祈りとノベルと廻るセカイ
柏原カンジ
祈りとノベルと廻るセカイ
【1】
「常に作家であれ」
このことを忘れずに生きている。別に僕は何か本を出しているわけでも、絵を描いているわけでもない。まともに弾ける楽器だってないし、おまけに字も下手。だけど、僕は作家であろうと肝に銘じて生きている。
人は誰しも物語を持っている。僕も、あいつも、あの子も、君も。それぞれが、それぞれの物語を紡いでいく行為が、すなわち人生なんだと思う。「作家であれ」って言うのはそういうこと。
それぞれの物語は一致することはない。十人十色、多種多様。完全に交わるなんてありえない。人も物語も大前提として孤独だ。けれど触れることはある。ある物語が他の様々な物語と触れ合うことで、またその物語自身を紡いでいく。
そして物語は廻る。物語が触れ合った瞬間に、歯車が噛み合うように廻る。どのくらいかはその時々によって差があるが、多少なりとも廻る。その動力で物語は編み込まれていく。自身の物語も廻るし相手の物語も廻る。そして歯車の回転は連鎖して、第三者の物語や、あるいはこの世界をも廻すかもしれない。ほんの数ミリだけでも。
こうしているあいだにも、この世界では数えきれないほどの物語が触れ合って、回転をしている。そして今日も世界は回っていくんだ。今日も明日も明後日も。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると。
こうやって物語は、触れ合い、噛み合い、回転し、紡がれて、意識せずとも世界を循環させている。
循環する中で、世界はきっと素敵な物語が生まれるのを望んでいる。だから僕は良い作家であろうとする。上手くいかないことだらけでも。世界のためではあるけれど、世界は僕の見ているなかでしか捉えられないから、結局は僕のためだ。僕は僕のために、僕が好きなように、僕自身の物語を紡いでいく。
僕が、世界が、そして君が、少しでも、ほんの少しだけでも、幸せになりますようにと祈りを込めて。
【2】
「今日の遺言はこれよ!」
そういって彼女が高らかに掲げたスケッチブックにはこんなセリフが書かれていた
“徐々に薄れ消え行くよりも燃え尽きるほうがいい。”
「さて誰の言葉でしょうか?」
「カート・コバーンでしょ。ニルヴァーナ。これは知ってた」
僕が答えると、ピンポンピンポーン!と言って近くに置いてあるアコースティックギターを手に取った。年季が入ったそれは、どこか厳かな雰囲気を醸し出しているが、実際安物である。ただ弦は最近張り替えたので、割とちゃんとした音は鳴る。意外と弾きやすい。にも関わらず、彼女が弾くと綺麗に音が出ない。音が詰まったり、コードから外れた音が鳴ったり。
彼女はムッとしてから少し俯いた。見かねた僕は「貸してみて」と言って彼女からギターを受け取る。そしてあのリフを弾く。パワーコードだけの簡単なあのリフ。
すると彼女は微笑んで、透き通った綺麗な声で歌う。僕はギターを弾き続ける。
本当はこんな曲じゃない。彼女の綺麗な声には釣り合わない、汚くて、衝動的で、もっと根源的なものが湧き出るような、そんな曲なのに。
それなのに彼女の抱えている何かと、この曲を作った彼のそれはどこか似ている気がした。あるいは僕のものとも。完全に一致してはいないだろうし、そもそも彼女の抱えているものも、カートのそれも、なんなら僕自身の抱えている深い闇のようなものも分かっていない。
ただ、今こうして演奏していると、何かが触れ合って、噛み合っているような、不思議な感覚が生じる。
彼女が「Hello, hello, hello, how low」と繰り返すたびに、僕らの何かが少しずつ、少しずつ回転していく。ゆらゆらと、そしてぐるぐると。よく理解できないけれど、心地の良い感覚。
しかしその回転は突然止まった。
間抜けな裏声が錆びた部屋に響く。
「ん、、、っ。シャウトなんて出来ないよ」と彼女は照れ隠しに微笑した。
「別に上手くやる必要なんてないんだよ。音程だってずれてもいい。こう、なんていうのかな、パッションというか、濡れた雑巾の残り一滴を絞り出すように。」
「ようはそれがロックンロールね!!グランジね!!魂の叫びなのね!!」
