「サンタが如く」その⑨

          9

 

 時刻はもうすぐ十六時三十分になろうとしている。景虎は教会の食堂スペースで今夜の祝会の支度を手伝っていた。だが、そろそろ八咫超常現象研究所へ合流しなければならない。

 

「明里、俺はそろそろ行くよ」

 

「もう行くの、結局何をするのか教えてくれなかったじゃん」

 

 今、明里と景虎以外は教会の聖堂でクリスマスの祈りを捧げていた。孤児院の子供たちも商店街の人々も教徒ではないが、せっかくクリスマスミサに参加するならと体験しているらしい。

 

 景虎は、明里と二人だけの空間なのでずっと聞きたかったことを聞いてみる事にした。今ならそれを素直に受け止められる気がする。

 

「俺の質問に答えたら教えてやるよ」

 

「はいはい、じゃあお兄は何が聞きたいわけ?」

 

「母さんの事だ」

 

景虎がそう言うと、明里は目を丸くした。そしてその後「そっか」と遠い目をするのだった。彼女は景虎の次の言葉を待っていた。

 すると景虎は一呼吸おき、言葉を続けた。

 

「クリスマスさ、毎年母さんがプレゼントくれてただろ。その事で俺は昔見たんだ」

 

 母は泣いていた。夫である景虎の父を失い、たった一人で子供たちを育てる重圧と寂しさに押し潰されそうになっていたのだ。景虎はずっと思っていた。 


『俺たちが重荷になっていたんじゃないのか』


それを思うとクリスマスを楽しめなくなってしまった。サンタクロースはうちにはいない。苦しむ母だけがいる。

 

「母さんは、きっとクリスマスの度に辛い思いをしたんじゃないのか。お前、何か聞いてないか?」


景虎が恐る恐る聞くと、明里は少し考え、そして優しく微笑んだ。

 

「お兄、それ逆だよ。私も中学生くらいの時に同じ事を聞いた。私が邪魔になってるんじゃないか、って。クリスマスも毎年無理してやる必要ないってね」

 

「初耳だ、なんて答えたんだ?」

 

「だから私たちの考え方と逆なんだよ」

 



 ────。

 きっかけはもう覚えていない。その当時中学生だった明里は母と怒鳴り合いの大喧嘩をしていた。景虎は既に高校に進学した後で、友人宅を転々とし殆ど家にいなかったので知らない話だ。

 明里は喧嘩の拍子に母に向かって叫んだ。

 

「じゃあ、私の事なんか産まなきゃ良かったじゃん。私が重荷になってるんでしょ! もういいよ、家出てくから、クリスマスとかそういう家族イベントも鬱陶しいよ、無い方が清々するんじゃないの。邪魔者が消えるんだからさ!」

 

その瞬間、明里は母の平手打ちを頬に受けた。あまりの驚きで頭が真っ白になる。今まで叱られる事はたくさんあったが、手をあげられた事は一度として無かった。その母が手を出したのだ。

 そして呆然とする明里を母は抱きしめた。

 

「叩いてごめん。でも出て行くとか、重りになってるとか、そんな事を、お願いだから言わないで……。邪魔だなんて思った事は一度もない! 次またそんな事を言ったらグーで殴ってやるから!」

 

明里の頭に登った血は引いていく。自分はなんて事を言ってしまったのか。母がどれだけ苦労していたか一番近くで見ていたはずなのに。明里の頬にも涙が伝った。自覚しない、自然に流れた涙だった。

 

「ごめんなさい、お母さん。酷いこと言って、ごめん」

 

「あなたまで遠くに行かないで……。もう少しだけ、そばにいてほしいの。『あなたたち』のおかげで私は頑張って生きてこられたんだから」

 

────。




「あなたたちのおかげ、か」

 

景虎は呟いた。少し鼻の奥がつんとして目頭が熱くなる。重りになんかなっていない。むしろ助けていたなんて、景虎にとってこんなに嬉しい事はない。

 しかし今はだめだ。景虎は大きく息を吸い込み、そんな感傷を一度心の奥にしまうことにした。

 

「お母さんはさ、多分クリスマスを毎年楽しみにしていたと思うよ。我が家のサンタさんは辛い事もいっぱいあったと思うけど、一人じゃなかった。私たちも一緒に乗り越えてきたじゃん。だからお兄も私も今ここで生きてるでしょ。私は最近そう思うよ」

 

明里の言葉を聞き、景虎はサンタに言われた事を思い出した。

 

「お前の家は両親がプレゼントをくれなかったのか? 家族でクリスマスは過ごせなかったか? 無事に新年は迎えられなかったのか?」

 

サンタクロースの言うとおりだ。景虎はサンタに、母に愛をたくさんもらっていた。そして母もまた、自分と明里から愛をもらっていたという。

 

