姐さんは親方だけのいい女でいれるうちは、こんな事はわからねえさ」

男のいう「後悔」の意味はアマロが考えた事とは程遠い。

優しさと云うものの別の側面をもてなかったアマロに後悔するという意味だと判ると少しだけ男をゆるせた。

「皆が、あなたみたいにジニーを玩具に考えずにいてくれてるというわけ?」

それならば、せめてもジニーもいつか先のアマロも、ほんのすこしだけ、多くの男に嬲られる惨めさをうすめてゆけるかもしれない。

「まあ。姐さんがあいたいっていうなら、もう、とめやしないさ」

「う・・ん」

確かに男の言う通りジニーがその最中なら、今、無理に会わない方がいいと思った。


アマロが部屋に戻るとロァがまっていた。

「いい風だったろう?」

甲板をほっつき歩いたロァの仔猫をなであげるとロァは葉巻にひをつけた。

アマロはロァにひきよせられると、目を閉じた。

「ふううん」

ロァの次の動作でアマロを求めだすと判っているアマロであることを確認させるに充分なアマロであるが、

「おまえは・・」

ロァの心に嫉妬を湧かせるにも充分なアマロでもあった。

「この葉巻の匂いに何をかさねあわせている?」

アマロがロァの葉巻の香でロァと夫ケジントンとを錯覚させる事に努めていた事に

ロァはきがついていた。

「いつまで、自分をごまかすきでいる?」

どんなにアマロを抱いている男がケジントンだと思い込もうとしてみた所で、事実はちがう。

「え?お前は・・・」

お構いなしにロァの砲弾はアマロをうちぬく。

ロァの容赦ない責めにアマロははからずも嗚咽をもらす。

だからこそ、ロァは問う。

「これが、お前の亭主だった男か?」

アマロの声がロァへの屈服をうったえだす。

ロァはいよいよアマロをねじ伏せる蠢きをするどくしておいて、

「お前の亭主だった男がしていることか?」

悲痛にさえ聞こえるアマロの声はやがて女の身体が陶酔という覚醒を極めた事をロァに知らせた。

ここぞとばかりに誰に抱かれているのだと問うロァは、夢中でロァの名を呼び返すアマロに堪能しきるとやっと、アマロを許した。


男と女の閨言はなにも、ベッドの上でだけとは限らない。

深みを共有しあった男と女は特別な馴れ合いをもつ。

ただの海賊と伯爵夫人なら聞き及べない事を口にできるということも、閨言のひとつと類せるだろう。

「ジニーの事なんだけど・・」

昔の色の名を突然、いわれて、ロァは少し驚いた顔をしたが、ふと俯いた顔がやけに嬉しげにも見えた。むしろ、にやつく顔を隠すためにロァはうつむいていた。

「妬いてくれているのかね?」

ロァが嬉しげだったのはそのせいだったのかと思いながら、アマロには嫉妬という感情の存在を考えてみるきにさえなれなかった。

「ジニーとは・・長かったの?」

こんな事を聴いてどうするのだろう?

随分長かったと答えられたら、ジニーの中にロァへの愛情が育っていてもおかしくないと判断できる。が、短かったと答えられたら、ジニーの中に愛情はそだってないといえるだろうか?ましてや、ジニーの感情をロァに聴いても判るはずが無い。

判っていてもロァはきっと、自分の感情しか見やしない。

「そうだな・・」

ロァはアマロを真正面から見詰めた。それはアマロがロァの返答でどんな表情をみせるか、余さず見届けようとしているように思えた。

「三年近い年月は長いというのかね?短いというのかね?」

ロァと云う男が「三年も?」たった一人の女に執心だった?

もっと、うわついて、次々と女を取り換えていたと思っていたアマロは意外なロァの言葉に一点をぼんやりとみていた。

頭の中、胸の中に湧いてくる思いを纏め上げるためにアマロの視点は焦点をうしなっていた。

ロァはじっとアマロをみつめつづけていたが、

アマロの胸の中は大きく波立っていた。

「三年も・・ジニーにあんな風に囁いて、あんな風に夢中で、あんな風にジニーに・・」

アマロが必死で抗っているのは嫉妬と云う感情にたいしてである。

ほんのさっき。ロァに嫉妬なぞするわけが無いと思っていた自分の中に勝手に湧いてくるこの感情が嫉妬であるわけが無い。

だいたい、ジニーとどれだけ共に過ごしたのかを聴くのはジニーがロァに本気であるかどうかの可能性をちょっと、きいてみたかっただけで・・。

ジニーとの間が短いと思い込んでいた所もあったから、それが意外だったし、長かったと答えられたから、そんなに簡単に心変わりをするロァにもびっくりしたんだ。

嫉妬なんかじゃないと必死に否定するアマロの心の中に一つ嫉妬と違う物があった。

それが、アマロの顔を悲しくさせた。

「どうした?・」

ロァに問われるまでアマロは自分にさえ隠していられるとおもっていた。

黙って答えようとしないアマロに替わりロァがアマロの心を引きずり出して見せた。

「3年も共にいても、あっさりジニーを棄ててしまう俺が怖くなったか?」

「怖い?」

問い直したアマロはそうだと思った。

ロァと共にずっといるとは考えていなかったはずであるし、いつか、下に降りろといわれる日が来るとも考えていた。

だが、それは次々女を変える男の飽きっぽさに覚悟を決めていただけで、ロァはアマロが予測していたよりは女にひたむきな部分をもっていた。

「それは・・つまり・・」

ロァのほうから答えをきりだした。

「お前は俺にほれたということだな」

「ま、まさか」

アマロの否定もロァには愉しそうである。

「まあ、どっちでも・・いいが。ようは、ジニーが目障りなんだろう?」

ジニーの事を切り出したアマロの心は嫉妬でしかないと決め付けてロァは

アマロを軽く宥めて見せた。

「俺はお前を見た時、ジニーなんかを相手にしていた自分が冗談じゃないかと思った」

それくらい本気で一目でアマロに夢中になったとロァがいう。

「だから、ジニーのことなぞ、いわれても、俺も思い出さなきゃならないくらい随分遠い昔のことみたいで、俺の頭の中でこれっぽっちも気にならない。だけど、お前が嫌な思いをするなら・・・」

慌ててアマロはロァの言葉を止めた。

「待って。それって、ジニーをどうする気なの?」

ロァは怪訝な顔でアマロの顔を覗きこんだ。

「お前はどうしてほしいというんだ?」

「ジニーに・・。ジニーに決めさせてほしいの。ジニーの意志でどちらを選ぶか、ジニー自身に決めてほしい」

甲板をほっつき歩いた仔猫が何か新しい情報をしいれてきたらしい。

手下に何を尋ねられどう答えたかは判らないが、アマロが何を知ったかロァは探る。

「どちらかと云うのは、何と何なんだろうかね?」

「あ・・」

シュタルトの事を話そうとしたアマロが急にぞっとした思いにつつまれたのはアマロもまた、いつかシュタルトの船に連れてゆかれる事を恐れるせいだ。

「おしゃべりな男にどこまできかされた?」

「シュ・・、シュタルトのことを・・・」

「なるほどな・・」

アマロの身を包むおびえが一層理解できる。

「それで、一層、お前はジニーのように俺に捨てられる事に脅えたというわけか」

違うと言い切れずアマロは唇をかんだ。

「だが。覚えておけ。俺は本気だ」

何に本気だと言うのか。アマロが、ロァの女で居る事が嫌ならサッサとシュタルトにうりつけるくらいのきがあるということか?

本気でジニーを見限ったといいたいのか?

あるいは・・・。

「お前は信じないかもしれないが、俺はお前を本気で思っている」

まともな出会いでもない、おまけに出会って、一月もたっていやしない。

まして、海賊なんかの言う事。ロァに言い返す言葉にアマロは思い切り皮肉を込めた。

「素敵な言葉を上手に使えるのね」

ケジントンでさえこんな歯の浮く科白はいいはしなかった。

アマロはふとケジントンとの始まりを追憶していた。

だが、ロァは聡い。

「また、お前の亭主だった男と俺を較べているか?」

鼻先で笑い出したロァの声が高らかに勝ち誇りだした。

「お前はかわいそうな女だったな」

ケジントンへの嫉妬が、ロァに負け惜しみを言わせてるに過ぎない。

身体と云うつながりでロァがいくらケジントンを凌ごうとも、身体は心を凌げない。

ロァはアマロがケジントンから与えられた閨事の不味さをせせら笑うことでアマロの心を得られぬ負けを認めまいとしている。

と、思おうとしたアマロにロァの次の言葉は不可解な引っ掛かりを残した。

「お前の亭主はお前をこれっぽっちも理解していないし、伯爵夫人という飾りでしかお前をみていなかったな」

ロァは小指の先を親指ではじいてみせた。

「ま、待って。どういう事?私の事をどういおうが、どうせ、そうよ。

どうせ、あなたの安物の娼婦なんだから・・・」

惨めさが喉に絡む。

詰りそうな言葉を喉から突き上げたアマロの声は絶叫に近かった。

「ケジントンとの事は私だけの事よ。あなたにケジントンの何が判るっていうの?あなたが本気だと言うなら、私が愛している男にも敬意を払うべきじゃなくって?

あなたの本気こそ、これっぽっち。

上手な言葉はあなたに似合いの薄っぺらなお飾り」

ロァが口惜しそうにアマロをにらみつけて、何を言うだろう?

アマロもさっきのロァのように小指を立てて、親指でこれっぽっちとはじいてみせようと構えた手がとまった。

ロアはちっともくやしがらないどころか、心底おかしいのを堪えかねている。

ロァはもれてくる苦笑をかみ殺していたが、アマロが言葉を失ってロァを見ている事に気がついた。

途端にぽんぽんと手を叩く。

「お見事。さては親愛なる伯爵公の御名前も拝聴仕り、海賊ロァ風情にはいよいよ勿体無きこと。身が縮む思いは正に恐縮の一言でございますが」

一息飲むと

「ところでいよいよ伯爵公の夫人への寵愛の薄さに軽薄の徒ロァもご同情を禁じえないのは事実でございます」

かっと、アマロは目を見開いた。

「なんですって?」

「きこえなかったか?」

「もう一度いってごらんなさい」

金切り声のアマロに構わずロァはくりかえした。

「ケジントンはお前を愛しちゃいやしない」

今度はアマロの手が鳴った。

ロァはアマロに打たれた頬が小気味良く高い音を鳴らすのを聴きながらアマロの手首をつかんだ。

「それが証拠にお前がこんなにも強情で癇高い女だという事をケジントンは知るまい。伯爵夫人と云う器に納まったお前しか知るまい?本当のお前の何もかもを知らず上辺だけ飾った女へよせる愛情を本物だと思っているお前がいっそう憐れだ」

アマロには言い返す言葉が思いつけない。

「そして、お前は、俺がお前を思う心の深さを知った時から、ケジントンの愛情がいかに薄っぺらな事か気がついている」

ケジントンのことは、あるいはロァの言う通りかもしれない。

だけど、

「あなたの心のどこが深いと云うの?笑わせないでほしいわ」

ロァは是も聞流すとすぐさまアマロを説き伏せ始める。

「おまえは平気で俺に逆らう。俺も女なんかにはたかれたのは生まれて初めてだが。

お前が俺に平気で逆らえるのは、お前の性分もあるだろうが、お前は身の安泰をしっているからできることだろう?」

ロァの言おうとしている事に感づきながらアマロは平然を装った。

「わかっているだろう?お前は賢い女だ。わからぬわけがない」

アマロはいっそう黙りこくるしかなかった。

「俺にいわせたいか?俺の口からきかされたいか?」

アマロの無言は肯定になった。

「ちっ」

舌打ちを返すとロァはアマロに背を向けた。

「いいか。お前は俺がお前に本気だと言う事をみぬいていやがるんだ。だから、俺がお前に叩かれたって俺はお前を海にほうりこむことすらできないんだ。そして、お前はそんな風にお前のその性分ごと俺に思われている事こそが本物だときがついているんだ。だから、ケジントンを・・・」

ケジントンに見せる事の無かったアマロの中の癇高い女をケジントンはしるはずもない。いまやつつましく礼節を持ちしとやかでたおやかだけだったアマロだけがアマロのすべてでない。是はアマロに隠されていた一面でしかない。どこをどうとっても女性らしくないアマロの欠所とも言うべき性格は、ロァに引き出されたものかもしれないがロァは是を価値とする。伯爵夫人だけのアマロを受け止める事しか出来なかったケジントンに比べ、ロァはアマロの全てを見知った上で本気だという。

「わかった」

アマロの声はこれ以上ロァにケジントンへの追慕を壊されたくないといっていた。

「判ったから・・・もう・・いわないで・・」

優しかった夫が、過去のアマロのものでしかなくなっている。

おそらく、今一度ケジントンの元にもどりえても、もう、アマロの心をときめかせる人でなくなっていることをしらされる。

だから、だから、この胸の中に残るケジントンへの愛まですてさせてほしくない。今まで生きてきたひとつの証であったケジントンへの愛は胸の奥底にひっそり大切に沈ませていたかった。

ケジントンへの執着はあっけなくピリオドを打たれる。

それはあたかもロァがジニーを捨て去った心に似ていて、やっと、ジニーをふりかえることができたアマロは一番最初の御願いをロァにもうしでた。

「ジニーにあわせてほしい」

ロァは背を廻しアマロの表情をうかがいみた。

「俺は、本当にジニーのことなぞ・・」

アマロはストップといった。

「あなたのことじゃないのよ。ロァ。是はケジントンの私への気持ちがどうであるかを気にかけるあなたなら判る事よね?

私もジニーのあなたへの気持ちがしりたいの。

どうにも成らないこの先であっても、せめて、ジニーの心に」

後はアマロの涙の声で潰れた。

「アマロ?」

ううん、とアマロは首を振った。

「後は・・ジニーと・・・」

むせび泣きそうなアマロの肩を抱いたロァはアマロが本当に自分を愛し始めていると思った。

ロァへの愛が重苦しいほど自分の中に存在すると気がついたアマロは同じ思いでいるだろうジニーに詫びずにおけない女になっている。

それは男の独占欲の世界では、存在できない共有意識だろう。

いくら、ケジントンからアマロの心まで奪い去るとしてもケジントンにすまないと思いはしない。思うとすれば一つの心の宝玉を硝子玉だとアマロに教える事への痛みだけである。

不思議な気もちのまま、ロァはアマロの申し出をかなえてやろうと決めていた。


ジニーが甲板に現われる約束の時間にはまだ早い。

所在なく海を見詰めてみても、空の青さと雌雄を決めるか、解け合おうとするか、

ただ、澄み切った青さが目に痛く、今此処に居るアマロの存在が酷く心もとなくなる。

「それでも、いきていなければならないのか?」

天空と大海の狭間で精一杯、命を手繰っているアマロの足掻きさえ両極の悠久の中では微塵でしかない。

いっそ、あの空、いっそ、あの海にとけこんでしまおうか。

ケジントンの心に住む事が出来る自分でなくなった今、ケジントンを想うことだけが故郷をなくさないで置けるたった一つの手段だった。

「それさえ・・」

あの海賊は奪ってゆく。

今なら、今なら、まだ、この気持ちのまま海に住める人魚になりえるかもしれない。

アマロの足がゆらりと動くとデッキの端を目差した。

船べりから見える藍はケジントンへの愛ににている。

水中深く潜り込む事でしか藍に染められない、水の色は何おもをの姿を映す自由

をもっている。

ロァという色に染まる前にこの海の一滴になり、藍に沈んでゆこう。

アマロの足がびくりと動き船べりの手すりから身をこえようとした。

「まあ。やるなら、おやり。あたしはとめはしないよ」

静かに忍び寄ったジニーの声がなければアマロは振り返る事もなく藍色の奈落におちこんでいただろう。

「ジニー?」

ジニーは振り返ったアマロを笑った。

「わざわざ私を呼び出したのは、あんたが死ぬ所を見届けさせるつもりだったのかい?」

否定もせず肯定もせずただ、アマロは機を失った事だけを理解した。

「どうしたのさ?やめるのかい?」

「そうね」

アマロの勝手ないいぶんかもしれない。

だけど、この機会を逃した事がアマロに再び「生きてゆく事を選ばす」大きな神の御はからいに思えた。

「ふううん。まあ。だったら、いっとくよ」

アマロの目の色がしっかりしたものであることをたしかめながら

「いいかい?あんたが死にたいなら私はとめはしないし、むしろ、気分がいいくらいだよ。だけど、いきてくならいっとくよ」

つっけんどんなジニーの言葉の中に、やはりロァを思うジニーを嗅ぎ取りながらアマロは先を促した。

「なに?」

「いいかい?あんたが死んでくれりゃあ、そりゃあ私はざまーみろっていってやるけどね。だけど、あんたが死んだってもう、ロァは私を元に戻りゃしないんだ」

ジニーの言うとおりだろう。

あのロァが一度手下に投げ与えた餌を返せというはずが無い。

「だから。あんたにはらがたつんだ」

ロァの寵愛を今更元にかえせはしない。ロァを憎めない女はロァの心を奪った女をこそ憎むしかない。

「いいかい?あんたが私からロァを奪ったんだ。死ぬなら、どうせ、死ぬならなんで、その前に死んじまわなかったんだよ。あんたが死んじまっても、ロァの心は帰ってきゃしない。なのに今更あんたが死ぬってことは、あんた、どういう事か判ってるのかい?」

ジニーのきつい眼差しの奥が「あの時アマロが生きる事を選ぶ女である事をしっていたんだ」とささやいた。

ジニーを追いやってまで生きてゆこうとしたアマロだからこそジニーも今の惨めな境遇をあきらめきれる。

「だけどね。あんたが今死んだら、私はなんなの?ロァにこけにされるだけなら、まだしもあんたの一時の延命のために・・」

ジニーをふみつけにしただけにすぎなくなる。

アマロがロァの女で居る事こそがジニーの惨めさを緩和させている。

ジニーを惨めにさせてでも精一杯生きようとするアマロだからこそ、ジニーも

いきてゆける。

「あんたが懸命にいきてゆこうとするために私を犠牲にするならいいよ。でも、あんたが死ぬために私をこんな惨めさに叩き込みたかったのかい?」

これこそロァの仕打ちに勝るアマロの所業じゃないか?

ジニーを不幸に追いやったアマロにこそ一番見せたく無い心をさらけ出してアマロが生きてゆくべき別の理由を説くジニーの底に

こんな惨めな境遇といいながらも生きてゆくジニーの底に

生きてゆこうとする意志で生き抜こうとするジニーの強さがみえた。

その強さはアマロさえ、ささえる。

「そう。もう、二度と死のうなんてかんがえないわ」

ジニーはアマロの言葉に「ふん」と、笑った。

「まあ。私にはどっちでもいいことなんだけどね」

そう、問題は自分こそが生き抜くことでしかない。

「そうね」

生きてゆくため重荷になるものは切り捨てるしかない。

ケジントンへの愛から脱皮する為の試練を乗り越えたアマロはもう古い殻が役に立たない古巣でしかなくなっていることにきがついていた。

空蝉の重い殻はさっきアマロの代わりに藍色の海に飛び込んだのだ。

自分の心を覗き込む事を止めて目の前のジニーに真っ直ぐ顔を向けると

待っていたかのようにジニーの方が切り出した。

「で、わざわざ、こんな女に話があるっていってたのはなんなのさ?海に飛び込むのをみていてくれってことなら、さっさとおやり。さっきも言ったとおり私はとめやしないよ。気紛れだったと気がついても飛び込んじまえばもう、完了さあ」

語るに落ちたともいおうか。

アマロはジニーにもある死への憧憬をかぎとった。

「そうやって、気紛れをうまくすりぬけてきたのね?」

アマロのさっきの事は、気紛れにのみこまれかけたに過ぎないと言下にふくませた。

「そうだね」

いつだって海はジニーの目の前でかいなをひろげていた。

「いまだって、いっそ、藻屑になってしまいたいのはわたしのほうさね」

足下にアマロは言い添えた。

「でも、死なない。いきてく」

アマロの意志でもある言葉はジニーの意志でもある。

「そうさ」

「そうね」

どんなに魂が、精神が、身体が、心が、奈落の底に落ちはてようとも、けして、自分からは死なない。生きてゆく。

二人の意志が同じである事をしるとアマロはジニーに言われたように最初の用事に戻った

「だったら、ジニー。一つだけ訊きたいことがあるの。いいかしら?」

「あんたが?私に?」

ジニーは不思議な目をした。

「なんだろ?あんたに教えられる事なんかこれっぽっちもありゃあしないけどね。

聴きたいならいってごらん」

生きてゆこうとする意志の色を見せ合った二人の間に不思議な理解がうまれている。

友情と云うものとは違うが同士へのエールににてもいる。

ロァをめぐり、形だけは優位に立った女と下位に立った女だったが、心の中は同じ地平に立ってお互いをみつめていた。

ジニーと云う女は強いだけでなく、優しいとアマロは思った。

「シュタルトの事は・・しっていてよね?」

「ああ」

少ない言葉で答えたジニーが俯いた。

知っているも何も・・・。

ロァの前の女だったクリスティァをシュタルトの船に乗せるようにジニーは自分からロァに頼んだ。

でも、此処に着て日の浅いアマロがシュタルトの事を知っている。

だが、是もジニーと同じような御願いをロァに申し込んだ末に知ったことだろう。

そして、今度は自分がシュタルトに売渡される番。

でも、それは、自分のした事が返って来るに過ぎない。

「もう一月もしたら、シュタルトの船に接触するよ。その前にロァはもう2、3回女と品物をかき集めるため、めぼしい船をおそうだろう」

その時に、また新しい女がロァの前にたつ。

ロァの興味がその女に移らないとはいえない。

アマロは、はっと息をのんだ。

ならば、今、ジニーに此処に残る意志があったとして、是をきいてみても、その約束を果たす事も出来なければ、自分もシュタルトの船に移されることになる。

アマロは自分が安泰な位置にいると思いこみ始めていた。

思い込ませるに充分なロァのしつこいほどの愛撫がアマロの意識に『ロァの女』を確立させ、反対に、アマロにとってもロァは「アマロの男」になっていた。

だが、こんな思い込みが通じるなら、ジニーだって下におりることはないだろう。

「私。考えがたりなかったようですわ」

アマロはジニーに尋ねてみても、無駄になるだけかもしれないのだと気がついた。

「私ったら、あなたが此処に居たいと云うものだと思ってましたのよ。だけど、

それも私の思い込みですから、あなた自身がシュタルトのところへいくか、此処に残るか、決めてもらおうとおもってきてみたの。でも、あああ、おかしい」

笑い出したアマロをジニーは一層不思議にみつめていた。

「あんた。あたしがめざわりじゃないのかい?」

自分と同じようにロァの前の女なんか、見たくもないと思わないアマロが不思議にみえる。

「あなた。やっぱり、ロァがすきなのね」

ジニーの中に生まれた嫉妬は、ロァの女にむけられる。

それはくしくもアマロの言うとおりの感情がもたらす仇花であろう。

だから、ジニーと同じように、ロァの女だったものでさえ疎むとジニーはアマロを見ていた。

「そういうことになるね」

素直にロァへの感情を認めるとアマロに問い返した。

「だけど、あんたはどうなんだい?」

前の女に嫉妬さえ沸かせず、ロァの女でいる為にロァに身体を開くしか出来ないアマロなのか?