そうして彼女は下手くそな歌を、下手くそな英語で、繰り返し連呼するのだった。というか僕も、おそらく彼女も、カートが何て言っているのか分からない。そもそもカート自身がダーティな歌い方をしているからだ。
でもそれで十分さ。よく分からなくても、下手くそでも、何か響くものが響けば。
【3】
歴史や過去ってのは、確かなものだと考えられている。そりゃあ未来なんて誰にも決められないし、予知なんて出来るわけがない。いや、仮に予定調和とか未来予知とかが実在したとしても、過去の方が安定して信じられるだろう。
過去はとてもとても安心できる。だってあとから美化できるのだから。悲惨な出来事も、理不尽な結果も過ぎ去ってしまえば、他人事のように扱えるのだから。多少の傷跡はつくかもしれないが。
それに過去なんていくらでも都合よく解釈できる。同じ歴史でも国や文化が違えば捉え方も違ってくる。それと同じように、個人個人が自分自身の歴史を自分なりに捉えているのだ。
悲惨な経験や、人格に大きな影響を与える経験も、過去になってしまえば好き勝手に定義できてしまう。良くも悪くも自由に。無意識のうちに。
例えば、僕は学生のときプールの授業が嫌いで仕方なかった。適当に理由をつけて毎回休んだ。しかし、今はあれほど嫌ったプールに行く義務なんてないし、施設のプールがあっても行こうだなんて思わない。けれどあるとき、知らない学校のプールを横切る。そのとき、あの独特な塩素の匂いがするんだ。僕はそれが嫌じゃない。むしろ懐かしくて、少しセンチメンタルな、淡く澄んだ気持ちになる。
そしてぼんやりと思い浮かんでくる。ゆらゆらと視界を曲げる陽炎、うるさい蝉の声、バシャバシャと泳ぐ生徒の水しぶき、その向こう岸の木陰で体育座りをする女の子。白い肌を隠すように、華奢な身体を日差しに侵されないようにじっとしている女の子。 僕はそれに見とれてしまう。
実際に経験したことがあるかは分からない。本当に見た光景なのかもしれないし、勝手に僕が作り出した幻像なのかもしれない。あるいは記憶とフィクションの継ぎ接ぎかもしれない。
ただ僕は塩素の匂いで、それを思い出したのだ。心地よい情景に一気に包まれると、僕は本当にプールが嫌いだったのかも分からなくなる。
記憶や過去なんてそんなものだ。
青春時代は淡い煌めきなんだって、どこかで聞いたことがある。でもそんなの過ぎ去ってから思っているだけじゃないか。
過去なんて本当は曖昧なんだ。未来や現在なんかより確かなものだけれど、未来や現在なんかより曖昧なんだ。
そんなの分かっている、分かっているさ。ただ過去や記憶を、僕は疑えない。記憶を疑うことは自分を疑うことになるんじゃないか、そして自分が何だか分からなくなるんじゃないか。そんな言い知れない恐怖がある。まあ自分が何者かなんて分かるはずがないのだけれど。疑い始めたら深淵に落ちていくような気がして、僕は過去を思うように思っている。その方が気楽だ。いい思い出も、悪い思い出も、全部自分が好きなように思っておけば安心出来る。
辛いときは過去のことを思い出すようにしている。それが実際は作り物だとしても、虚像だとしても、確かだと思っている分には確かなんだ。綺麗なんだ。耽美なんだ。美化されているとしても、思い出に浸っているあいだ、僕は僕でいられる。
現実は過酷で、理不尽で、諸行無常なんて言葉が表すように、世界は移り変わっていく。普遍なんて無いと知っていても、変わってゆく世界に向き合いたくない。
今日はいずれ昨日になり、明日もいつしか昨日になる。そしたらようやく信じられる。フィクションと一緒。辛いことも悲しいことも、もちろん嬉しいことも過去になった瞬間にフィクションだ。フィクションも記憶もリアルじゃない。けれどフィクションでの出来事は、フィクションの中では確かなもので、記憶や思い出も僕の中では確かに経験したものなんだ。
もちろん人間である以上、必要最低限の生活のために今日と明日のことを考えなくちゃいけない。けれどそれ以外の時間は過去に縋る。心の中に劇場を作り、そこで時の経過とともに描かれた映画を観る。
そうやって"僕"を保つことで何とか生き延びているのさ。小説や映画を鑑賞するのと同じこと。もっとも小説や映画の方が素敵なのだけれどね。
誰かは知らないが、こうして僕の言葉を聞いている"君"だってそうだろう?
