第92話 許攸の暴露
袁紹軍は二枚看板の顔良と文醜を失ったとはいえ、兵数での優位性は変わらない。
さすがの曹操も徐々に圧され、兗州陳留郡酸棗から、今は
もっとも官渡の砦は、曹操が密かに対袁紹の防衛地点として整備した拠点であったため、この地に入るのは予定通りと言えば予定通りだった。
一方、袁紹は黄河を渡河すると、河南尹の
兵数、袁紹七十万に対して、官渡に配備できた曹操軍の数は十万人。
この時点で世間は、袁紹軍の勝利を疑わなく、実際、曹操領における造反が増えていった。
特に汝南は袁氏の郷里ということもあり、反乱勢力の勢いは日増しに激しくなっていく。
さすがの曹操も弱気となり、荀彧に許都に戻るべきではないかという主旨の手紙を送った。
しかし、荀彧からは、叱咤激励の言葉があり、曹操は弱気となった自分を戒める。
覚悟を決めた曹操は、袁紹の多様な攻撃を適切な対処方法で撃退した。
袁紹軍が、高い
また、地下道を掘って官渡の砦を攻略しようとすれば、堀に官渡水の水を引き坑道を水没させた。
こうして、袁紹に決定打を与えないまま、時が過ぎていく。
長期戦となり、次第に曹操軍の兵糧が乏しくなってくると、袁紹軍の輜重隊を見かけては略奪し、自分たちの食糧とした。
その様子に病気から復帰した沮授が献策をする。
「曹操軍の兵糧は尽きる寸前と見ました。ここは、やはり持久戦に持ち込むべきです」
しかし、今や都督という肩書すらない沮授の意見は軽視された。それよりも、自分たちの兵糧が奪われていることの方が深刻な問題だと、論点をすり替えられる。
「兵糧を一箇所にまとめて、大軍で守らせましょう」
郭図の提案が通ると、淳于瓊を筆頭に
ここでも、沮授が、
「烏巣には別動隊として、
袁紹は大事なところで病気となった沮授を、もう信用していないのだ。
兵糧を密かに移動すると、曹操から略奪されることはなくなる。一方、輜重隊を見失った曹操軍の食糧難は、日ごとに増していくのだった。
それでも曹操が持ちこたえられたのは、荀彧の手紙があったからこそである。
改めて、見直すと、その手紙には、
『袁紹陣営は不仲であり、何かの拍子に崩れ落ちるは砂上の楼閣がごとしです。些細な変事だろうとお見逃しのないように』と、書かれていた。
他力本願だが、袁紹軍は必ず自滅すると信じて、曹操は歯を食いしばる。
そして、その転機は、間もなくやってくるのだった。
膠着した戦況に参謀の許攸が、別動隊を用いて許都を襲撃することを提案する。
ところが何としても正面から曹操を叩き伏せたい袁紹は、その案を受け入れることはなかった。
『戦そのものもが邪道であるに、なぜ、正道にばかりこだわる』
折しも、その頃、鄴では許攸の家族が罪を犯し審配に捕らえられるということが起きる。
恩赦を得るためには、何か手柄が必要なのだが袁紹は、自分の策をとろうとしない。
許攸は、だんだん今の境遇に嫌気がさしてくるのだった。
『下手に自分の意見を押し通せば、田豊のように投獄されるだろう。もはや、袁紹のもとでは出世の目はないか・・・』
沮授、田豊が失脚し、郭図や逢紀が牛耳るようになった袁紹陣営において、居場所がないと感じた許攸は、思い切って曹操への投降を決める。
この決断により、官渡の戦局は膠着状態から、一気に一方へと傾くことになった。
些細なきっかけ、ほんの小さな綻びから、巨大な壁が崩れ落ちることがある。
そんな事実を世の人は知ることになるのだった。
明け方近く、面会を求める人物がおり、その者の名を聞くと、曹操は眠気も吹き飛んだ。
「許攸殿、よくぞいらした」
「曹操殿、お久しぶりでございます」
許攸は袁紹、張邈らと若き頃、『
今回は、十数年ぶりの対面である。
「本初のところで世話になっていると聞いていましたが?」
「許されるのであれば、本日より、曹操殿のもとで働かせていただきたいと思っています」