「あんたは、私に此処に残るか、どうかを決めさせるつもりだろうけど、どの道どこに行ってもやる事はおんなじなんだよ。私がどう転がろうとどうでもいい事はむしろ、あんたがどう転がしたいかで、その価値がかわってくるんだよ」

ジニーの示唆する意味合いがわからずアマロはたずねかえした。

「どういうことかしら」

ジニーは鈍い女だねと顔をゆがませてから、こくりとうなづくと

「つまり、あんたが私をシュタルトの所に追い払いたいほど、ロァをすきになっていて、はじめて、私がそこに行く事が価値になるんだよ」

首を傾げるアマロをジニーはアマロの鈍さに口惜しそうに舌を打つと、サッパリとロァを諦めた潔さがアマロに判る様に話すことをえらばせた。

「いいかい?あたしが愛した男にあんたも夢中になってほしいっていってるんだよ。

どうせ、あたしはもう、ロァにふりむかれることなんかありゃしないんだ。だから、あたしはどうなってもどっちでもいいんだけど::」

ジニーが涙ぐんだままの瞳をアマロにむけた。

「私の場所を奪った女が、ロァを愛しもせず、あの馬鹿はそんな女に本気になってる。そんな女にどっちにしたいか?なんて、きかれる事がどんなに惨めか判るかい?よほど、ロァを独り占めしたがってシュタルトに売っ払われたほうが、せいせいするよ。だって、それなら、少なくとも、あんたはロァに本気だろう?」

「ジニー。違う。そうじゃない。だって、考えてみてよ。私もいつ下にいけといわれるか判らないのよ」

「それが?それがどうしたっていうの?それが怖くて、ロァを愛せない?そうじゃないわよね?もう、既にロァを愛しているから、私みたいにぽいと棄てられるのが怖くて、愛していると言う事を認めたくないだけでしょ?」

「あ、貴女に、貴女になんか、判らないわ。三年もロァの気持ちを繋ぎとめた貴女になんか、わかりゃしない::」

「え?あ、あははは」

ジニーは笑い出せずにおけない。

アマロがジニーに負けたと思い込んでいる。

次の船を襲ったらもう消えるだろうロァとの仲は三年も続いたジニーの足元にもおよばないとアマロはおもっているらしい。

結局、ロァに惚れちまってるんじゃないかと苦笑を噛殺しながら、このアマロの敗退気分が、嫉妬でジニーをシュタルトに売りつける事に歯止めをかけたと理解した。

自尊心の高い女は、嫉妬さえみせたくない。

ましてや、敗退の惨めな気分のまま、依怙地にジニーをシュタルトに売ると言う事は敗退気分に拍車をかけるだけだと冷静に自分をみつめている。

だけど、ジニーの笑いはとまらない。

「安心おしよ。ロァはあたしの時なんかと引き比べにならないほどあんたにほんきだよ」

「なんで、そういいきれるの?」

心の底にある嫉妬と拭えなかった惨敗気分を思わず吐き出したアマロの頬は羞恥に幾分色をさしていたけれど、ジニーの確信を持った言葉はやはり心をうきたたせる。

信じたい気持ち半分と信じてはいけないという気持ち半分とでジニーに尋ねるアマロの頬に残った薄桃色は、ロァからの愛を確信したがる乙女の胸の弾みそのものの

のように恐れを抱きながら、乙女の頬を染め見せずにおけないそれにみえた。

「それは、きっと、この先ロァが証明してくれるよ」

口でいくら言ってもロァの事実にまさることはない。

第一船倉のジニーや手下を前に体裁構わず、目もくれず掠め取った荷物の中からロァ自身が女の荷物を捜しまわるなんて、ありえない。それに、

『ふっ』

思っただけでも笑いが出てくるロァの純情な嘘。

ジニーとの仲が三年も続いた事にしたロァの本心が判る。

初心な若造のように『女』にひたむきな男をとりつくろった。

ロァがついた嘘は目先の美貌で女を取り換える男だと思われたくなかったせい。

三年も続いた女をあっさり振り捨てるほどアマロに惚れたといいたかったせい。

そして、今。なのに、お互いが本気である事に確信が持てずいる。

二人の確立の前で、とっくにどうなってもいい、既に眼中にもないジニーの存在を

病むアマロがジニーの目にはひどく可愛くうつる。

三年なんて嘘だよといえば、アマロは一層、ロァの懸念した不安にとりつかれる。

「でも、あんたは大丈夫さ。三年も一緒にいた女を出し抜けるほど・・あんたは綺麗でかわいい・・」

こんどこそ、ジニーの頬に涙がつたいおちていた。

「ジニー・・・」

なにをいえばいい。私のせいで御免。

こんな言葉を言われたらもっと、ジニーはなさけなくなるだろう。

何も言える言葉が見付からずアマロはジニーを見詰めたままたちつくしていた。

「さあて・・」

いきなりジニーは大きな声でいった。

「まあ、いつまでもめそめそしていちゃいけないね。

話をもとに戻そうじゃないの」

「え?ああ。そうね」

アマロがびっくりするくらいさっと気持ちを切り替える事が出来るジニーを、ロァはひょっとすると「俺がいなくても一人で生きてく女」だとみきってしまったのかもしれない。

それに比べ鼻っ柱こそジニーよりよほど強そうなアマロの中にあるか弱さがいじらしい。


ロァもアマロを支えてやりたくなったのかもしれないとジニーは思った。

「それで、元の話ってのは要するに、あんたがロァの女でい続けられる限りは私にシュタルトか、此処かを選択させてやるってことだったよね?」

「そうね。そういうことね」

ロァの女でいれる限りにおいては、ジニーの選択をかなえることはできる。

「ふーん。あんた。その約束は当然ロァも承諾しているんだよね?」

「あたりまえでしょ」

約束も取り付けず、ジニーに話すわけにはいかない。

少し、癇に障ったらしくアマロの顔が切りつまり、それが、一層、端正さに輪をかける。

「あんたを見てると一つだけ判ることがあるわね」

「なに?」

はすかいに瞳を動かしてみせるだけだから、まだ、ちょっと怒ってるんだなとジニーは思いながら

「ロァは、あんたをわざとおこらせるでしょ?」

「どういうこと?」

尋ね返したアマロはまだ、どことなくつっけんどんさを残している。

「あんた、怒るといっそうきれいだよ」

ロァがこの女をみそめたときがみえる。

船に押し入り略奪と人の命を自由にした海賊の頭領は好奇のままこの美しい女を見つめただろう。

その瞳を捕らえ返した女は怒りにはりつめ、今より数倍もっと綺麗だったろう。

いまでさえ、こうだから、きっと、そうだろう。

かないはしない。この女にも。

この女に魅せられた男にも。

「シュタルトのところにいくわ」

ロァを想う事すら虚しいことでしかなくなると知った今、此処にいる事は苦しいだけだった。

「ロァの事は、もう、わすれてしまいたい」

何故と唇が動きかけたアマロに今のジニーの気持ちそのままをつたえた。

「それだけじゃない。もっと、見たくないものは此処にはたくさんありすぎる。

それをみないふりしてまで、もうロァを想っていられない・・・」

何もかもを犠牲にして、ロァに縋っていたジニーが縋るべきロァをなくした今、まさに魂は自由をもとめてゆく。

「シュタルトに売られたところでだったら、天使になれるかもしれない」

呟いたジニーはアマロに手をふってみせた。

「あんたがあたしを憎んでなかった事だけはうれしかったよ」

アマロに手を振るとジニーは下に向かう足をふみだした。


「そうさ。平気で地獄にいられるのは悪魔だけさ」

独り言を呟きながら下に降りる扉を開けるとジニーは胸の中で大きくさけんだ。

『ヘイ!同士諸君。悪魔ジニーのお帰りだよ』

ドアが開いた音に気がついてジニーの側によって来る悪魔を目の端で確かめながら

「またせたかい?」

と、ジニーはせせら笑った。

色魔の手が伸びてくるとジニーはとたんに男に蝕まれる生贄になる。

それでも、こんな生贄なぞ、まだまだあわれじゃあない。

くぐもった声が唸るように聞こえ、あの娘はまた、口の中に油臭いぼろ布をつめこまれて、男達の欲望をのみこまされている。

ジニーを弄る色魔の手さえおぞましい色に変えるあの娘のさけび声をぼろ布で塞ぎ、男達は男を飲み込ませる滴りをあの娘に誇示してみせる。

「これで、いやだっていうのかよ?」

粘湿液はあふれかえり、男を先導したがる。

なのに、娘は狂いそうな悲しみを喉の中にへばりつかせ、呻く事しかできずにいる。くぐもったうめき声にだってジニーは耳を塞ぎたくなる。

「そんな、しよんべん臭いあまっちょにかまってないで、こっちにおいで」

ジニーに出来る事はあの娘を嬲る男の数をへらしてやることぐらい。

「よお。ジニーさん。かえってきたかよ」

ジニーが帰ってきた事を知った男の何人かが、若い女を取り巻く輪からぬけでた。

「待ってろよ」

ジニーを貫いていた男は寄ってきた男達に声をかける。

熟れた女がどれ程面白いものかを見せ付けるため、ジニーは男の動きが与える快感に堪えきれぬかのように、自らを蠢かせて男の動きの振幅を大きくする。

取り巻く男たちは大きく抜け出た男の物が一瞬にジニーの中に飲み込まれてゆく反復運動とともにジニーの粘液をからめてゆくのをみまもっている。

一層激しく、粘液があわ立つほどジニーの中への振幅がひっきりなしに繰返されるとジニーはますますその動きに腰をゆすり上げ、男は切なく声をあげ、女を孕ませないようにとジニーの腹の上に射精を終える間も成しに待っていた男がジニーをだきとってゆく。

「へっ。さすが。親方にしこまれただけあって」

あっけなく、ジニーに上り詰めさせられた男のいいわけなぞ誰もきいてはいない。

ぐるりと船倉の隅を見渡して萎えた物をその気にさせる女がいないか、たしかめてみたが、そっちこっちで饗宴に浸る男女の中にめぼしい女はみつからず、

「ち・・」

ジニーみてえな女をだいちまうと相手がいなくなっちまうと舌打しながら、男はもう一度ジニーを取り巻く輪の中にはいった。


ジニーの醜態は、周りの男の沿い立つ物が堪えきれず自己放出をはじめないために、ぐうと自分を押さえ込まさせるほど、男の気をあげさせている。

そのためか、ジニーを見詰めた男達は、

ジニーの中を男の物が出入りする音がきこえるほど、

いや、むしろ、それさえ聞き逃すまいとするかのように酷く静かだった。

それが、余計にジニーの耳にはあの娘のうめき声を届かせた。

声をあげることでしか抗う事の出来ない女は叫び続ける事で身体を貫く男の時をやりすごそうとしていた。

なのに、男達は彼女の唯一の抵抗と逃げ道を奪い去る。

油臭いぼろ布を彼女の口に詰め込み声をあげる事すら許さず、

順繰りに男たちは船倉の隅まで逃げ込んだ女の足を高くかかげると

女の中をめざしていった。

逃げ惑う事も不可能な船倉の中での抵抗が無駄におわると知りつつ、

あらがわずにおけない女がいっそう男たちをあおるだけになる。

それに気がつかず、捕らえられてもまだ、

最後の最後まで彼女は身をよじって男からのがれようとする。

やがて、逃れ切れなくなった彼女が、

いやおうなしに局部に飲み込まされた物を吐き出すかのように

絶叫に近い悲鳴を上げ始める。

「うるせえなあ」

男は無造作に女の口にぼろ布を詰め込む作業をこなし、

ゆっくりと女をいたぶりはじめる。

「え?口だけが、ひーひーいってるだけじゃねえかよ」

あっさり男を飲み込み始める陰部を広げ

小さな核を指でもみこみ始めると

一層、女の中から透明な液体があふれだしてくる。

「そのうち、本当にひーひーいうようになっちまうさ」

女の口の中の呻き声が男の言う悲鳴に変わってしまう事をジニーはいのってしまう。

繰り替えされる彼女の抵抗を見るたびに、『大人しくだかれるんだよ』とジニーは、いってしまいたくなる。

何度その言葉を口にしようかとおもったことだろう。

だが、抵抗すらなくした彼女がいっそうあわれでもある。

男に嬲られる事に毛ほどの痛みを感じない女になるまで黙ってみているしかない。

なくしてほしくない純な気持ちをせめてもの抵抗で精一杯主張する彼女である方が幸せである場合もある。

例えどんなに泣き叫んでも、泣き叫ぶ事が出来る痛みがある内は幸せだともいえる。


ジニーの後ろに廻った男はジニーを押しつぶすかのようにのりかかって、ジニーに身じろぎ一つさせず親方の女だったジニーの部分をあじわいつくす。

滴る物を指で掬い取ると「親方がこいしいだろう」と、わらいたてる。

手も触れられなかった女を好きなように扱えると成ればその行為がいっそう嗜虐的になるのは、男の部分で親方とせりあいたいせいかもしれない。

「いい風さあ。今頃、親方も、さぞかし、しっぽりだぜ」

親方に棄てられた女でしかないジニーはせいぜい、俺たちにこびをうることで、恋しさにもだえ狂う部分をなぐさめてもらえるんだと暗にいう。

そんな侮辱でジニーの女を痛め付けなくても、だれかれ、お構いなく抱かれる悔し紛れに『心配しなくてもあんた上手よ』なんて、男のプライドをぺしゃんこにしたりしない。

「そんなことは・・どうでもいいよ。ねえ・・うごいて」

男の競り合いが満足出来る言葉が、的を得ればそれでいい。

情けなく見栄を張った男はジニーにゆすぶられるとたちまち次の男にその場所をゆずるしかなくなった。

男を小手先でなぶっているのは自分のほうかもしれないと思うジニーの耳はまたも、あの娘の潰れた声を聞きとがめてしまう。

いっそ、快感におぼれてしまえ。

あきらめてしまえ。

そう祈るしかないジニーは『早く女になっちまえ』と彼女に肉棒の味をしみつかせる男となんらかわりがない自分だと思った。

彼女を嬲る悪魔と、彼女が男に嬲られる事を喜びとして契約を交わす事を祈る自分も悪魔だとおもった。

せめて、シュタルトに売り払われた先なら、こんな悪魔を心の中にすまわせずにすむかもしれないともおもった。


突然。殺戮への準備を知らせるドラがなる。

女をいたぶっていた男たちがあわただしくうごきはじめる。

「襲撃だよ。船をみつけたんだ」

捨て置かれたあの娘の側ににじり寄るとジニーはその悲惨さに目をふせたくなる。

口の中の抵抗をふさいだだけであきたらず、娘の手は縛り上げられ、括られた部分は娘の抵抗の様を物語る擦り傷から血がにじみだしている。

「あんた。こんなめにあっても・・」

娘の口からぼろ布をひっぱりだしてやると、ジニーは括られた手を自由にしてやる事に必死になっている。ジニーに手を預けた娘の喉からひっと悲鳴が上がるとそれが長く伸び、甲高い嗚咽が絶叫に近い号泣にかわった。

「なくがいいさ」

ジニーは黙って側にいるだけしかできない。

床に突っ伏し、泣き伏す娘の指に指輪の痕を見つけた時ジニーは胸が潰れそうになった。

「あんた。約束した人がいたんだね」

右手の薬指の指輪は婚約を表し結婚すると、左手の薬指に・・。

貴族の流行なぞ真似したがる娘が増えてきているのを知った頃にこんな海賊船暮らしになってしまったけど、娘達の恋心に真似もなければ貴族もありはしない。

恋への心をどんなに素敵にあらわされるか。

浮き立つ思いが小さな流行をうみだしていた。

「そ・・う・・か」

愛する人と引き裂かれただけなら、まだしも、男の欲望にかいならされたくはない。

自分を変えてしまいたくないのは恋人への愛が死んでしまうと考えるせいだろう。

そんなもので愛は死にはしないけど。

そんな自分が愛を抱かえている事がつらくなってしまうんだ。

どんどん、つらくなって、あきらめちまうんだ。

それをしたくなけりゃ。

そう、さっきのアマロみたいに死にたくなっちまうんだ。

「あ?」

この娘・・。死ぬ気でいる。

娘を陵辱するだけの悪魔だと思っていた者は娘の首に鎌をかける死神でもある。

「あ、あんた、死んじゃいけないよ」

思わずたたみかけたジニーに娘はふと顔をあげた。

「此処じゃあ、どうやれば・・しねますか?」

それは死のうにも死ねませんといっているようにも、死ぬための何かいい方法はないかと言っているようにもきこえた。

「あ・・」

本当はこれっぽっちも死なぞ考えていなかった彼女に死を意識させてしまったのではないかとジニーは自分の迂闊さがくやまれた。


アマロがジニーに逢ったその直ぐ後に、ロァは客船を襲撃しもう1週間後にたてつづけに輸送船をふたつおそった。

船に女が乗る事すら稀な時代である。

客船の中から引っ張り出した女の数は指の数に余る。

ロァは女に目もくれず、女の始末をささと手下に指図すると、船の中のキッチンにあゆんでいった。

めぼしいものはとっくに自船に運び込ませているロァが自ら、それもキッチンの中にはいってゆく。

「親方?」

食料だって残らずひっさらった。判っているはずの親方が何を捜しているのか、気になって男はじっとロァをみつめていた。

「ああ」

ロアは小さな箱を棚からさがしあてると、そっと、蓋をひらいた。

篭った空気が箱の中身の香をただよわせはじめると、

男はそれが紅茶である事をしった。

誰がそんなもののむんですかい?なぞと無粋な事はききはしない。

ロァが女のために紅茶を探し回っていたと判ってもおどろきはしない。

あの日、船倉に現われて女の持ち物を捜し始めた時から、親方があの女に狂っちまった事を男はかんじとっていたから。

大事そうに蓋を閉めなおすとロァはテイーカップに手を伸ばした。

白磁の器が清楚で凛としている。

船の揺れを考え、底は大きくつくられ、受け皿も白磁を据えるくぼみをわざと深くえぐらせている。

そのくせ、取っ手は上品な螺旋を描いている。

アマロもきにいるだろうとロアはカップにてをのばした。

「親方。匙も・・濾し器もいるんじゃねえですかい?」

「そうだな」

女に貢ぐ物を物色している男のてれが一瞬うかびあがったが、

開き直ったのか、

アマロの荷物を捜しているロァを既に見られており

周知のことと気がついたか、

「おまえ。どうおもう?」

尋ねられた男は何の事か、見当がつかずだまりこむしかない。

見当ちがいに下手な事を答えたらロァの機嫌を損ねると知っている男は

さりげなく

「親方のぶんはいらないんですか?」

と、当たり障りの無い返事を繕うと、思いのほかロァが快濶にしゃべりはじめた。

「と、いうことはアイツもきにいるということか」

なるほど。どう思うはカップを女がきにいるかどうかということだったのだと、

悟ると男は

「親方がいいとおもったら、いいんですよ」

カップ一つに女の気に入るかどうかと気をもむロァなんぞ初めて見た。

と、笑った。

「どうもな・・」

俺にも解せねえとロァは返したが男は真顔になった。

「男の人生に一人くらいはそんな女がいなきゃあ、つまらんですよ」

ロァは愉快そうに笑った。

「そうか。つまらんか」

男の人生を彩どる女と一緒に紅茶を飲むのもいいかもしれないとロァはもう一つカップとソーサーを掴むとキッチンを出て自船に戻った。

無論男が慌てて濾し器と匙とロァが置いた紅茶の箱を引っ掴むのを目の端でたしかめてのうえだったが。


運び困れる略奪品と引き換えに一体何人の男の命を奪ったのだろう。

アマロは自分の運命を変えたあの日の海賊と今、目の前を荷物を抱えて船倉に運びこむ海賊がどうしても、同じ海賊だと思えない。

どんな猛獣であっても、自分に手を下さない猛獣は猛獣でありえない。

けれど、通り過ぎる海賊から時折、血の臭いがわいてくる。

たっぷり、返り血を浴びたシャツを脱ぎ捨ててきた男は半身裸身のまま、荷物をはこびこむことにいそがしい。

運び困れる略奪品と引き換えに一体何人の男の命を奪ったのだろう。

現実の悲惨さより、アマロはロァの姿を目で追っている。

略奪品が運び込まれてもロァはかえってこない。

向こうの船に立った影がロァかと思えばこちらに渡って来た時には違う人間である。

ロァになにかあったのなら、皆荷物を運び込むどころでないはずだから、無事なのだと思えば、別の不安がよぎる。

荷物を運び込んだ後にアマロも海賊船にわたされた。

つまり、ロァは今、船倉の隅の荷物の陰にまで隠れた女がいないか、船の中を隈なく探し回り、甲板にかき集められ、一塊になって震える女の前にたっているということになる。

人の命よりロァの命が心配で、女達の恐怖より、ロァの興味がその中の誰かに移らないかと不安になる。

いつの間にこんなに冷酷で自分勝手な女になりさがってしまったのだろう。

自分を責めるアマロも長く続かない。

向こうの船に人影が見えれば、アマロはやはりロァかとおもってしまう。

やがて、最後の荷物が運び込まれ、女が4、5人。男たちに押されるように、引きずられるように、こちらにわたってきた。

その男達の中にもロァがいない。

ゆっくり、お気に入りの女を携えて、ロァが渡ってくる。

恐ろしい不安が的中しないことを祈るアマロであるばかりで、こんな女は、死んでも神のみもとにあがれはしないと思う。

それでも、いいと思った時、アマロの瞳は今度こそロァをとらえた。

アマロの不安は的中せず、ロァは手に小さな白い物をもっていた。

マストの下で男達の作業を見守っていたアマロにロァも、きがついた。

じっと待っている事も叶わずアマロはロァにあゆみよってくる。

「やあ」

ロァはすこしてれて、アマロの目の前にカップを差し出そうとしたその瞬間に

アマロの身体がロァの胸板目掛けてすべりこんできた。

「おっ・・ああ」

一瞬、戸惑いを発した声は得心の声にかわりロァはアマロの心をうけとめた。

「心配だったか?」

胸の中で頷くアマロを抱きしめるためにロァはそっと、カップの取っ手に指を入れソーサーを手の平と残りの指にはさみこんだ。

アマロを抱き寄せると途端に口笛と拍手とひやかしの喚声がわきあがった。

「あ・・」

やっと、みんなの注目の的だったと言う事に気が付いたアマロだったが、ロァは

「かまわない」と、いった。

ヒューヒューと云う口笛と親方親方と連呼する声を静めるためロァはアマロを抱き上げ操舵室の後ろの部屋にたった。

アマロがロァに抱かれたままドアを開け二人の姿がそのドアの中に消えるまで喚声と口笛はなりやまなかった。

部屋に入ったロァはそっとアマロをたたせると

「当分。でていかれねえな」

笑いながら、カップをテーブルの上においた。

「おまけに、こいつも器だけじゃ役にたちゃしない」

濾し器も紅茶もあいつがもったままになってしまっている。

「綺麗な白磁器ね」

テーブルの上の品物をアマロが気に入ってくれたようであったが、ロァは軽く「まあ、そうだな」と、うけながしておいて、

「あいつらの期待をうらぎっちゃいけないだろ」

と、アマロにささやいた。


船倉の中に新たに捉えられた女達が、一塊になってふるえている。

すでに男達の欲望を舐めさせられた初めの虜囚を先輩と呼ぶのは滑稽だが、

此処で女が海賊達に何を差し出せばいいか知っている女を先達とよぶしかないかもしれない。

塊り、震える女達にかける言葉なぞあるわけがない。

先達である女たちが黙っていても、男達に生き延びる術が何であるかを、いやおうなくその身体におしえられる。

それを敢えて同じ女の口からいわなければならないとしたら、言うほうも聴かされる方もいっそう惨めな運命に飲み込まれた自分をのろうだけしかなくなる。

やがて、デッキの上に並べた樽にためた雨水で血飛沫を洗い落とした男達が裸同然の姿で船倉に降り立ってくる。

戦闘の興奮が収まりきらない男達は乾いた服に袖を通すのさえもどかしい猛りを沈めるべき女を定め始める。

叫び声が悲しい嗚咽になり、生きていくための犠牲の見返りに女は諦めるしかないことをその身体に貫かれる男の物でしらされる。

新しい女への好奇は、一人の男だけでない。

幾人もの男の物に嬲られる事により、女は直ぐ様に自分の運命を享受させられる。

男達の共有物でしかない運命を頭にまで理解させるに、のしかかる男の数は充分すぎ、運命を嘆くより、陵辱に精神を痛ませるより、ただ、男の物が自身の中に蠢くのを生々しくかんじながら、早くこの時が流れ去るのを祈るだけの女になる。

男達の漁りが滞りなく終えるとジニーは男達の洗礼を受けた女達を仲間とながめるしかなくなっている。

だが、うずくまって泣いている女より、新しい女に飽き足らない男や、順番が来るのを待ちきれなかった男が相変わらず嬲った「あの娘」の側ににじり寄る方が先だった。

口の中のぼろ布はいつもどおり、この娘が必死に叫び続けた証でしかない。

「そんな事で・・あんたの心だけは屈服しやしないっていくら、あいつらに教えたって、どうにもなりゃあしないんだよ」

大人しく男を迎え入れるのは体だけだと割り切ってしまえと、ジニーはいった。

娘は首を振った。

首を振った。

「ふう・・・」

溜息を付くしかないジニーに娘がつぶやいた。

「もう・・だめ、なの」

ジニーには何が駄目なのか、要領をえない。

「私の身体・・・もう・・だめ・・」

呟いた娘は静かな涙をこぼしだした。

前の時と打って変わって、大きな声で嘆こうとしない娘の中に諦念がみえる。

『そ・・そういうことか・・・』

恋人がいた娘である。

その恋人のためにも、恋のためにも娘は抗わざるを得なかった。

だが、その恋人のせいで娘の身体が既に男を知っていても不思議ではない。

男を知っている身体がとうとう、陵辱でしかない男の粗暴に屈するをしらされた。

ぼろ布を詰め込まれた口が娘の意志に反し、甘美を訴え始めた。

おそらく、今までにだって何度か我を忘れさせる感覚が娘をおそったことだろう。

だが、それに屈することなく、ぼろ布の奥で娘は叫びきった。

それでも、男に反応する自分の身体を憎み、

だからこそ、小さな裏切りに思い切り嘆けた。

だが。

今度は違った。

「リカルドだね?」

娘を喘がせてしまった男の名前など娘はしらない。

だけど、リカルドなら、しかたがない。

あの男は女に長けている。

女を上り詰めさす技法を熟知の上彼は局部に真珠玉をうめこんでいる。

女を喘がせる事こそを至上の快感にしている男に嬲られた事が運のつきだったことだろうが、故にそんな異常な男に恣意に飲まれた事を屈したと考える必要はないとおもえた。

が、それも男に長けた女の言い分でしかない。

娘は身じろぎもせず涙をこぼしつづけていた。

一度負けを知った体が精神を支え直す事を出来ない事を知っているジニーはただ、娘の涙の静かさにある、深い悲しみをしった。

身体は娘の中の恋人への想いを放棄した。

砦を失った身体が今度は娘に何を要求してくるか。

娘は涙と共に哀しむ心さえ身体の外に押し出そうとしているようにみえた。


二、三日もしないうちにリカルドが、あの娘を取り巻く輪のなかにいた。

屈服を知った娘であっても、初めからまけきることはできない。

快感に屈せられるまでの間のわずかの抵抗をあい替わらずこころみている。

ぼろ布を詰め込まれた娘をみながらリカルドが鼻先でわらう。

「てこずっているようだな」

と、娘から降りた男を嘲笑する。

自分の持ち物の雄雄しさを誇示する男は、これから優越感をも手に入れる。

娘にまたがったリカルドは、娘の恐怖をよみとる。

「わすれられなくなっているだろうが?」

リカルドに陶酔を覚えさせられた娘が見せる表情こそ鬱屈したリカルドの欲望をそそる。

「こんなものなんか・・いらねえだろ」

娘の口に詰め込まれた物をひっぱりだしてやると、

同時にリカルドは娘の滴りの中に己をもぐりこませてゆく。

再び娘の絶叫が甲高く船倉の中にひびきわたるが、それも束の間。

何かを堪えるために娘の口は引き結ばれる。

リカルドのごつとした丸い刺激が娘のなだらかな部分をゆっくりとなであげているというのに、娘の瞳は中空を舞い、今までどんなに嬲られても屈服を表すまいと閉ざす事のなかった瞳がうつろになると、とじた瞼の中にかくされた。

