第58話 孫家復活

袁術の配下となった、孫策と周瑜。

揚州における袁術の勢力拡大のため、しばしば功を挙げ、袁術本人に、

「もし、伯符のような息子がいれば、引退してゆっくりできるというのに・・・」と言わしめるのだった。


しかし、真の信は、得られていない。

もっとも、孫策自身も袁術のことを信用していないのだから、それは仕方のないことかもしれないが・・・


そんな孫策に廬江郡ろこうぐんを攻める指令が下りる。

「伯符よ。廬江太守の陸康りくこうを討ち取ってまいれ。さすれば、お主を廬江太守に任ずる」

「承知しましたが、九江郡きゅうこうぐんのようなことはございませんか?」


袁術は、以前、孫策に九江太守に任命する約束をしていたが、違えて部下の陳紀ちんきを太守に任命したことがあった。

孫策は、そのようなことがないかの確認を行ったのだ。


「あれは手違いだったと、何度も説明したであろう。今度こそ、間違いない」

「誠でございますね?」

「儂を信用できんのか!」


袁術があからさまに不機嫌になった。鋭く睨まれても、孫策は痛痒を感じない。

主命を頂戴して、立ち上がるのだった。


『あの顔は約束を守る気がないな』


直感的に、また、約束を反故にされることを悟る。

それでも、今の孫策には袁術の命に従い、実績と力をつけていくしか道はないのだった。



孫策は軍を率いて陸康を攻める。

廬江郡の城、数城を瞬く間に抜き、治所である舒県じょけんに迫った。

孫策が舒県を取囲むと陸康は激しく抵抗し、籠城策をとるが、最終的には兵糧攻めに屈して陥落する。


こうして陸康を打ち破った孫策に対し、袁術は、またしても約束をなかったことにした。

凱旋して、戦勝報告のため袁術の元に向かうと、ちょうど廬江太守に劉勲りゅうくんを任命している場面に出くわしたのだ。


もともと、そんな予感をしていたとはいえ、孫策はこの処遇には失望し、挨拶もそこそこに袁術の前を辞する。

「公瑾、俺はいつまであの猿の下にいなければならないのだろうか」


苦楽をともにしてきた周瑜も思うところはあるが、現状から抜け出す方法が見つけられない。

とにかく自分たちの兵を所有できるまでにならないと、お話にならないのだ。


「すまんが、今は、耐え忍ぶしかないとしか言えない」

「・・・そうだな。愚痴を言って、悪かった」

父、孫堅と比較して、今の自分が不甲斐ないと責めているのだろうか・・・

一方、周瑜にも自責の念があった。


何をかくそう袁術の元へ行こうと、切り出したのは周瑜だったからだ。

悩める若者二人。

しかし、孫策の廬江郡制圧は、情勢に変化をもたらし、風向きが変わるのである。


袁術の支配領域が、九江郡、丹楊郡、廬江郡と増えたことに対し、これ以上の勢力拡大を阻止するために朝廷は、前揚州刺史の陳瑀に替えて新たに劉繇りゅうようを派遣した。

劉繇は呉郡の曲阿県きょくあけんに駐屯すると、部下の樊能はんのう于麋うび張英ちょうえいを使って、丹楊郡を攻めさせる。


丹楊郡を守る太守は呉景ごけいだったが、善戦虚しく丹楊郡を奪われてしまうのだった。

袁術は、直ちに奪還の指示を出すが、戦況は膠着し思うような戦果をあげられない。


この呉景という人物は、実は孫策の母の弟、つまり孫策にとって叔父にあたる。しかも一緒に戦っている者の中には従兄弟である孫賁そんほんもいた。

言わば、丹楊攻防戦は孫策にとって身内の戦い。


この救援に向かう口実で、袁術から兵を借りられないかと孫策は考える。

しかし、あの袁術が簡単に了承するわけがない。

孫策は、一人、考え込むとある決意を抱いて、周瑜に相談した。


「公瑾、俺は丹楊郡の戦に参加できるように、あの猿に頼んでみようと思う」

「しかし、兵を出し渋るだろう。私とお前だけでも叔父上の救援に向かうか?」

「いや、兵は必ず出させる」


孫策は無謀なところはあるが、馬鹿ではない。出来ること、出来ないことの区別はつく男だ。

周瑜は、何か勝算があるのか、確認する。

すると、孫策は真っすぐな視線を周瑜に向けた。


「俺は、父の意思に背き、悪魔に魂を売ることにした」

「大殿の意思?どういうことか、詳しく話せ」


決意の強さは伝わったが、もし、それが暴走であれば周瑜は命をかけてでも止めなければならない。

周瑜は義兄弟の言葉を待った。


「伝国の玉璽。それを質に、孫家の兵を取り戻す」

「・・・なるほど」

周瑜がやっと絞り出した言葉が、それだった。


伝国の玉璽であれば、確かに袁術は兵を孫策に与えるかもしれない。

しかし・・・玉璽を所有していることは孫家の秘事。

本来であれば、董卓を倒した後に献帝陛下に還す予定だったが、孫堅の死により、うやむやのまま現在に至っている。


それを孫家が隠し持っていたとなれば、伝わりようによっては、亡くなった孫堅が誹りを受け、汚名をこうむる可能性があった。

