屋上から讃美歌を
柏原カンジ
屋上から讃美歌を
⒈ある少年の証言
はい。そうです。その日曜日の午後1時頃のことであっています。
僕が"それ"を見たのはサークルの練習があってキャンパスに向かっていたんです。駅の改札を出たあたりで何やらいつもと違う雰囲気を感じました。なんせうちのキャンパスは駅の近くですから。不穏にざわついているような。そんな雰囲気です。
キャンパスに近づくにつれてそのざわつきは増していきました。そして学校のメインのビルの目の前には多くの人だかりができていました。僕も駆けつけてみると、大勢の人がそろって上を見上げていました。そのうちの何人もがスマートフォンのカメラを向けて何かを撮影していました。
その日僕はコンタクトを付けてこなかったのでハッキリとは見えませんでしたが、そびえ立つタワー型のキャンパスの頂上にいくつかの人影があるのには気づきました。もう驚いたというよりも状況がのみこめず唖然としましたよ。ただ僕も周囲の人の中に馴染んでただただ上空を見つめ続けてることしかできなかったんです。そうしてるうちに段々と聴衆が集まってきて大勢の警察が場を鎮めようとしていました。
僕が眺め続けてる間屋上の人達は黙りだったんですが、サークルの練習があることを思い出してその場を去ろうとしたとき、いきなり女性の叫び声が聞こえたんです。はっきりとそれは覚えています。
「こんな世界なんて変わってしまえ!!」って。そう叫んでました。
それを皮切りに演説のような話を始めたんです。正直何を言っているのかさっぱりでした。頭がおかしくなったんだと。そうじゃなきゃあんなことしないですよ。
それからですか?すぐ立ち去ったので知りませんね。だってあんなの聞き続けていたらこっちまでおかしくなりそうじゃないですか。
2.ある友人の証言
あの子はいつも違う場所を見ているような、そんな不思議な雰囲気を醸し出していました。口数が多い方ではなかったですし、本当は何を考えているのか、想像もできませんでした。ですが時折こんなことを言うんです。
「今の世界がおかしいと思ったことある?」って。
何回か聞かれましたけど、いつも「よく分からない」って答えてました。だってそんなこと言われても分からないじゃないですか。そう言うとあの子、決まって不機嫌そうになるんです。
「肯定も否定もしないのが一番罪だ。疑問を抱かないのはもっと罪だ」って。
あの子とは昔からの付き合いですし、そんなことで関係が壊れるなんてことはなかったですけど、あまりいい気持ちはしませんでした。
でも今なら分かることがいくつかあります。
きっとあの子の見てる世界は私が、私たちが見てる世界よりももっと複雑で、汚くて、それでいて僅かに希望が残ってる、そんな世界だったんじゃないかなって。
それに大切な友人が死んだっていうのに、私妙なことに、悲しいとか切ないとかそういうのがあまり感じられないんです。
あの子はあの子なりに成すことを成した、だから祝福に似た気持ちがあるんです。そして自分も何かしなくてはいけないって使命感が。
刑事さん、これっておかしいですかね?
3.ある少女の手記
これを見ている人が誰だかは分からないけれど、相当な物好きなことは分かるよ。
おそらく、私と同じかもしくは似たように、自分の存在している世界に疑問を抱いている同士であると思う。思うというかそうであって欲しいね。それでいて私と違う世界の住人だ。それだけは分かるよ。
君の住む世界はどうだい?住み心地は?どんな人達が暮らしている?まあ質問したところで私たちのコミュニケーションは一方的なままだ。残念だね。
ところで君は自由とか平等とか平和とか、そういうものをどう捉える?成し得る可能性のある概念だと思う?
私は、私たちが人間である以上達成できないものだと思っている。いやもちろん素敵な発想だとは思うよ。掲げて目指すにはもってこいなものだ。それらを蔑むほど私はへそ曲がりじゃあないからね。
とにかくまず自由からだ。自由の反対は不自由・束縛だろうから、自由ってのは不自由がないことだと想定してる。何にも侵されないこと。人々が各々の望みを不自由なく完遂できる状態のことだ。細かいことを言うとキリがないから大方この考えであってるってことにしておくれ。
でもある人が自由でないことを望んだらどうするんだろうか?