「たあいないもんだろうが?」

周りの男に声をかけるリカルドは娘の中が狭まってくるのを知る。

娘のその場所が快感のために男を締め上げる反応を見せ始めている事に気がついているリカルドの動きが微妙に変化しだす。

「もう・・・もちゃあしねえぜ」

リカルドがいうまでもなく娘の口が僅かに開き、絶叫や抵抗とは異質な音がもれてくる。

「え?どうだよ」

娘にいったのか。

周りの男に尋ねたのか。

リカルドの動きは休むことなく繰返され、娘の身体が薄赤く上気しだしてゆく。

ますます狭まってゆく女の中に熱いうっ血の塊が沸き始めた時

「いかせてほしいだろ?あじあわせてやるさ」

娘にかける言葉と裏腹にリカルドは娘の身体をはなれようとした。

途端にむしゃぶりついてくる女になってしまった娘こそリカルドの支配欲を贖う。

「おまえが・・ほしがったんだぞ」

誰でもない娘自らがリカルドの肉を望んだ。

男のものにつながれずにおれないお前の中の快感を自覚しろとリカルドは娘を貫く動きを一層激しく大きくした。

娘の声が競りあがってくる頂点を訴えだすのをリカルドは耳でなく娘の中に飲み込まれた物できいていた。

リカルドの物に責め挙げられ鬱血した内部が小刻みに震えだしやがて大きなうねりを起しずきずきと血脈の動きをリカルドに伝えだす。

女の内部が上昇しきった後に起す肉の動きを味わいながら、埋めきがひくまでの長い間リカルドは娘の中をおよぎきった。

放出まで行き着かなかった男は娘の身体を離すとジニーの姿を捜しはじめた。

リカルドがその場を立ち去り、離された娘がぐったりと身体を投げ出すと

周りの男達は床にまで流れ落ちた娘の滴りをみつめていた。

が、

「へっ」

見まがう事なく淫婦になったと、娘をあざ笑う声が

娘、いや、淫婦にいどみかかっていった。


よってきたリカルドにジニーを抱いていた男は慌ててその場を譲ろうとする。

「かまわしねえぜ」

ゆっくり、待ってられねえほど飢えてるわけじゃない。

ロァの補佐でもあるリカルドはその地位を考えれば、ロァのように特定の女を囲うこともできる。

だが、リカルドはそれをしない。多くの手下ともども女をなで斬り切りにするばかりである。

はあっという男の声がせつなくもれると、男は自分の体液を手の中に受止めリカルドにジニーの場所を明け渡す事に急ぐ。

「いいっていったろうが・・・」

後始末をはじめようと向こうの隅に行き座りこんだ男からジニーにむきなおると

「と、いいながら・・ジニーさんはそうでもないか?」

いつだったかも、この男にいいほど弄られ、はからずもあくめを覚えさせられたジニーだった事をリカルドは覚えている。

「あの娘にたりなかったって?」

新しい女にはいっさきにてをつける男が新入りをほっておいて、泣き叫んでばかりいるあの娘に突然興味を示したのもふしぎだった。

この間まで、娘に興味を示さなかった男が二度目に船倉に現れたときのその初めからの目的が娘だった事にジニーは少しおどろいていた。

「あんたにしちゃ・・・めずらしいじゃないか」

「俺はどっちかというと、あんたみたいに熟れた女が・・」

此処からリカルドは声をひそめた。

「俺の物にこらえ切れずよがっちまう方がみごたえがあっていい」

「そう」

軽くいなして笑ってみせたが、

リカルドのその言葉にはあの娘の中の女が既に熟れ始めた事をみぬく『女に長けた』男の感の良さを自慢する響きがあった。

「だから・・もっと、くるわせてやるさ」

女という果実の色づきを感知した男が女を熟成させる魔法をかけてやる。

その為にリカルドは立て続けにあの娘に挑んだ。

その結果。

「みてただろう?ありゃあ、思いの他いい女だぜ」

リカルドの性戯に、我を忘れたあの娘の所作はジニーの目にもうつりこんでいた。

「そうね」

返事を返したが心の中に暗澹とした物がながれこんでくる。

確かに男達の遊戯を快感で受止め、孤我を忘却の中に包み込むことをあの娘にのぞんだ。

だから、それで、いいんだと思いながら、何か釈然としない気持ちがジニーに残った。

それが何であるかを考えつめさす事を阻むリカルドの要求がジニーに強いられる。

「あれっきりだったろう?他の男に抱かれるたび俺の物がほしかっただろう?」

やはり、リカルドはジニーの醜態を覚えていた。

「嫌な男だね」

そう、嫌な男だ。

抱いた女がリカルドの物で高みを覚えたら、他の男に嬲らせて置く。

自分の凶器の味を見せ付けるため、わざと、他の男ではえられないとしらせる。

『そうまでして、あんたが恋しくなる女をみたいかい?あんたみたいな男は肉棒一つでしか女を繋げない寂しい男だって事に気がつかない方が幸せかもしれないね』

心と裏腹にジニーはせいぜいリカルドにあえいでみせる。

「ステキよ」

と、甘い吐息をはいてみせて、空っぽの心に似合いの身体だけの慟哭に浸って道化師をあざわらう。

一体どっちが操っているんだろうかと思う。

リカルドは自分の持ち物で女を操っていると思い込んでいるし、

ジニーはその操り師の立つ瀬を作ってやっている。

『哀れなものだよね』

心が介在しない遊戯に溺れる男も、

そんな男を慰めてやる自分も一層憐れにみえた。


船があらたなる獲物、輸送船を襲った後だった。

すっかり様変わりしたあの娘はもう、叫ぶ事もなく

新入りの女達も同様、大人しく男にだかれるようになっていた。

リカルドが船倉にあらわれると、女達を並ばせ始めた。

ジニーを含め18人の女はのろのろと立ち上がる。

ジニーの前にたったリカルドは

「お前はおしい。だが、惜しい女ほど高くうれる」

と、つぶやいてみせた。

それで、ジニーに判った。

リカルドはシュタルトの船に渡す女をえらんでいる。

言い換えればどの女を船に残しておくか、リカルドに権限がある。

わざわざそのリカルドがジニーに呟いてみせたのは、ジニーの口から此処に残りたいと嘆願させたいせいらしい。

だが、ジニーがシュタルトの船に乗ると言う事はアマロによってロァにも伝わっている筈である。

なれば当然リカルドまで伝えてあるはずのことがリカルドの選択に左右されると言う事はどういうことであろうか。

『アマロ・・あんた、あたしを此処にのこしておきたいってことかい?』

わざとロァに伝えずおけば、リカルドはジニーの本心などしらない。

知らないリカルドはジニーの嘆願をみてジニーを飼いならした男としての己の技巧の深さに、とっぷりと満足する。

「お前の言い分は後できいてやる」

やはり、リカルドはジニーに懇願せよと暗示するとジニーの前から次の女の前に立った。

貧相な顔立ちに色めき立つ女の匂いが薄い上に繰り返し漁られた痛みがその顔をもっと、醜悪なものに変え今になっては、目当ての女を待ちきれない男の憂さ晴らしでしか、相手にされなくなった女は時に男達が必要とする部分だけしか要らないとばかりにその顔の上に布切れを掛けられ、まるで黒いベールに包まれた死人を犯すようにあつかわれていた。

「ふん」

リカルドの欲情さえ削いでしまう女の貧相さを汚い物のように見る。

この先の淫売宿でも、まともに客がつかないだろう。

シュタルトに買い叩かれるだけの女だが、ここにおいて貴重な食料や水を分け与えるにはもっと無駄な女である。

順繰りに女を値踏みしていたリカルドは残しておきたい女と高く売れる女との境に立つ女の前でやはりたちどまってしまう。

あの娘の前に立ったときもリカルドは娘に何かつぶやいていた。

娘が瞬間、うつ向いたことからおそらく淫卑なことだったのだろう。

誰と誰をシュタルトに売る女に決定し誰を此処に残す気なのか見えてくるリカルドの歩が最後の女のところに来ると

「よし。もういい」

と、待ち受けた男達に女を解放した。

後でといったリカルドはジニーが思ったとおり、最初にあの娘のところへいった。


あの娘をいたぶりつくしたリカルドがジニーの傍らによってきた。

「かわいそうにね」

皮肉な言葉をなげかけられてリカルドは向こうのあの娘をふりかえった。

「そうでもないだろ?」

リカルドの一鎚があの娘に性の歓喜を与え、後の男は安々とあの娘を抱き果せる。

「お前も、かわいそうになってみるか?」

「そうね。わるくはないわね」

強かなジニーの答えもリカルドの興をそそる。

「ところで・・」

ジニーは尋ねる。

「ロァから何もきかされてなくって?」

ジニーに尋ねられるとリカルドは瞳を斜め下に泳がせた。

その態度がジニーにリカルドの勝手をさとらせた。

「きいているんだね?」

とぼけても仕方がないとリカルドは手をふった。

「そんなことは・・・こいつにきいてくれないか?」

リカルドの行為がジニーを此処に留まらせる事を選ばせると信じている男はやにわにジニーにいどみかかってゆく。

「あんた。どこまでこんな事を信じ込んでるのよ」

一時の快楽で女をいつまでもつなぎとめれるわけがない。

馬鹿だといわれたリカルドはジニーに意外な言葉をかえした。

「おまえにしろ、あの娘にしろ、結局俺をこけにしやがる」

「ちょっと。まって!」

今なんといった?ジニーの事は判る。

だけど、なんで、あの娘がリカルドをこけにするという?

一体なにをいわれたという?

いったい、何を言えばあのひ弱な娘がリカルドを焦燥に落とし込める?

なにをいえば、リカルドをこけにしたと思わす事が出来る?

いたずらを見つけられ困った子供のようにリカルドの顔がゆがんだ。

「あの女・・。俺に抱かれながら、他の男の名をよびやがった」

「え?」

『ああ・・あんたったら・・』

あの娘が呼んだ男の名前は恋人の名前にちがいない。

身体の裏切りを凌ぎ恋人へ想いに昇華させたあの娘を胸の中で、見事だと褒め称えたジニーの顔はさぞかし満面の笑みをたたえていたことだろう。

リカルドにすれば、あの娘を喘がせれば喘がすほど、あの娘に恋人との瀬戸にたたせるだけだときがつく事実でしかなかった。

「それだけじゃない・・・そのあとのことだ」

リカルドの衝撃はまだつづく。

「シュタルトのことをだれにきいたか、しってやがって・・」

ちらりとジニーを覗き込んだがそれは話した奴が誰かを詮索したいんじゃないといっていた。

「ぬけぬけと他の男の名前をよんでみせたくせに・・・・」

そう、ぬけぬけとだ。

あの時確かにあの娘はわざわざ大きく目をあけてリカルドをみつめあげて、「その男」でないことにがっがりした顔をみせたあげく、男の名をよんだ。

リカルドにとって、こんな侮辱はない。

だが、ジニーには、胸がすくようなあの娘の快挙だ。

「ふうん。それで・・・」

笑い出しそうな口元はこらえてもゆるんでゆく。

この笑いをはきだしてやりたい誘惑にかられながら、でも、リカルドの「それだけじゃない」をきいてからのほうがもっといい。

ジニーはリカルドが傷をさらけだすのをまった。

「オンリーにしろ。だとよ」

吐き出した途端、リカルドは再浮上しだしたむしゃくしゃする思いにひっつかまれてしまった。

「おもいだしても、むなくそがわるい」

わらい転げてやるつもりだった、ジニーの顔が少しこわばった。

大体、あの娘はそこまで、計算付くでリカルドをコケに出来る娘ではない。

「へ?純情面さげて、つい、この間までひーひー泣いてた女が一皮めくりゃあ、大した玉じゃねえかよ?」

と、リカルドはいうがそこまで、男を手の平に乗せきれるほど、男にすれた娘じゃない。

だいいち、リカルドに取り入る気だったら、恋人の名前なんか、よびゃあしないだろう。

でも、是も男になれた女にできる荒業でしかないのだろう。

あの娘はリカルドに与えられる快感を受止める身体から、精神をのがそうとしたのだろう。

無意識のまま、娘はリカルドの陵辱を恋人の幻影にすりかえ突破口をきりひらいたのだ。

リカルドに与えられる快感から意識をそらし終わったあの娘は『考え』を実行しだした。是が正しい推測だろう。

あの娘の考えた事は、シュタルトの船に乗らず、此処に残ろうということだろう。

どのみち、どこにいっても、男に身体を開く運命しかないと悟った娘は、この船の中でこれ以上、他の男に身体を投げ打たずに置く方法を考えついた。

誰かのオンリーになる。

だが、その相手をリカルドにするしかなかった。

まず、当座、船の中に残す女を選択できたのは、リカルドだ。

次にこの船の中でロァの重鎮とも言える男はリカルドしかいない。

女には異常な恣意をみせるが、

海賊としての手腕はその鋭利な判断力と共にロァの信頼が厚い。

つまり、オンリーを所持できる男はロァとリカルドだけといいきってもよいかもしれない。

だから、やはり、リカルドを選択するしかない。

と、一目見には思える。

それがジニーである。

あの娘自身が気がついていない、側面がみえた。

だから、ジニーの顔がこわばってくる。

「なんだよ?」

些細な傷心から、ぬけでたリカルドはやっと、ジニーの引き攣った顔にきがついた。

「あんた・・ううん」

言いかけてジニーはくちをつぐんだ。

あの娘がリカルドを選んだのはリカルドの背景のせいだけじゃない。

恋人の名を呼んだと聞かされたとき、

ジニーは胸のすく思いをあじわったけど、これも違う。

あの娘はリカルドに恋人を重ね合わさせられはじめている。

ジニーの考えは事実とはちがうかもしれない。

でも、リカルド以外の男にだかれても、あの娘はきっと、恋人の名前を口にだしたりしない。

胸の中で恋人を呼ぶだけで充分だろう。

ところが、リカルドに抱かれた時胸の中の恋人の存在がきえてゆく。

リカルドのものになってしまう身体が恋人まで遠くに追いやると知ったとき

あの娘は恋人を敢えて、意識しなければならなくなった。

意識の中から遠く去ってゆく存在だからこそ呼び戻さなければならなかった。

あの娘は身体から先に、リカルドに染められ、いつのまにか、リカルドの女になっている。

こう考えられるとジニーは思った。

だから、「いっそ、あの娘をオンリーにすれば?」とリカルドにいいかけた。

だけど。

身体に支配されてゆく女の情のもろさがジニーの胸を暗くする。

できることなら、ロァにもう一度。

ふさぎこんだ、ジニーのもろさをくだこうとするかのような、あの娘の情が

心にいたい。

リカルドに本気に成っているときがついた時のあの娘がこわい。

女を玩具にしかできない男を選んだせいで、胸の中から恋人を失くす。

それも、あわれにその自らの身体にしくまれた甘い罠のせいで。

淫売のほうが、数倍ましだろう。

すくなくとも、心だけは・・・。

そう、心だけは。

身体はどれだけ他の男になめられたって、この想いだけは・・。

ロァの名前をこんな男と摩り替えてよんだりしない。

だけど、こんな男にあんたは・・恋人を重ねられる。

傷つくだけ。

泣きをみるだけ。

こんな男に本気になっちゃあ・・・

「だめ・・」

ジニーの声がリカルドを奮いたたせてゆく。

ふと、ジニーは痛いほどの視線を感じた。

むこうで、あの娘がこっちをみている。

『やっぱり・・本気だっていうの?』

アマロ。あんたのお陰であたしはロァに惚れてよかったといえる。

でも、どう?

あの娘は、誰をも愛せない男にほんきになりはじめてる。

あの娘の目の前で女を玩具にする男に、本気になりはじめている。

自分をも玩具にしてしまう。

「リカルド・・ねえ・・もう、駄目・・リカルド」

ジニーはわざとリカルドの名前をよんだ。

「ああ・・」

けして、リカルドの名前なぞ呼ばなかったジニーがリカルドとよんでくれるのは、

あの娘から受けた侮辱を慰めるためだけかもしれないと、思いながら、

リカルドと連呼されれば一層ジニーの喘ぎにこたえてやりたくなる。

「ジニー・・ジニー・・」

やり過ごすはずだった高揚をジニーにぶつけずに置けなくなったのも、

やけに馴れ合い染みて、名前をよびあったせいかもしれない。

ほんの少し愛しさを感じながら、リカルドは此処での鉄則にしたがった。

「ああ・・ジニー」

孕ませてはいけない。

この鉄則のために最後の瞬間までジニーの中に居れない。

辛い決断をジニーの名に変えて、リカルドはひとときをおえた。

ジニーはすぐさま、あの娘をぬすみみた。

娘が何かを決意する眼差しはジニーに一つの直感をくれた。

『今度は、あんた。あたしに負けまいとして、リカルドの名前を呼ぶんだろうね』

男の心を少しでも自分に傾けさせるテクニックを知った女と、

リカルドが堪えきれず女の名前を呼ぶ事もあると知った女が

次にどうでるかで、真意がわかる。

『あんたが、これでも、本気だと言うなら、

やっぱり、あたしはシュタルトのふねにのる』

ジニーに乗り上げたままのリカルドの頭をいとし気になぜてみせたあと、はやくどいてくれと、こんな男の背中をつねりあげたジニーは

『やっぱり、どっちみち、あの娘をみてるのはつらいんだ』

と、おもった。


ロァの側に寄ってきた男におぼえがある。

いつか、甲板を歩いたアマロに声をかけた男にちがいない。

あの時と同じように

男は親方の女にだって遠慮会釈なく好色なまなざしをむける。

男はアマロを舐めるようにみつめると、ロァと話し込み始めるが

時折、ロァの後ろに居るアマロを盗みみる。

アマロは嫌な男だと思った。

ロァも気がついているだろうに、その所作を咎めようとしない。

ロァがその男の存在を重要なものとしているせいか、

自分の女が他の男の目を奪うことにいささかの満足をえるせいか。

そこのところは良く判らないがとにかく、

頭領と対ともいえる横柄な態度がアマロの心に不穏を呼ぶ。

「で、何人残す?」

聴こえてきたロァの言葉にアマロの胸の底がぐっと縮んだ。

『シュタルトに売渡す女達のことだ』

と、わかったからである。

「まあ、めぼしい女が・・・」

言葉を止めるとちらりと、アマロを見る。

「あんたの」

と、顎でアマロをしゃくってみせて、

「あれくらい、だったら、迷わず残せるところだが・・・」

作物の如くに女をたとえていう。

「不作もいいところ・・」

「ふうん」

売るに安く。

数を頼みにいっさいシュタルトに売り払ってしまえば

血を滾らした男達のうさの晴らし場所もなくなる。

ロァが、女を男の道具としか考えないのは、

海賊達のうさをうまく取りまとめる事が出来る唯一の物であるせいだろう。

些細ないざこざも男の欲求不満から、大きな物にかわる。

閉ざされた世界で男同士がうまくやってゆくためには、

つまらないうさを持たせない事だとロァはかんがえている。

「ジニーはいい女だが、あんたが、シュタルトにわたせというなら、

これはしかたがない」

さすがにロァの前の女だけあるさと、口の中に言葉を隠した男が

アマロを見詰める目の中に、

そのジニーを棄てさせたあんたに興味があるという色がみえる。

「ほかには・・・」

「まあ、新しく船を襲うまで辛抱させるかな。それも一手だぜ」

「餓えちまえば誰だって、かまわしねえか」

女ほしさにいっそう、略奪に血気がはやる。

いいことかもしれない。

「だけど、ロァ。そうなると、あんただけ、女をだいてるってのは、厭味な物だぜ」

ロァはふと、アマロを振り返った。

確かに女っ毛をなくし去った船の中、

頭領の身分をいい事に美貌のアマロを独占しているのは

男達のやっかみと羨望がくすぶり、ロァへの不満が増殖しだすだろう。

「なるほど・・」

リカルドという男は時にロァの気がつかない側面を意見する。

これがリカルドを腹心の地位にすえさせている大きな一因である。

「おまえの采配にまかせるとしようじゃないか」

目の前のアマロさえ、いればいいというロァの執心が

さらにリカルドにアマロへの興味をあおらせるとも知らず、

ロァはリカルドに女達の選択をゆだねた。

「例えばジニーを残してもいいということだな?」

昔の女がアマロの前をうろうろしていても構わぬくらい、

ロァは既にアマロの心をつかんでいるかと云う問いを含むと知らず、

ロァはあっさりと答えた。

「俺の事にこだわらないなら、お前のオンリーにしたってかまやしない」

それくらい、ジニーへの執着はないとロァは言いのけた。

「ありがたいことで・・」

何が悲しくて棟梁のお古なぞをよろこんでもらいうけようか。

くれるなら、その女。

俺とその女どっちが大事だ?

こんなリカルドの底の嗜好が既にアマロに向けられていると気がつかぬまま、

ロァはリカルドに選択をゆだねる。


リカルドが部屋を去った後。アマロはロァに詰問する。

「どういうこと?ジニーの意志はどうなるの?私との約束は?」

冷たいロァの一瞥を受ける事になる。

「立場というものがあろう?」

「そんな・・・」

「お前も自分の立場をわすれちゃいやしないか?」

そう。ロァの気持ち一つ。気分一つ。

ロァの内側がいくら本気だと言ってみせても、

ロァについて廻る立場とアマロについて廻る対場を引き並べられれば絶対的にロァが優位なのだ。

「わすれちゃいやしないだろう」

ロァの手が伸びてくる。

ロァに従属される「女」でしかないアマロを思い知らされる時がはじまる。

ジニーの意志一つかなえてやれなくなる自分の弱さをしらされる。

「あああ・・・」

吐息は既に喚声になり、

ロァに従う女を選ぶしかない甘やかな陶酔に酔うしかなくなる。

「俺がいらねえといえるか?」

ううんと首を降るしかなくなるアマロは

自分こそが地上で一番汚辱に満ちた自分と知る。

けれど、このロァとのひと時を

確かにかけがえのないひと時にしたがる自分に逆らうことができない。

『ロァ・・御願い・・私を棄てないで』

屈服を言葉にしたくはない。

だけど、友と思い始めたジニーを平気で見限る自分を許すしかない。

ロァの調伏を受止める事を選んだアマロは淫らでしかない自分におぼれる。

『ロァ・・ロァ・・』

ふと、ケジントンへの思い一つさえなくした女が、

ジニーにすまないと思う方がおかしいと思えた。


「と、いうわけで」

リカルドはあっさりとジニーに要求する。

「お前はここに残れ」

「そう?」

冷たい笑いがおきるのは、アマロへのふがいなさのせいではない。

「何のために、私をのこそうっていうのさ?」

リカルドの性欲を漱ぐため?

ならば、そんなに特別な女なら、オンリーにすりゃあいいじゃないか?