"これ"はフィクションかもしれないし、あるいは真実かもしれない。なあ、こうして読み進める度に、"これ"も過去になり、"君"の記憶になる。
ねえ、それは本当にリアルなのかい?
【4】
彼女は毎日放課後になると、旧校舎の二階の空き教室にいた。空き教室といっても古い本やら機材やらゴミやらが、あちらこちらに放ってある。使われなくなったものたちが集まる場所。使われることも捨てられることもなくたどり着いた場所。
元々はもっと酷いありさまだったそうだ。しかし現在は彼女が掃除して、ある程度整理整頓したらしいから、年季の入った部室という感じになっている。汚い箇所や寂れた雰囲気は拭いきれていないけれど、僕も彼女も、ここをなんやかんや気に入っている。秘密基地みたいなものだ。綺麗な秘密基地なんて秘密基地として何一つそそられないでしょ?だからこれくらいの汚さでちょうどいいんだ。
まあ秘密基地というよりかはシェルターに近いかな。どこにもいけない、どこにもいられないやつらの逃避先、唯一の居場所、終着点。そんなところだ。僕にとっても、彼女にとっても、そして僕らを取り囲むものたちにとっても。
使われなくなったものではあるが、決して全てが使えないわけじゃない。古本を読んで過ごすこともあれば、もとは音楽室にあっただろうアコースティックギターや、木琴や、カホンといった楽器で適当に遊ぶこともある。机や椅子などの備品も、どこかしら壊れていることが多いけど、簡単に直して使えるものがほとんどだ。
僕らは創意工夫をこらして、ここにあるいわばジャンク品を快適に、好きに使っている。
いつも、彼女は決まってここで時間を潰す。僕も同じくいつからかここに入り浸るようになった。唯一心が落ち着く場所。何か特別なことをするわけじゃない。でも何もしないことが、穏やかな心地で時間の流れをゆっくり感じるのが、僕らにとって大切なことだった。今思い返して、もっと何かしとけば良かったなと後悔していないわけじゃない。でもそれで充分だったとは思う。
大抵彼女とお喋りをしながら、ときにはトランプやらボードゲームやらをしたり、何故か置いてあるポットでお茶を沸かして飲んだりと、まあとにかく自由にしていた。
ただ決まって僕らはノイズまじりのラジカセで音楽を流していた。割と似通った音楽を好んで聴いていたと思う。お互いにCDを持ち込んで、常に流していた。ときには「この曲いいよね!」なんて共感したり、「これがいい」「あれがいい」なんて勧めあったりした。趣味じゃなかったら「好きじゃない」と、良かったら「ここがいいね」と、お互いハッキリとものを言うのが良かった。その方が僕らは気が楽なんだ。
それこそたくさんの曲を聴いた。ただ、僕もそうだが、彼女は特に昔の、音楽を辞めてしまった、あるいは亡くなった人の音楽を好んでよく流していた。彼女の趣向は親の影響らしいが、それにしても死んだ人の曲に対しては、特に集中して聴いていた。その真剣さは、どこか不思議な雰囲気に満ちていた。
死んだ人の音楽と言ったら、例えばNIRVANA とか、The Doors とか、フジファブリックとか。特に Joy Division は好んで聴いていた。New Order を聴いていたのは記憶にないが、Joy Division はよく頻繁に流していた。Joy divisionを聴いているときの彼女は、まるでイアン・カーティスに思いを馳せるような、焦がれるような、僕には測り知れない空気をまとっていた。
そして、あるときから彼女は毎日誰かの遺言やら、死者の名言やらをテーマに取り上げて話をしだした。
「"死"と"生"は決して相対するものではないの。不謹慎だと思う?でもね、"死"について考えなくちゃ、"生"は考えられない。"死"を思うとき、ああ私生きてるなって感じるのよ」
そうしていつしか、ニュース番組のコーナーみたいに、「遺言座談会」は日課になっていた。まるで部活みたいね、と帰宅部の僕らは笑った。不謹慎だと言う人もいるだろう。僕も初めはそう思った。けれど僕は彼女と"死"に思いを馳せることが好きになっていた。廃れた空き教室をシェルターに、僕らだけで、どこまでも当てのない思考の旅に出る。教養なんて微塵もなかったし、哲学なんてたいそうなものでもなかったけど。音楽と紅茶と死者の言葉と、たまに古本を使って。僕らは途方もない旅をしていたんだ。思考の果てへ、死者の世界へ、曖昧な日常へ。
