第100話 賢者の忠義と愚者の死

袁紹が冀州を支配してから、長らく州都として栄えた鄴が陥落する。

袁家の栄華の象徴といえる都の中、今や至る所で曹操の旗が翻っていた。


鄴の守将筆頭たる審配が、その光景を見つめて唇を噛む。

審配は両手を後ろに縛られ、地に膝をつけさせられていた。

ふと、その視界が遮られたので、見上げるとそこには曹操が立っている。


「さすがは袁家の忠臣。まだ、諦めずにこの状況を悔しがるか」

「臣下の身、当然だろう」

それは愚門だったかと、軽く自省すると、用意された席について、審配を見下ろした。


「誰が東の城門を開けたのか、君は知っているのかな?」

「そのような不忠者のことなど、知らん」

「君の甥御、審栄だ」


その告白には、審配も堪えたようで、天を仰ぎ見る。

「あの小僧め。役に立たぬどころか、家紋に泥を塗りおって」

「忠節は血に関係なく、君、個人にあるようだ」


曹操は、審配の忠義ぶりと主君がいなくとも長い期間、鄴を守った手腕を高く評価していた。

何とか配下に組み入れたいと考えている。


しかし、審配は最後まで曹操の懐柔を受け入れなかった。

辛毗との約束もあったため、仕方なく処刑を行うことにする。


ただ、その際、一つだけ審配からの嘆願があった。

それは、斬首は北の方を向いて行ってほしいとのこと。


理由を問うと、「我が君は、北にいらっしゃる。背を向けて、旅立つことなどできるはずがない」と、答えた。

見事なまでの忠烈の士。

曹操は、その願いを叶えてやることにした。


審配を処断した後、曹操は降伏者を受け入れて鄴を平定する。

その降伏者の中には、袁氏一族の妻子もいた。とりわけ袁紹の正室、今は未亡人となっている劉氏りゅうしの扱いに対して紛糾する。

家臣の中には処断すべしとの声もあったが、敵となったとはいえ、幼馴染の元妻を手にかけることは、曹操も躊躇われた。


同じく、幼馴染だった張邈が裏切ったことにより、怒りに任せて妻子まで殺してしまったことを思い出される。

あの時は、勢いに任せてしまったが、後から後悔をしたのだった。。


曹操は、御布令おふれを出し、劉氏への手出しを禁じる。

但し、劉氏に仕えていた袁煕の妻、甄氏しんしだけは例外となった。


息子の曹丕そうひが甄氏に一目惚れをして、その御布令が出される前に連れ出していたのである。

この手の早さ、一体、誰に似たのかと曹操が苦笑いすると、この乱取りを認めるのだった。


その後、曹操は袁紹の墓を祀ると、そこで涙を流す。

袁紹は、官渡の戦いなど大きな戦で、曹操が勝ちを拾っているものの、間違いなく格上の強敵だった。

そして、幼少の頃からの友人。


もし太平の世であれば、お互い有能な官吏として、漢王朝の中で切磋琢磨する関係が続いていたかもしれない。

そのような事をいまさら言っても、詮無きことと理解はしているが・・・

曹操は、どうしても袁紹に対して敬意を払わずにはいられなかったのだ。


鄴城内を落ち着かせるよう尽力していると、袁尚の使者として、陳琳が曹操の前にやって来る。

名目は和睦だが、申し入れたいのは降伏だった。


「降伏の使者として、君を送ってくるとは、袁尚は相当、無神経な男のようだな」

官渡の戦い勃発前に、全国に触れ回った曹操を貶める檄文を書いたのは、目の前にいる陳琳である。

曹操が、あの檄文を不快に感じているとは思わなかったのだろうか?