『あんたの魂胆はみえてるよ』

リカルドの計略。

それは、この船の男達の気持ちを自分に惹きつかせるためだけ。

もし、リカルドがジニーをシュタルトに売り払うときめたら、

何人かの男達はジニーを失った怨みをリカルドにむける。

それ程ジニーは今この船の中の男達の渇望を興深くさらえてきた。

自分の保身のためと、仲間からの嘱望を得るためにジニーをシュタルトに売り払うわけにはいかない。

こういうことだろう。

「だけど。あたしもただでは、うんといいたくないね」

「はん?」

交換条件を出せる立場のジニーで、あるはずがない。

けれど、その内容を聞いてみたくてリカルドはジニーに訊ねた。

「あのこを此処に残す事」

思ったとおりリカルドはほくそえんだ。

その笑いでリカルドはあの娘をここに残す女のうちに数えている事が判った。

「おやすいことさ」

たあいなくリカルドが頷くのを待ったジニーはすかさず

「だけじゃ、だめよ」

と、つけくわえた。

「なんだっていう?」

興味本位で聴く気しかないリカルドと判っていながらジニーはつげた。

「あの娘を、かたちだけでもいい。貴方のオンリーにしてほしい」

「か?形だけ?」

飲み込める条件ではない。

形だけにしろ、娘をリカルドのオンリーにすると言う事は、

あの娘が共有物でなくなるという事であり、

早く言えばこの船に残す意味がなくなるという事になる。

あの娘を残す女の数としてかぞえられなくなるのは、さておいて、

いったい、どういう気持ちと考えでジニーがこんな交換条件を出してくるのかがひっかかる。

「お前を俺のオンリーにしてくれと言うなら、判るが、

なんだって、あの娘を?」

「なんでだろうね?」

問われた言葉に自分でも納得させられる答をいおうにも、自分の気持ちが判らない。

しいて、言えばリカルドの存在によって、自分を変化させるしかなくなった娘を、他の男達との共有物にさせておく、リカルドを見たくないと云うところかもしれない。

だが、男の気持ちにこんな甘い夢をのぞんでみても、無駄だと言う事はロァによって、身に沁みている自分が

オンリーさえもとうとしないリカルドに望んでみる事はもっと無駄だとわかっているはずである。

ジニーの不可思議を笑うとリカルドはジニーの思いに反した提言をだした。

「俺があの娘を上に連れて行ったら、お前からロァに此処に残るといいにいくか?」

「私がロァにあえるわけないじゃない?」

「シュタルトの処にいくと頼んだ様に、もういちど、ロァの女に頼めばすむことだろう?」

「え?」

何を考えているか掴む事は出来ないがリカルドは胸の奥深くに不穏な物をだかえている。

是だけは間違いないとジニーは直感していた。

「わかった」

とにかく、あの娘の立場はあの娘がのぞんだとおりのことになる。

シュタルトの元に解放されることはもはや諦めるしかない状況の中、せめてもの、交換条件がなりたつのなら、それで恩の字とかんがえなければなるまい。

「だけど、あんたは、やっぱり、下におりてくるんだよね?」

われながら馬鹿な科白をはいたジニーにリカルドは愉快そうにささやいた。

「ジニーさんよ。心配しなくても、いいぜ」

オンリーをもったって、文字通りオンリーだけのリカルドにはなりはしない。

「あんたは魅力的な女さ」

心配しなくったって、あんたの事も忘れずかまってやるさ。

リカルドの囁きは次の所作を求めだし、ジニーはリカルドをまち焦がれる女でしかないと認めさせられることになる。

「御願い・・あの娘の目の前で・・私を抱かないで・・」

ジニーの願いはききとどけられるはずもない。

「あの娘だけの物になれってかよ?」

口で言ってる事が嘘になるジニーの喘ぎは悲しい。

「お前の体は、むしろ、反対にお前だけのものになれっていってるぜ」

あとは、リカルドの手管をみせつけられ、逃れられない高みにいやおうなしにひきずりこまれてゆく。

ジニーは思考を止め、感情を棄て、その感覚に溺れ、リカルドのくれる陶酔にすがる女になる。

「いい女ってのは・・・こういうのをいうんだ」

男の蠢き一つが世界の全てになる。

この瞬間を味わいつくそうと餓鬼のようになりふりかまわず、女は我をわすれる。

女をわが道具でそんな女にしてみせることこそが、男の極致。

大いなる満足は頂上を舞い、リカルドの拘束はジニーをいつまでもとらえさせることになる。


喘ぎのさ中にリカルドに告げられたことが

ジニーの胸をしめつけている。

リカルドはその時、確かにこういった。

ロァの女を俺の部屋にこっそり、連れて来い。

と・・・。

アマロをどうする気でいるのか、

リカルドが何をたくらんでいるのか、

やっと、ジニーにわかったが、

リカルドはそれも、交換条件だとつけくわえた。

そして、また、

いやなら、俺はあの娘をシュタルトにうりはらうだけだと・・・。

「あんた?なにをかんがえてんだい?

ロァをうらぎるような真似をして、あんただって

ただじゃすまないよ・・」

リカルドはジニーの胸の先をきつく、つまみあげると、

「おまえが、だまっていればすむことだろ?

そして、おまえが、ロァの女の口をふさぐんだよ・・」

胸の先の痛みにこらえきれず、ジニーはリカルドの要求に

頷くしかなかった。

リカルドがジニーを離すと、ジニーの頭の中は

リカルドのいう条件をかなえてまで、

娘をオンリーにさせなければならないのかを、

かんがえていた。

アマロに何もかも、打ち明けてしまえば

アマロは・・あの娘の為にロァをうらぎるだろうか?

他に抜け道があるか・・。

あの娘は、シュタルトに売り払われたほうがよほど、幸せなんじゃないか?

女への興味と執着でめがくらみロァさえうらぎろうという男の

形ばかりのオンリーになったところで・・・。

それとも、あの娘をオンリーにしてみせるふりで、

ロァの目をあざむくつもり?

そして、あたしも・・・もうひとつのめくらまし?

リカルドのねらいは、初めからアマロでしかない・・。

でも、手の出しようがなくて、指をくわえてみていただけだったのに・・。

あたしとアマロの友情?・・友情にきがついて・・、

あたしをだしに、

どのみち・・あたしをだしにアマロをてにいれるつもりだった?


ジニーの思考はからからとからまわる。

どうすればいいのか・・。

アマロをうらぎるか、

あの娘をうらぎるか・・・。

結局はどちらかをえらぶしかないということだけはわかった。


暗澹とした想いのままジニーはあの娘に目をむける。

隅っこにうずくまりながら、転寝をしているのは、

今日も幾人もの男の飢えを購った疲れにとらまっているせいだろう。

ぼんやり、娘をみていたジニーにきがついたのか、

娘の近くに寝転がっていた女がおぞおずとにじりよってきたのは、

女がジニーに何か、伝えたいことがあるようにみえた。

はたして・・・。

「ジニー。あんたがあのこのことを気に掛けているのは知ってるよ。

あたしの妹と同じ年だってきいてから、

あたしもきになってみてたし・・・」

そうでなくても、悲痛な声を上げ続けた娘が

憐れに快楽に屈服し・・・、

娘を屈服させた男はジニーを好んで求める。

こんな図柄を目の前で見せつけられれば、誰だって、ジニーに文句の一つもいいたくなるだろう。

あの子の前でヒーヒーよがってみせてやるな・・・と。

だが、女がもたらした報せは、ジニーの予想に反していた。

「なんだって?

もう一度・・いっておくれでないか?」

ジニーはたずねなおさずにおれない。

「だから・・・、多分・・・まちがいないよ。

あの娘は・・身ごもってる。

だから・・・」

皆まで、言われなくてもジニーなら判る。


娘は恋人の子をはらんでいる。

ソレは、間違いない。

なぜなら、この船の男は商品を孕ますどじはふまない。

ふむとしたら、あえて、女をバシタ(女房)にするための

手段だろう。

だが、

あの娘に本気になってる男なぞいなかった。

いや、いたとしても・・・

今、孕んでるらしいとわかるということからして、

おそらく、3~4ヶ月?

あの娘が船にとらえられてからの月日をかぞえあわせても、

この船の男の情のすえの所産ではない。

「そう・・」

「そうだよ・・だから・・」

だから・・・。

女が口にだしたくないのは、自分の運命も同じだから。

シュタルトの船に移される順番がまわってきている。

なんどか、女が移船をかいくぐったのは

手垢にまみれた愛着品のように、

男達のなじみになることにつとめたからだ。

だが、女の美貌にも、かげりがでてくる。

手放す時期をおくらせれば、

シュタルトにかいたたかれ・・・、

愛嬌と馴れ合いを惜しんだばかりに

ふけこむばかりの女の醜悪さをうとむ顛末を迎える。

もう、潮時。

女も移船を覚悟はしていた。

だが・・・。

あの娘が・・・シュタルトの船に移されると成ると

事情が違う。

身ごもった女と、わかれば

シュタルトは間に合うなら女に特殊な医術を施させる。

つまり・・・。

堕胎。

間に会わなければ

身二つになったら、母親は淫猥宿に・・・、

子供はおのおのの性別それぞれに見合った場所に売り払う。

生き別れか、死に別れかの違いで別離がはめこまれてゆく。

「あの娘は・・・」

今の時期なら、間違いなく堕胎を強いられる。

「だから・・・」

リカルドのオンリーになろうとしたんだ。

そうすれば、少なくとも・・・堕胎だけは、まぬがれる。

船に残れれば、いくら、海賊といえど、

「母」という名の女を殺しはすまいと、ジニーとて思うくらいだ。

次のシュタルトの隣接のときには、

母体になった身体から、小さな命を引きずり出すことは

両方の死を意味する。

仕方なくシュタルトは母子ともどもをひきうける。

やがて、親子離れ離れになる運命でしかなくとも、

今、シュタルトの船に移される死別の運命よりは・・・いい。

リカルドの女に徹するしか子供を救う道がないと悟ったあの娘は

リカルドに従順になろうとした。

身体は現実。

娘の感情を裏切ることはできても、

心は子供の父親である恋人を思う。

現実はリカルドの玩具に徹するしかなく

オンリーにのぼるためには、一番のお気に入りになる以外、法がない。

なにもかも、心の下に伏せて

リカルドのものになろうとする娘の心の底からわきあがってくるのは

恋人への恋しさ。

リカルドのものになろうとすればするほど、

娘の心は遠くへいってしまう自分の心を手繰り寄せる。

それが、

リカルドがいかりまくっていた『男の名前をよびやがって、

そのくせ、俺のオンリーにしてくれだと?』

その真相。

「どんなにか・・・心をねじふせ、

子供の命を護ろうって、必死なんだよ」

女が手の甲で涙を拭うのをみるうちに、

ジニーのほぞがさだまっていた。

「わかったよ・・・なんとか・・」

なんとかしてやるといいかけたジニーの胸に鋭い痛みがはしった。

アマロを贄にするのが、ほかでもない、

このジニーなのかと、悲しい痛みが胸を占領しかけた時

ジニーの記憶の中の娘のうすぐらい悲しみが痛みを麻痺させてゆく。

『私の身体・・・もう・・だめ・・』

と、娘は暗く深く悲しく呟いた。

リカルドの寵愛にこたえてしまうことへの悲しみだけでなく

妊娠を隠しとおせなくなり始めてきた体の変化を嘆いたんだ。

そうきがつくと、いっそう、ジニーは

娘の思いをどうにかしてやりたいとかんがえるしかなくなる。

「わかってるよ・・どうせ・・・あたしは、悪魔・・・

これいじょう、おちることなんかないさ」


アマロをよびつけることは、たやすい。

だけど・・そのあとの顛末をかんがえる。

アマロがリカルドからの陵辱を

ロァにはなせば、

ロァはリカルドをどうするだろう?

頭領の女を寝取るなんて事をしでかせば

ロァの威勢を崩した反逆者以外の何者でもない。

秩序と地位を護るためにロァは

片腕といっていいリカルドだって、

つるしてしまうだろう。

いや、つるすしかなくなる。

船の中の統制はそうしてこそ、築かれる。

リカルドだけ、例外にはできない。

そうなれば、

あの娘はやっぱり、よるべをなくし、

ロァは・・・リカルドに変わり人売りの采配をふるい

あの娘をシュタルトに・・・うる。

売れ筋の若い娘を船にのこしはしない。

それが、ロァの非情なところ。

事実を話し最初からロァの情にすがろうなんて

考えたら、結果、決定的にあの娘はシュタルトに売り払らわれる。

堕胎できるうちに、さっさとシュタルトにうる。

まかりまちがえて、シュタルトの船とコンタクトが遅れれば

はらみ女というやっかいものをかかえこむ。

役にたたないうえ、

母体の健康を維持する労力と神経をつかう。

孕んだまま、死なれでもしたら、一番厄介な損失になる。

だから、

たとえ、アマロを抱き込んで、たのみこんでみても、

無駄。

だから、絶対、ロァには話せない。

「アマロ・・・」

ジニーは呟く。

事実を話せば・・・

アマロはあるいは、リカルドの手におちることを

承諾するだろう。

だけど・・・。

それは、裏を返せば

アマロの裏切りに成る。

何も知らせずにおけば、

何も知らず脅しと策略に載せられたアマロでしかない。

それとも、

何もかも承知してあえて、ロァを裏切る・・・。

「ううん・・」

そんなアマロにさせたくは無い。

愛する人間を裏切る痛み

愛する心を裏切る痛み

それは、ジニーが一番良くわかっている。

アマロには・・・、

ロァを裏切って欲しくない。

自分の代わりというわけじゃないけれど

アマロには・・・。

考えめぐらした末の想いにジニーは笑いだした。

「ロァをうらぎってほしくない?

あはは・・・、

このあたしが、アマロをリカルドになげおとそうっていうのに?」

問題はアマロの心の介在の仕方だけでしかない。

「アマロは・・・あたしをにくむだろうな・・」

悲しい覚悟を付け直すと

アマロがロァに密告できなくなる、

事実を口の中で唱えなおしていた。

「ロァは自分の女が他の男にだかれたと知ったら、赦さない。

たとえ、どんな理由があろうと・・・

アマロ・・も・・リカルド・・も・・・あたし・・もね・・」

たった一言漏らせば、なにもかも、失墜してゆく。

命という飛空から・・・失速はあっという間の鼓動の停止

全てが無にかえる失墜。

「あるいは・・あたしも、命をかけて・・こんなこと、

やってんだよ」

アマロに憎まれたくない自分の本音に

ジニーはもう一度笑った。

「あたしも・・まだ、かわいいところが、あるじゃない」

笑った顔がひきつり、

喉の奥に湧き上がってくるアマロへの侘び言をこらえるため・・

ジニーは自分に言い聞かせる。

「あんたは・・いいじゃない。

どんなにリカルドによごされようと、

それでも、

それでも、

あんたには、ロァがいるじゃない・・・」

だから・・そのロァを悲しい淵にたたせちゃいけないから、

殺すほど、アマロを憎む悲しみを貫かせちゃいけないから

「いいから・・だまっておいで・・

こんなことは、なんでもないことさ・・。

そうさ・・・なんでもない・・・」

そう念じ続けて、あたしも他の女もいきぬいてきてるんだ。

「あんただって、

できないわけないことだろ?」

膝の中に伏せた顔があがるまで、

ジニーは涙をしぼりつくすんだ。

そして・・顔をあげるのは・・・悪魔のジニー・・・。

「それで・・

あのこが助かるなら・・・それでいい」


錨を下ろした船は凪のままにただよう。

この前から、このあたりから船を動かさないのは

シュタルトの船とコンタクトする場所だからだろう。

シュタルトの船が隣接したら、

男達はおおいそがしになる。

分捕ったお宝をシュタルトの船に移すと

それらは

金にかわり、食物にかわり、衣類にかわる・・。

板一枚をわたして、シュタルトの船と自船を往復する作業は

単調で単純だが、労力と多大な時間を費やし

シュタルトの船が離れる頃には

男達はボロ布のようにくたくたになる。

だから・・

いっそう、今、

男達はしばしの休息をむさぼる。

そんな男達に混ざって

やっぱり、船底の晩餐会にやってきたリカルドに

ジニーは約束の実行をつきつけた。

「なんだよ・・いきなり、ご挨拶じゃないか・・」

リカルドの条件を飲む前に

あの娘の進退をはっきりさせなきゃならない。

「わかった。

おい!そこのおまえら!!」

娘を取り巻いていた男達がリカルドを注視した。

「兄貴?なんすか?」

いいところを邪魔されたくは無いが・・

二番頭といってもいいリカルドを無視することは出来ない。

ましてや、

この場所にロァが下りてくることがないのだから、

この場所では、リカルドが頭領みたいなものである。

「せっかくのところ・・すまないがな・・

その女・・・俺の部屋に連れて行ってくれ」

言われた男達はリカルドの発した言葉の意味を理解するための

沈黙にとらわれていた。

ややすると・・

「と、いう事は?」

この娘がリカルドの専属になる?

いや?

それよりも・・・。

リカルド兄貴がオンリーも持つ?

慌てたのは娘をなぶっていた男だ。

「うぇ?」

奇声を発するとあわてて、娘から身体を離した。

憐れにうろたえた男さながら陽物もうろたえ

すまなげにうなだれた物以上に

男はリカルドの怒りに触れてしまっているに自分におののいていた。

慌てて娘の着衣をととのえ、

「じゃ・・あねさん・・いきましょうか」

と、従順な僕になりさがると、

やがて、娘の姿が船底の扉から外にきえていった。

「ジニーさんよ・・これでいいんだな?

俺は約束は護ったぜ。

あとは・・・おまえさんの番だ」

もう・・うしろには下がれない。

つけられた覚悟にならい

ジニーが手はずを話そうとすると・・。

リカルドはこらえきれないとばかりに

笑い出した。

「俺が・・条件をのまないとおもったのかい?

あの娘が俺の部屋にあがるようになったら・・・

俺の部屋は使えない。

そうすりゃ、ロァの女を呼び出す場所が無くなって、

交換条件はうやむやになるって、ふんだかい?

だけどな、

他に鍵のかかる個室はあるんだよ」

ふ・・・。

そんなことで、うやむやにするような玉じゃないだろう?

狙った獲物を手に入れるまで、蛇のようにしつこい。

そして、どんな汚い手段でも平気。

あんたのずるい性分なんか、よく判ってるよ。

唾をはきかけて、そう、詰ってやりたいジニーだったが

じっと、堪えた。

堪えなけりゃ、オンリーの約束を反古にされる。

その不安が、ジニーを堪えさせた。

とにかく、今、あの娘を護る。それが先だった。

「そう?

それじゃ・・・そこにアマロをつれてゆけばいいってことだね。

で?

肝心の『そこ』って・・・どこなんだい?」

「第3倉庫・・」

お宝目一杯つめこんだ、第3倉庫は確かに鍵がかかる。

だけど・・・。

「鍵はロァのキャビン・・の中。

どうやって・・・」

ふと笑った顔がやけに楽しそうだった。

「ロァは俺に品物の采配をまかしているんだぜ・・」

シュタルトの船とのコンタクトが近い。

リカルドが3番倉庫の宝物を点検しなおしても

ひとつも不思議じゃないってことになる。


操舵室うしろのロァのキャビンをのぞきこむと、

ロァは相変わらず海図を広げている。

「またかい?」

声をかけたリカルドにわずかな一瞥をくれると

「ああ」

と、言葉少なく、腕を組む。

何を考えているのか判らないが海図が途切れてしまうあたりを

デスクの上においているから、

地中海にまわりこむつもりなのかもしれない。

アトランティスの財宝でも探す気か?

けれどリカルドの興味はロァにそってゆこうとしない。

なぜならば、

どこに眠るか判らない財宝よりももっといいものがある。

それが、もうすこしあとにリカルドの手中のものとなる。

今も、ロァはアマロを片時も手離さず、

操舵室キャビンにまで、連れ込んでいる。

ロァの傍らに立つヴィナースに目を奪われながら

リカルドは第3倉庫の鍵に手を伸ばした。

『ご執心なことで・・・』

リカルドに手中の宝玉を奪われることも知らず、

その宝玉がリカルドに染められたことも知らず

ロァだけのものと思い込んで・・この先を過ごす。

『ざまあ見ろ』

この先を見越したリカルドの胸に沸いてくるのは、

優越感であろうが、

それは、ロァに対し卑屈に歪んだ劣等感がうみだしたものに

ほかならない。

リカルドのプライドは敗北感に鬱屈し、

地位も名誉も見た目も統率力も体形も・・・

いっさい関与しない性技においてでしか、

ロァより秀でた自分を確認しうることができなくなっていた。

それは、ひそかな部分であるだけに、

いっそう、隠避にのがれ・・、

そう、まるで、氷山が水面下の大きさを自覚すると同じ。

と、リカルドは思い込んでいた。

それが、もう、少し。

俺の男としての技量がロァより上手だと明かしてくれるのが

アマロ。

その証明におおいなる満足で微笑むのも、あと・・少し。

第3倉庫の鍵を手の中に収めると

リカルドはさりげなくロァに確かめる。

「そのあとは・・・また、マストにのぼるのかい?」

海図を睨んだあとのロァがマストに登るのも、ここ最近の習慣である。

「ああ」

またも、海図を覗き込んだまま短く答えたロァに

バイと手を振り、ちらりとアマロをかすめみると、

リカルドはキャビンを後にした。


かすめみたアマロの横顔がこれからの情事に重なり

リカルドの胸の呼吸までも、大きくなる。

ぐっと、そりかえり甘い鼓動を欲しがるものを

鍵を持たぬ手でズボンの上からさすりあげ、なだめるのさえ

胸が弾む所作である。

『待ってろよ。もうすこししたら、たっぷり・・』

想像以上の期待にリカルドは溜め息を溶け込ませる。

『つくづく・・・いい女・・だよ』

そのいい女がが、もう少しで

俺のこいつで、我を忘れ喘ぐ。

第3倉庫でヴィーナスの来室を待つ間も

アマロへの挑発的な恣意をどう開いてゆくか、

艶やかな手順を練る楽しい時間になる。

チャリと金属音がベルトの金具に鳴った。

鍵を握り締めなおすと

リカルドは船下に急いだ。


わざわざ、第3倉庫にあつらえた鍵により、

ロァの宝玉は掠め取られる。

まさか、その鍵がリカルドの懸想をかなえる『鍵』になるとは、

ロァもおもってもいなかっただろう。

扉をあけると、同じ鍵で内側から鍵をかけることが出来る。

つまり、一度中から鍵をかけたら、

外から、開けることは出来ない。

鍵は長いくせに胴は太い。

だから、鍵穴から、中を覗くことが出来るくらい、

鍵穴も大きい。

鍵穴に鍵をつっこんでおかないと、まずいだろうなと

用心深くリカルドは考える。

倉庫の中は暗く、壁にすえつけられたランプに火をいれる。

なおさら、鍵穴から明かりがもれ、

誰だって中を見たくなるだろうから。

点火の油くさい匂いをきにかけながら

リカルドは明かりに浮かび上がった略奪品を見渡した。

ぐるりと見渡した一点にリカルドの目が留まった。

繊細な彫刻飾りを施した机がある。

上品で柔らかな光沢のある木の机であるが、

側面板から、引き出しまで、薔薇の蔓が絡みつき

小薔薇がところどころ、蕾をたずさえてさいているという意匠である。

「ふ・・これがいい・・」

上品な顔立ちと物腰。

アマロに似合いの処刑台になる。

この机にアマロを突っ伏させて・・・。

リカルドの夢想・・・

いや、これから、実現する物事への想像は夢想とはいうまい。

予想、あるいは計画というべきだろう。

机につっぷさせて・・

アマロのスカートを背中までたくしあげれば

白く柔らかな尻がリカルドの目の前にうかびあがる。

俺はアマロのうしろに立ち・・ゆっくりと、ズボンをおろし

さらけ出した陽物でアマロの尻のわずか下あたりを触れる。

アマロが・・俺の物の侵入を待ち受ける状態になっていれば・・・

ぐいぐいと真珠球が埋め込まれた俺の物がアマロの中をすりあげる。

そうじゃなけりゃ、

アマロは俺を罵倒するだろうな・・。

あの可愛らしい唇からどんな言葉が吐き出されようとも

結局は俺の物に貫かれる結果はかわりはしないが

やはり、騒がれるのは面倒。

さるぐつわでもかませて

机の上に突っ伏させればまるで、馬・・。

馬の尻を叩く鞭に

馬が服従するように

アマロも俺の鞭に服従する・・。

真珠球のごつっとした感触がロァでは得られぬ感覚を与え

アマロは・・恍惚の声をくつわの中でもらす。

アマロの服従が確立したら、アマロの身体をあおむけ

アマロの喜悶の表情を楽しみながら腰をゆすぶりつづけてやるさ。


リカルドの計画のひとつが決まる頃、

ジニーは船蔵にやってきたサンバーンの姿で

ロァがマストに上がったと知る。

交代でマストに登るはずだった、カーリーも休憩をもらえたようで、

マストに上がったついでに

ロァはしばらく見張りをするつもりのようだ。

リカルドに告げられたとおりのロァの行動が約束の合図。

「サンバーン。すまないけどさ、アマロに

ジニーがいますぐ会いたいといってると

つたえにいってくれないかねえ?」

「かまわないけど・・・」

じゃあ、ジニーさんには俺の相手はしてもらえそうもないのかと

サンバーンは不満を隠す気も無い。

「あとで、たっぷり、かわいがってあげるからさ・・

頼むよ」

ジニーにそこまで言わせればサンバーンの機嫌も直る。

「いいさ・・。でも、約束だぜ・・」

サンバーンに優先権をまもってくれなきゃなと

サンバーンはジニーにすりよった。

擦り寄ったサンバーンの股間に手を伸ばし

膨張した部分を撫でさすり、ぎゅっと握ると

「こんなになってるのを、あとまわしにしやしないよ」

あばずれた科白であるのに、ジニーがいうと

ひどく優しく聞こえるのが不思議だと想う。

サンバーンは、せつない渇望を抱いたままだったが

まずは、アマロ姐さんのところにいってやるかと

ほんのすこし、

優しい男をきどれる自分に酔った。


マストまで追っかけていけないと、溜め息をついて

アマロはロァの部屋に戻り

紅茶を立てた。

大事に保管されていた紅茶の高い香りが

部屋の中にみちていく。

ケジントンの休日、昼下がりに立てた紅茶は

庭先のチェアで楽しんだ。

やわらかい風が紅茶の湯気をゆらし・・

子供達がテーブルのスコーンを食べによってくると、

ケジントンはアマロに目配せをする。

ミルクを温めておやりと。

過ぎ去った日々が胸の中に沸いてきたのは

この暖かな日よりのせい。

もう、帰ることのない暮らしへの憧憬はせつない痛みを

連れてくるけれど

もう、元のアマロには戻れない。

アマロの胸に巣食った悪党への恋慕があまりにも、めくるめくから・・。

紅茶のカップを片手にアマロはロァの姿をさがしに、

ドアの外に出た。

どうせ、小1時間はマストにのぼったきり・・。

遠くから焦がれる人を見つめる少女のように

アマロも自分の恋を眺めてみたかった。

なのに、ドアを開けた途端、

サンバーンの声が響いた。

他の人よりよっぽど日焼けしているからサンバーンだと

きいた時から直ぐにその名前を覚えた。

「アマロ姐さん・・・」

サンバーンが首をかしげたのはアマロがテイーカップをもってるせい。

「ああ?これ・・、ゆっくりアホウドリを観察しようと思って・・」

アマロの言うアホウドリがマストの先に止まったロァのことだとすぐわかるから、サンバーンは吹き出した。

「なるほど、マストの先にじっとしてくれてるから、観察しやすい・・。

だけど、チョット、観察日誌はつけられそうにないですよ」

「あら?なぜ?」

アマロはサンバーンのなぞかけにのってみせると、はたして・・・

「ジニーさんが・・」

ジニーがアマロをよびつけられるだけのことはある、

アマロはジニーのことをなぜかしらぬが、とても気に掛けている。

サンバーンが最後まで言わないうちに、やはり、

アマロは不安そうに尋ね返してきた。

「ジニー?なにかあったの?」

「いや・・心配なさらなくても、いいすよ。

何も、無い・・と想います」

妙な返答でサンバーンが言いたいことは、

見た目のジニーには、何ら変化は見当たらないという事だろう。

「じゃあ?」

サンバーンには、せかすアマロが不思議で仕方が無い。

ジニーは、おおらかというか、こだわりの無い人だから、

アマロの事を許したんだろうと、ジニーを知ってるサンバーンだから

わからなくもない。

だけど・・。

アマロ姐さんにすれば、ジニーはロァの元の女。

憎みこそすれ、

仲の良いふりすらしなくてもかまわないわけだろうに、

なんだか、ひどく、ジニーをきにいってるような・・・?

