磨彼ふしぎ

志葉田とまと

第一話「はるか遠くに訪れた夜明け」

 ある人が空になって、しばらくが経つ。けれど、時は止まらない。容赦なく、流れ続ける。

 遺された人々を、けっして、誰一人。置き去りにすることなく。



 *



 同い年の妻が出産を終え、彼女と共に子育てにいそしむ、弟の晴市はるいちに呼び出された、兄の逸陶いっとう。姓は家永いえなが。家永兄弟だ。彼らは、クラシック音楽の流れる奥ゆかしい喫茶店にて、兄弟同士お茶をしていた。何でも、晴市曰く大事な話があるとかだそうで。その、〝大事な話〟が。



「母さんに、隠し子!?」



 思わず逸陶は、他の客をかえりみず声をあげてしまう。途端、晴市はバシンと頭を容赦なく兄の頭を涼しい顔で叩いた。



「ち、が、う。何ぶっとんだこと言ってんの。灯子とうこおばさんの子だよ」



 場所考えなよ、クソ兄さん。静かな喫茶店で弟に睨まれ、慌てて口をふさぐ。店の雰囲気をぶち壊した自分を訝し気に見つめてくるのは、他の客たちだ。当然、逸陶は軽くだが直ぐ周囲に謝罪をし、いや……でも。と口元を押さえ、視線をうろつかせ、彼にやった後、余所へやりつつ、会話を続ける。「ヤバいだろ、それ」



「十分に色々問題あるっていうか。え、何、俺らの遠いイトコってこと? おばさん不倫してたの?」

「それもちがう。伯父さんが死んで、未亡人になってから出来た子らしいよ。女の子。血は繋がってないから、厳密に言えばイトコじゃないんだけどさ」



 なめらかに泡立ったミルクとチャイが、カップの中で、ひたすら綺麗な層を生み出している見た目もうつくしい紅茶を口にし、晴市は息をつく。少し口ごもったあと、「本当に、かわいそうなんだよ」おばさんと二人暮らししてたのに。と、眉をひそめてどうしようもないという事を本当に仕方なさそうに話しだした。

 まだ十五歳。高校一年生。肝心の父親は、生後間もなくにおばさんと離婚していて、連絡もつかない。身寄りも家永以外なくて、血の繋がった人だれ一人いない。──思わず逸陶は口元をひくつかせる。



「俺らより十以上も年下じゃねーか。しかも高校生でって。不憫すぎるだろ」

「だよね。で、ずっと灯子おばさんが一人手で育ててたらしいんだけど、亡くなったじゃん。それで引き取り手を探してるらしくて」



「へぇ。宛てとかあるのか?」かなり事情とかからして、複雑そうだけど。頬杖をつき、泡の浮かぶ珈琲に、逸陶もたっぷりミルクを注いだ。何とも穏やかな、香りと味になる。ティースプーンでゆっくりとかき混ぜ、言葉を待ち、それを口にする自分を、晴市──弟はチラ。と見た。兄弟は似た容姿で、幼き日ぶりに長いこと見つめ合う。



「……」

「……」

「……」

「……」

「……は?」

「ってわけ」



 目で、察して。といったようすで晴市は言ってメモを取り出し、逸陶の頬杖をついているテーブル手前へと、滑らせる。「母さんたちは、引き取っても、全然いいって言ってたけど」



「なんだかんだであのご夫婦、老後の生活で、一杯一杯でしょ。兄さんが暫く預かるってこと」

「はぁあ!?」



 逸陶が声をあげてしまうと、再び刺さるような他の客の視線が注がれた。すいません、ほんとすいません。謝り、それから小声で「何考えてんだよお前っ、ボコすぞ!」と、素を出して軽くテーブルを叩く。珈琲と紅茶が、やわらかなさざ波を立てた。しかし、晴市は呆れた様子で言う。



「だって俺んとこ、奥さん子供産んだばっかだよ。そりゃ、さすがに鬼じゃないし、その子が可哀想だし、力になりたいとは思う。でも、色々ほんと、申し訳ないけど、無理なんだ。それに比べて兄さん、今んとこ独り身、いいマンション住んでて、やりたい放題じゃん」

