第9話

「ガーネット!」


 倒れそうになったところを、ルベリウス殿下が抱きとめてくれました。

 恐怖に震えるわたくしに、彼は優しく穏やかな声で囁きます。


「大丈夫だよ、ガーネット。心配いらないから……」


 その声を聴いただけで、なぜだかほっと安心して、張り詰めていた胸が楽になりました。

 背中に感じる彼の温もりが、わたくしの凍りついた心や身体を溶かして、やっと息ができる心地がします。


 わたくしを捕らえようと近衛兵が踏みだせば、その前に人影が立ち塞がりました。


「……な、なんだお前達は? ……」


 それは、わたくしがパーティーに招待していた、たくさんの方々でした。

 近衛兵に向かって立ちはだかり、皆さんは強い口調で言います。


「やってないって言ってるだろ! ガーネット様は無実だ!!」

「そうだそうだ! ガーネット様がそんなことするはずがないだろ!」

「私達、ガーネット様をずっと見てきました。そんな変な素振り、一度だって見たことはありません! そこのおかしな令嬢が嘘をついているんです!!」


 なぜなのか、皆さんがわたくしを守ろうとしてくれているのです。


「……皆さん……わたくしを、信じてくれますの? ……」


 驚いて零した呟きに、皆さんはわたくしに笑みを向けて答えてくれます。


「もちろんです! ガーネット様は、そんなことができる方ではありません!!」

「見ていれば誰だって分かります。ガーネット様は天真爛漫で自由な方なんだと! 狡猾な謀略や悪事なんて、できるはずがないんです!!」

「ご自分を悪女だなんて言って、悪役に徹してまで私達を助けてくれる、お優しい方なんです! 誰かを貶める行為をするだなんて、絶対にありえません!!」


 わたくしは自分のしたいように、好き勝手にすごしてきただけなのです。

 結果的に誰かの助けになっていたとしても、それは意図したことではありません。

 それでも、皆さんはわたくしの言葉を信じ、無実だと主張してくれるのです。

 そのことが、わたくしは嬉しくて、ただ嬉しくてしかたありません。


 わたくしの無実を信じて、皆さんが口々に捲し立てる中、クラウス殿下が怒鳴り声を上げます。


「ええい、うるさい黙れ! 誰にものを言っているんだ、無礼者が!! そいつらも不敬罪で捕らえてしまえ!」


 近衛兵が躊躇いながらも動き出そうとした、その時――


「「「!?!?!?」」」


 謎の魔法陣が出現したかと思えば、忽然と姿を現した黒鎧の騎士団により、近衛兵達は瞬く間に拘束されてしまいました。


「なっ!? なんだお前達はっ!」


 突如として現れた黒鎧騎士の軍団に完全包囲され、クラウス殿下は動転して狼狽えました。

 そこへ、ルベリウス殿下が歩み出ていき、クラウス殿下を見下ろしながら淡々と説明します。


「彼らは新たにこの国の要となる、魔術武装を施した精鋭部隊、黒曜騎士団です。国王に進言して、僕が組織を構成しました」


 彼らの主が誰であるかは、一目瞭然でした。

 黒曜騎士団は一糸乱れぬ動作で隊列を組み、彼に向かって跪き頭を垂れます。


「密偵から暗殺まで何でもこなす特殊部隊でもあります。実地訓練として、間者を引き入れていた貴族を調査させていたのですが、ちょうど証拠収集と間者の処理が終わったようです」


 団員から何かを受け取り、彼が合図すると、逃げ出そうとしていたエメラルダ嬢がすぐさま捕らえられました。


「きゃあっ!? 何をするのよ、放してっ! わたくしは関係ないわっ!」


 喚き散らすエメラルダ嬢と、捕らえられた近衛兵は、黒曜騎士に連れていかれてしまいました。

 残されたクラウス殿下を、彼は冷ややかな眼差しで見下ろし、語りだします。


「書斎に忍び込み書類の改竄をしていたのは、兄上が入れ込んでいた、あのエメラルダ嬢です。大方、色事に耽る間に鍵の複製でもしたのでしょう。間者を引き入れていた内通証拠が伯爵家から大量に出てきました」