「死んだらどうなるのかしら?」
「どこから死で、どこから生なんだ?」
「死ぬとしたらどうやって死にたい?」
「あの人はなぜこの言葉を遺したの?」
途方もない。答えなんてない。
「ねぇ、私生きてる?」
「うん、生きてるとも」
「それは私の心臓が動いてるから?」
「そうでもあるし、それだけじゃない気がする」
そう、本当は分からないんだ。生きてるか、死んでるかなんて。どれが確かでどれが不確かかも。
そのとき僕は現実さえも分かっていなかったのだから。というよりも、現実のことなんて考えもしなかったから。
もちろんこの記憶が存在していたかも分からない。
ただ、僕はこの彼女との日々が美しいものだったと信じたい。なにより彼女を愛していたと信じたい。そう、信じていたと信じたい。
あやふやなことばかりで、これを読んでいる君はイヤイヤするかもしれない。でもしょうがないんだ。確かなことなんて、この世に存在しないから。
ただ一つ確実に言えることは、彼女との日々はある日を境に終わりを迎えたってことかな。どれだけ求めても、決して戻ってこないことは嫌でも分かっているのさ。
【5】
彼女とはいつ、どこで、何をきっかけに親しくなったのかは言えない。なるべくしてなったとしか言えない。思えば僕の青春期の記憶なんて彼女との関わりしか印象に残ってない。彼女と過ごす時間さえあれば良かったし、僕自身の生活は周りから見たら味気ないものだったろう。今も昔も内向的な性格だ。音楽を聴き、本を読み、適当に勉強をして、気が向いたらどこかへ行く。人生の目標とか、生きがいとか、そういうのはなかった。多分このまま流されるように生きていくんだろう。そんな気がしていた。
彼女と放課後会うようになってからは、少しだけ生活が楽しくなった。なんというか、流されるだけの毎日でも、明日が来るのを悲観しなくなった。喩えるなら彼女は、毎朝僕の前に立って、カーテンを少しずらし、僅かな光を差し込ませてくれるような存在になっていたんだ。
けれど「遺言座談会」が始まってから、幾日か経つと、徐々に彼女が変わっていった。徐々に、じわじわと。白痴な僕でも、何かが変化しているのに察することができるほどの速さで。ゆっくりと、彼女から光が感じられなくなっていった。
彼女を月だとするなら、その光のもとである太陽が消えていっているように思えた。
そして、彼女が 17 歳を迎えたとき、僕の青春の全てが終わりを告げる。
終末の前日は、代わり映えのない一日だった。放課後、いつもと同じシェルターで、いつもと同じくお茶を飲み、いつもと同じように談笑する。そしていつも通り彼女が言う。
「今日の遺言はこれよ!」
いつも通りのセリフ。そしていつも通り音楽を流す。
ただ一つ違和感があったとすれば、彼女の瞳はいつもより煌めいていた。まるで欲しいものを手に入れた子供のように。
その日、僕らを包み込んだのは Joy Division の『Unknown Pleasures』だった。イアン・カーティスの低い声が寂びた部屋に響く。そんな部屋に二人、僕と彼女だけがぽつりと。
そして、七曲目の「Shadow play」が終わったところで彼女は呟いた。
「実は今日はこれといった遺言はないの。あるのは彼の歌う詩(ことば)だけ」
「イアン・カーティスは自殺したのだっけ?」
「そう、首吊りでね。そして遺言は残さなかった。ただイギー・ポップの『The Idiot』だけがかかっていたそうよ。」
「なぜ彼は遺言を残さなかったんだい?妻はいたんだろう?死んだ理由も分からないじゃないか」
「あなたは不思議に思うのね。私は何もおかしくないと思うわ。世界を去る前に何かを残しておかなくちゃいけないなんてことはないでしょう?それに遺言は残さなかっただけで、彼は何も残してないわけじゃないわ」
彼女のセリフに僕はハッとした。そして彼女は最後の「I Remember Nothing」が終わったところで、ディスクを交換する。次に流れたのは『Closer』だった。Joy Division 最後のアルバム。彼女と僕は黙ったまま、チープなステレオから流れる歌に身も心も任せていた。アルバムが終盤に差し掛かったところで彼女は言う
