空の姫と翼の魔人

冬見ツバサ

第1章 始まりの風

第一話

 青い大空。

 雲の中を突き抜ける、大型の硬式飛行船。

 複数の飛行船が合わさり、ガスの浮力に加えて無数のプロペラによる揚力で飛行しているものだ。


 その横を飛ぶ白い鳥の群れ。


 一機の飛行機がその群れを追う。

 前進翼にV字尾翼、単発のジェットエンジンを持つ、ベージュ色の機体。

 寸胴なボディにあるむき出しのコックピットには、一人の若い女性が乗っていた。

 飛行帽とゴーグルの下には金髪のボブカット。

 凛々しく整った顔立ちに宝石のような碧眼、フライトジャケットに山を作る程の巨乳を持った空の華だった。



 そのエンジン音に、鳥の群れは散開した。

 飛行機はその群れの中でも、離れた一羽を狙う。


 鳥は必死に逃げる。

 しかし、速度で上回る飛行機は一瞬で追い抜いた。

 彼女は魔法の杖ライフルを構えた。


 心を一点に集中。


 狙いを定める。


 大きく深呼吸。


「狙い……取った!!」

 引き金を引き、撃鉄を起こす。


 銃声が響き、その鳥は落ちていく。

 ゴーグルを装着し、落ちてしまう前にすぐに向かった。


「これ以上は呪いの濃度が高すぎる!! ……でも!!」

 彼女は危険を承知の上で急降下し、落ちていく鳥に接近する。



――手が届く距離。



 呪いの濃度が高くなる高度へと達する。



――手を伸ばす。



「よしっ!!」

 呪い検知器がカチカチと警報を鳴らした。

 それを聞いて彼女はすぐに機首を上に向け、エンジンをフルスロットル。

 彼女は安全圏まで高度を上げると汗を拭う。

「危ないところだった……」



 彼女は捕らえた獲物を見て、かなりの大物だと喜んでいる。

 そこに、小柄な老人男性が、柵から身を乗り出して声をかけてきた。

「姫様、ヒヤヒヤしましたぞ!!」

 彼はマカツ。

 この船団の鍛治師で、彼女達のような狩人が使う武器を作っては売っており、幼子の世話もしているのだ。

 鍛冶師と言っても武器を作るわけではなく、彼女の使っている魔法の杖ライフルや検知器、飛行機といった、地上で発掘した物を修理して使えるようにしている。

「じいや! 見て見て、大物!」

 マカツをじいやと呼ぶ彼女もまた、彼の手によって育てられたのである。

 彼女は、彼の心配も知らずに獲った大物を自慢する。

「全く、姫様のお転婆ぶりにも困ったもんじゃのう……」


 呪い検知器が警告するほど高濃度の呪いは長時間浴びていると身体に悪影響を及ぼすという。

 そのため、彼らは一定高度以下の行動には時間制限を課し、呪いの濃度調査を重要視している。

 稀に呪いを含んだ風が舞い上がることもあるため、船団の八方には呪い検知器を装備しており、常にそれをチェック・伝達しているのだ。



 彼女は最下層にある格納庫に飛行機を停め、急いでマカツ達のいる最上部へと駆け上がった。

 生活空間である船団の最上部は、広い木造の通路を軸に、各所に個室があるといった感じだ。

 外周部は落下防止用の柵がある。

 その柵の太い部分と個室の上部に突っ張り棒で結ばれ、晴れている日には洗濯物を干すのだという。


 先程まで大物ではしゃいでいた狩人の女性は飛行帽とゴーグルを外し、中から綺麗な金髪が流れるようになびく。

 彼女はサンナ。

 皆が姫と呼ぶように、この船団国家、ニチリン皇国の姫君だ。


「姫様、まだ群れはたくさんいますが……」

 後ろから着いてきた狩人の少年がサンナに聞く。

 サンナは皆が狩った鳥を並べて言った。

「これ以上は狩らないでおくの。必要な分だけよ!」

 呪いを見る力があると言われており、比較的安全な地を移動し続ける渡り鳥、ジュワタリだ。

 肉を分けてくれる他、呪い濃度の低い空域を導いてもらうという神話もあるくらい聖なる生き物でもある。

 それに、無闇な殺生は彼女の好むところではない。



 夕暮れ空に黒々と映る巨大なガス袋の集団。

 サンナはいつも以上に大きくなったそれを見て言った。

「船団の規模も大きくなってきましたね……」

「先日ナカジマ猟団と合体しましてね……」

 その会話を聞き、近くの老夫婦がその話題で盛り上がる。

「まだまだ小規模な船団だよ、ユーロやモスクワ、オセアニアに比べちゃあね……」

「これくらいが丁度いいて……300人以上居たら覚えきれんよ」


 ある部屋から、甘く香ばしい食欲をそそる匂いがしてきた。

 大柄な中年男性が台所で火を扱っている。

「今日は姫様の大好きなジュワタリの照り焼きだ」

 それを聞いたサンナは両手を広げて大はしゃぎ。

「姫様、はしたないですぞ!!」