「俺、二十八の! 成人してる、〝男〟なんですけど!? ……よく考えろ、女子高生なんて世話できるわけねーだろ。仮にもとか、そういう可能性だって考えろよ」

「兄さんに、そんな度胸ないっしょ……」

「るせぇなそうだけどさ……」



 ハイハイ。晴市は適当に頷き、メモを指で差した。「とりあえず、待ち合わせ場所と名前と写真」



「二丁目の通りの本屋前で、待ち合わせしておいたから」

「お前、俺の言い分聞く気ないだろ……? 大体、仕事もあんのに思春期の子供の世話なんかしてられるかよ」

「その子の生活費は、オヤジが毎月、兄さんの口座に振り込んでくれるってさ。おばさんの遺したお金からと、あとはオヤジと母さんからって。俺からも協力するよ。荷物は今日着くと思う。多分、今頃届いてんじゃないかな。まぁ、家事でも手伝わせればいいじゃん。じゃ、俺、夕飯のお使いあるから。奥さん母体安定まだしてないんだよね、産後のストレスってやつ? 女性は本当に大変だから、男もしっかりしなきゃな。ほいじゃ」

「おい!? ちょっとまて、おい!」



 タイムセールは逃せないの! 奥さんと我が子ラブな俺からにしてみればね! ──軽快に言って席を立ち、歩いて行く弟を追いかけようとするが、晴市は手をひらつかせて、ぐーぐーと眠る息子の居るベビーカーを押しながら店を出て行ってしまう。伸ばした逸陶の手は、もちろん行き場を失くした。


 呆気にとられていたが、クソ。と拳を握り。ぜってー行かねぇ。腹に決めた逸陶は軽く苛立ちながら、どかっと席に座り直し、甘ったるい珈琲を口にしていた。……が。チラ、とメモを見れば、ついでに写真が添えられている。少し考えたが、指でメモをずらし、それをあらわにすると。



(……暗っ)



 そこには、重い色合いの黒髪に、長い前髪で、レトロな眼鏡をかけた幽霊のような少女が、視線も合わせず写真に写っていた。まるで全てを憚っているようにも見て取れる。

 死んだ伯父の妻、つまり小母と少し目付きは似ていて、部品は整っているようにうかがえなくもないが、それにしたってせっかくの暗い髪と重い髪、そして暗く地味な私服で、台無しになってしまっているようにも感じた。



(まぁ、最近のJKみてーに、妙なとこ派手じゃないだけマシだが……このバランスはないだろ。学生だし黒髪は別に悪くないとしたって、少し明るくして……小顔なんだからもっとバッサリとカットがいいよな。ミディアムからショートでもいける。 トップは盛り過ぎない程度に少しボリューム出して、前髪はただ下ろすんじゃなくて、前下がりに少し流して毛先をワックスで遊ばせて……顔周りとトップにレイヤー入れれば、軽やかに印象付けることもできるし……)



 服は、シンプルでラフな系統が似合いそうだ。その中で、さりげない小物遣いをすれば光るのに、もったいねぇ。目元は、一重に近い、奥二重。ほぼ一重で垂れてるけど、睫毛がミツで長いっぽいし、印象的だからヘレナでがっつりと。あーでも学生には、ちょい金額的にキツイか。でも、敷居高くともリップはピエヌ一択だな。


 ──と、逸陶が写真一枚の中の女性で色々と考えてしまうのは、彼が美容師としてなかなかに腕が立つからである。美容専門学校を卒業して、きちんとしたサロンに採用されて働きだし、早くも三年が経過しようとしていた。


 元々手先が器用だった逸陶は、幼馴染や母のメイクやネイル、髪型のセットを学生時代から暇つぶしに見ていた。それが意外と本人たちにも、本人たちの友人らにも好評で、褒められることに関して逸陶も悪い気はしていなかった。 