「Joy Divisionは、イアンは、アルバムだと二枚しか出していない。こんな伝説になっているバンドなのに。たった二枚だけ。でもちゃんと残っているじゃない。彼の言葉は。詩として、歌として、曲として。今この狭い部屋に響いている。今でも。残っているのよ。死者が遺して逝くべきなのは遺言?死の理由?言葉じゃなきゃいけない必要もある?サウンドがあるじゃない。イアンの感情がそこにあるじゃない。私はそれでいいの。それで充分だと思うの。それだけでも綺麗だと思うのよ」
「じゃあなんで僕たちは死者の言葉について考えていたんだ!ずっとずっと、あてのないことだとは分かってた!けど、君はこの世界を去った人たちの跡を思って、何を見つけたのさ!」
震えていた。怒りとか憎しみとか悲しみとかじゃない。感情であって明確な感情なんてない。ただ震えていた。曖昧だから僕は彼女を前に震えていただけだった。
すると彼女はまたディスクを変える。次はベスト盤だった。ただ流れてきたのはトラック1からじゃなかった。流れてきたのは一番有名で、イアン・カーティスが最後に遺した一曲。
そして彼女はゆっくり震える僕に近づく。震える僕の手に触れる。彼女の両手が僕の両手を包み込む。
そのとき僕は初めて知った。
彼女の手が暖かったことを。彼女の髪はほんの少しブラウンがかかっていて、艶やかなことを。
なによりも、彼女の瞳が思っていた以上に優しく、暖かく、そして綺麗に光を反射していたことを。
「人はね、孤独なのよ。誰しも孤独で、弱くて、誰かを求めてしまう。だからこうして触れ合うの。震えなくても大丈夫。孤独で分かり合うことなんてできないけれど。不安にならなくても大丈夫。私はあなたの悲しみも苦しみも完全に理解することは不可能だけれど。それは私だけじゃない。あなたも、みんなもそうなの。仕方の無いことなの」
「そんなの僕も君も寂しいじゃないか」と言うと彼女は僕の頬を撫でてから、抱きしめてくれた。優しく包み込むように。それから耳元で話を続ける。
「だからこうして触れ合うの。ひとつになんてなれなくても、100 パーセント分かり合うことができなくても。こうして触れ合って、一緒に音楽を聴いて、お互いの悲しみや苦しみを分かち合おうとする。それで充分なの。ひとつになったら、孤独じゃなくなったら、分かり合ってしまったら、私は私じゃなくなる、あなたもあなたじゃなくなる。そんなの嫌よ。感情なんてなくなってしまうもの。悲しみもないけど嬉しさもない。私は今とても幸せよ。こうしてあなたと触れ合うの。ひとつになりたくても、ひとつになれないけど。こうしてあなたが私を知ろうとしてくれているのも、私があなたを受け入れようとしているのも。とても幸せで、とても心地が良い。だからこのまま、このアルバムが終わるまで、こうしていたい」
そして彼女が流したベストアルバム、『Substance』の最後の曲が流れる。それは別のヴァージョンではあるものの、彼女が最初に流した曲と同じ。
イアン・カーティスの声が響く。
今この世界にいない人が遺した歌。
彼女と抱き合う。感情だけが残る。
曲が終わりに向かうにつれて、イアン・カーティスは繰り返しこう歌うのだ。
“Love, love will tear us apart again.”と。
何度も何度も。僕らも何度も何度も、お互いを触れ合い、確かめようとする。
“Love, love will tear us apart again.”
あぁ、どれだけ近付こうとも、気づいてしまうのは、僕らは永遠に孤独だということだけだった。
そして、次の朝が来たとき、彼女は僕の青春とともに、この世界から消え去ってしまった。
【6】
あれから、幾年かが経った。
彼女が亡くなったのを知ったときは、あまりにも虚ろな気持ちになり、何も考えられず、どんよりとした悲愴と漠然とした不安のなかで過ごしていた。
けれど、人間というのは都合のいいもので、僕は今まで通り、ただ流れに身を任せるだけの、彼女と出会う以前の生活に戻っていった。彼女のことも自然と思い出さなくなっていった。というより記憶が無意識のうちに曖昧になっていったのだ。
記憶なんて、過去なんて、そんなもんだ。
誰が確かだと言う?僕自身の経験が実際にあったなんて誰が証明できる?
