第六話 十二年越しの婚約指輪⑤

「やあ、ルッツ。遅かったじゃないか。まさか辺境伯様が直々にこんな薄汚いところに赴いてくれるとは、想像もしてなかったね」


 ヨハンは皮肉気に笑い、ルートヴィッヒを一層にあおる。対峙した二人の男は、互いに親のかたきを見るような目をしていた。


「やはりお前だったのか。十二年前の、あの時と同じ……」

「ああ、友の顔を覚えていてくれたのか。嬉しいねぇ」

「友……、友だと?」


 ルートヴィッヒは猛然もうぜんと怒る。


「俺の大切なものを傷つけておいて、一度ならず、二度までも……! お前は友なんかじゃない!」

「残念だ、俺はずっと、お前の事を無二の親友だと思い続けていたのに」


 拒絶されたヨハンはどこか悲しそうだ。いまさらになってそんな人間味のある顔をするのかとロザリーは意外に思った。


「ヨハン。お前は一体何が望みだ? 何のためにこんなことまでする?」

「俺の望みはただ一つだ。お前が絶望に顔を歪ませて、俺に許しを請う。その姿が見たいだけさ」


 ロザリーを取り囲んでいた男たちが再びこちらに詰め寄ってくる。ヨハンはルートヴィッヒに絶望を与えるため、ルートヴィッヒ本人ではなくあくまでもロザリーに危害を加えるつもりなのだ。


「やめろっ!」


 慌ててロザリーのもとに駆け寄ろうとするルートヴィッヒを後方から太い腕が羽交い絞めにした。――あの大男だ。


「いいぞ! そのまま拘束しておけ」


 そしてヨハンは他の男たちに合図を送る。このままルートヴィッヒの前でロザリーを嬲り、屈辱を味合わせる気か。


「――くっ、はは」


 だが、この状況を目の当たりにしてロザリーは笑みを浮かべた。ロザリーがゆっくりと立ち上がる。暴行を加えられ頭から血を流し四肢を縛られた状態で肩を震わせるロザリーに、周囲の男たちとヨハンが怪訝な顔をした。


「なんだ? 何故笑っている?」


 ヨハンの質問が滑稽こっけいだった。気でも狂ったと思われているのかもしれない。だが、生憎あいにくとロザリーは正気だ。正気の上で、勝利を確信している。


「ヨハン。やっぱりお前は馬鹿だよ。お前は十二年前から何も変わってない」

「何だと?」

「私をあの頃のままだと思ってるからこういう事になる」


 次の瞬間、ロザリーは自身を縛っていたはずの手のロープを切り落とした。ロザリーの手には小ぶりのナイフ。そのきらめきに周囲の男たちが動揺する。そのまま足を縛っていたロープも一閃いっせんするとロザリーはあっという間に自由になった。


「なっ……‼ 武器は全て没収したはず――」


 男たちが驚愕で固まっている隙にロザリーが動いた。ナイフと拳であっという間に男たちを地にせる。その鮮やかさにヨハンは唖然としたまま固まっていた。


「ひっ……!」


 ロザリーはその憐れな男にゆっくりと近づく。


「……っ、おい! そいつはもういい! この女を殺せ!」


 唯一残っていたのはルートヴィッヒを拘束していた大男だった。ヨハンは錯乱状態で大男に助けを求める。だが、彼はルートヴィッヒを放しこそしたものの動く気配はない。

 ロザリーはその大男を見据えた。大男もまた、鋭い眼でロザリーを射抜き、そして、


「――もういいよ、モディボ」


 ロザリーが大男に向かって笑うと、――モディボも同じように笑い返した。


「なっ……! 一体どういう事だ⁉」


 一人状況の呑み込めないヨハンが腰を抜かして後退する。ロザリーはあえてじっくり彼を追い詰めた。


「お前の敗因は二つだ、ヨハン=セルマン。一つはあの時と同じようにルートヴィッヒ様ではなく私だけを狙った事」


 もしルートヴィッヒを傷つけようとしたら、ロザリーは彼の身を守ろうと無茶をしただろう。だが、ロザリー自身が狙われるのなら防衛は簡単だ。劇団『サンヴェロッチェ』の花形にして殺陣たての達人であるロザリーが、こんなごろつきに負けるわけがない。

 そして誤算はもう一つ。


「お前、昔『サンヴェロッチェ』を襲わせた時、私ばかりに気を取られて他の団員の顔なんて一人も覚えていなかったんだな」

「えっ……」

「私にとっては嬉しい誤算だったよ。まさかこんなところでかつての仲間に会えるなんて。――なあ、モディボ」


 ロザリーの元に青筋を立てたモディボが近づいてきた。モディボは怒りの矛先をヨハンへと向けている。モディボの太い指の関節が嫌な音を立てて鳴り、ヨハンはひゅっと喉を鳴らした。