 母に、全体の美のバランスを考える美容学校とか向いてるんじゃない? などと提案され、大学へ通いながら、夜間は美容専門学校へ通いだす。

 しかし、最初から美容関係の仕事で食べて行くつもりは、毛頭なかった。その世界は需要があれど、平均的な収入は低く、成功するのは一握りの人間と聞いていたからだ。


 それゆえに当初は、精練のつもりで〝誰かを綺麗にすること〟が好きだからということ。それと、運動部ばかりで培ってきた粘り強さを活かすための、所謂〝修業〟のようなものとして学び続けた。


 すると意外にもこれが向いていて、専門学校の講師の勧めで、とあるコンテストへ出場をしたところ、驚くことに一年生の半ばにして優勝をおさめたのだ。周りからも向いていると言われたり、センスを活かさないのはもったいないと説得され、本格的に美容師一本に将来を絞ろうと考えだす。


 大学を中退し、コンテストに出続け二度優勝。バイトと勉強、実践の下積み(プロではないので、当時はカットでお金は貰ってはいけなかった)を続け、夜間だった専門学校を全日制へ変え、一年多めに在学したところ。コンテストで名を馳せていたお陰で卒業をしてから、銀座で有名な経営しているサロンから呼び声がかかる。


 そのサロンは、逸陶の尊敬している美容界のカリスマたちが、勤めているところでもあった。それゆえに格式高く名誉もあったので、学校を出たてホヤホヤのひよこを、まさか御客様に出すわけがない。万が一のミスで品位などを落としてしまわないようにと、最初はお茶出しや会計のみの仕事だけ。それでもめげず、カットモデルの客を相手にカットをしたり、マネキン相手にカットをしたり。たまに晴市や母に父、親族や友人を相手にカットを続けていたところ、たゆまぬ努力をよく見てくれていた今の店長に、きちんとした御客相手で仕事をさせてもらえた。


 血もにじむような努力で培ってたカット技術、マッサージ技術、程ほど会話術、シャンプーテク、トリートメントやカラーリングのカラーの選び方、ヘアカウンセリング。

 それらを発揮させてもらえた、一番最初の御客は、上品居住まいの老婦人であった。施術を終え、いかがでしょうと緊張しながらも訊ねて、返ってきた、きらめく笑顔でくれた言葉は、今も鮮明に憶えている。



『なんだか、魔法をかけられたような気分。

 魂までうるおって、若返った心地です。

 けれど、あなたのお陰で年相応のうつくしさになれたわ。

 本当に、ありがとう。』



 一字一句。忘れるわけがないのだ。

 こんな詩的なようで、楚々とした感想を、初めての御客にいただけるだなんて。


 ああ、俺はこの道を選んできてよかったんだ。こんなに達成感があること、部活をやっていた青春時代以来かもしれない。


 ──心底そう感じ、妙な感動で泣きそうにもなった。是非またお越しくださいと言ってからは、彼女は今も自分を指名してくれる大切な御客様の、一人となる。


 しかしそういうことから、女性を見る時は全体のファッション、小物遣いにヘアスタイルに髪の状態、メイクや肌の状態までパッと見ただけで


「ああ、この人はトリートメントの仕方から、間違ってる」

「化粧の仕方がイマイチだ。もっと明るいトーンのファンデと下地使ったほうがいい」


そんな厳密な判断まで出来てしまい、恋人にそれを呟いて振られたという苦い経験もある。

 同性の男性のことはもちろんだが、異性である女性のことまでわかりすぎるということも、妙に困りものだ。心までは、深読みできないところが特に。



(けど、こんな子供の衣住食についての約束、放るわけにもいかねーか……)



 会うだけ会ってみるしかない。K社の新しいトリートメントが出たっていうから、小売店に行って確認したかったのに。

 少しだけイライラしながらも、どうしようもないとため息をついて、晴市が払わなかった分のお茶代も払う。約束の時間を腕時計で確認すれば、あと少し。どうあっても年下の、しかも子供の女性を待たせるわけにはいかないよなと、足早に逸陶は喫茶店を後にした。

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