「なっ! そ、そんな馬鹿なっ!!」

「馬鹿は兄上です。ここまでの愚行、さすがに国王も見逃しませんでしたよ」


 先程、受け取っていた書類をクラウス殿下に突きつけて、彼は告げます。


「色情にうつつを抜かし、誑かされて傀儡になりはてる、愚鈍な者に王たる資格はありません。兄上は廃太子されました」


 王家の使用する正式書類には、国王の刻印と直筆の署名がされ、クラウス殿下の廃嫡が記されていました。

 クラウス殿下は愕然として、次いで錯乱状態に陥り、喚きだします。


「……嘘だ……嘘だ、嘘だ! 何かの間違いだ!! 私は何も間違ったことはしていない! 私は騙されていたんだ! 私は悪くない! 私は――」


 崩れ落ちて膝をつき騒ぐクラウス殿下の姿を、冷淡な目で見下していた彼は何かを思い出したのか、クラウス殿下に近づいていきます。


「ああ、そうでした。兄上……いや、クラウス」


 彼は膝を折り屈んでクラウス殿下に詰めよると、胸倉をつかみ引きよせて、低く重い声を発しました。


「――許さないと言っただろう? クラウス――」


 別人に思えるほどの低く重い声が響いて、異様な空気を纏う彼の顔を見上げたクラウス殿下は怯えて喚きます。


「ひっ、そ、その目はなんだ? なんなんだ!? やめろ! やめろぉ!!」


 それは時間にしてはほんの少し間、ルベリウス殿下とクラウス殿下が目を合わせていただけのことでした。


「…………私、が……狂王……そん、な…………」


 弱々しく呟いたクラウス殿下の目から、次々と涙が零れ落ちていきます。

 クラウス殿下は滂沱の涙を流しながら、なぜかわたくしに視線を向けました。


「……、……っ……」


 憔悴しきった表情で言葉もなく、わたくしの方へと手を伸ばします。

 そんなクラウス殿下に、彼は言い聞かせるようにして宣告しました。


「――お前が真に望むものは永遠に手に入らない。生き地獄を生涯味わい続けるがいい――」


 クラウス殿下は絶望した表情を浮かべ、脱力してその場に崩れました。

 彼の指示を受けた黒曜騎士団が、クラウス殿下を引きずって連れていきます。


 わたくしは何が起こったのか分からず、ただ茫然と見ていることしかできませんでした。

 淡々と指示を出している彼の後姿がとても遠くに感じられて、わたくしは心細くなって彼に呼びかけてしまいます。


「……ルベリウス、殿下? ……」


 ルベリウス殿下はゆっくりとわたくしの方へ振り返ります。


 肩を落として背中を丸めた彼は、少し困ったお顔をしていました。

 わたくしのところまで来て、彼は申し訳なさそうに微苦笑し、穏やかな声で問います。


「ガーネット。優しい嘘と残酷な真実、君はどちらがいい?」


 彼の優しく穏やかな声も表情も、わたくしを気遣ってのことだと分かります。

 先程まで場を掌握する圧倒的な存在感を放っていた彼が、今は不安げにわたくしを見つめ、紫眼の瞳を揺らめかせていました。


「わたくしは、貴方の真実が知りたいですわ」


 彼が何を不安に思っているのかは、わたくしには分かりません。

 でも、わたくしの知らない彼があるのなら、わたくしはもっと彼のことを知りたいと思うのです。

 きっと、どんな彼を知ったとしても、わたくしにとってかけがえのない人であることに変わりないはずですから。


 彼はわたくしの返答を聞き頷いて、息を吐き目を閉ざして言います。


「分かった。僕の目を見て――」


 再び見開いた彼の紫眼の瞳には、魔法陣が浮かび上がり、それを見つめるわたくしの意識は瞳の中に吸いこまれていきました。


 ◆

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