「俺が勝手にいじけてただけか、父さんが死んで寂しかったのをクリスマスとサンタのせいにしていた。俺の家にもサンタクロースはしっかり来ていたのに」

 

明里は微笑むと、景虎の背中を二回叩いた。

 

「ほら早く行きなよ。やっぱり何を企んでいるか今は聞かないことにするからさ。分かんないけど凄く大事な用事だっていうのは伝わるよ。さ、ちゃちゃっと子供たちの笑顔を守ってきてよ」

 

 景虎は鼻を啜ると振り向いて明里の肩に拳をとん、と置いた。

 

「生意気なこと言うな、妹のくせによ。でもありがとな。クリスマス楽しめよ」

 

景虎はコートに袖を通し、教会を出ると走り出した。

 

          

          


          ◯

 景虎は八咫超常現象研究所へ戻るとサンタの服に身を包んで屋上へ上がった。一応、サンタ服の上にはコートを羽織った。ただでさえ寒いのにこれから空を飛ぶのだ。上空はもっと寒いだろう。

 

「景虎おそい!」

 

景虎が屋上へ出ると咲耶がまず最初に文句を言ってきた。サンタ風邪で死にかけているというのに凄い人だ。

 プレゼントを無事に配り終えて『幸福』という魔法で神奈川県全域を防御するか、クネヒト・ループレヒトをやっつけて『サンタ風邪』そのものを根絶するか。そのどちらかでないと、最早サンタ風邪の克服はできない。景虎はクネヒトが完全に到着する前にサンタクロースに出会えたので「サンタクロースの存在を信じる事ができた」。運が良かったのだ。

 

 今夜、八咫超常現象研究所がプレゼントを無事に配り終えなければ神奈川県全域にクネヒトの不幸の波が押し寄せ、さらにサンタ風邪によって未曾有の危機が訪れるだろう。咲耶も含め、死者が出るかも知れない。

 いよいよ降る雪が強くなってきた。クネヒト・ループレヒトが目覚めたのだ。完全に夜になれば彼は動き出す。

 

 そんな事を気にしている場合ではないが、ふと景虎は紫苑のサンタミニスカート姿に驚いた。急いでいたのでよく確認しなかったがこれでは完全に夜のお店のコスプレだ。

 

「おい、紫苑。そのミニスカート……。悪かったよ。よく確認しなかったから」

 

「良いんです。それより、ふふ、景虎さんはサンタさんの姿が全然似合っていませんね」

 

 何故か紫苑はとても楽しそうにしていたので景虎はこのままスカートの話題に触れず誤魔化せるかも、と思いとりあえず愛想笑いをしておいた。

 

「景虎、これが終わったら紫苑のサンタ服について話がありますからね」

 

しかし、そう上手くはいかないらしい。咲耶には睨まれたのでこれはややこしい事になりそうだった。

 

 それから数分後だった。突然、空間に円が浮かびあがった。まるで魔法陣の様な宙に浮かぶその円は淡く光ると、円の中に別の景色を映し出す。まるで扉の様だ。その円の向こう側から雪と共にトナカイと、そのトナカイが引く大きな赤いそりがこちら側、屋上へ滑り込んで来た。キッドのいう「ワープできる」というのは本当らしかった。

 重そうなそりは屋上に積もった雪を巻き上げながら停止した。

 

「ごめんね、遅くなっちゃったよ」

  

そりを引くその小さな子トナカイは口をきいた。トナカイ姿のキッドだ。これが彼の本来の姿らしい。

 景虎たちは駆け寄ってすぐにそりに乗り込んだ。二列座席があり、大人が四人乗っても余裕のある頼もしいそりだった。後部座席には白く大きな袋が二つ積まれている。片方の袋には大量の魔法の金貨が入っていた。そして、もう片方の袋には何故か様々な種類の銃火器がたくさん入っている。

 

「なんでサンタの魔法のそりにこんな物騒な物が積んであるんだよ」

 

「サンタ師匠の持ち物だよ。何があってもプレゼントを届けられる様にする為なんだってさ。僕は最近仕事を始めたばかりだから使ってるのを見た事ないけどね」

 

有事の際にはこんな武器が必要なのかと驚いたが、しかし良く考えれば『幸福』を無条件で授ける魔法の金貨。それを配られると都合が悪い存在はきっとクネヒト・ループレヒト以外にもたくさんいるのだろう。それは悪魔か悪霊か、もしくは人間か。とにかくサンタクロースはそういった存在とも戦っていたのかもしれない。よく見れば武器は使い込まれていて、そりも細かい傷でいっぱいだった。

 