許攸は、袁紹陣営でそれなりに重用されていたはずである。
投降する理由を聞くと、曹操の背筋には冷や汗が流れるのだった。
「許都を強襲する策、もし用いられれば、今、私はここにいなかったかもしれない」
曹操は、許攸が示した策を、ことさら持ち上げて、更に有効な情報を聞き出そうとする。
それにしても、田豊が戦前に投獄されたことは聞いていたが、沮授までが、そのような扱いを受けていることに、正直、驚いた。
曹操は、袁紹陣営で注意すべき人物は、田豊と沮授の二人だけだと思っていたのである。
「ところで、曹操殿。袁紹軍は、いまだ、資材・兵糧は豊富。こちらには、どの程度の兵糧が残っておりますか?」
許攸のその問いに、曹操は眉を寄せた。
実情としては、苦しいのだが、本当のことを告げた場合、再度、許攸は寝返るのではないかという疑念がある。
「あと、一年は持ちこたえるだけの備蓄はある」
「そのようなはずはないでしょう。真実をお答えください」
曹操も、さすがに大きく言い過ぎたと反省すると、
「慧眼、恐れ入る。実は、もって後、半年ほどである」と答えた。
しかし、その答えに許攸は納得していない表情である。
「袁紹を打ち破るのに、現実を直視せず、虚言を使われては倒せるものも倒せなくなりますぞ」
許攸の、その勢いに曹操は観念した。
「分かった。実際は、あとひと月ほどで兵糧が尽きる。何か妙案はないだろうか?」
解決策を求められた許攸は、溜息を漏らす。
策を秘めているようだが、話すべきか迷っている様子だった。
「このような状況にあっても警戒を怠らない曹操殿の思慮深さには感服しますが、時には腹を割って話すことも肝要ですぞ」
その許攸の言葉に見透かされていることを曹操は悟る。
恐らく、正確に曹操軍の実情を許攸は掴んでいるのだろう。
「私の推測が正しければ、本日をもって、兵糧は切れるはずです」
「その見立てがある中、投降したのは?」
「当然、解決する術があるからです」
曹操は大いに喜ぶ。まさにこれが、荀彧が進言していた変事だろう。
許攸の話では、曹操軍が見失っていた袁紹軍の兵糧は、烏巣にあるとのことだった。
守る将は、淳于瓊だが、警備体制は万全ではないらしい。
この辺も沮授は指摘していたようだが、幸いにも沮授の意見は採用されていない。
曹操は天祐続きのように思えた。
早速、この烏巣を襲撃する件を軍議にかけるが、諸将からは許攸の言を信じず、罠である可能性を指摘する声があがる。
そこに異を唱えたのは、賈詡だった。
「謀には期というものがございます。現状を正確に把握する者であれば、あと数日、袁紹の元で過ごせば、勝利を得られたのです。しかし、許攸殿は、そうしなかった」
兵糧が尽きかけていることを理解している者は、曹操陣内でも数名しかいないため、賈詡の言葉を理解できる者は少なかった。
「そして、自分を一番高く売れる期を見計らって、弱い方についた。これが虚言ではない証拠です」
賈詡の弱い方という言葉に、気色ばむ将が何人かいたが、曹操からすれば、まさに正鵠を射ている。
自信を持つ、裏付けとなった。
「諸将に隠していたが、我が軍の兵糧は、本日をもって尽きる。このことを許攸殿も理解しており、我が軍の味方となった。賈詡の申す通り、それが根拠なのだ」
曹操の告白には驚いたが、そういう理由であればと諸将も納得する。
「子廉、公達。私の留守中、官渡を頼む」
曹洪と荀攸に官渡の守備を任せると、曹操自ら烏巣を襲うと決めた。
この強襲結果に袁紹との対決の全てがかかると言っても過言ではない。
曹操は楽進を伴うと、夜に紛れながら、細心の注意を払って軍を進めるのだった。
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