「なんか・・・話したいことがあるようなそぶりでしたよ。

ジニーさん・・勝手に外にでられないから・・

呼んできてくれって俺に・・」

そう・・。この前はロァの許しがあったから、

ジニーは甲板まで上がってこれたけど、普段は船底から出ることさえ儘ならないんだ。

「うん・・わかった」

子供みたいな返事がやけににあっているのは、

この人の中に童心があるせいだろうとサンバーンが思っていると

アマロはロァに向かった。

「ロァーーーー」

アマロの声にロァがマストの下を眺めた。

「ジニーにあってくるわーーー」

ロァの右手が高く掲げられたから、了承って事になる。

ジニーは許可を得なければ、どこに行くことも出来ない。

アマロは心配させないためにロァに自分の居所を知らせる。

雲泥の差をもつふたりの女があって、話すことって何だろうと

サンバーンの好奇心が動きかけるが

野次馬根性・・はみっともないと、考え直し

持ち上がってくる好奇心を押し込めた。

「じゃ、いきますか」

アマロを案内するつもりか、

さきにたって、ジニーを船底から、ドアの前まで

呼び出してくるつもりか、

何れにせよ、同道を決め込んだサンバーンが

はすかいにアマロを盗み見れば見るほど

親方・ロァがジニーより

コッチを選んだのが、なぜか、わかる気がしていた。

手折った華があまりに可憐で清楚でいじらしければ、

誰でも、自分の手元において、

日がな、ながめていたいものだろう。


これから決行する恐ろしい謀がジニーをうつむかせ、

船底の1室の入口ちかくで、ジニーは

やがてやってくるアマロとサンバーンを待った。

『これ以上・・考えてはいけない。

考えれば・・おろかな悪魔が天国へはいあがろうと

たった、ひとつの逃げ道・・。

「死」を選びたくなる。

だけど・・死にたくはない。

アマロの苦しみとあの娘の窮地。

命を抱いた娘を救うほうが今は急ぐ。

悪魔らしくない「お救い」なんか、

考えるから、結局、生贄がいる。

でも、それも、考えてみれば

悪魔らしいかもしれない。

本当は・・アマロを不幸に落とし込むための手段。

ジニーさんの根性は悪魔以下におちて・・。

似合いに似合いすぎて・・

駄目だ・・。かんがえちゃいけない。

はやく・・

サンバーン・・・

早く、アマロをつれてきて・・。

終っちまえば・・・終っちまえば・・・』

リカルドの条件を叶えれば、

それで、なにもかも上手くいくわけじゃない。

だけど、シュタルトの船をやり過ごす方法が

みつけられない。

一縷の希望というに、あまりにも、手酷い裏ぎりを

心に決しながら

それでも、まだ、ジニーはもがく。

もがくジニーの心の声を途切れさせたのは

サンバーンだった。

「ジニーさんよお・・居るかい?」

船底の入り口に顔を出したサンバーンは

部屋の中のうす暗さに目を凝らしながら

ジニーを捜しながら、ジニーを呼んだ。

「サンバーン・・ここにいるよ」

存外サンバーンの近くでジニーの声が聞こえた。

「ああ・・アマロ姐さんを・・つれてきた・・ぜ」

だけど、ジニーは船底の入口から外にでてこようにも、でてこれない。

サンバーンはアマロをふりむいた。

「アマロ姐さん・・」

ジニーの話がここで、すむものなのか?

自分が傍からはなれたほうがいいのか・・。

サンバーンははかりかねたが、

サンバーンが考えるまでも無い。

アマロはジニーの手を引っ張っていた。

アマロにひかれ、部屋の外に出たジニーだけど、

その胸にはいっそう鋭い痛みが走る。

「ジニー?どうしたの?」

アマロの心配する声があまりにも優しすぎた。

「・・あ・・あの・・」

ちらりとサンバーンを見たジニーにアマロは察する。

『シュタルト・・の船・・のこと?』

シュタルトの船に乗る・・乗らない・・

こんなことが勝手に女達の意志で決められる。

たった一つの例外でしかないにしろ、

ロァの手下に漏れ聞こえるのもよくない。

ましてや、もれ聞こえた情報が

うっかり、他の女達の耳に入れば・・。

残る・残れないを選ぶことさえ出来ない女達の耳に入れば・・。

アマロが思い合わせた事に符合するかのように

ジニーから、告げられた。

「アマロ・・2人きりで・・はなせないかねえ?」

「そうね・・」

サンバーンの迷いにも決着が付くと、

サンバーンは2人の傍らを離れるべく部屋の中に入っていった。

サンバーンの配慮に2人は顔をみあわせた。

「やさしい男だよ・・」

ジニーの言葉は

だから、此処に残ったほうがいい・・とも

だけど、シュタルトの船に移るとも・・聞こえ

アマロはジニーを見つめなおした。

「ちょっと・・みせたいものがあるんだ・・

そこで・・話をきいてくれるかい?」

「見せたいもの?」

新参者のアマロにとって、判らないことはまだまだ多い。

ジニーの見せたいものが何であるか、

それがジニーの話にどう関わるのか

皆目見当が付かず

アマロは頷いた。

「そのまま・・向こうの端まであるいていって・・

そこの突き当たりにハシゴがあるから、のぼっておくれ・・」

アマロがいった事のない場所。

あるいはそこはいつか、

ロァがアマロの荷物を探し出した場所なのかもしれない。

その場所さえ・・自分は知らないんだと思いなおしながら

アマロはジニーの言葉にしたがった。


後ろを付いてきたジニーの言うとおりに

梯子を上がりきったアマロの足元からむこうに向かい細長い通路が伸びていた。

一番奥がジニーたちのいる船底の上層にあたるのだろう。

「一番、奥の部屋に甲板から荷物を下ろせる天窓のような扉があるんだよ」

甲板からその部屋に分捕った品物をおろすと、

「どういう風に区分けするのか、わからないけど、

今度は手前の部屋に品物をわけるんだけどね・・」

梯子を昇りきったジニーが今度はアマロの先にたった。

通路には甲板からの明かり取りの窓の隙間からの光がわずかに入り込んでいる。

「あの窓を開け放てばここも十分に明るいんだけどね」

ジニーの居る船底には煙突のような灯り取りの穴があり、

雨の日以外は船の底の女達は差し込む明かりで、

時のうつろいを量った。

量ったところで、どうにもならないけど・・・。

人一人が通れる明り取りの筒ぬけは甲板の上まで伸びていて

それが船の艫の左右に四角い煙突の形につきだしている。

その筒抜けを登って・・・外に出てみたところで

どうせ、海の上・・。

脱出口にもなりえない筒ぬけなのに、筒の上には頑丈な檻が

はめこまれ、その上に雨よけの扉がかぶさる。

雨が落ちてきて、船底の女達がハンドルを廻し

雨よけの扉をしめきると、あたりは一層暗くなり

心底、囚われ人の憂鬱を思い知らされ、

ジニーは雨の日が一番嫌いだった。

「ここ・・・」

ジニーが足を止めた部屋の前。

鍵穴からわずかに灯りがもれている。

アマロはもっと、注意深くあるべきだった。

もっと、疑うべきだった。

「ここ・・?」

ここに見せたいものがある?

「そう・・」

いうが、早くジニーは扉をあけ、先に部屋の中に入り込むと

アマロを引っ張った。

ランプに灯りの入った部屋の中には豪奢な調度品が整然と並んでいた。

だが、アマロはどっしりと並ぶ大理石のテーブルや

ロココ調の家具のかもす重厚な荘厳さよりも、

やっと・・・そう、やっと、

なぜ?この部屋の中に明かりがともっているのか?

が、気になった。

誰かが、先にきて、灯りをともし、この部屋に

ジニーとアマロを招じいれる準備を整えていたという事になる。

ジニーはアマロに見せたいものがあるといっていたが、

それを見せるために誰かがジニーの指図にのった?

だけど・・。

それは、サンバーンでもカーリーでもない。

だいいち、こんな豪奢なものを保管してある場所に

下っ端が自由に出入りできて、なおかつ、

虜囚でしかないジニーの指図に乗ったとなれば、

ロァの怒りにふれるだけ・・。

だけど、

あくまでも、ジニーに何らかの事情があると思いこんでいるアマロは

この部屋にあかりをともした人間がだれかであるかを、詮議するのは、

ジニーの話をきいてからにしようと考えていた。

「ジニー?見せたいものって?それはジニー・・の?」

見せたいものがジニーにどんな混迷をあたえているのか?

見てみれば、すぐに察しのつくものでしかないのかもしれない。

ジニーが具体的なことを、話そうとしないのは

見せたいものを、見たほうが

すべてを語っているということかもしれない。

「ジニー?」

ジニーを振り向いたアマロにジニーは部屋の奥を指さして見せた。

そこに、何があるというんだろう?

居並ぶ、略奪品の隙間をぬって、

おそる、おそる、部屋の奥まで歩をすすめ、

アマロはもう一度、ジニーに確かめようとジニーを振り返った。

恐ろしく引き詰まったジニーの顔がアマロの目の中に飛び込んできた。

ジニーのうしろに、リカルドが扉の鍵をしめる姿が重なり

重たい鍵の音がアマロの耳に届いた時には、

リカルドはアマロの傍らにすべるようにすりよってきていた。

「ジニー?・・どういうこと?」

たずねなくても、ジニーの顔色が全てを教えてくれている。

そして、リカルドも・・・。


リカルドはアマロの細い手首をねじ上げ、

アマロの両手を後ろに廻し、麻ひもで縛り上げた。

リカルドの魂胆は目に明らかだけど・・・。

「ジニー?なんで?なんで?・・」

何故、ジニーがリカルドの手引きをする?

何故?

何故?

何故?


リカルドはポケットの中から、紺色のバンダナを

ひっぱりだしながら、アマロを見据える。

「幼稚な女みたいにさわがないのは、

さすがにアマロ姐さん。

だけど・・これは別の意味で必要なんでね・・」

リカルドの言う別の意味がなにを意味するか、

リカルドの自信は、女に声をもらさずにおかさぬ己だといってみせ、

これから、どんなことがアマロの身に起きるかを宣言していた。

猿轡などという、屈辱を与えることさえ

すでにアマロを屈服させる手段になると熟知している男は

荒々しく、アマロの口元にバンダナをこよりつけると

扉の近くに立ち尽くしたままのジニーにふんと鼻でわらいつけた。

「さて、ジニーさん・・どうするかね?

おまえさんから、ロァを奪った女がどれほどのものか

その目にたっぷり、おがませてやろうか?

それとも、ドアの外にでて、ちょいと、見張りをしていただこうか?」

リカルドの言葉をきいているアマロには

ジニーがアマロへの報復のためにリカルドにアマロを投げ渡した、

と、きこえているだろう。

違うと言い訳したい絶叫が喉からこみあげてきそうになるのを

こらえるのが、精一杯のジニーの瞳から

言い訳の代わりの涙が溢れかえっていた。

「ジニーさんも、アマロ姐さんもこのままじゃあ、

俺を悪党とおもうだけだよなあ・・・」

含み隠した笑いを口の中で転がしながらリカルドは

アマロを薔薇の彫り物の机まで、引っ張り歩かせると

机の天板にアマロの身体をつっぷさせた。

アマロのスカートをそろそろとたくしあげ

アマロの白い太腿があらわになると

リカルドはひどくやわらかくアマロの太腿を撫で始めた。

「なあ?ジニー・・・

そこから、みてても、実に綺麗だろ?

女ながらほれぼれするだろう?

ロァが夢中になるはずさ・・・」

この男は・・・ロァを裏切る事さえ怖くない。

今を・・のがしても、

きっと、この男はアマロを手に入れる。

ジニーとアマロの胸によぎった予感はまさに事実。

「俺は・・あんたをあの船で一目見た時から・・

気に入っていたよ。なのに・・・・。

まさか、ロァがジニーをおいだしてまで

アンタをオンリーにすえると、おもってもいなかったよ。

だけどな、ロァの物になったからって、

俺はアンタを諦め切れなかった。

俺はじっとチャンスを待っていた。

ただ、ただ、待っていたんだ」

そのチャンスをジニーが作った?とでもいうつもり?

馬鹿な言い分もいい加減にしてよ。

チャンスというものは、偶然が生み出すきっかけでしかない。

こんな謀のどこが、チャンスだといえよう。

できるものなら、バンダナを噛み切って

いっそ、リカルドの喉笛にくらいついてやりたいアマロなのに、

こよられたバンダナがアマロの口をしめつけ、

アマロは言葉にならない声で「違う」と、うめくしかなかった。

「チャンスっていうのは・・むこうからころがってくるものでな・・。

ジニーさんがよお、

妙な仏心をだしやがって・・」

あるいは、ジニーにとっては、ジニーの釈明につながる事実に

リカルドが触れ始めると

ジニーはリカルドをとどめようとした。

「リカルド・・・余計な事をしゃべるんじゃないよ」

途端にリカルドの声が荒く、ジニーをねめつけた。

「おい、おい・・・・

ジニー・・おまえ、何様のつもりだよ?」

男と女の痴情を戯れあった馴れ合いが

ジニーを高飛車にさせているとしか思えない。

「俺は・・シュタルトの船にあの女を売り払っても構わないんだぜ?」

それを弱みにさせたのは、他ならぬジニーでしかない。

劣勢をこうむらぬためにジニーはあえて、いいかえした。


「どうぞ・・、そうすればいいわ。


でも、そうなれば、あたしは、アンタがしでかしたことをロァに告げるよ。

アンタ・・どうなってもしらないよ・・」

その時、実に楽しげにリカルドがわらいだした。

「俺の目ン玉は節穴だとおもってるのかい?

お前が妙な仏心をだしたのは、

あの女が孕んでるからじゃないか。

あの女を俺のオンリーにさせといて、シュタルトの船をやり過ごす。

こういう手はずだったんだろう?

涙が出るような優しいジニーさんの御心をくんで、

俺は交換条件を出したんだぜ。

俺だって、なにが悲しくて、他の男の子供を孕んでる女を

オンリーにしてやらなきゃならない?

それもこれも、全部お前のためじゃないか?

おまえはそういう状況を俺に隠し、

俺を利用しようとしたじゃないか?

なのに、俺はそのまま、黙っていたよ。

俺は、お前が心配しているとおり・・・

ロァが孕み女はさっさとシュタルトの船に売りつける、

ソレをさせまいとしたおまえの思いを汲んでやったわけだ。

だのに、

お前が、

とうのお前が、あの女をシュタルトの船にのせていいというなら、

俺はかまわないさ。

ただ、あの女・・・

三月?四月?

シュタルトの船にのせたら・・・間違いなく

お前がなんとかしてやろうとした子供の命はきえちまう。

だけど、俺なら・・・。

他の男の子だねだってことには口を拭って

シマに連れ帰って、子供を生み育てさせてやることもできる。

お前は俺が自分の子供だと思いこむ事も計算してたんじゃないか?」


リカルドは何もかも見抜いていた。

孕んでいるからこそ、あの娘を救おうとするジニーだと。

そのニュースをもたらしたのは当の娘だ。

あの娘が堪えようとした悪阻によって、

リカルドはなにもかもを察した。

そして、ジニーの懇願。

策略の歯止めを外す槌をリカルドは見逃さなかった。

それだけにすぎない。

だが、事実という弱みを見せ付けられたジニーに返す言葉はない。

むしろ、

「リカルド・・・そのとおりだよ・・・。

後生だから・・・あの娘をあんたの言ってくれるように、

島に・・」

娘の中に芽吹いた命がはぐくまれ、身ふたつになった後も引き離されることなく暮らしていける。

願ってもない提案は、ただ、ただ、アマロを手に入れたい

リカルドの交換条件。

その交換条件は今、まさに、かなえられようとしている。

ジニーには背中しか見えないアマロは、

今、どんな悲しい顔をしているだろうか?

だけど・・・。

『あんたも・・母親なんだろ?

だったら、だったら、わかるだろう?

芽吹いた命をなくすことに、比べれば

他の男に抱かれるなんて、たやすい事じゃないか・・。

どうせ、一度はロァという、別の男に抱かれた体じゃないか・・。

そして、ロァにあきられれば、いやでも、他の男の物を

のみこんでいかなきゃならないんだ。

運命がちょっと、さきに、約束手形をだした・・

それだけの事・・・』

それだけの事。

今、どんなに、アマロが苦しもうとも

あの娘の悲しい声を聞くよりはまし。

堪えられる。

堪えられる。

アマロのもがき声など・・、

あの娘にくらべれば・・。


船底で、油くさいぼろ布を口の中に押し込まれ、

あの娘は狂ったように叫んだ。

それは、並み居る男たちの暴行で

子供が流れてしまうかもしれない恐怖のせいだったんだ。

すくなくとも、

アマロ・・あんたは、そんな恐怖なんかあじわいはしない。

あの娘は・・よく・・狂いもせず・・

堪えきった。

命を護ろうと堪えきったあの娘だから、

アマロ・・・

あたしは、あんたをふみつけにしてでも

あの娘を護る。


ジニーが一言懇願を伝えた跡、黙りこんだのは、

すなわち、リカルドの協力者になると肯定した意になる。

ならば、と、ズボンのベルト紐をはずしながら、リカルドは

ジニーにたずねた。

「ジニーさん?どうなさる?

お前からロァを奪った女が、他の男のもので、

あえぐのをみておくかね?

およばずながら・・・、このリカルド、

ジニーさんの味もよく判ってる。

ジニーさんの敗因をとくとこの身であじわって、

ジニーさんのおめにかけてさしあげましようか」

妙に慇懃な物言いで、

ゆえに一層不快な皮肉と侮蔑をたっぷり浴びせかけられても

ジニーはその場所を動こうとしなかった。

この場から逃げない。

リカルドにアマロを投げ出して、うしろも見ず逃げる。

それだけはしない。

自分がおとしこんだアマロの苦しみから、

目を耳をそむけない。

それがせめても、ジニーに出来る唯一の謝罪と申し開き。

「なるほど・・・」

動こうとしないジニーの真意など判るわけもなく

リカルドは

ジニーの報復と考えた。

アマロが・・リカルドに喘いだ時・・

ジニーは嘲笑を浴びせかけるのだろう、と。

「この・・淫売・・・色狂い」と・・・・。


ユックリとズボンをおろしおえたリカルドは

アマロのシルクのチュチュをむしりとっていった。

絹よりもやわらかい肌にふれる手が

アマロのひそかな部分に達するとリカルドが小さな歓声をあげた。

「頭じゃ嫌だ、嫌だと言っていてもな、

男を知った女の体はな、女でしかないって・・言ってやがるぜ」


リカルドの歓声に轡の中で舌をひきつらせるしかないアマロだが、


アマロの恥辱はジニーを疎む。


リカルドの話し振りで


ジニーが船底の娘を庇うためには、


アマロをリカルドに渡すことが条件だったとアマロにも理解はできた。


リカルドの冗舌を聞きながら、


その時までは、アマロは違った意味でジニーを責めていた。


『何故、事情を話してくれなかった』


と。


だが、


今、リカルドの手がアマロの腿の深い場所に伸ばされた時、


おぞましさに身がすくんだ。


身がすくんだくせに、男を待ち受けているアマロの反応を


あからさまにあざ笑われて


初めて、ジニーがアマロに最初から何も話さなかったわけが判った。


はじめから、何もかも・・承知の上だったら・・・、


リカルドにあざ笑われたことは、アマロにとっては、


ロァを裏切ることと同じ意味になる。


リカルドに抱かれると覚悟した上で、アマロの体がかくのごとき反応を見せたら


それは、アマロ自ら、リカルドを望む・・ことになる。


それは、間違いなくロァを裏切っている。


だから、


アマロには何も知らせずにおくことで、


ロァをうらぎったわけじゃないアマロにしてやろうという計らいだけが


せめて、


それがジニーのアマロへの友愛なんだと考えようとしているアマロの底から


吹き出してくるジニーへの焦燥は変質してゆく。


リカルドの一投により、


自尊心を砕かれ惨めで、無様なアマロの雌の姿を目撃するために


ジニーがそこに居る。


『殺してやる・・・許さない』


アマロを無様な淫婦におとしこんでゆくのは、リカルドであるはずなのに


人目にさらされたくない秘密を知る人間が


ロァの元の女であるばかりに、


アマロの自尊心は芥の中に沈み、


轡が無ければ、


「でてゆけ」


と、叫びたいくらいだが、


それさえ、リカルドとの情痴に溺れた女の哀願のようで・・・。


知らぬ顔をして、


塵のように、ジニーなど、知らぬ顔をして・・。


間違ってもロァに抱かれる時のような醜態はありえないと


高を括ったアマロだったから、


リカルドのやり口の卑劣さへの憤りよりも


ジニーへの憎しみで狂いそうだった。


このまま、惨めさに狂ってしまいそうなアマロなのに


神の試練?


アマロはさらに鞭打たれる。


リカルドという・・男の鞭で・・・。


リカルドの腕がアマロの腰をつかんだその刹那

アマロのその場所は異様な感触につつまれた。

リカルドが局部に埋め込んだ真珠球がアマロの肉をおしひらいてゆく。

ゆっくりと、リカルドは特殊な形態をアマロになじませる。

こつっとしたふくらみがアマロの肉をすべってゆく。

肉の感触の変化をリカルドは確かめながら

反復をくりかえすと、

やがて、

「ここか・・」

アマロのポイントを悟った。

硬い小粒ははじめアマロに小さな痛みを与えていたはずだった

だが、

リカルドの静かな反復侵入により、

疼痛は可逆的な快楽をうみはじめていた。

アマロの意志に反しアマロの身体が快楽の点を認識すると

リカルドの反復を欲深く追従しはじめた。

「よく・・・しまりやがる・・」

リカルドに感嘆の声を上げさせたアマロの場所は

確かにリカルドの持ち物を小気味よくひきしぼらざるをえない快感に翻弄され

アマロの意識は

交接の極みにおぼれていった。

漏らすはずがないと、たかを括った嗚咽が轡の中に充ち

ジニーの存在をかすかに意識するが

それさえ、朦朧のなかに埋め隠され

アマロは高揚の霧の中、

迷い児のように頂点という出口を求める陰獣に成り下がった。


リカルドがアマロを離したのは、

アマロの醜態により

この関係がこの先も保証されると確信したせいもある。

あくめを味あわされたアマロではないといいつくろえるのは、

ジニーに対してだけでしかない。

外見をいくらとりつくろってみても

口でどんなにごまかし

いいわけをしてみても

リカルド自身の局部に応え見せられたアマロの登頂の印は鮮やかすぎる。

アマロのその場所がぐいぐいとリカルドの肉ははみ、

リズミカルな伸縮が繰り返され

アマロの轡の中は降伏の音色に充ちていた。

だが、

アマロの精神は肉体の暴走をうとむ。

寄せた甲高い波がひき、

己の醜態を自覚する覚醒は哀れである。

アマロの屈辱は肉体を操った男より、

無様な醜態を目撃しつくしたジニーに向けられる。

いびつな感情としかいえないが

いっぽうで、無理もないと思える。

陵辱の恥さらしを高みの見物。

その見物人が

獣の檻にアマロを叩きこんだ張本人なのだから。

はめられた。

落とし込まれた。

自分が無様であればあるほど、

無様を露呈させたジニーが憎くなる。


そんなアマロの葛藤を知ってか知らずか、

リカルドはアマロを宥めはじめた。

「ロァ・・を裏切っちまったって気にする必要はいっさいないぜ。

ロァだって・・裏切り者さ」

いぶかしい顔をしたアマロを斜め上から見つめたまま

優しいリカルドはなぞときをはじめる。

「ロァ・・はしゃべってないだろう?