少しの想像力を働かせれば、分かるはずなのだが、不思議でならない。


陳琳に、あの檄文を書いたことを後悔しているかと問うと、頭を振った。

「私の武器は筆でございます。引き絞った矢は、射ぬわけにいきませぬ」

「では、その武器でこの場を切り抜けることはできるかな?」

「和平に武器は必要ございません」


なるほど。先日の李孚といい、機転の利く知者は、まだまだいるようだ。

曹操は、袁家が抱える人材の豊富さに、改めて感心する。


「返答は、君の首を送り帰すことで成そうと思ったが、止めた。別の使者をたてよう」

「つまり、そのお答えは?」

「降伏など認めない」


その返答に、陳琳は肩を落とす。そのまま、獄吏に連れていかれる背中に、曹操は声をかけた。

「あの檄文を読めば、私、本人ですら、曹操孟徳という男に憤慨する。不快ではあるが、確かに名文だった」

曹操の称賛に、会釈だけ返した陳琳は大人しく獄についた。


折を見て、彼を赦そうと考えているが、使者としてきてすぐに登用ということはできない。

変節漢と呼ばれるのは、陳琳にとっても不本意だろう。


曹操に才能を買われて、生かされる者もいれば、才がありながらも、自身の傲慢さ、浅はかさから命を落とす者がいる。

それが官渡の戦いで曹操軍を勝利に導いた立役者の許攸だった。


許攸は、その功績を鼻にかけ態度が傲慢になっていく。曹操とは古い付き合いだったこともあり、油断があったのかもしれない。

鄴の東門を曹操と一緒に通った際、

「この男は、私を手に入れられなかったら、この門を通ることができなかっただろう」と、言い放った。


曹操は、「確かに」と返すが、その刹那、許褚の刀が許攸の首を刎ねる。

自分の主君に対して、あまりに非礼な態度に反射的に体が動いてしまったようだ。

その後、許褚は膝をつき、勝手な行動をとった報いとして、刑に服そうとするが、曹操は咎めるところか、逆にこの行為を褒める。


「君辱めらるれば臣死すだ。我が樊噲はんかいが行った行為は正しい」

臣としての責務を立派に果たした許褚は、関内侯に封ぜられるのだった。


そして、命を落としたのが、もう一人。

それは袁譚だった。

袁譚が降伏した際の所領は青州のみだったにも関わらず、曹操が鄴を包囲している間隙を縫って、冀州の甘陵かんりょう安平あんぺい渤海ぼっかい河間かかんを攻め落として自領とする。

参謀である郭図の入れ知恵なのだが、これが仇となった。


盟約違反だと非難されると、曹操軍に渤海郡の南皮城へと押し込められる。

袁譚の身動きが取れないうちに、曹操は青州を攻め落としていった。


追い詰められた袁譚は、南皮から討って出ると、一度は気を吐いて曹操軍を退けるも、最後、曹仁の弟である曹純そうじゅんに首を斬られる。

これは、曹純が率いる虎豹騎こひょうきと呼ばれる精鋭部隊の初陣でもあった。


袁譚に付き従っていた郭図、辛評も捕らえて処刑し、曹操は青州、冀州を平定する。

新たに二州を完全に我がものとするのだった。


すると、青州から王修と李孚が続けて、南皮にやって来る。

王修は南皮城で晒されている袁譚の首級を見つけると、罪を恐れずに慟哭した。


曹操に何とか面会を果たすと、

「袁譚さまのご遺体を、どうか埋葬させて下さい」と、願い出る。

しかし、曹操は押し黙ったまま、返事をしなかった。

「私は袁譚さまより、多大な恩を受けております。もし、埋葬の件、叶いましたら、その後に私を処刑していただいても構いません」


更に王修が、切なる願いを訴えると、曹操は口を開く。

「試すような真似をしてすまなかった。君は真に忠義の士だ。その願い、聞き届けよう」

王修は袁譚の遺体を引き取ると、手厚く埋葬するのだった。


次に李孚がやって来ると、平原の現状を訴える。

李孚は袁尚の使者として鄴に入ったが、その後、袁尚と合流することが叶わなかったため、やむを得ず袁譚に仕えていたのだった。


以降、袁譚より平原を任されていたのだが、李孚いわく、平原城内で虚言などが錯綜し、非常に混乱しているという。

というのも、袁譚を含めて主要幹部が全員、首切られたことを聞いて、恐怖をいだく人々で溢れかえっているというのだ。

強硬に抗戦を続けようという者や、ただただ恐れおののく者。


とにかく、収拾がつかないらしい。

そこで、李孚が使者となって、曹操から下知を仰ごうとしたのだ。

曹操は、李孚の機転を高く評価していたため、ここでも李孚の手腕を試そうとする。


「相分かった。全て、君に任せる」

李孚は平原に戻ると、「各自、今まで通りの職務に従事すること。そうすれば、曹公は変わらぬ待遇を約束してくれる」

李孚の言葉を信用し、平原城内は徐々に落ち着きを見せるのだった。

そして、その結果に曹操は満足するのである。


袁家の残る所領は、并州と幽州。

袁尚は降伏を蹴られた以上、死に物狂いでくるはずだ。

曹操も手を緩める気は全くない。

袁家との争いも、いよいよ最終段階へと入って行くのだった。

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