 景虎がサンタクロースについて調べた際に気づいた事がある。彼が本来使役するトナカイは「九匹」らしい。しかし、今は子供トナカイのキッドただ一匹。それは何を意味するのか。きっと彼も数々の犠牲を払い、子供たちの為、人間の為に存在し続けたのだろう。

 それなのに、景虎も含めきっと多くの人が、クリスマスにただプレゼントを配るだけの気の良いお爺さん程度にしか思っていなかった。彼は幸福を授ける超常の存在、だが神ではない。戦い傷つき、それでも使命の為に在り続ける。それがどれだけ孤独で寂しい事なのか考えた事もなかった。


「しっかりサンタに謝らないとな。あんたのせいじゃないって」

 

誰にも聞こえないほど小さな声でそう呟くと、景虎は白い袋から魔法の金貨を二枚取り出して、そりの外で見守る超常現象専門医のノザワと、咲耶に向かってそれを投げた。ノザワは片手でスマートにキャッチし、咲耶は落としそうになりながら何とか受け止めた。

 

「ノザワさん、うちの所長をよろしく頼みます。さて、そろそろ行ってくるぜ。メリークリスマス、咲耶さん。良い子にしてろよ」

 

「では行ってきます。咲耶さん、どうか病気に負けないでください。すぐにプレゼントを配って参りますから。きっと風邪もよくなります」

 

景虎と紫苑が手を振ると、咲耶は咳き込みながら「ありがとう紫苑」続けて「景虎、あんたは後でお説教だからね」と言った。

 

 日はもはや完全に落ちた。辺りは暗くなり、しかし夜の街の光で照らされ始めた。そして降る雪は時間が経つ程に強くなっていく。

 キッドがそりに乗る景虎と紫苑の方へ振り返った。そのトナカイの小さな鼻はランプの様に赤く光っている。

 

「じゃあ飛ぶよ。神奈川県の地図の準備はいい? まずここ、金倉市。その後で逗子市、横須賀市・三浦の南方面。そこで一度ワープして金倉市隣の藤沢市、茅ヶ崎市って……。ワープしながら金貨を配るからね。そのまま神奈川県をぐるっと一周回って行って、一番大変な横浜市にプレゼントを配り、その後にまた金倉へ戻ってきて最後に凰船で終わり。──さあ行くよ、シートベルトをしっかり閉めてね!」

 

「いや、そんなものそりには付いてねえだろ──……」

 

 景虎が言いかけたところで突然キッドは走り出した。そりは雪を巻き上げながら屋上の金網に向かって突進する。「ぶつかる、ぶつかる!」。景虎と紫苑は金貨と武器を積んだ袋を抱えながら騒いだ。しかしキッドとそりはその金網を滑る様に上昇し、天に登った。その時、冷たい風と雪が全身に浴びせられ景虎も紫苑も目を開けられなかった。しかしキッドは楽しそうにずっと笑っていた。

 

 キッドたちと魔法のそりは空に登り、そして少し飛んだところで見えなくなった。「魔法のそり」は人々にその姿を見られない様に飛ぶと透明になる魔法がかけられているらしい。

 咲耶は彼らを見送ったあと、通り過ぎた雪と風に身震いした。やはりクネヒトがやってきた様だ。先程よりも確実に体調が悪くなってきた。

 

「さあ、所長さん。中へ入るよ。に侵されているんだから。少しでも長生きしたきゃ身体を労わんな」

 

「ええ、ノザワさんの言った通り、私は私の部下を信じてる。きっと私のサンタ風邪は治る。だから、それまでに死んだら意味ないものね」

 

ノザワに肩を借り、咲耶は屋上を出た。その時に咳き込む咲耶の背中を摩りながら、ノザワは優しく告げた。

 

「さっき、あの坊主があんたに『魔法の金貨』を寄越しただろ。その幸福の魔法のお陰で少しは身体が楽になるはずだ。あんたの言う通り、信じて待つんだね」

 

「まったく、こんなに凄い事をしているのにサンタクロースはそりを透明にしてまで表に出ないのね。もっとアピールすれば良いじゃない。そしたら讃えられてサンタもモチベーションを保てるでしょ」

 

咲耶がうわ言の様にそう言うと、ノザワは「くっくっくっ」と魔女の様に笑った。

 

「所長さんや、だからあんたは『サンタ風邪』にかかっちまったのさ。サンタは富や名声が欲しいんじゃない。奴は人々の夢、自分から正体を明かせばそりゃ英雄になるだろうし聖夜のプレゼント配りも楽になるだろうさ。けどね、そんな事をサンタクロースは絶対にやらないだろう。あいつも分かってる。もし実在するって証明しちまったら──……」

 

ノザワは静かに言葉を続けた。

 

「ロマンに欠けるだろ?」

 

それを聞き、咲耶も困ったように笑うのだった。





────その⑩に続く

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