ある日、親友が家に押しかけてきた

耶ト花

Prologue

第1話 〜葉山沙織 side〜

 長短2本の時計の針は、もうすぐ、真上で重なるか。

 終電で自宅の最寄り駅まで辿り着き、そこから徒歩5分。間借りしているマンションの入り口。オートロックのエントランスは、住人にしか開けない。

 インターホンのすぐ隣に、見覚えのある人影を見つけた。


「やっほー、沙織ちゃん」


「……優、か?」


 思わず、ぱちぱちと瞬きをする。

 就職してからはメッセージでのやり取りが主になっていたが、顔を見間違えるわけもない。

 そこにいたのは、私の友人である汐留しおとめゆうだった。


「久しぶりだね。2年ぶりくらい?」


 優は朗らかに笑う。


「就職以来だから、そのくらいか。髪が伸びたな」


「でしょ〜」


 はらりと舞う艶やかな黒髪。

 以前は、肩にかかるくらいだったはずだ。それが、2年経ち、肩甲骨を覆い隠すほどになっている。

 手入れが面倒だから伸ばすつもりはない、と言っていた気がするが、気が変わったのだろうか。


「まあ良い。上がっていけ」


 返事を聞かずに、エントランスを解錠する。

 この時間に押しかけてきたのだ。どうせ、泊まっていくに決まっている。


「ありがと〜」


 エントランスを通り抜け、エレベーターのボタンを押す。間も無く、チン、という音が鳴り、扉が開いた。

 ちらりと視線を下げる。

 狭いエレベーターに引っ張り込まれた荷物は、そこそこ大きいスポーツバッグだった。


「…………」


「やっぱ気になる?」


 優は洞察力が鋭い。すぐさま視線の向いた先を察したようだ。

 へにょりと垂れ下がった目尻が愛らしい。


「しばらく泊まるのか?」


「え? ……あ、うん。そうさせてもらえると嬉しいけど」


「了解した」


 そこから、少しだけ無言の時間が流れた。

 何か言いたげな表情を見せる優は、しかし、結局口を開かない。

 電子音が鳴り、エレベーターが目的の階に着いたことを告げる。


 マンションの7階、手前から3つ目。私が借りている部屋だ。

 キーケースを取り出し、鍵を開ける。

 ガチャリ。無機質な音と、殺風景な光景。壁のスイッチを入れると、切れかけた灯りが頼りなく廊下を照らした。


「ほれ」


「うわっ」


 放り投げられたのは、小さな鈍色の金属片。

 手のひらのそれを眺めて、優は驚きの表情を浮かべた。


「え、ちょっと」


「私は帰りが遅いからな。しばらくいるなら、持っていた方が良いだろう」


 パンプスを脱ぎ捨て、部屋の中へ入る。

 羽織っていた薄手のコートを脱ぐと、ちょっと肌寒い。暖房を入れようと、エアコンのリモコンを探していると、慌ただしい足音が近づいてくる。


「え、あの、ほんとにいいの?」


「何がだ」


「いや、合鍵!」


 パソコンデスクの上にリモコンを発見。ピ、という音とともに風が吹き出す。

 暖房とはいえ、かかりはじめは冷たい風だ。ぶるりと全身が震える。


「良いも何も、私から渡したのだが」


「突然押しかけた私も私だけどさ、何も聞かずに合鍵って、男前すぎん……?」


「話したいなら聞く。そして私は女だ」


「知ってるよ!」


 優の声を聞き流し、スーツのボタンを外す。

 帰宅したのだ。良い加減、気楽な服装に着替えたい。


 事情が気にならないと言えば嘘になる。

 優は大切な友人だ。性格もよく知っているが、かなり礼儀正しい。公私の区別はきっちりとしているし、考えもなしに他人に迷惑をかけるような人間ではない。

 そんな彼女が、突然大荷物で押しかけてきたのだ。心配にもなる。


 だが。


「……………………」


「……………………」


 ちらりと伺えば、不安げに揺れる眼差し。

 そんな表情かおを見せられては、何も言えまい。


「私はシャワーを浴びてくるが、優はどうする?」


「あ……うん。沙織ちゃんの後で、いただいてもいい?」


「もちろんだ」


 ようやく暖まってきた暖房の風。

 スーツのジャケットを脱いでハンガーにかけ、そのままパンツも脱ごうとベルトに手をかけた。


「ひゃっ」


「ん?」


 変な声が聞こえた。

 振り返って見ると、優が変な顔をしていた。

 手のひらに隠された頬は、若干赤みを帯びているような気がする。


「と、突然着替えないでよ」


「ああ、私は見られても気にしない。興味があるなら存分に見ると良い」


「私が気にするんだよぉ!!」


 人差し指を立て、唇へ。


「もう深夜だ」


「やかましいわ!!」


 全力で頭を叩かれた。痛い。

 しかし、非力なのは相変わらずらしい。ぜぇぜぇと肩で息をするほどエキサイトしているというのに、叩かれた私の頭は、じんじんとした感触が残る程度だ。


「もう良い。さっさとお風呂入ってよ」


「止めたのは優だと思うのだが」


「うるさいっ」


 理不尽だ。

 そんなことを思いつつ、逆に、それでこそ優だとも思う。

 普段は、きっちりとしすぎるほどに他者との間に一線を引く優の、素の姿。

 2年の空白はあっても、私たちの関係性は、変わってなどいないようだ。


 スーツのパンツも脱ぎ、ハンガーへとかける。ベルトを丸めてクローゼットの床に置くと、干してあるバスタオルを一枚手に取った。


「後は……優、そこにある下着を一式もらえるか」


 優はいつの間にか、こちらに背を向けて丸くなっていた。

 私の言葉にびくりと背を震わせると、真っ赤な顔でブラとショーツを投げつけてくる。


「デリカシー!!」


「女同士だろうに」


「私が! 気にすると!! 言っているのよぉ!!!!」


 予想通りの反応に、腹の底から可笑しみが湧き上がる。

 ああ。

 誰かと接していて、こんなに愉快な気持ちになったのはいつぶりだろうか。


「くく。すまないな」


「さっさと行けぇ!」


 廊下に出てすぐのシャワールームに入り、扉を閉める。

 優の真っ赤に染まった顔を思い出し、肩を震わせた。


「ふふふ。また、楽しくなりそうだ」

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