この世に確かなことなんてないってことだけが確かだ。そう思っていた僕は、彼女との過去も、更には自分自身も分からなくなっていた。
ただ流れるままに生きていた方が気楽なのさ。
そうして、僕は流されるままに学生生活をし、流されるままに適当に受験勉強をし、流されるままに進められた大学に進学した。
惰性で生きる毎日。普通に大学に通い、興味あるなしに関係なく、ただ授業を受け、適当にサークルに入り、世間が作り上げた「人並み」ってやつに沿うように生きていた。その頃には趣味と呼べるものはなくなっていた。音楽も本も何にも手を付けなくなっていた。
だいたいみんながそうなんだろう。これが人並みなんだろう。そして卒業したら、適当に就職して、働くことで社会の歯車になるのなら、まあそれもいいかと。
そんな風に過ごしていたら、20 歳の誕生日が間近に迫っていた。これで成人か。やるつもりはないけど、お酒やら煙草やら、自由が増えるんだろうな。そう悪いことじゃないかと、そう思っていた。
しかし、何かが僕の心に引っかかっていたのだ。
【7】
僕がそれに気付いたのはひょんなことからだった。
外部講師が音楽芸術に関して講義する、教養科目の授業だ。それを受講したのは、単に周りの人から、簡単に単位が貰える、いわゆる楽単と聞かされていたから。ただそんな不純な理由で受講しただけだったので、はなから適当に受けるつもりだった。出欠確認も適当らしいのでサボってもいいし、出るだけでて別のことをしていてもいい。お咎めもないらしい。
ただ最初からサボるのは気分が悪いので、一回目の講義には出席した。その外部講師は 40代前後のメガネをかけた男性で、いかにも冴えない研究者という印象だった。
講義が始まると、軽い自己紹介をしてから「今日は初回なので、この授業の説明を軽くします」と言って 10 分程度でガイダンスに書いてあることを読み上げながら説明した。 説明が終わると「さすがに開始して即終了というのもあれなので…」と前置きをし、ある曲を再生した。
それは僕の知っている曲、そしてずっと聴くのを拒んでいたバンドの曲だった。
「知っている方もいるかと思いますが、せっかくなので、今聴いてもらった曲の感想をリアクションペーパーに書いていただきたいです。あ、無理にとはいいません。僕の趣味ですから。書くことがなければ氏名等だけ記入して、白紙で提出しても構いません。では提出した人から退室してください」
と話に聞いた通り適当な講師だったが、僕はそれとは別に、さっきあの講師が流した曲がとても気になった。
僕はすぐ氏名と番号を書いて、白紙のまま提出した。そして衝動的に講師に話しかけた。
「さっきの曲ってNew Orderの曲ですよね?」
「お、君も New Order 好きなのかい?」
「いや、好きというか、昔聴いたことあるくらいです。ところで、さっきの曲、なんてタイトルでしたっけ?」
「『 Ceremony』だよ。正確には Joy Division 時代の曲だけど」
それを聴いて僕は思い出した。そうだ。そうだった。
そして、いてもたってもいられなくなった僕は「ありがとうございます」とだけ返して、すぐ教室をあとにした。
帰ってから Joy DivisionやNew Orderをひたすら聴き続けた。他にも NIRVANA や The Doors、フジファブリックなど、彼女と一緒に聴いていたであろうアーティストの曲も聴き漁った。
その日は金曜日だったので、土日の休みの日もひたすら音楽を聞き続け、彼女と貸し借りしたことのある本を読み、彼女のことを思い返していた。彼女との記憶をひたすら書き連ねたりもした。曖昧だと、確証なんて得られないと分かっている。それでも確かめようと。自分なりの答えを見つけたくて。ひたすら記憶を掘り進めていった。
そして僕はある小規模な計画を立てた。
【8】
休日明けの月曜日は誰しも憂鬱なものだ。それに反して今日の月曜日はよく晴れて心地の良い朝だ。
僕はキャリーバックに必要なものを詰めて、一限が始まるよりもずっと早く学校に着いた。そして正門を見下ろせる校舎の屋上に行き、準備を始める。リサイクルショップを巡って見つけた講演会や野外イベントなどの催しで使う40Wのスピーカーを取り出し、正門の方向に向ける。
延長コードで校舎のコンセントと繋ぐ。もちろん勝手に。そしてスピーカーにMP3プレイヤーを接続する。これで準備完了。
もちろん悪いことをしている自覚はある。
それでもやらなくちゃいけない衝動に襲われたのだから、仕方ない。今更やめられない。
