第3話

 王家に次いで高貴な血筋の公爵家は、その家柄に相応しく、邸宅も大変に格式高く壮麗な佇まいをしています。

 邸宅の中でわたくしの私室だけが身なりと同様に、簡素で味気ない印象になっていました。


 私室の中で唯一豪華なのは、壁に飾られている一枚の大きな肖像画です。

 わたくしは肖像画を見上げ、悲しい気持ちになり、今は亡き母に語りかけます。


「……わたくし、お母様みたいな慈愛深い母に――国母になるのが夢でした……」


 優しく愛情深かった母はわたくしが幼い頃、病気で亡くなってしまいました。

 社交界でも評判の『淑女の鑑』と讃えられるほど、母は素晴らしい淑女だったのです。


「お母様みたいな素晴らしい淑女になろうと、日々努力してきたのです」


 公爵家の娘として生まれたわたくしは、その責務を果たさねばならぬと、幼心に思っておりました。

 王家の意向により王太子の婚約者となってからは、国と民を家族同然に愛し慈しむ良き国母になるのだと、強く決心していたのです。


 クラウス殿下が『理想の淑女』になるよう望まれれば、その通りになろうと振る舞いました。

 目立たないように地味に、出しゃばらないように控えめに、どんなに大変な仕事を任されようとも、精一杯に応えてきました。


「それが、国や民のためになるのだと信じ、自分の欲など捨てて、尽くしてきたのです」


 同世代の乙女達が華やいで見える傍らで、わたくしは年頃の娘が抱くような願望をすべて捨て去り、愛し慈しむ国と民のために全身全霊を捧げる覚悟でいました。


「それでも、なれませんでした……」


 何一つ罪など犯していない、善良であったはずの地味令嬢理想の淑女は、すべてを捧げ尽くしてきた結果、冤罪で処刑されてしまったのですから……。


「どうすれば、良かったのでしょう?」


 当然ながら、肖像画からの返答などあるはずはありません。

 ですがきっと、母が生きていたら、またわたくしを抱きしめて、優しく慰めてくれたことでしょう。


 母は国家間の和平の証として、他国から嫁いできた姫君でした。

 わたくしには母の生きていた頃の記憶があまりないのですが、とても優しく愛情深い人だったことだけは、よく覚えているのです。

 若くして亡くなった母との思い出を、優しい母の面影を忘れたくはありません。


「わたくしの敬愛する、大好きなお母様」


 豪華な肖像画に描かれる、華やかで美しい母の姿は、いつ見てもあでやかに輝いています。

 清楚で気品がありながらも、神秘的な雰囲気があり、特に目が印象的でした。

 かの国の王族の特徴でもある、煌めく赤い瞳は『至宝の宝石眼』とも謳われ、見る者を魅了したのだそうです。


「お母様みたいになりたかった……」


 肖像画を見つめるたび、わたくしは思っていました。

 そして、日々成長するにつれ、わたくしの姿は母に似てきていました。


 鏡台の前に立って、わたくしは改めて自分の姿を見つめます。

 今、鏡に映っているのは、クラウス殿下に望まれるまま装ってきた、やぼったくさえない地味令嬢のわたくし。


 ですがもう、装う必要などなくなり、わたくしは本来の自分の姿に戻ります。

 固く縛っていたひっつめ髪を解けば、波打つ豊かな黒髪が身体の線に沿って流れ落ちていきます。

 曇った伊達眼鏡をはずし鏡に向き合えば、そこに映るのは煌めく赤い宝石眼。

 艷やかな黒髪も、煌めく赤い瞳も、透き通る白い肌に彩りを添えて、化粧などしていなくとも華やかに映ります。


 かの国の王族の特徴であるこの赤い瞳を、クラウス殿下は気味悪がり、わたくしに曇った眼鏡をかけさせていました。


 あの恐ろしい悪夢で最後に吐き捨てられた、クラウス殿下の言葉が脳裏をよぎります。


『やはり、魔女の血筋か……黒い髪に赤い目など気味が悪かったんだ』


 クラウス殿下はこの色を、わたくしが敬愛する母の色を侮辱しました。

 愛し慈しもうとするわたくしの心を踏みにじり、神聖な思い出に残る母のことまでも魔女と罵り冒涜したのです。


「……っ、……」


 ふつふつと、今までにはなかった感情が込み上げてきます。

 虚しさよりも悔しさが、悲しみよりも怒りが、諦観よりも衝動が、わたくしの内に湧き上がってくるのです。


「わたくしは怒りました! もう絶対に『理想の淑女』になんてなりません!」


 湧き上がる衝動が、わたくしの口をついて出ていました。

 尽くしてさえいればいつか報われると、妄信していた自分があまりにも愚かで、馬鹿馬鹿しく思えてなりません。


 ふと、ルベリウス殿下の言葉が思い起こされ、わたくしに問いかけます。


『君は何を望む? 何がしたい?』


 衝動のままに、込み上げてくる欲求を口に出して言います。


「わたくしは二度と我慢なんてしません! 自分を犠牲にして、尽くしたりなんてしません! 自分のやりたいようにやって、好き勝手に振る舞って、自由に生きるのです! ……そう。わたくしは悪い女になります!!」


 『醜悪な女』だの『魔女』だなどと罵られるのであれば、それ以上の悪女になってさしあげますわ!