不自由であることを、何かに侵されることを望んだら、自由な社会はどう対処するっていうんだ?不自由になれない社会が自由な社会と言えるだろうか?これって矛盾だよね。
私の住んでる世界は自由を求めて発展してきている。まあ昔に比べればしがらみが少なくなったのかもしれない。けれどそれは「自由な世界を目指した人たちにとって自由」であるってだけだ。要は万人が自由な状態は存在しえない。ここまではいいかな?自由に関してはここまで。一旦次に行くよ。
次は平等。平等って要はみんな同じですよー!ってことだね。よくこっちの世界では「自由と平等」なんて言ってよくセットにされるけど、これ本当は相容れない概念同士なんだ。人ってさ、種類はあるにせよ利益を欲しているよね?一番オーソドックスなのはお金かな。例えばお金をより稼ぐためにはしがらみがない方がいいはずだ。自由っていうのはこっちの世界だとお金を稼ぎたい!って動きから推された概念だしね。例えばお金稼ぐのに面倒なルールとかあったら嫌じゃんね。だから今こっちでは自由にお金を稼げる社会がある程度形成できてるって言われてる。
でもさ、みんなが同じようにお金を稼ぐわけじゃあないよね。儲ける人もいれば損する人もいる訳だ。それって平等だとは言えない。ましてや私の住んでいる世界ではお金を持っている人がお金を稼ぎやすい社会になってしまってるんだ。皮肉な話だよね。
じゃあ何とかして平等な社会を作ろうとしたらルールを設けなきゃならない。それこそ不自由だ。
それに人間は全員同じじゃあない。平等ってのは全部を同じにするってことだ。それって個性とか生命の本質とは真逆だよね。
だけどだ。おかしなことに私の世界では平等に憧れを抱く人が多い。「人と違う」を恐れている人がどうやら多いんだ。笑っちゃうよね。もうこうなってくると自由とか平等とか分かんなくなってくるね。次に行こう次。
そして最後に平和だ。穏やかな争いのない世界。一般的に言ったら戦争のない世界を指すことが多いだろうね。君の世界がどうなってるかは知らないが、私の世界では「平和」が何よりも尊い概念だとされている。それはこっちの世界の住人が何度も戦争を繰り返してきたからで、そして自分の生活が何より大事になってきたからだ。
私も戦争は嫌いだから願ったり叶ったりかもしれないね。
でも私がおかしく感じるのがひとつあって、君の世界ではどうなってるか知らないけれど、私の世界ではね、
「暴力がなくなったんだ」
完全になくなったわけじゃあないけど、暴力が、あるいは武力とも言うけれど、絶対悪になったんだ。このおかげでどうやら世界平和が達成されたらしい。
でもね、私はこれがとてつもなく怖いんだ。いや、もちろん私だって殴られたくないし人を殴りたくもない。他者を攻撃することも、他者から攻撃されることもなくなった。
ここでひとつ自論なんだけどいいかな?
平和って言うのは自由と平等のうえになりたつべき概念だと思ってるんだ。
いや、もう少し正確に言うと
「自由と平等が達成されない限り平和は存在しちゃいけない」
これが私の自論。
だって考えてもみなよ、例えばある人が不当に自由に生きる権利を奪われているとする。もしくは平等に反するような階級社会が形成されていて、ある人が虐げられているとする。
そうするとどうなる?いや、どうすればその人は自由を手にする?上の階層にいける?
おそらく人類史を鑑みてみると、一番オーソドックスで一番効果的な方法は
「抗う」ことだ。
もう1つ例をだすね。ある子がまた別のある子に精神的に虐められていたとする。悪口を言われたりあるいは持ち物を隠されていたり。その子に残された現状打開策は?ここでもし喧嘩のノウハウを身につけて暴力で解決しようとする。すると私の世界のルールでは「暴力」を使ったその子が絶対悪と見なされ罪とされる。
これに君はどう思う?
もちろん私も暴力はあよくはないと思う。けれど、暴力ってのはある意味希望でもあると思うんだ。
現状に不満があるとき、何かに虐げられているとき、そして世界がどこか狂っているとき。そんなときに、打開策として「暴力」はひとつ効果的で効率的な手段になりえる。
そして何より私はこの世界がどこか狂っていると感じている。本当は暴力的な解決手段が使えればいいのだけれど、私の世界では「暴力」を使った瞬間、私が絶対悪ということで完結してしまう。
そこでもうひとつの策をみいだしたんだ。
それはこの世界で「暴力」以上に忌み嫌われていて、未だに排除も解決もできてない概念。それは
「死」だ。
君の世界ではどうだか知らないけれど、私の世界では、「死」が恐れられている。そして多くの人が自分の他人のに関わらず「死」から目を逸らしている。
でもね、私にとって「死」は何にも変え難い代物なんだ。救いなんだ。希望なんだ。
言わせてもらえば平和も自由も平等も、その他理想的概念諸々さえも解決してしまうのが「死」なんだ。
まあこれはあくまで、死んだ先にまた別の世界があるとかじゃない限りの話なんだけれど。
本当の自由を、本当の平等を、本当の平和を実現したいなら、ワンツースリーで一斉に全世界の生命が終わりを遂げる以外ないと思ってる。
そして「暴力」が使えない今、この懐疑的で狂気的な世界を変革するために、人々に知らしめるための「衝撃」として「死」を利用する他ないと思っている。
自らの「死」をもって人々が、世界が目を覚ますきっかけを作ってやるんだ。
だからこれを君が読んでいる時、私は私の世界からバイバイしてるだろうね。だから私の「計画」が遂行されたあとの世界を残念ながら見ることができない。本当に残念だ。
それと、この手記、私のお気に入りでね。もしよければ君が続きを書いてくれないかな。君がこっちの世界の人間だろうと、別の世界の人間だろうと構わないから。「私が死んでもこの手記死せず」じゃあないけれど。
私は中途半端な人間だから、世界がどうなるか見届けられずに死んでしまう。だからといってはなんだが、君が続きを、未来を切り開いていってほしい。どうしようと君の自由だ。君の望むようにしてくれ。おそらくこの手記を見ている君は私と同じか、それ以上に面白い人間だと見込んでいるからね。
面白い人間が切り開く未来ほどワクワクするものはないよ!
もしあの世なんてものがあって君の世界を見下ろせてしまうのなら、それが私の唯一の楽しみなるだろうから。
これでもうさようならだけれど、世界はまだまだ変わっていく、いや変えていかなくちゃあいけない。
おっと、もう時間だ、いけない。それじゃあ私はいくよ。
君と君の世界に幸あれ。
屋上から讃美歌を 柏原カンジ @kashiwabara_nerd
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