島に帰れば、ロァには、女房子供がいる・・」

喋ることが出来ない轡の中の喉の奥がそれでも絶句だと言う。

「だから、おまえも気にすることはないさ・・」

ロァに女房?

ロァに子供?

それを聞かなかったのはアマロであり、

ロァが話さなかったとは言いがたい。

アマロだって、夫がおり、子供が居る。

それは・・今や、居たという過去形になっているかもしれない。

それでも、

アマロも自分から話はしなかった。

ロァへの感情が特別なものになってから

いっそう、喋る気にならなかった事を考えれば

ロァもまた、アマロ同様、他の人の事はあえて喋りたくなかったのかもしれない。

と、考えてはみるものの

アマロの胸にしこりが膨らみ始め

それはかぼそい声でなにか、つぶやいていたが、

だんだんと声が荒くなり

アマロの耳に大きく聞こえた。

―裏切られた―

そうじゃない。

自分が勝手にロァが独身だと思いこんだだけで、

ましてや、

ロァは海賊。

船の中の虜囚でしかない女が「たった一人の本当の女」になりえると

思うほうがあほう。

女房、子度がいると考え付かなかったほうが抜けている。

まぬけだっただけ。

そういいきかせるのに、アマロの底からつきあげてくるこの痛み

―裏切られた―

これはなに?


今・・リカルドに応えた自分がロァを裏切ったと認めるなら

ロァもまた、アマロを裏切っていると認めざるをえない

リカルドのささやき・・。

「上手に裏切る・・これが長続きの秘訣さ」

それは、ロァが上手に女房をうらぎってきているから、

夫婦が長くつづいているということなのか?

それとも、アマロがロァを上手に裏切って

リカルドとの逢瀬を長くつづけさせろという意味か?

「いずれにせよ・・また・・ちかいうちに」

密会の機会を作るとにやりと笑うとリカルドはうずくまったままのジニーを振り返った。


今度もまた、ジニーをだしにして、アマロを誘い出す。

リカルドの暗黙の要請にジニーはうなづくしか出来ない。

それで、あの娘が助けられるんだ。

リカルドにすれば、密会への当然の援護でしかない。

ジニーにとっても、それが、あの娘を救い出せる確約でしかない。

だから、うなづくしかない。


だが、それは、目の前で契約を交わされるアマロに、いっそう、深い憎悪を植えつけさせる役にたつばかりだった。


「あまり・・遅くなると・・」

やっと、ジニーがアマロを開放させる糸口をきりだした。

「そうだな・・」

ロァも大事な子猫をさがしはじめるかもしれない。

そうでなくとも、この俺さまをさがす頃。

この先の航路をきめていくに、

このリカルドの海図の知識はロァの宝物に等しい。

シュタルトとの取引をおえたら、どこにいくのか・・。

ロァめ・・・なにをたくらむやら・・。

海賊暮らしでも、十分、ほしいものは手に入れられる。

なのに・・、ロァは・・・。


有り余る財宝と美貌の女と親方という地位。

島に帰れば、マリーンと子供。

なにひとつ、不足ないはずのロァがときおりみせる、不足気な顔。

そんなときは部屋に引きこもりしまう。

ふいに部屋をたずねれば、

決まって、海図を引っ張り出しているロァを見つける。


「リカルド・・」

瞑想から現実に引き戻すジニーの声で

リカルドはやっと、アマロを離した。

もちろん、その耳元に「俺の女」になったアマロを引き込んでおく事を忘れはしない。

「また・・こいつで、かわいがってやるさ」

アマロの手を己の股間のものにふれさせる。

とっくにはりつめた存在感がアマロの体にさきの高揚をよみがえらせると信じた男は

アマロの顔に浮かんだ苦渋さえ、

リカルドの手管に抗えなくなった女の悶えに見えた。


第3倉庫の扉をあけた、ジニーはアマロをみつめた。

さっき見せた狂態がうそであるかのように、冷めた美しい横顔がジニーの前をとおりすぎていき、ジニーはアマロの後を追った。

さも仲良く歓談でもしていたかのように、とりつくろうにも、アマロがうけた衝撃がいかほどのものか、ジニーの身に痛い。

「アマ・・ロ・・・」

いいわけにしかならない。

あの娘のために、仕方がなかった。

口の先にのせたい言葉を幾度も飲み込んでみたものの、ほかにかける言葉がみつからず、ジニーは立ち止まった。

「アマロ・・ごめん・・許して・・」

裏切り者が何をいまさら、詫びる言葉などあろうものか。

それでも・・・。

弱弱しいジニーの声が、アマロを立ち止まらせた。

ゆっくり、ふりむこうとする、アマロの肩が悲しみと怒りにふるえていないことを、ぼんやりとみつめながら、ジニーはアマロがなにか答えてくれる事を待った。

「ジニー・・かまわなくてよ。

あの娘のためだったんでしょ?」

意外なほどにやさしい口調がジニーの胸をしめつけ、ジニーは謝罪の言葉を捜し続けた。

深い後悔とうらはらに、まだ、リカルドとの関係をてびきしなければならない現実がジニーの胸から謝罪の言葉を拾わさせなかった。

「気にしなくてよくってよ。

また・・リカルドとの約束をはたさなきゃ、あの娘が困るんでしょ?

それに・・リカルドもそう悪くなかったし・・」

アマロの精一杯の傷隠しでしかない。

はすっぱな女のふりをしてみせることで、

リカルドの手管にあえいだ自分を正当化したかったのかもしれない。

いいわけをしたくにも、なにもかも、みつめたジニーでしかない。

ジニーをなじれば、ジニーとて口にこそすまいが、アマロの醜態をつく思いにかられよう。

アマロは自分でからめたわなに自分がはまり、自分で自分をせめているにすぎないが、なによりも、ジニーにといつめられたら、ぐうの音さえでない自分の弱みを握られたに等しい。

『いやだったって?アマロ?まさか、嘘でしょ?リカルドのものでずいぶん、恍惚としていたようですけど?』

こうでも、いわれたら、アマロの進退はない。

ロァにそれを話されでもしたら・・。

もう・・終わり。

ジニーは腐肉さえあさるハイエナのように、アマロの腐敗をたねにリカルドとの情交を押し付けてくる。

弱い体制をもてば、ジニーの思いのまま。


ついさっきまで、

自分をおびやかす存在が新しい女だけだと思い込んでいたアマロにだったが、今、まさに、ジニーはなによりも脅威になった。


邪魔で一番憎い相手になってしまった事をさとらせまいとアマロはせいぜい、優しくジニーに言葉をかけた。


その優しさが異様であると同じほど

アマロの胸中に異様な復讐の炎がもえあがっていたことに、ジニーはもとより、とうのアマロさえ気がついていなかった。


ジニーを船底への扉の前まで先導すると、

アマロはマストの先のあほう鳥をさがした。

ロァの姿はもうそこにはなく、ロァの部屋をめざし、アマロはゆっくり、歩み続けた。

時間を見計らって第3倉庫をぬけだしたリカルドがアマロの目の端にはいってきていた。

「ジニーと、楽しく話せたかね?」

なにごともなければ、いつものリカルドが吐くせりふにすぎない。

「もちろんよ。この船のなかには、あなたほど、つまらない相手などいないのよ。

ほかの誰と話しても、最高に楽しいにきまっていてよ」

精一杯の虚勢にしか、きこえないと誇示するために、リカルドは小さな声でさきのアマロの特別な声音をまねてみせた。

「話よりも、良いものが俺にはあると、お前が教えてくれたばかりなのに・・つれない返事じゃないか?」

笑い出しそうなリカルドの頬へぴしゃりと平手をはなつと、

「笑っていられるのも、今のうちよ」

と、リカルドへ宣戦布告を渡した。

「それは・・・つまり、ロァに俺との事を話そうという腹づもりだという意味かい?つまり、あんたが、船底にたどりつくか、シュタルトの所へいくかってことになる。それでも良いってか?」

「そうかもね。でも、ロァは私を船底に押し込んだら、あなたも海の底よ」

途端にリカルドがしれじれと笑い出した。

「あんたは、俺をみくびってる。

俺がロァにとって、どれだけ、必要な人間か。あんたと一緒にされちゃあ、たまんない。いいか?ロァにとって、女のかわりなど、いくらでもいるが、俺のかわりはいない」

「ほざいてればい・・」

たからかなリカルドの笑い声がアマロの語尾を消し去った。

「わざわざ、それを確かめて、船底におちたければ、それもいい。大手を振って、おまえをだきにいけるだけさ」

リカルドの減らず口にすぎないと思いながら、アマロの胸にかすかな不安がよぎっていた。


リカルドの高笑いがいっそう、アマロの憎悪に火をくべさせていた。

ロァの部屋に入るアマロの胸の芯にひとつの塊が現れ、それが、はっきりと色をなしていた。

『ジニーが一番もがく方法。

このアマロをおとしめてまで、守った者をぶち壊してやる以外ない。そして、リカルドを海の底に・・落とす方法・・』

戸口を空けロァをみつけたアマロの口から、考えてもいなかったはずの復習の筋書きが流暢に流れ始めていた。

「ロァ・・・。ジニーから聞いたの」

ロァはまた不思議な顔をしていた。

昔の女を憎みもせず、親しく話すアマロの感性が不可思議に思えた。

「なんだ・・?」

ジニーの性分は熟知している。

少なくともげびた嫉妬やねたみをアマロになげつける女じゃない。

だが・・。

アマロがジニーから聞いたことをロァ二わざわざつげる?

ほど、問題があると?

「リカルドのオンリーになった娘ははらんでたの。ジニーはその娘を助けたくてリカルドのオンリーにしたてあげるように、リカルドに頼んだのよ。

それだけなら、私もなにもいいはしないけど・・・」

と、もったいぶってみせておいて、

「リカルドがそんな娘をひきうけるかわりに、条件をだしたのよ。それが・・」

そう、ここで、くちごもる。

案の定ロァが乗ってくる。

「どうした?」

「それが・・」

「なんだ?いつものおまえらしくない」

アマロのきっぱりした性分をこよなく受け止めた男ならではのせりふがアマロの胸を甘くくすぐる。

「それが・・あの・・リカルドの条件は私・・を・って、ジニーが教えてくれたの。まさかと思ってたのに、さっき、リカルドがそばに来て・・言い寄ってきたから・・思い切りひっぱたいてやった」

一気にいいつのると、ロァの顔色を伺うアマロに成る。

「ふ~ん。リカルドらしい・・と、言えばそれまでだが・・それよりも・・」

ロァの腹が決まったとアマロは読んだ。

統制を乱す元である、はらみ女さえ除外すれば、統制は元にもどせるし、

アマロをつけまわすリカルドの要因もひとつ、消せる。

「結局、ジニーになきつかれたってことか?」

「え?」

船底の女同士。

はらみ女を救い出したいジニーがリカルドの条件を飲む。

そういうことかとさっしをつけたロァからの質問を予測していなかったアマロが答えにひるんだ。

「リカルドじゃなけりゃ、さめのえじきにしてやるところなんだが・・・。

問題はジニーと女だな・・」

『え?』

リカルドの予告どおり、ロァはこれくらいで、リカルドに制裁を加える気にはなれなかったようである。

『すべて・・を・・はなしても、同じ?

それどころか、リカルドの言うとおり、こっちが、船底?』

じとりと、背中に汗が伝う。

自分からぼろをださぬうちに、アマロはもうひとつの制裁の行方をロァに確かめてみたかった。

「ジニーをどうする気?

はらんだ娘は?」

「お前こそ、俺にどうしてほしいと、思っている?」

それもロァらしい。

わざわざ、そんな話をもちだしてきた、アマロに底があることを

とうのロァはちゃんとわかっている。

「おまえがのぞむとおり・・」

ロァはそうしてやると、いうが、

アマロは自分の口から、答えを吐き出す惨酷な女をロァに見せたくはなかった。


アマロの心の底を見切った男はただ、アマロへの忠誠をみせるふりをして、元凶をたちきることをきめていた。

二日後に現れたシュタルトの船に足場をかけると、采配を振るうリカルドの近くにロァはちかづいていった。

身をかがめ、小声でリカルドに指図を与えるロァの姿を目で追いながら、ロァの選んだ事実を見届けるだけのアマロに徹していた。

『リカルド・・おまえの小娘も・・』

ロァの指示にリカルドは従う以外ない。

「そして・・・おまえの片棒をかつぐおろかな女も・・・」

おろかな女・・それは、ジニーにほかならない。

黙りこくってロァの指示にしたがう以外法がない。

なぜなら・・。

「おまえもその船にのせちまっても、いいところだが・・」

リカルドの技能ゆえに、制裁はくわえないとロァが言う。

なにもかも、アマロがロァにばらしたわけでないらしい事だけが、今のリカルドの唯一の退路を作っていた。

「ロァ・・の望むとおり・・」

負け犬のごとく、尻尾をまたにいれて、リカルドはロァへの忠誠を誓いだてるしかない。

「俺の・・女・・に、二度と色目をつかいやがるな。もし、もう一度、そんなことをやったら、お前の真珠玉が海にもどるだけだ・・」

下半身の局部に埋め込んだ真珠をいちもつをぶったぎって、二度と、女をだけない体にしてやるというのか、

リカルドごと、海のもくずにしてやるというか、はかりかねたが、

ロァのアマロへの執心ぶりが、かほどに深いとしったリカルドは、いっそう、あの時のアマロの服従をこきみよく、おもいだしていた。

おもいだしていたからこそ、ロァへの服従を見せる事が出来たともいえる。

何も知らないロァ。

おまえの女は俺の真珠球でひーひーよがり声をあげてみせてくれたさ。

その事実がリカルドの自尊心と虚栄心に油をそそぎ、ロァへの形ばかりの服従さえ、苦もなく、装わす事が出来た。

あの・・声・・ほっといても、お前の女のほうから、俺のものをくわえ込みにくる。

その自信でロァをたたきつぶすしちゃ、

アマロが俺を求めにこれなくなって、もだえ苦しむだけ。

勝ち誇った余裕のリカルドは、アマロのせつない哀願とすでにリカルドをまちうけるプシイを具有するアマロを思い浮かべ

ロァの恣意をなんなく、飲み込んで見せた。

「ジニーと俺の女も・・」

手下どもに、あっさりと、命令を伝えると

ゆっくりと、もう一度、ロァに頭を下げた。

「ロァの僕足りうるリカルドであることを神に誓って・・」


リカルドのオンリーという安全な場所へ娘をうつし終えたと信じていたジニーは、

手下どものお呼びに、小さくためいきをついて、覚悟をきめた。

『おそらく・・・アマロ・・の進言。

アマロにとって、リカルドとの事実をしった私がここにいるのは、好ましくない・・』

アマロが、あの娘の保全をはかってくれるなら、この結末・・それでも良い。

アマロをしんじきっていたジニーに猜疑のかけらひとつなかった。

かんがえてみれば、たとえジニーがいなくなっても、あの娘の保全がついてくる以上、アマロは、リカルドの要求にこたえなければならなくなる。

そこに着目すれば、この先、甲板に上がったジニーが、あの娘もまた自分と同じようにシュタルトにうりはらわれる運命しか残っていない事に気がついていただろう。

いずれにせよ、もうじき、あの娘と自分の運命が同じものでしかないと、まのあたりに知らされるジニーでしかなかった。

 うす暗い場所から、甲板へのドアが開かれると、ジニーの毛細にまばゆい光が痛くさしこんできた。

しばらく、まばゆさになれるまで、みじろぎせず、ジニーは開かれたドアの前につったっていた。

「ジニーさんよお・・名残りおしいことだけど・・」

一度はロァの女として、この船の女たちの羨望をうけたジニーである。

肌をあわせたジニーは男にとっても極上の部類でもある。

だが、それもこれも、アマロにとってかわられた。

女たちの羨望は、少なくとも人買いにうられることなく、多くの男のものをのみこまされることのなく、おもちゃでない場所にたつ女への羨望でしかないが、それも、いびつな嫉妬でしかない。

いびつな嫉妬を浴びることが、極上な立場であるとは、笑止でしかないが、

ロァが夢中になる女という特別なステータスも、ほかの男からも注目であり、

舞台女優のごとき、輝きを目に見せられ

ジニーの虚栄心は優雅に咲き誇っていた事だろう。

それさえ、奪われ、あげく、品物として、

うりさばかれる。

「親方・・は器用な男じゃないから・・」

器用な男なら、アマロもジニーも両手に抱いていただろうにと、男はジニーをわずかばかり、慰める。

「いいんだよ。船の中でだけど・・。

たったひとりの女でいれただけ、あたしは、十分魅力的な女だったと自分をしんじてやれるよ」

ひとときであっても、確かにロァの寵愛を一身にうけた。

「だから、岡におがっても、ひょっとして、酔狂な男がオンリーとして、かいとってくれるかもしれないじゃないか?

すくなくとも、そういう、希望をもてるよ」

哀れな希望だと思う。

できるなら、女として、ごく普通に結婚して、子供をうんで・・・。

なのに、

ありきたりな希望をもつことさえできず、売春宿に売り払われるしかない。

そして、どんなに平凡な幸福をのぞんだとしても、その体がすでに娼婦とかしている以上、ジニーは自分に平凡な家庭の妻におさまる資格がないとはっきり自覚していた。

自覚せざるを得ないジニーが哀れだった。

「そうだな」

ジニーへの同情もさることながら、

ジニーという名前の肉の味をもう、すすることができなくなる一抹の寂しさが男に柔らかな優しさをたたえさせていた。

「さあ、もう、ここで、さよならだな。

ジニーさんのことだから、しゃきしゃき、働いて、いい男をつかまえられるさ」

ドアの前へジニーを促して、シュタルトの船に乗せられる女たちの列をさした。

「あの列のなかにジニーさんがはいってしまうのは、俺としては、本意じゃないから・・」

もう、ここで、おわかれ。

あそこまで、自分で歩いていきな。

と、男はドアの前にじっと、立ち尽くした。

「うん・・じゃあ・・」

光になれた目で女たちの列をみつめたジニーはそのまま、視線を流し、アマロの姿を探した。


船の横へりに渡されたシュタルトへの通路は細い板一枚。

ロープを手すり代わりに左右にひきのばし、男たちは荷物を抱えてわたっていく。

その作業がおわると、次はあの隅っこで固まってる女たちが順繰りにロープをたぐりながら、シュタルトの船に乗り込むしかない。

板場一枚、地獄沙汰というとおり、

船と船のすきまを覗き込めば青黒いさめのひれがいくつもみえている。

足をすくめながら、大きな身震いに打ち勝ちながら、シュタルトの船に乗り込むほうが、生き延びれる道だと教えてくれる。

アマロはリカルドの部屋から、あの娘がつれだされてくるのを目の端で確かめると、ジニーを見つめた。

ジニーがあの娘の運命に気がついたときの驚愕をあまさず、みつめるつもりだった。

ジニーはアマロの仕打ちだときがつくだろう。そして、懇願する。

『お願い・・私はどうなっても良い。あの娘を助けて・・』

それは、つまり、ジニーには、アマロなら、あの娘を助けられると、考えているという事になろう。

そう考えられるのなら、なぜ、リカルドに私を売った?

私では、救い出せない。

そう考えたから、リカルドの企みにのった?

矛盾している。

と、なると・・。

私があの娘をすくいだせると少しでも思っていたのであれば・・・。

認めたくない。

考えたくない事実だけれど、

ジニーの底にロァを奪い取ったアマロへの復習があったということになる。

アマロがジニーの底の嫉妬を嗅ぎ取ったのは、アマロの底にも、同じ色のものがあったせいである。

独特な臭気をかもし出す独占欲が、アマロの自尊心をあおり、

リカルドに自分を叩き売ったジニーの嫉妬の元、つまり、ロァへの愛情がいまだに残っている。

アマロがジニーを一番憎んだのは、その部分だったかもしれない。

「あ?」

小さな驚きの声は悲鳴にもきこえ、

ジニーの瞳は確かにあの娘を見つけていた。

「アマローーー」

甲高い声がジニーの喉からほとばしり、

ジニーはつきつけられた事実を受け止められなかった。

「なぜ?なぜ?なぜ?」

よってきたジニーの恐ろしい形相を真正面から受け止めるとアマロはうっすらと笑って見せた。

「なぜ?・・それは、私がいいたいせりふよ」

「アマロ?」


アマロへ罵声を浴びせかけようとしたジニーだったが、アマロの表情とおなじように、アマロの気持ちを変える事は無理だと悟った。

気にしなくて良いとジニーを一言とてせめもしなかった、アマロは、もうその時にこの結末を、心にひめていたのだ。

喉の奥から上がってくる

「うらぎりもの」の一言をしゃにむに飲み込んで、ジニーは自分をなだめていた。

結局自分で呼び込んだ結末。

うらぎりものは、アマロでなく、このジニー。

うらぎりは、うらぎりしか、返してこない。

アマロが招きよせた結末じゃない。

この愚かなジニーが呼び寄せた結末。

すでに、この悪党どもの虜囚になった時から、いずれ、こうなるのが、定めでしかなかった。

どろ沼でもがけば、もがくほど沼の奥底に飲み込まれていく。

もがきは加速の代名詞にほかならない。

なんとかしようと、運命にさからってみたばかりに、結局、なにもかも、なくす。

運命を享受できない愚かさを、かくも、見事に清算させられるとは、ジニーさんもやきがまわったもんさ。

だけど・・・。

『あんただけは・・・』

小さな命をめぶかせているあの娘だけは・・。

運命だと享受させるに、待ち受ける運命の色はあまりに悲惨である。

今・・だと、子供はこの世に生をみない。

せめて、引き裂かれる運命だとしても、

命をつむいでやらなければ、

あの娘はこの先の人生に絶望と悪夢しかみない。

「アマロ・・お願いだから・・

あの娘を売らないで・・。ずっと、とは言わない。せめて・・」

ジニーはまたも、言葉を飲み込んだ。

はたして、本当にアマロの采配であるか、わからない。

ロァの気まぐれでしかないのかもしれない。

だとしたら、うっかり、あの娘がはらんでいるという事実を口に出せない。

口に出したら、間違いなく・・ロァはあの娘をシュタルトに売り払う。

わずかの時間にジニーは考える。


リカルドは自分の子供だとは、告げてない。いや、はらんでいることさえ告げてない。つげていないからこそ、自分の子供だとかばい立てをして、ジニーとの約束を遂行させようとしない。

なぜ?

なぜ、リカルドはあの娘をかばおうとしない?

それは?

『アマロ?あんた・・わざと?

わざと、リカルドにあえいでみせた?

そうすれば、リカルドは自分があんたをいつでも、てにいれられると慢心して、

あの娘のことなんか、なんの釘にもならなくなる?

アマロ?

あんた・・そこまで、計算しつくした?

計算づくじゃないにしたって、

男を手玉にとる・・体の底から、心の底から、芯から腐ったあばずれでしかないってことかい?』

この世に悪魔がいるなら、それは、あんただよ。

でも、その悪魔にすがるしか、あの娘を助ける事が出来ない。

「アマロ・・私は・・」

何も知らない。何も言わない。

リカルドとのことは、ロァになにもいわない。だから、あの娘を助けてとその言葉もジニーは飲み込むしかなかった。

リカルドと何かあったらしいことをロァに聞きとがめられるようなことをいえば、ますます、アマロはあの娘を売り払う。

おどしじみた言葉を吐けば、アマロの怒気をあおるだけになる。

「アマロ・・・」

あなただって、女だろ?

あなただって・・子供を育む性を具有した女だろう?

あんたの道具は・・男を飲み込むだけの虚ろかい?

命をはぐくむ女の道具じゃないのかい?

「アマロ・・・」

ジニーの懇願をこめたまなざしもむなしく、空をきり、

アマロはロァの指図のまま、あの娘がひきだされてくるのを、待っていた。

かすかな、薄ら笑いをうかべた顔を、わざと、ジニーにむけられると、

さすがにジニーも黙りこくるしかなかった。

『アマロ・・は、私をにくんでいる。

憎しみを植えつけたのはほかでもないこの私。私が・・あの娘のあかんぼうの命をつみとる張本人・・』

ひきだされてきたあの娘の前にジニーはひざまずくしかなかった。

どう詫びても、詫びきれない運命に

守ってやろうとしたこのジニーが突き落とす。

どう、詫びれよう。

頭をたれたジニーにあの娘は小さな声でつぶやいた。

「ジニーさん・・ありがとう・・。

なにもかも、わかっていてよ。

短い間だったけど、ちゃんと・・

お母さんに・・なれたもの。

ジニーさんのおかげよ。感謝してる」

ジニーが見上げた娘の顔にはひどく優しく、暖かな聖母のごとき笑みがあった。

その笑みのうしろから、

アマロの薄ら笑いが見えた。

ジニーにみせつけた薄ら笑いが

運命に拍車をかける鞭でしかないと、

アマロもこの時には、気がついていなかった。


あの娘はしゃんと胸を張ると、ゆっくりとアマロをふりかえった。

「アマロ・・さん。本当の愛は自分の中で

はぐくむものよ」

にこりと笑った顔にけおされ、アマロに次の思考が浮かばなかった。

ジニーの苦しみ、もがく顔を見てやる。

そう決めていたはずのアマロの目の中で

元凶であるはずの娘がにこやかにほほえんでいた。

「自分の中で・・・?」

ようやく口について出た言葉もアマロの自身の思いにかき消された。

相手がいてこそ。

対称があってこそ。

自分ひとりがんばってみたところで・・

飢えた心と体をもてあますだけ。

その飢えがおしてくるむなしさも苦しさもみじめさもあんたに、わかるはずもない。

アマロの反論は自爆を起こす。

『そうよね・・・。あんたは、愛する人を亡くし、一人でいきていくしかない立場だもの・』

それにひきかえ、少なくとも今のアマロには、ロァがいる。

でも、ロァがいるからこそ、言い知れぬ不安と独占欲にかられ、

餓鬼のように無様にものぐるしさに狂う。

「ジニーさん・・ありがとう。

私・・・ようやく、決心がついたわ」

にこやかで、晴れやかな口調があまりにもさわやかすぎて、この場に妙にふつりあいで、一抹の不安を感じジニーはあの娘を疑った。

「あんた?まさか?」

自分の中の愛に徹し殉じていこうとしてるんじゃなかろうね?