一限開始20分前くらいになると、ちらほら生徒が登校し始める。ある程度生徒が集まったところで僕は再生ボタンを押すのだ。もちろんMP3プレイヤーと安い中古のスピーカーの音量を最大にして。
曲が流れ出した瞬間、生徒たちが僕のいる屋上を見上げる。
流れているのはNew Orderの「Blue Monday」。今日みたいな日にこんな曲を流すのは気分がいい。
どうせほとんどの生徒が歌詞の意味なんて分かっちゃいない。音質も悪いから聴き取るのも難しいだろう。
けどそんなことはどうでもいい。まずこれは、僕に対する祈りだ。僕のために流しているのだ。
"And still I find it so hard to say what I need to say"
"But I’m quite sure that you’ll tell me just how I should feel today"
そう、本当は分かっていたんだ。君との青春が、僕の記憶がフィクションだったとしても。僕が作り上げた幻想だったとしても。僕の中に彼女はいる。今この世界にいなくとも、僕の世界に彼女はいる。
それでも交わらない。ひとつになんてなれない。僕は僕で、彼女は彼女。
なんで消えてしまったのかなんて、理由はもう求めていない。言葉を残してくれなんて後悔もしてない。
残っているから。こうして。
彼女の物語は僕の物語に触れた。交わることはなくとも触れて、僕の物語を回していた。まちがいなく。そして今も僕の物語を回している。
それでいいんだ。それだけで。彼女の物語に触れることができたという事実だけで。
僕はもう一曲流す。New Order ではなく Joy Division の「Ceremony」を。
下で野次馬たちが集まっている。踊っているやつもいれば、罵声を浴びせてくるやつもいる。けれど、だからどうした。この曲が終わる頃には職員たちが駆けつけて僕を取り押さえるだろう。そしてかなり叱られることだろう。けどそんなことはどうでもいい。
"Oh, I’ll break them down, no mercy shown"
"Heaven knows, it’s got to be this time"
僕はもう過去にとらわれない。過去を否定しない。今この時を生きているから。こうして生きている一瞬一瞬のうちに、僕の物語は紡がれていく。
地上から対空放火を受けても。
ささやかで、馬鹿らしくても。
僕は流す。
屋上から賛美歌を。
これは祈りだ。これを聴いてる群衆への祈り。世界への祈り。僕への祈りであり、空の向こうにいる彼女への祈り。
あるいはこれを前にしている"君"への祈り。
僕は分かったよ。僕は作家だ。芸術も文学も分かっちゃいないし、こうして他人の曲を勝手に流すやつだけど。
僕は紡いでいかなくちゃいけない。僕の物語を。
そして僕の物語は誰かの物語と触れ合って回転する。歯車のように。多かれ少なかれ廻るのだ。
たくさんの物語が触れ合い、回転し、その力は大きくなって世界を動かす。
どう動くかは分からない。けれど僕は世界が幸福であってほしいと祈りながら物語を紡ぐ。
そして僕の物語の中には彼女の物語の痕跡がある。死者の物語も忘れられなければ、跡として誰かの物語の一部になり、世界を回す一役を担うのだ。
「常に作家であれ」と心に決める。
物語を紡ぐのだ。幸福を祈りながら紡いでゆくのだ。
過去から目をそむけずに受け入れよう
例えどんなに理不尽でも。曖昧でも。
今を生きているのだから。
そして物語を紡ぐために、
あるいは世界や僕や彼女や"君"のために、
僕は明日へ目を向けよう。
過去を受け入れるのと同じように、
今を良くしようとするのと同じように、
僕らは夢から醒めて、明日を迎えなくちゃいけない。
"Avenues all lined with trees"
"Picture me and then you start watching"
"Watching forever, forever"
"Watching love grow, forever"
"Letting me know, forever"
孤独な僕らのノベルは巡る。
幸あれと祈りをこめて。
そして僕らは愛を知る。
彼女への愛。
僕への愛。
君への愛。
過去への愛。
今への愛。
そして知ることのない明日の世界への愛。
〜𝑓𝑖𝑛〜
祈りとノベルと廻るセカイ 柏原カンジ @kashiwabara_nerd
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