 鏡に映る宝石眼はキラキラと煌めいて、強い意志を宿していました。


「もう男性になど従いません、従わせる悪女になるのです! 豪華で派手なものが悪徳ならば、思いっきり派手に豪華に着飾って、悪女になってやりますわ!」


 キッと鏡を睨みつけて断言すれば、気の強そうな表情はさしずめ華やかな悪女といった風貌でしょうか。


「わたくしは『華麗な悪女』になるのですわ!!」


 こうして、己が思うままに悪徳の道を突き進む、『華麗な悪女』になるのだと、わたくしは決意したのです。


 ◆


 まずは初めに、これ見よがしに派手に豪華に着飾って社交パーティーに参加し、わたくしが悪女であると周囲に知らしめると決めました。

 未来を変えるため、『理想の淑女』の認識を払拭して『華麗な悪女』として名を馳せ、地味令嬢がしなかったことを積極的にしようと思ったのです。

 クラウス殿下の指示でわたくしが社交の場に出ることはほとんどなかったので、尚更、社交パーティーには出なければなりません。


 今になって思えば、王太子の婚約者が社交しないなんて異常ですが、地味令嬢が参加したところで笑い者になるだけでしょうから、それで恥をかくことをクラウス殿下は嫌がったのでしょうね。


 社交パーティーに参加することもなければ、クラウス殿下に豪華なドレスや宝飾品を贈ってもらったこともありません。

 貰ったものと言えば、誕生日に贈られた花束と既製品のメッセージカードくらいでしょうか。

 それも、使いの者から渡されたので、直接的に祝ってもらった経験はありませんけども……。


 ですので、社交パーティーに参加すると決めたは良いものの、着ていくドレスもなければ、エスコートしてくれる方もいない状態です。

 どうしたものかと困り果て、ついルベリウス殿下の前で零してしまいました。


「わたくし、本当は社交パーティーに参加したいのです……でも、クラウス殿下はそれを嫌がるので、誰もエスコートなどしてくれません……」


 せっかく悪女になると決めたのに、やりたいこともままならず、わたくしが肩を落として項垂れていると、彼は優しい声で言います。


「ガーネット……僕がエスコートするよ。ドレスやアクセサリーも、君が好きなものを選ぶといい、僕が贈るから。……だから、一緒に行こう」


 わたくしの落ち込む様子を見かねてか、彼がエスコートを申し出てくれました。

 さらには、ドレスやアクセサリーまで、彼は贈ってくれると言うのです。


「本当に……お言葉に甘えてしまって良いのですか?」

「もちろん。今まで一生懸命頑張ってきた君へのご褒美だよ。兄上に代わって、僕から贈らせて欲しい。遠慮なんていらないからね」


 まぁ! 婚約者でもない男性に贈ってもらうだなんて、わたくしったらなんて悪い女なのでしょう!?

 早速、悪女になってしまって、わたくしなんだか……ワクワクしてきましたわ!


 彼におねだりして、新しいドレスやアクセサリーを誂えてもらいます。

 やたらと豪華で派手なドレスにしてみたり、好きな宝飾品を色々選んでみたり、自由に好き勝手に決めるのはとても楽しいことでした。

 ルベリウス殿下の分もお揃いの生地を使って、気に入った宝石を充てがって、わたくしの見立てでなかば強引に新しい衣装を誂えてもらいました。


 いつもは隠れてしまっているけれど、ルベリウス殿下は綺麗なお顔立ちや体型をされているので、派手な衣装も絶対に似合うはずなのです。

 そう思っていたことを口にすると、彼は恥ずかしそうにしながらも、まんざらでもなさそうだったので、わたくしも気合が入ってあれやこれやと追加注文してしまいました。


 派手な衣装に豪華な宝飾品、その他色々……ちょっとしたおねだりのつもりが、とんでもなく散財させてしまった気がしますけども、彼も楽しそうだったので……大目に見てくれますわよね? 許してくれますわよね?


 ちょっと不安になってきて、ドキドキしながら横目でチラリと窺えば、彼は上機嫌な様子で優しく言ってくれます。


「君の望みなら、なんでも叶えると約束したからね。このくらい当然だよ」

「……ありがとう、ルー殿下。すごく嬉しいですわ!」


 年下の心優しい王子を唆して、自分の願望を叶えるだなんて、わたくしったら本当に悪い女です……。

 正にこれぞ悪徳ですわ! 自由に好き勝手できる悪女って楽しいですわね!!


 ◆


 数日が経過し、社交パーティーの日がやってきました。

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