その疑問の回答はすぐにやってきた。

自ら、シュタルトの船への足場に向かった娘は半分も歩かないうちに

その身を板のうえからよろめかしていた。

まさに・・・。

殉死。

こういってもいいのだろう。

あっけなく、板場の上から姿を消して

海に踊りこんだ娘の姿をジニーもアマロは見つめ続けていた。

「あ?あ?あ?」

なんで?

なぜ?

わかるけどわかりたくない。

なんで・・なんで・・・

とめられなかった結末をいやがおうもなくうけとめざるをえなかったジニーは

アマロを振り返った。

振り返ったジニーの耳に海に踊りこんだ娘の哀れな結路がきこえてきた。

「ああ。ああああ。食われちまってるよ・・」

足場の下のさめの餌食になってしまったと、手下の誰かがつぶやいている。

ジニーのさす眼光よりも、鋭くアマロの胸に今、はじめて、大きな痛みがつらぬいていた。

「ま・・まさか・・」

アマロだって、こんな結末を予測だにしていなかった。

ちょっと、ジニーを苦しめてやるだけだった。

ジニーが苦しんだように、みえなかったから、私も茶番を止めれなかった。

なにもかも、ジニー。

はじめから、私をこけにして、

リカルドを使って私に復讐した・・。

ジニーのせい。ジニーがすべて、悪いのよ。

みせつけられた己のとがをかぶるまいと、アマロは逃げ道をさがしていたが、

それは、結局「人殺し。血も涙もない悪魔のようなアマロ」をみとめたくない所作に過ぎなかった。

だが、現実は如実にアマロをさらしていく。

「アマロ・地獄におちたって、おまえはぬぐいきれない罪をせおったんだ」

なにも守るものをなくしたジニーは、もう、アマロト同じ空気を吸うことも、同じ船に足をつけているのもいやだった。

「結局・・あたしが・・あの娘を・・死なせてしまったんだ。その罪ほろぼし・・?

その十字架をあたしは一生せおってやるよ。それくらいしか・・あたしがつぐなえるすべがない。でも、アマロ・・おまえ・・今はせいぜいのうのうといきていくがいい。この世の今のしあわせしか、もう、おまえには残ってない。地獄におちる門をくぐることをおびえる、そのくるしみから、開放されることもない。唯一の虚楽であるロァにせいぜいかわいがってもらうことさ。そのロァをどうやってつなぎとめておくか、そればかり考えて・・そして、

もっと、罪をおかすがいい!!」

アマロにたたきつけた言葉の後ろにある憤怒がまだ、ジニーの肩をおおきくゆすっていたけれど

「あんたみたいな、ひとでなしとこれ以上、口もききたくない。見たくもない。

こっちがけがれちまうよ!!」

その言葉を最後にジニーもまた、シュタルトの船に向かった。


哀れな女はよるべをなくし、ロァにすがる。

「どうした?おまえが望んだ結末じゃないのか?

俺への忠誠と邪魔ものとをはかりにかけて

お前は俺をえらんだんじゃないのか?」

アマロの忠誠にこたえたやるさと、ロァは

自分の下半身のふくらみをなでさすった。

「おまえは・・かわいい女さ。

あとで・・褒美をたっぷり・・」

あるいは、ロァの言うとおりかもしれない。

ロァへの愛情へ血判をおしたにすぎず

アマロはむしろ、胸をはるべきなのかもしれない。

だが、ロァの言葉がアマロの胸に大きな風穴を開けていた。

『なに?それ?じゃあ・・私はあなたの一物ほしさに、飢え狂っていたただの牝犬?

心に大きな穴があき、うなるほどの隙間風がうつろな空洞をからからに乾かせ始めていた。

その空虚さゆえに、なにもかも忘却のかなたに自分を押し入れてしまいたくなる。

『結局・・ジニーの言うとおり・・。

寂しさと苦しみを忘れ去る一瞬は・・

ロァに与えられる疼きだけ・・』

心と体と頭がそれぞれに勝手に回りだし、

ロァの部屋に先に戻ったアマロは

独りという孤独を取り戻す。

すると、ここぞとばかりに罪深き自分へのおそろしさがせめよって来る。

『おまえは、人殺し。鬼。悪魔・・お前など生きている資格はない。愛に殉じてあの娘が死んだというのに、お前みたいなひとでなしがのうのうと生きている。

だとしたら・・この世こそ、地獄なんじゃないか』

自分を責める心の闇の声に耳をふさぎ

アマロはロァの戻りを待った。

ロァだけが・・私を救える。

ロァだけが、私の行為を肯定・・ううん、それどころじゃない・・絶賛してくれる。

そのロァをなくしたら、私は・・、

いったいなんのために、あの娘をジニーをこの船からおいだしたか、わからなくなる。

足元を崩されていきそうな不安がいっそう、ロァへの追慕になり、

アマロは戻ってきたロァにむしゃぶりつくと、ロァの確かな事実を求めだした。

たとえ、哀れな欲望の虜囚でありとても、

今、確かにロァにつながれている自分であればこそ、至福の頂上にたっていられた。


それからのアマロは部屋にこもりきり、

甲板を歩く事がなかった。

「リカルド・・が怖いか?」

自分の一言がリカルドを制していると

信じきっている男は臆病な子猫を笑う。

すでに、リカルドに漁られている事実を気取られないように、用心深くアマロは答える。

「そうじゃないの・・。

日差しがきつくて・・」

伯爵夫人だったころには光沢のある白い厚地の布に家紋の刺繍を施した日傘を使っていた。ここでは、そんなものもないし、

船の甲板を日傘をさして、歩くは滑稽だと付け足した。

「ふん・・どうせ、俺はしがない海賊さ」

最初のころは、上品な女だったアマロの変貌ぶりが、うらはらの美学をかもし出していたが、ここしばらくから、だんだんと、ロァの生まれ育ちに染まっていくアマロに見えていた。

『結局、俺が下衆な女にしたてあげちまうわけか・・』

だが、女の変貌ぶりが、鼻につくにも、わけがある。

もう少ししたら、ロァは島にあがるつもりでいた。

隠れ家であり、砦である島には、女房のマリーンと3人の子供が待っていた。

マリーンがロァの巣を守っている。

そこに行けば、くるくると目を輝かし

「父さん」と呼んでくれる子供がいる。

マリーンがどんなにか、ロァを思っているかは、子供たちの表情に現われる。

「父さんが帰ってきたよ」

ロァをみつけ一目散に駆け寄ってくるとき嬉しげな表情で、必ずマリーンを呼ぶ。

その一言でマリーンがどれだけロァをすいているか、わかる。

マリーンは、ロァのよりどころであり、暖かな暖炉のように居心地の良い唯一の女だった。

島によろうと、決めだしたころから、ロァの心にマリーンがよみがえってきていた。

里心というよりも、ロァにとって究極の安息が恋しかった。


そんなさなかにリカルドがどうの、

ジニーがどうのと、アマロがわめきだした

ロァにとって、私生活と切り離しておきたい部分で、いらぬ摩擦が生じだし、

わずらわしさのほうがかすかに軍配を上げ始めていた。


そして・・・。

あげく、売り物を海に逃がしてしまった。

それも、これも、アマロにすれば、

ジニーのせいであろうが、

ロァにとっては、アマロがひきがねのように思えた。

『なにが有ったか知らないが・・・』

娘っこが海にとびこんでから、アマロはただ、ただ、沈み・・口数も少なくなった。

その反面、時もかまわず執拗に伽を求めてくる。

『まったく、俺をなんだとおもってやがる』

交渉の相手だけでしかないかのように、扱いやがる。

『俺をさかりのついた牡犬かなんかと一緒にしてやがる』

マリーン恋しさが手伝って、いっそう、アマロが下衆な娼婦にしか見えなくなってきていた。

だから、

『こいつの方から、リカルド・・を誘ったんじゃないのか?』

あるいは、ありえるかもしれないと、ロァは思った。


島の入り江は奥深く、波間に突き出した岩は荒々しく雄雄しかった。

この岩の間を縫って入り江深くまで、到達できる船はいない。

まず、そのごつごつした岩の大きさと多さを見ただけで、誰もが無難を念じる。

海流が岩間で複雑にうねり、ところどころで、渦潮を作るといった念の入った自然の要塞をすりぬける方法をしっているのは、

当然、島の入り江を重宝に使いこなしている海賊どもに他ならない。


いったん入り江の中に船を進めてしまえば、嘘かと思うほどのべたなぎの海面が広がる。

入り江の中のいっとう、大きく海面に突き出た小島の裏に船を隠すと、そこから、小船を使う。

船が入ってきたのをとうの見つけていた島内のものたちが、海賊どもと大きな荷物を

迎えに来る。


ところが、アマロは思いもよらぬ宣告を受ける。

いや、これは、別にアマロだけではなく、ほかの虜囚の女たちもひきもとらずの、宣告であり、考えてみなくとも当たり前の措置である。

船の中に女を囲っている。

この事実を島の女・・特にわが女房に知らせたい馬鹿はいない。

だが、ロァに島に連れて行かないと知らされたアマロの逆上は例をみないほど、激しかった。

ロァの女であれば、当然、待遇は女房扱い。みんなの前でぬけぬけと夫婦を気取った男がこの期に及んで、船底の娼婦と同じに扱うのが許せない。

つまり、リカルドのくやしまぎれでなく、

ロァに女房がいるのが本当?

じゃあ、私は何?

つい、この前までシュタルトに売り払われるか、船底に落とされる運命がいつかくると、おそれおののいていたアマロだったのに、今はもはや、ロァの身も心も独占しているかのように慢心していた。

それは、あるいは、リカルドのせいかもしれない。

ばれりゃ、自分の進退にかかわるとわかっていながらそれでも、アマロを掠め取らずに置けなかったリカルドだったからこそ、

裏を返せば、アマロにそれだけの魅力があり、そして、交渉のあとにおいても、

まだ、アマロを求めるつもりのリカルドがいた。

これが、アマロをうぬぼれさせた。


わめき散らすアマロを黙らせる方法を、ロァは熟知している。

腕をつかみ、引き寄せ、きつい抱擁でまず、アマロは黙る。

あとは、なしくずし。

男と女の遊戯が暗黙の了解を生み出す。

ロァの勝手を許すに等しいとわかっていながら、やはり、アマロは伸ばされた手を拒む事が出来ず、結局、男と女の奈落に落ち込んだ。

極上の歓喜に惑わされ、

ロァの甘いささやきに愛されている事実を

確認するしかない。

「島に女をつれてあがるわけにゃ、いかないんだ。それは、たとえ、お前だって、無理なんだ」

ロァは注意深く、アマロがロァにとって、特別な女であることを強調する。

さりげない言い方でなければ、とってつけた、言い訳だと、また、アマロが逆上する。

「ほかの男たちには、家族がいるんだ。

妙にかんぐられて、せっかくの休暇を

夫婦喧嘩でおわらせたくないだろ?」

さも、俺には女房はいないというロァの口ぶりがアマロの癪に障った。

「マリーンとは、喧嘩はしたくないと?

そういうこと?」

切り口上のアマロをみつめていたロァの表情が見る間に変わった。

「そういうことか・・・。

マリーンの名前をしゃべくれる奴が誰か

見当がついてるよ。

おまえは、いらぬ墓穴を掘ったようだな」

自分の偽りをごまかすために、ロァはアマロの虚をつきはじめていた。


ロァがわざわざ、隠し立ている事実を

横からすっぱ抜けるのは、島に上がる男たちしかいない。

仮にジニーから、聞いたとアマロがいいぬけたとしても、そのジニーにマリーンの名前まで知らせることができるのも、やはり、男たちの誰かでしかない。

いずれにせよ、ロァの女にいらぬ告げ口をするような男は、ろくな考えを持っていないことは確かだ。

ろくな考え。

わざわざ、ロァの女に女房の存在を教えなければ成らない裏側の心理。

ふたつにひとつ。

その女のロァへの執心をたちきって、自分へ関心を向けさせたい。

ロァへのやっかみ。気に入った女を独占し、親方としての地位に君臨するロァへのねたみ。

それが、ふたつにひとつでなく、

ふたつにふたつならば、

間違いなくちんけな行為でしかない告げ口も平気でこなす。

それほどに、僻みとやっかみがある男。

いいかえれば、それなりの実力や統率力をもっていながら、十分に認められていない人間。

ロァでなくとも、それが、リカルドであるのは、すぐにわかる。

幼い頃から、海賊の頭領として頭角をあらわしたロァとリカルドである。

マリーンのこともある。

このときもリカルドの横恋慕があった。

マリーンはぴしゃりとリカルドをはねつけ、ロァへの一途な恋を実らせた。

あっけないほど、あっさりと、マリーンから引き下がったリカルドの潔さにロァは一目置いたのも事実である。

だが、これも、今考えあわせてみると、

マリーンこそが、リカルドが一番ほしかった相手だったように見える。

一番すかれたい相手だからこそ、リカルドは卑怯な真似や、潔くない、未練たらたらの男を見せない事に勤めたに過ぎない。

リカルドに残ったものは、

リカルドのほしいもの、なにもかもを、

手中におさめる目の上のたんこぶでしかないロァの存在だった。

そんなリカルドの鬱屈した不満が、アマロに向けられたとき、

リカルドはマリーンに対して見せたような誠意も自尊心をもって、アマロに対峙するとは思えなかった。

そうでなくとも、アマロのように、煽情的な女がこっそり目配せでもしたら、

リカルドは自分を制し律する義理をロァに持ちえていなかった。

だから、リカルドがなにかしかけたか、

アマロがなにかしかけたか

そんな詮議はどうでも良い事で、

ロァにとって、今、アマロもリカルドも信じられない存在になったことだけは確かな事だった。


静かすぎる凪をぬって、船は入り江の奥にはいったはずだった。

だが、潮流が岩にもまれ、船底から、進路をかたむけさせていく。

「まかしておけ」

ロァは鼻歌まじりだ。

潮を熟知した男はまるで、船底がみえるかのように、たやすく、潮にのる。

逆らわず、流されず、ロァの腕前はどこか、女の扱い方にもにていて、

ロァの言葉通り船はまたたくまに、小島の裏についた。

「じゃあ、いってくる」

と、ロァはアマロにめくばせをしてみせた。

「おとなしくしてろよ」

ロァの言葉に少なからずアマロの癇がたかぶる。

『あなたがいないのに?

おとなしくしてろ?

まるで、私がさわぎまわってるみたいじゃない?

それとも・・私がなにかしでかすとでもいうわけ?』

なにか・・・?

それは、たとえばリカルド?

ロァはなにか・・、気がついている?

「どういう意味?」

すでにこわばった声で、アマロの感情をみとおすと、ロァは自分の失言を取り繕った。

「おまえは・・最近・・ちょいと、おかしい」

そう、あの娘が海にとびこんじまってから。

ジニーがシュタルトの船に乗ってから・・・。

ロァだって、判っている事実だ。

むごい事をしている。

生身の女を手下どものなぐさみものにさせて・・。

あげく、女がはらんでいようが、おかまいなし。女の顛末がかきだししかないと判っていながら、物、金と女を交換する。

自分だって、島に帰れば、3人の子供の父親だ。

むごい仕打ちと引き換えに得たもので、子供たちを育てている。

それが、海賊で、

それを判って、平気で非情になれなきゃ、海賊家業なんか、やってられない。

だからこそ、目の前で自分の惨酷さにうちのめされ、良心の呵責と悔恨に精神をひきつらせてるアマロだと、同情し慰めてやることはできない。

この非情さに時折、胸の芯がいたみはするが、それも、マリーンがなにもかも包んでくれた。

それに比べて、アマロの苦渋はロァの神経をつつく。

つつかれれば、誰でも、己の極悪さと向き合わされる。

普通の岡の人間でもそうだろうに、

ましてや、人殺しの盗賊。

死に病に苦しむものが、苦しみをあらわにすれば、同病の盗賊は己の病状を外からまざまざ、見せ付けられる。

こういう図式がロァをいっそう、陰鬱にさせる。

それが、いっそう、ロァではうめられない穴を作ってしまったアマロを意識させる。

ぽっかり空いた穴は虚無という言葉が適当かもしれない。

虚無は生きている意義をうしなわせる。

生きていたいと思う女も男も

虚無から逃れようとして、刹那の歓喜におぼれたがる。

今のアマロがまさにそうだろう。

生きていくめどうをなくすほど、面倒くさい事はない。

異常なほど自分への関心を引こうとする。

自分の存在意義を見失った女は、他の存在によって、意義をみいだそうとする。

自分という女がどれほど、誰かの関心の的になれるか。

存在価値を確認するために、他人をつかうのはけっこうだが、

確認なんてものは、結局、男と女のその部分でなきゃ、判りあえないものだ。

ましてや、男の玩具ぜんとしてしか、存在が許されないこの船の中で、アマロはただの雌としか扱われない。

誰も・・アマロを救い出す事は出来ず、アマロは自分の運命を呪うしかない。

『馬鹿なことをやっちまいやがって』

正義感の強いあの公爵夫人は、ロァの手中に落ちたとたん、嫉妬の塊になりはてた。昔のアマロなら、はらんだ娘とジニーの命乞いをしただろうに・・・。

それが、いっとう、アマロらしい・・

『待てよ?』

確かにアマロなら、命乞いするだろう。

あの最初の出会いからそうだ。

毅然とした態度で、仲間の女を守ろうとした。

三つ子の魂というように、それが、本来のアマロで、俺はそのアマロにほれた。

『俺への嫉妬?

いやあ・・そんなもんじゃ、わりきれない。違いすぎる・・』

あのアマロが、ジニーと平気でしゃべっていたアマロが・・?

よっぽど懐の太い女が、ジニーを、あのはらみ娘をシュタルトにうりはらわれるように、自分から仕向けてきたんだ。

『リカルドのことを・・言ってたな』

確か・・・


この時にロァのほぞがかたまったのかもしれない。

「アマロ・・」

ロァはもう一度、アマロを見つめなおした。

「なに?」

なにか、男が決心した時は、決まって

腹心でなく、女に打ち明ける。

寝屋の甘言で、一国の傾城を語るは、男の虚栄心かはたまた女へ威勢を誇り、己の権力をひけらかし、女を心身ともに、服従させるためか・・。

世の男の習いと見える女へのさかしい企てが、寝屋ならずのロァの口からついた。

それほどに、ロァの野望の先行きに不安もおおきかったせいかもしれない。

「俺は、島から戻ったら、ジパングに行く」

ジパング?

「金の塊と銀の塊が、山の懐にあふれだしている国だ。ひとやま、掘ったら、俺は・・・」

ロァがなにを考えているか、アマロはたずねようとしなかった。

ロァがたとえばその金銀で、船を買い、兵を雇い、たとえば、スペインと戦争でもおこして、スペイン国王になるといったとしても、アマロには、どちらでも良い事だった。

それよりも、もっと、肝心な言葉をアマロは待っていた。


ロァにすれば、遠い国。

行った事もない海原を渡る。

あるいは、二度と生きてこの島に帰ってこれない航海になるかもしれない。

その航海の道連れにアマロを選ぶか?

選ぶなら、それは、ロァの命と同じ。

同じ重さで運命をともにする相手にアマロを選ぶなら、ロァが心底、アマロを欲していると同義になる。

「おまえに、ジパングをみせてやる」

その一言でロァのこの先、すべてがアマロの物になった。

共に生き、共に死すも覚悟するという男の言葉にアマロは思い切り優しく微笑んで見せた。

「こころおきなく、マリーンをだいてらっしゃい」

ロァの人生を掌握した女は、余裕をかもす。

今までの人生との決別のために、マリーンとの決別のため、ロァは島にあがるにすぎない。

ロァには、ロァの人生があったろう。

今までの人生に惜別の情がわくは、無理なかろう。

「アマロ・・」

すまないと優しい目で、アマロを嘗め尽くすとロァはいまさらながらに、アマロに骨の芯までくだきぬかれた自分を思い知らされた。


その知らされた思いに突き動かされ、まもなしに、ロァは自分の運命を多難にする行動をおこしてしまう。

ロァとアマロの運命はもう、この時すでに、破滅に向かって直線をまっすぐにひき終えたといってよい。


ロァを送り出すとアマロはベッドの上に身体を投げた。

「ジパング・・・?」

男のでかす心の底をよみとることは、アマロには不可能だ。

だが、なによりも、ロァが果てしない航海の道連れにアマロを必要としていることには、確信を得た。

これが、最後の逢瀬になるかもしれないマリーンへの惜別は、アマロにとって、むしろ、心機一転のロァのいっそう深い覚悟に見えた。

『ロァ・・・』

胸の中でロァを呼ぶと、アマロは睡魔の手に自分をゆだねた。


いつごろか・・・。

階段の軋む音でアマロは覚醒を覚えた。

いつのまにか、夜闇。

誰かが、ロァの小部屋に足を忍ばせている。

『ロァ?』

ありえない。

今頃、ロァはマリーンとの最後の晩餐。

最後の饗宴にもつれ込むまで、男はきっと、わき目を振らない。

だとすると・・・。

この軋む音をたてさす主は?

はたして・・・。

「アマロ・・」

扉の向こうで男が甘い紡ぎを求め

アマロの名を呼ぶ。

『リカルド?』

意外?あるいは、想定できたリカルドの訪問にアマロは扉の前に立ち尽くした。

「そこにいるのは、判ってるよ。

かんぬきをはずさないか?

この前より・・たっぷり・・」

誘いの言葉がアマロの心よりむしろ、身体を貫く。

「ロァは今頃、マリーンと褥の中だぜ。

おまえの美貌より、マリーン。

それに引き換え俺はおまえ恋しさに

この夜闇に船をこぎだし、おまえにあいにきたんだぜ」

リカルドの誘いはアマロの窪みの底にある痛みをつつく。

「アマロ・・おまえがいやなら、なにもしない。でも、せめて、顔くらい・・みせてやってくれよ」

せつない恋情をとうとうと訴える男の手管など、今までのアマロならせせら笑えただろう。

だが、ロァの心の底にマリーンが住んでいることを見せ付けられたアマロの心に染み入るに十分な言葉だった。

必死で追いかけてくれる。

誰もその相手を憎くは思いはすまい。

アマロもまた同じ。

「すこしだけよ」

顔をみせるだけ。

そんな約束が言葉だけの体裁に過ぎなくなる事を十分に承知しながら、アマロはリカルドをこばむことができなかった。

許され、部屋に入ってきたリカルドは

またたきも許さぬすばやさでアマロを抱き寄せた。

「愛してる・・」

こんなときの男の常套手段にすぎないのに、アマロの心の飢えがみたされていく錯覚に酔える。

「アマロ・・・」

女に考える隙を与えない事が極上のくどきだとしっている男は抱き寄せたアマロの口を長い間すすった。

アマロのあらがいが帰ってこない事を確かめながら

アマロを抗わせないためにも、

アマロの胸をもみしだき、下半身に手を伸ばし、膨らんだ固体をアマロの下半身に押し付け欲情の虜へと導く。

「アマロ・・」

耳元の声は切なく荒い。

極上の蜜の味をほしがる女をあらわにするアマロはもうすぐ。

リカルドの手がアマロの甘美に届いた。


欲にひきずられる身体をもてあますのは、アマロのせいではない。

ロァの心が今、ここにないせい。

なにもかも、ロァがまいた種。

リカルドの煽情はアマロの自尊心をうがち、寂しさという名のうろを埋め尽くすに十分な真珠の宝物の侵入をまちうけるアマロに成り代わる。

「・・・・」

リカルドがなにをささやいたか、聞き取れなくなる陶酔にながされていく。

アマロという女の極みがここにある。

それをして、極上という以外なく、リカルドも真剣以上に執拗な遊戯におぼれこまされる。


何十分・・いや、何時間。

時とロァを忘れさせるに足る遊戯の快さにおぼれ続け、繰り返す反復に飽きることなく二人、いや、ひとつの塊が快感を追い求め続けていた。


悲劇というショックは安心しきっているときほど深いものだが、今、まさにその時を迎えようとしているとも知らず、

リカルドもアマロもお互いの追求を分かち合い、追求に応え、肉がよせてくる弾みを共有しあう作業に没頭していた。


「あ・・」

アマロの喉から苦しく切ない息が長く漏れたとき、リカルドの何度目かの到達を訴える声が重なった。

ぐっと、リカルドの体がアマロにのしかかったまま、リカルドの声が途切れ、リカルドがひどく重く感じられた。

それは、リカルドの動きがとまったせいばかりだと思った。

「重いわ・・」

アマロに預けた身体をどかせてくれと

懇願した時、アマロはやっと、リカルドの異常に気がついた。

力なくアマロに倒れ掛かってきたリカルドを避けるように支えてみたとき、

リカルドの身体に異様なぬめりがつたっていると感じた。

生暖かく、どろりと・・血なまぐさい・・。

まさに

「血?」

アマロが声にだした懐疑に闇のなかから答える声があった。

「ぼんのくぼに一本・・あっけないものさ」

ロァの声だった。

遊戯に陶酔する二人はロァの侵入にさえ気がつかなかった。

ロァはアマロを兆着するリカルドが一番天国に近づいたときにそのまま、リカルドを天国に送った。

「こいつさ・・」

ランプに火をつけ、明かりに血糊がのった細長いピックをかざして見せた。

ロァはそれで、腹心リカルドの裏切りに裁きをつけただけにすぎない。


『そして・・今度は私の番?』

リカルドの絶命はあきらかで、

死体の重みはいっそう深く、その重みにさえぎられアマロはリカルドをだかえこんだまま、逃げだす事は愚か、動く事さえ不可能だった。

だが、たとえ、自由に動けたとしても

どうせ、船の中。

逃げ出す場所もない。

一瞬のうちにアマロは覚悟を決めるしかない。

せめて、往生際悪いまねだけはすまい。

醜態をみせたら、ジニーのいうとおり。

自尊心だけがアマロを支え、

心の外のロァと心の中のジニーと、内外の両極に対峙しながら、せいぜい、アマロは凛とした態度を見せるしかなかった。

たとえ、それが、滑稽でしかなくとも。

アマロはリカルドの身体の下で素裸で流れ落ちる血に染まりながら、狂気を見せず、ヒステリックに叫びもせず

ロァの裁きを待つしかなかった。


「いつまで、そうやってる?」

ロァはアマロの屈辱をあざ笑う。

いつまでも、なにも、命をなくした物体がどんなに重いものか。

「死体が腐るのが先か、私が飢え死にするのが先か・・」

どう生きようもない女にとって、

どう死ぬもさほど重大な問題じゃない。

腐っていく男にがんじがらめになって、飢えに苦しみながら死んでいく。

大笑いもいいとこ・・・。

だけど、ロァはアマロの皮肉を知らぬ顔で聞く。

「おまえほどの女が・・そんな男の身体ひとつ、どかせぬわけがなかろう?