無論、そんなことは孫策も百も承知だろう。


いや、それよりも問題なのは、伝国の玉璽を袁術という輩に渡すことは、孫策が言うように間違いなく孫堅の意思に反する行為だ。

漢に対する忠、親に対する孝、いずれにも反することに手を染めることになる。


「ふぅ」

周瑜は大きく息を吐きだした後、

「分かった。伯符。お前が地獄へ落ちるというのであれば、私もともに落ちよう」と、孫策の両肩を掴んだ。


「すまん。だが、お前さえいてくれれば、俺はどこにでも行ける」

若者、二人は後戻りができない覚悟をもって、袁術と面会するのだった。



袁紹の前に、孫策、周瑜が平伏する。

「二人、改まって、いかがした?」

「本日は、袁術さまにお願いがあってまいりました」


お願いという言葉に袁術の眉毛がピクリと反応する。警戒心が強まったことは、孫策や周瑜にも分かった。

自分が人に頼んでも、人からものを頼まれるのは嫌いなのだろう。

なんとも狭量な男だ。


「何だ、一応、申してみよ」

「実は丹楊郡のことでございます」

「うむ。その件か・・・」


自国領、かなり劉繇に食い込まれているようで、袁術も気にかけている問題だった。

主に呉景にあたらせているが、あまりいい情報は伝わってこない。

その呉景は、確か・・・


袁術は孫策の願いとやらを値踏みする。

恐らく身内の救援に向かうのに手勢を貸してほしいといったところだろう。


『孫策の力量であれば、五千もあれば結果を残すか』


そんな算段をしていると、孫策は袁術との距離を詰めよった。

「私の願いは、わが父、孫堅の手勢をお返しいただきたいことです」

「何?」

貸せではなく、返せだと!

袁術は、一瞬、耳を疑ったが、群臣たちのどよめきから聞き間違いではないことを確信する。


「伯符よ。孫堅の手勢など、とっくに・・・」

袁術の言葉が途中で止まった。

それは、ある一点から目が離せなくなったからだった。


「は、伯符、そ、その手に持つものは何じゃ?」

いつの間にか孫策は赤い漆の箱を手に持っていた。袁術は、不思議とその箱から目が離せない。

何か、神秘的というか厳かな空気をその箱から感じるのだ。


「ご覧になられますか?」

孫策が焦らすようにゆっくりと箱を開けると、袁術は口に手をあてて声を抑える。

そうしないと思わず奇声を発してしまう衝動にかられそうになったからだ。


「で、伝国の玉璽か!」

「その通りでございます」


袁術は近づいて、玉璽を見ようとしたり、思いとどまって椅子に腰を深く落としたりを繰り返し落ち着かない。

これから始まる交渉事で、足元を見られぬように平静を装いたいのだが、袁術には難しいようだ。


「そ、それをどうするつもりだ?」

「もちろん、袁術さまに献上してもいいと考えておりますが・・・」

代わりに孫堅の兵を返せということか。


袁術も、それくらいのことは分かる。

今は、一兵たりとも失いたくないが・・・玉璽を得られるのであれば・・

色々な計算を張り巡らすが、最後は欲望に負ける。


「分かった。それでは、孫堅の兵、一千をそっくり返そう」

『たった一千?』

孫策は難色を示すが、すぐに周瑜がたしなめた。


『いいから、今はもらっておけ』

『お前が、そう言うのなら分かった』


小声で相談した結果、孫策は袁術の申し出を受けることにする。

伝国の玉璽を袁術に渡すのだった。


玉璽を受け取った袁術は、ニヤリと笑うと、

「お前がどうして、こんなものを持っていたかは、あえて問うまい。ありがたく思え」

恩着せがましく、たった一千の兵を返す指示を配下にするのだった。


孫策は、表面、「ありがたき、幸せ」と、袁術を敬いつつ、心の中では、

『その玉璽は、一旦、預けるだけだ。必ず取り返す』と、そう誓う。



後日、孫策のもとに返された一千の兵たちを見て、孫策は驚きと懐かしさを覚える。

その兵の中には、孫堅子飼いの黄蓋、程普、韓当たちが含まれていたからだ。

「たった、千とはいえ、みんなが戻ってきてくれるのであれば」


寡兵について悩んでいたが、この面子だと、ただの千騎ではない。

希望が膨らんだ。


「公瑾、あの時、受けろと言ったが、こうなることが分かっていたのか?」

「我らがこれから独立することは、馬鹿な袁術でも計算に入れる。そうなった時、大殿恩顧の将たちは、奴にとって獅子身中の虫になりかねない。・・・恐らく、こうなるだろうと見越していたさ」

「さすがだな」


襄陽で敗れ、悲しみとともに孫家の時は止まった。

しかし、孫家発祥の地、ここ揚州で、再び、躍動しだすのを感じる。

孫呉の歴史、新たな幕開けとなるのであった。

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