 マカツはそんな彼女を注意する。

 そして、その様子を眺めて微笑むのがこの船団でのいつもの光景だ。


 日もすっかり沈み、辺り一面が暗闇に塗りつぶされた頃、船団に灯りがつきはじめる。

 広めの食堂に皆が集ってきた。

 それぞれの目の前に出された鳥の照り焼きは、白熱球の電灯に照らされ、タレのテカリが輝いていた。

 他には白米や和え物、豆腐の味噌汁だった。

 これらの食材は狩り以外に、他船団との貿易や栽培船で賄っている。


 食堂の前方中央の席には、綺羅びやかな衣装に身を包んだ老婆が座っている。

 彼女こそ、ニチリン皇国の女皇帝、ハレだ。

「それでは今日も食事にありつけた恵みに感謝、いただきます!!」

 彼女が号令を終えると、皆も一斉に挨拶をし、食べ始めた。

 サンナは男顔負けのペースで食事を進める。

「おかわりっ!!」

 炊事係の老婆が彼女の茶碗に山盛りの白米を装った。

 その後、複数の定食が載ったカートを手渡された。

「あ、そのまえにこっちを頼んでおくれ。ヤツバ、クリヒデ、ミノシタの分だよ。操舵室はこっちで運んでおくから」

 サンナは自分の席に山盛りの茶碗を置くと、そのカートを受け取った。


 検知器や周囲を見張っている監視員がいる所へと向かった。

 彼らはずっと双眼鏡で辺りを見ながら検知器を時折確認している。

 しかし、彼らがいるからこそこの船団は安全に航行できるのだ。

 サンナは笑顔で彼らに定食の載った盆を手渡す。

「いつもご苦労さま!」

「おっ、ありがてぇ……」

 寒そうにしながら彼らは湯気の立つご飯を受け取り、ハフハフと冷ましながら食べていた。

 サンナはそんな様子を見て嬉しそうに戻っていく。



 食事が終わり、サンナ達は食器の片付けを終え、残った部位や骨は全て風に流した。

 この船団の風習として、風に流した骨はやがて肉をつけて戻ってくると信じられているからだ。


 サンナは夜空を眺める。

「この世界にも、戦争があったんだよね……。信じられないな……」

 ニチリン皇国は和気藹々としており、小さなコミュニティであるが故に人々が温かい。



――昔、発展と繁栄を遂げた人類は、大きな争いを引き起こしました。


――人々が焼かれ、街は破壊されつくし、国家は欲望のままにさらなる領土、富を求め続けたのです。


――やがて規模は拡大し、戦火によって目覚めた翼の魔人と呼ばれる巨人が、地上を焼き払いました。


――そうして死んだ人々の怨念が、呪いとなって地上を人の住めない土地へと変えてしまいました。


――人々は生活の拠点を空へと移しました。



 朝。

 船団は陽気に包まれ、再び活気を取り戻す。

 サンナが部屋に干してある洗濯物を、纏めて外の突っ張り棒にかけた。

 近くでそれを手伝っていた老婆が何かを見つける。

「おやまあ……軍隊じゃありませんか」

 それは無数の軍艦だった。

 戦列艦、コルベット、フリゲート、ガレオン、装甲艦……大小様々だが、そのどれもが武装している。


 分厚い装甲と火砲を大量に備えた戦列艦がこちらにゆっくりと近づいてくる。

 艦体側面にはエンタープライズと書かれており、その横にはオセアニア所属である事を示す黄色い鳥のような旗が風に揺られていた。


 勇ましい軍歌と共に、金属製のタラップがこちらの船団に向かって降ろされ、戦列艦の中から数人の鋼鉄のスーツに身を包む兵士が銃剣を構えて出てくる。

 そして、彼らが列に並ぶと、錯誤な英国紳士風の奇抜な衣装に身を包み、濃い化粧が特徴的な美形の男性が出てきた。

「あらあら、ズイブンみすぼらしいわねぇ……」


「オセアニアのアルメキア国王だわ!!」

 その個性的な出で立ちに驚くも、老婆が言った言葉でサンナはすぐに姿勢を正した。

 サンナを見て彼は顔を近づける。

「あら、珍しいヒトミしてるわね、アナタ」

 その様子を見ていたマカツは怒りを露わにし、声を荒げる。

「姫様に色目を……。なんて御無礼を!!」

 そんな彼に対し、アルメキアは口元に手を当ててクスクスと笑う。

「あら、アタシ、イロメなんてつかってないわ。オンナにはキョウミないもの」


 そう言った後、話を一旦切って誰かを探す仕草をする。

「そんなコトより、この船団の責任者はドナタかしら」

 ハレが船の奥からゆっくりと歩いてきた。

「妾じゃ……」

 アルメキアは口角を上げて何か含みのあるように微笑むと、本題を切り出した。

「それじゃ、テミジカに話すわ」


「アナタ達、このオセアニアの傘下に入りなさい」

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