だから、頼みがある。ひとつ、てつだってもらえまいかね?」

「頼み?この部屋の掃除でもしてくれって?そして、いらなくなった塵と一緒に海にほうりこまれてくれとでも?」

「あいかわらず、窮地にたつほど、負けん気が強くて、アマロ・・今さらながらにぞくぞくするぜ」

「へらず口をきくのは・・」

言い返そうとしたアマロをロァがせいした。

「もう、よさないか・・・。

おまえが身動きがとれないくらいに、確かに死体は重い。だから・・手伝ってくれ・・海に捨てる」

しばらくの静けさのあと、ロァがつけたした。

「おまえまで、海に捨てはしない。

そして、これも、頼み事だ・・。

この先・・俺とずっと一緒にいてくれ」

「え?」

ロァの言葉が空耳かと思えた。


リカルドと一緒に海に落ちていけと宣告されるものだとアマロは思っていた。

アマロの裏切りを見届けたロァに、リカルドを死界に追いやるほどの激怒があったのは、この惨状が物語っている。

「なぜ?」

死への恐怖が一掃されると、むしろ、ロァの選択が不思議である。

「私は・・あなたを裏切ったのよ」

言いたくない事実ではある。

どんな理由があろうと、客観的事実は

「アマロの裏切り」でしかない。

結んだ口が、わずかに開くと

最初のロァはため息ににた音をもらした。

アマロはロァの説明をただ、待った。

「リカルドがおまえの元にしのんでくるのは、予測がついていた。そして、おまえも、リカルドをうけいれるだろうことも・・・」

「判っていて・・・?」

じゃあ、はじめからリカルドを殺すつもり。そして、このアマロを生き延びさせる・・・つまり、アマロを選んだ?

なぜ?

「俺は、常々、リカルドを信用してなかった。だが、あいつの海を読む勘の良さが何よりも、必要だったから、なにもかも、目をつぶっていたし、こいつも、ですぎた真似はしなかった。

だが、アマロ・・俺がおまえにくるったように、こいつもお前に狂った。

そして、俺の腹心である立場から、自分を逸脱させた。それほど、男の心を奪うおまえを手放したくないのはリカルドも同じだろう。

そして、リカルドの盗み食いに目をつぶっていれば、お前を独占したくなったリカルドが俺を殺す。

ちょうど、今の俺の気持ちそのまま。

お前はそういう女だ。

男を狂わせる・・・」

「つまり・・」

どのみち、リカルドかロァのどちらかが、死んでいた?

女を奪いあう争いでしかない?

奪い返した女をみすみす殺す馬鹿はない?

「つまり・・・」

リカルドを死に追いやった張本人はアマロでしかない?

あるいは、一歩間違えれば、リカルドが生き残り、ロァを死に追いやったのはアマロ?

結局、こういう図式しか残っていない?

「俺は・・島から帰ってきたら、ジパングに行く。リカルドの腕がほしかったのは事実だが、リカルドにころされちゃあ、ジパングもなにもあったもんじゃない。リカルドとお前。俺はどっちを選ぶか迷った」

アマロという元凶がいなくなれば、リカルドもいったんはおとなしくなるかもしれない。

だが、一度、不信を抱いた男と、この先航海を続けてなんになろう?

「ジパングに行くとおまえにつげた時に俺の気持ちはほぼ、固まっていた。

おまえをとる。

おまえをとるためにも、リカルドの存在は邪魔でしかない。

俺の命を脅かすものを始末するしかない」

ロァの吐露はアマロにさらなる疑問を抱かせる。

「リカルド・・がしのんでくるのが判っていて・・後をつけてきたのよね?」

じゃあ、なぜ、リカルドがアマロと交渉を持つ前になぜ、止めなかったのか?

なぜ、黙ってリカルドにアマロを抱かせた?

「かすかな希望を抱いていたのも事実さ。リカルドはただ、おまえにあいにくるだけかもしれない。男と女の仲にはならないかもしれない。幼馴染を殺すのに、疑いだけで、始末できるか?

お前にあいに来てどうするか、それをみてからじゃなきゃ、俺の覚悟も決まらなかった。事前にリカルドを制したら、リカルドの本心も見えない。

そして、案の定・・リカルドはおまえに手を出した。

殺す。

そう決めたときに、俺に不思議な感情が沸いてきた」


とつとつとロァはしゃべり続けている。

「いつも、リカルドは俺の後にいたよ。

俺の・・」

ロァがかみしめたものは、リカルドの悔しさだったかもしれない。

「あいつは、俺をねたんでいたと思うよ。よく似た境遇、同じ年齢。ほしいものは自然と似通い、目指すものも一点に集中する。だが、いつも、リカルドは俺の後ろにいるしかなかった。この船の頭領にだってなりたかったろう。女も・・」

「それは・・・マリーンのこと?」

「ああ・・」

なにもかもリカルドの手に入るものはなかった。

「そのリカルドがな・・・。俺を裏切ってまで、どうしても手に入れたかった女と・・我を忘れて危ない橋を渡るほどのお前と極上の時間に浸りたがっていたんだ。俺がリカルドの命を奪い取るんだ。かわりにな、俺はリカルドに・・・」

ロァの言葉が泪に埋もれた。

ロァのいいたかったことは、せめて、

リカルドが思いをとげるまで、待ってやりたかった。と、言う事だろう。

リカルドの命を奪うかわりに、ロァの手中の宝をうばうのを、黙認してやる。

それが、幼馴染であったリカルドへの最後の手向け。

せめて・・最後くらいロァのうしろじゃないリカルドでありたかったろう。

「気づかれないように、リカルドの至福の時をまったよ。おまえを供物にしてやることだけが、リカルドへの俺のなさけだ」

また、言い換えればかほどにアマロに重きをおいているとも取れる。

誰にも渡したくない女なのに、リカルドに引き渡して見せる事で、リカルドへの弔いにかえた。

「だから、お前を・・裏切らせたのは俺だ。俺にとってお前を失う以上苦しいものはない。その俺があえて・・」

ロァの腕がリカルドの身体を引っ張った。

アマロはリカルドの隙間から這い出ると、うすっぺらな肌着をまといつけた。

血潮が白い生地にへばりつき、アマロの身体は赤き布でくるまれた。

「もう、どうしようもないがな・・・」

一度決めた事をやりとげたあとに、何をいまさら後悔できよう。

「そこまで俺をおとしこんだのも、アマロ。おまえだからだ。これをよくおぼえておけ」

そして、ロァとアマロはベッドからリカルドを担ぎ出すと甲板の手摺から夜の闇に落とし込んだ。

闇と暗い海の境界線にたどりついた鈍い水音がひびくと、ロァはアマロを振り返った。

「7日後・・ジパングに向かう。

俺はしばらく・・」

マリーンと子供たち。

家庭のぬくもりにひたりこんでくると、

うしろをにごして、

アマロにしばしの別れを告げた。


マリーンと過ごすわずかの日々の間に大きな変化があった。

リカルドを海に投げ込んで5日。

ガスを含んだ腐乱死体が島に打ち寄せられた。

「リカルド?」

泣き崩れる知己を目の端に

変わり果てた姿を目にやきつけ、ロァは出発の日を手繰りなおした。

リカルドを失いジパングに発つ。

無謀ともいえる。

だが、それでも、俺はアマロを選んだ。

その証ともいえる出帆は、ロァの人生のおおきな賭けだった。

一階の海賊で終わるか、

一国を脅かす権力になるか、

ロァの鼓吹はアマロへの誇示にもつながった。

「俺のものであえぐ女は、権力の象徴に酔いしれる」

一個人の夢と夢想と野望が時のはからいに乗り切れなかったとき、無残な懲罰が

待っているとも知らず、回避の綱であるリカルドを失ったロァの運命はもう、見えていた。

見えていなかったのはとうのロァとアマロ。

破綻の波をかぶるものは、えてして、大望の美酒に酔いしれる。

マリーンの腹の上でアマロを追い続けながら

血糊を拭い去るアマロの心の中で

甘い美酒は匂いだけを香りたてていると気がつかないまま、運命への惨酷なときは刻み付けられていた。


アマロの元に帰ってきたロァを迎えたアマロは怪訝を隠せなかった。

まず、ロァの顔つきが変わった。

どこか、寂しい。

そのくせ、妙に凛としている。

ロァの顔つきを変えた大きな原因はリカルドの喪失に他ならないだろうが、凛に気奮いが見え隠れする。

なぜ?

その答えはすぐに見えた。

船にあがってくる手下達の数が目に見えて減っている。

アマロの怪訝を察した男はぽつりとつぶやいた。

「リカルドの死体があがったんだ」

「それで?」

それで、この人数だとロァがうなづく。

「リカルドとお前。俺がどっちを選んだか・・うすうす、気がついた奴らは、自分の胸に問い直すものがあったんだろうよ」

自分の女が大事で、腹心を殺した。

こう察した男たちは、ロァの度量とロァへの忠誠心を量りにかける。

うっかりすれば、自分だっていつ殺されるか判らない。

こう判断したくなるロァの度量と、

ロァへの反感がわいてくる自分の忠誠度を天秤の片側においた人間はロァに従わなかった。

言いかえれば、自分の中のロァへの忠誠を信じれる人間がロァに従った。

それは、また、リカルドへの制裁に対しても、同じ理屈が成り立つ。

信用できない人間と航海はできない。

自分が信用できる人間を選ぶように

ロァもまた、厳粛に信用できる人間を

選んだに過ぎない。

片腕ともいえるリカルドのポジジョンをうめる人間はいないのに、加え

リカルドと同じようにロァをいつ、裏切るか判らない人間がいた事実がロァに一抹の孤独を挿し、

命を懸けて従う人間の存在がロァに凛を添え、ジパングへの出航がロァに気奮いを与えていた。


アマロの不安はまた、ロァの不安でもある。

海図を読み取るにたけていたリカルドの存在の大きさを知らすのは、ついてこなかった人間の数だけではない。


ロァに従った手下たちの多くはリカルドの勘を評価していなかったともいえるし、ジパングへの航路にたかをくくっていたともいえる。

中途半端な海賊家業で、一生をおえるよりも・・・。

島に残って新たな船を手に入れてちまちまと盗人を繰り返すよりは

新天地を開拓する冒険は胸がすく快挙に見える。

単純な動機でロァに従ったものほど、海の深さをなめていたといってよい。


言い換えればロァについてこなかった人間の方が頼りになる逸材が多かったといえる。

だが、

ロァは己の信じた通りを実行する。

航海に不安はつきものであり、

ましてや、東方のジパング。

名前しか知らぬ国を目指すのである。

不安であるがゆえに、冒険は冒険たりえる。

安心の上にあぐらをかいた生活に冒険など、ありえない。

一縷の不安をふりきるに足りる蒼天を仰ぎ見るとロァは太い声で言いはなった。

「錨をあげろ」

と。


アマロの日中は陽光の中のおいて燦然と輝いているかのように見えた。

だが、闇が忍び寄ってくると、アマロの瞳はうつろい、影を見つめ始める。

ドアを開けたそのうしろにふと女の影がうずくまる。

つかの間の残像を追うアマロの傍らにたったもうひとつの影はアマロの耳元で荒い息を吐く。

忍び寄ってくる劣情はリカルドの亡霊が発するものでしかない。


アマロは瞳を閉じて神に祈る。

神は無言のままアマロの祈りを聞き届けてくれ、

ふっと、男の影も女の影も消え去っていく。

だが、アマロの祈りが途切れるのを

どこか部屋の隅に隠れて待っているとしか思えない。

アマロの心が神から離れるとやはり、ふたつの影が忍び寄ってくる。


神は・・・。

アマロは思う。

神はアマロに手をさしのべはしないと・・。と。

アマロが神に祈り、少しでも神の傍らに近づこうとするのを赦すだけ。

神を恐れる亡霊がつかの間、気配を隠すだけ。


神は・・アマロを許してはいない。

神はけっして、アマロを赦していない。

敬謙なる神が許さない存在があるとするならば、それは、「悪魔」しかいないだろう。


悪魔のアマロが・・・神に祈る。

それが、神を恐れる亡霊への護符でしかないとアマロが認めてしまえば、

神は名ばかりのものになり、

アマロの祈りに亡霊は怖気も振るわなくなる。

「神よ・・。悪魔でありとても、このアマロをすくいたまえ」

わずかな安息を得るために、灯りを煌々とつけた部屋の中でアマロは神の息吹を聞こうとする。


やがて、ロァが部屋に戻ってくると、亡霊たちの気配は消えうせる。

当たり前のことかもしれない。

自分たちを死においやったロァこそ、彼らには一番恐ろしい存在でしかないのだから・・。


だが、アマロには違って見える。

ロァが居てくれたら・・、

少なくとも

己を悪魔とさげすむ苦しみを味あわずにすむ。


そして、

何よりも、ロァがアマロを大きく肯定する。

アマロを至上の存在と認めさせるに足りるロァの混入物に我を忘れる至福と陶酔を貢れ、アマロはいっそうロァの女になりさがり、それを至福の頂上として、受け止めることになる。


蒼い空と青い海が白い雲の中へ突き進んでゆくかの錯覚を覚えさせる晴れ渡った航海はもう、10日以上続いていた。


もう、5,6日か?

いや、そんな筈は無い。

そろそろ、陸地が見えても良いはず・・・。


はるか洋上、蒼の中に島影一つ見当たらずロァは島影を求め、マストに上りかけた、その足が止まった。


「おかしい・・・」


甲板を吹きぬけた風がロァの頬に異様な生暖かさを感じさせていた。

そのわずか、瞬きをする間も無く風の流れが変わった。


「どこかで雲が湧き上がっている」

大気が流れが変えて雲に向かう。

暖かな空気が上空に吸いあげられ

大気が希薄になった空間にむかい、

別の場所から、大気が流れ込み、

風が起きる。


それが急激に起きるということは、

スコールか?

タイフーンか?

いずれにしろ、早く、陸地を見つけて

入り江に避難しなけれならない。


とてつもない雨風が吹き出すと読み取ったロァは空を仰いだ。


抜けるような蒼い空は一点のかげりも無くロァの読みを嘲笑うかのように広く、深かった。


二日後の夜・・。


ロァの予感は的中した。

が、ロァはまだ、島影ひとつ見出せずに居た。


その昼、

どんより曇った空が波間まで覆いつくし、二日前とうってかわった冷たい空気が船を囲んでいた。


突然の青空が垣間見えたあと、むっと、湿気を帯びた空気が流れ込んできた。


「親方?」


不安気な声が甲板に響いた。

夕方近くまでじとりと肌をしめらす生暖かい空気が船底まで忍び込んだまま、太陽が沈みだし、陽光が弱まる時を待っていたかのようにあたりが突然、暗闇に変わった。


「なんだという?」

長いこと船に乗っているが、こんな光景に出会ったことは無い。

暖流と寒流がぶつかる場所でおきる大気のいたずらか?


ロァの思考が宙をさまよった。


その瞬間だった。

激しい雷光が閃き、雷が甲板のうえを走った。稲光が遠くの島影を浮かび上がらせロァは活路を見極めた。


ー右前方左舷25度・・舵を取れ!!-


叫んだロァの声は突風にかき消され、

悪夢のような雨風の襲来が始まった。


それから、船がどうなったか、

  ロァがどうなったか、

   アマロは知らない。


打ち寄せる波の音を耳にした覚えがある。

水の中に身を横たえたまま

身動きできずに死を待つばかりのアマロを抱きかかえ

暖かな火の傍らで誰かの肌に凍える身体をぬくめられた覚えがある。


粉々に砕け散った船は船人もろとも、海の藻屑になった。

アマロと何人かの男たちは島の磯辺に流れついたが助かったのは

アマロだけだったに違いない。


何故なら如月童子が息あるものだけを確かめていたから。


浜辺に流れ着いた船の破片や死体の異質さに如月童子は山から浜辺に下りてきた。

いつか見た紅毛人の仲間をまじかに見たかった。

死体を蹴たぐり、瞳を覗き込んで、息がないとわかっていながら、それでも童子は心の蔵に耳をあててみた。


3人・・4人・・皆・・死んでいる。


いつか紅毛人の女が流れついた浜の岬に足を運んでみることにした。

もしかすると、そこにも、紅毛人が流れついているかもしれない。

童子の思ったとおり、岬の洞穴に何人かの死体がうかんでいた。

打ち寄せられる波に踊るようにゆらめきながら、黄色い髪もゆらめいていた。


生きておらぬか・・


念のため、童子は岬の裏側の砂浜の多い岸辺を見渡しておくことにした。

沖も岩礁がなく、流れ着くものが無事でいるやもしれぬ。


はたして、

童子の勘はあたっていた。


打ち寄せる波に洗われる紅毛人がいる。

童子は岬から一気に跳びすさり、浜辺におりたつと、紅毛人の側に近寄っていった。


「おんな・・・?」


そっと、首筋に触れてみる。

身体は冷たく死人のものでしかなかったがかすかな脈を感じた。


息を吹き返すかもしれない。

童子は女の身体を持ち上げると

童子の祠へつれかえることにした。

囲炉裏の傍らに女を横たえると

濡れた衣服を小刃で切り裂き

女の裸体を童子の身体で暖めた。


女の身体に血を沸かせる事のできるその場所へ童子は己のものをあてがってみた。

女の身体は「生きていたい」と童子にかすかな訴えを渡していた。


火をたやさぬように、

女の身体を火照らすように

童子が最新の注意を払い

三日三晩を徹したあと

女は意識を取り戻した。


「ロァ・・」

アマロを抱く男はロァしかいない。

アマロがすがる男はロァしか知らない。

アマロを抱くものがアマロを救ったロァにちがいないと、アマロはロァを確かめたかった。

ロァが生きている。

アマロが生きているように

ロァもまた、生きている。

それだけで良い。

ロァがいればそれだけで良い。


混濁した意識が「ロァ」を捕らえ直すまでアマロは自分が死んだのだと思った。


なぜならば

アマロを抱いていたものは、

ロァでなく、

ロァともにつかぬ、

いや、

人間にもにつかぬ

角の生えた異形の生き物だったから。


「悪魔・・?」

と、言うことはアマロは地獄に落ちたに違いない。

それは、それで、あたりまえのことかものしれない。

あの娘を死においやり

リカルドに死を掴ませたのもアマロ。

悪魔の仕業を繰りかえした人間が、死んで天国にいけるわけが無い。

似合いの結末。

男を性であがなったアマロは、地獄に落ちて悪魔の性具にされる。

どのみち、生きていたって、いつかは、船底人生。

生きていても死んでいても同じ。


だけど、ロァはどうなったんだろうか?

同じ地獄に落ちなかっただけか?

それとも、ロァはいきているのだろうか?

でも、もう、それさえ、どうでもいいし・・どうにもならない・・・。


死んだ自分を眺め回し死ぬと裸になるかとも思う。

目の前の悪魔がそうも恐ろしくないのが

不思議で、アマロは夢をみているのかと考え直していた。


アマロを覗き込んだいた悪魔は

これもまた素裸で、

アマロは悪魔がアマロを嬲ったのでなく

アマロの身体を暖めていたのではないかと思えた時、

悪魔はアマロにないおか、喋りかけると

つと、立ちあがって、むこうにいくと、

アマロの前に木の器に盛り付けたオートミールのようなものを差し出した。

それが「食べ物」であることを、アマロの視覚より先に本能が教えていた。

正しくはアマロの餓えというべきかもしれない。

空腹であることを自覚するより先に

アマロは「食べ物」に手を伸ばし

餓鬼のごとく、「食べ物」を胃の腑に落とし込んでいた。

人心地をとりもどすと、

アマロは自分が死んでいないことにも、

悪魔がどうやら、悪魔でないことにも、気がつき始めていた。


死んだ人間が食べ物を食べるも妙だが、それよりも、死んだ人間に食べ物を与える必要は無いだろう。

で、あるのに、悪魔はアマロに生きる糧を与えた。


と、なると・・・。

「あなたは誰?ここはどこ?」

異世界に紛れ込んだのか?

それとも、ここは、異人がいる国でしかないのか?

通じない言葉に意味も判らず頷く悪魔の瞳が「安心せよ」とアマロに語りかけていた。


自分が生きているのなら

「ロァ・・は?」

たずねかけてアマロは口をつぐんだ。

ロァがどうなったか、この悪魔は知っている。

もっと、考えれば

ロァが生きていれば、この悪魔はロァも此処につれてきて介抱したのではないか?

あたりを見回し、アマロしか、此処にいないことを確かめると

おそらく・・・。

おそらく、助かったのはアマロだけなのだと自分に言い聞かせるしかなかった。


そして、

アマロは悪魔を見つめなおした。

どこに流れ着いたかも判らず

ケジントンに帰るすべも無く

この悪魔にすがるしかないアマロだと悟ったからこそ、

アマロは今一度、悪魔を見つめなおした。


異形の角を除けばあとは、普通の人間となんの差異はない。

年齢もアマロより10くらい若いと思える。

まだ若い悪魔は存外端正な顔立ちをしていた。

「私を助けてくれたのね・・。ありがとう」

人として最低限の礼を言うことさえ忘れていたとアマロは通じないままでも良いと礼を述べた。

そして・・・どうすればよいのだろう。

この先も私を助けてくださいといえばよいのだろうか?

この国には悪魔しかいないのだろうか?


外っ国の人間と恐れられ、鬼と同様に忌嫌われる存在であるとアマロは知る由も無い。


いずれにせよ・・・。

この国で生き抜くためには

目の前の悪魔の力を借りるしかない。

言葉を覚え、この国の船を捜し、いつか、

ウェールズに帰ることが出来るかもしれない。


生き延びるためにアマロは必死だったに過ぎない。

ケジントンの元に帰れるアマロからますます遠ざかると知りながら

アマロは悪魔の股間に手を伸ばし

男と女の暗黙の契約を交わすことを選んだ。

女が安泰な位置に座る方法をロァによりその身体に叩き込まれたアマロの哀しい処世術だった。


悪魔まで利用して・・?

悪魔と暮らす?

アマロの性根もアマロの現実も、生活も何もかも・・悪魔そのもの・・。

でも・・・・。


アマロはぐっと口を結ぶと、胸の中心に言い聞かせていた。


でも・・・・。

おかげで、亡霊ももう、怖くない。

こんな・・人間でも

こんな私でも・・生き延びてみせる。


***************

物語は此処で終わる。

アマロはその後、如月童子との間に

男子をもうける。

幼名:鏑木童子

長じて、光来童子と名乗り

白蛇抄の基点である、悪道丸の父となる。

かなえとの悲恋

「七日七夜」の中心人物として登場する。

「七日七夜」の続編的位置にある「鬼の子」にも些少なり光来童子が現れている。

このアマロの抄は光来童子のルーツという所である。

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