「よくも俺の主を――、ニクラス様を破滅させやがったな!」


 横から見ている側ですら吹き飛ばされそうな風圧が起こって、モディボの重々しい鉄拳がさく裂した。先ほどハンゼを吹き飛ばしたものより何倍も重い衝撃がヨハンを襲い、ヨハンの身体は木の葉のように吹き飛ばされ岩壁に激突する。


「うわ……」


 敵ながら気の毒だ。だが、恨みを晴らせてご満悦まんえつのモディボの様子を見て、胸がくような気分だ。


「助かったよ、モディボ。ナイフ、貸してくれてありがとな」

「礼を言われるほどの事ではない。むしろ、演技とはいえお前が殴られてるのに傍観してすまなかった。お前ならそのナイフの意図を汲んでくれると思った」

「ああ」


 目覚めた直後、ロザリーの顔を覗き込んでいたモディボが、ヨハンに気づかれぬようロザリーの手元に小さなナイフを置いてくれた。ヨハンと言葉を交わし時間稼ぎをしながら、ロザリーは反撃の糸口をずっと窺っていた。これもモディボがいてくれたからこそで、ロザリーとモディボは同時に悪戯っぽく笑った。そこに、


「ロザリー」


 安堵した様子のルートヴィッヒが近づいてくる。どうやら彼も怪我がないようで、「無事だったか」と声をかけようとした瞬間、思い切り抱きしめられた。


「⁉ ちょ、ちょっと、ルートヴィッヒ――」

「よかった」


 ルートヴィッヒはただ一言、絞り出すように言っただけで、その腕に力を込める。それだけでルートヴィッヒの想いの全てが伝わってきて、気恥ずかしさも何もかも吹き飛んで、ロザリーは唯々満たされた気持ちになった。――が、

 ひゅう、とモディボの口笛が聞こえて、ロザリーは慌ててルートヴィッヒを引きはがす。こんなところで抱き合ってる場合じゃない。


「そうだ! こいつら、憲兵かどこかに突き出さないと!」


 ヨハンを筆頭に床に伸びている奴ら全員、今回の事件の容疑者だ。街からどれくらい離れているのかわからないが、急いで兵を呼ばなくてはと焦っていると、


「ああ、それなら大丈夫だ」


 ルートヴィッヒがにやりと口角を歪めると、洞窟の外から甲高い声がこだました。


「ちょっと! いつまで待たせるのよ! いい加減合図を寄こしなさいよ、ルートヴィッヒ!」


 聞き覚えのある声にロザリーは目を白黒とさせた。鈴のような凛とした、でも勝ち気で強烈な衝撃を与える声。


「えっ、お嬢様⁉」


 ロザリーは慌てて洞窟の外に飛び出した。そこに広がっていた光景にロザリーは唖然とする。洞窟のすぐ側にはすでに何百という武装兵が待機していた。南部領の紋章を付けた兵もいれば、無紋の兵――すなわち傭兵も揃い踏みだ。

 その前線にもうすっかり見慣れてしまった可憐なドレスの少女がいて、少女がロザリーの姿を確認した途端、一目散にこちらに近付いてくる。


「ロザリー!」


 フロレンツィアは涙を浮かべてロザリーに抱き着いた。頭は未だ混乱する中、ロザリーは反射的にフロレンツィアを抱きとめる。


「無事でよかった! ああ、でもロザリー、顔……酷いあざ!」

「お嬢様、一体どうしてここに……。それよりこれ……」


 ロザリーはフロレンツィアの後ろに控える兵たちを見渡した。これは、普通に考えればルートヴィッヒが召集して連れてきたのだと思うところだが、それにしたって規模が大きすぎる気がする。


「私が集めてきたの!」

「――え、お嬢様が?」

「勿論あいつの兵士もいるけど、半分以上が私が召集した兵士よ。エルメルト家の名前を使って、集めるだけ集めてやったわ」


 自慢げに胸を逸らすフロレンツィアにロザリーは言葉が出ない。いやまさか、いくら名門エルメルト家の子女とはいえ、あの箱入りで世間知らずだと思っていたお嬢様がここまでするなんて。

 そんなロザリーの心を読んだかのようにフロレンツィアは堂々と宣言した。


「だって、私の世界一大切な貴女が攫われたんですもの。私、貴女のためなら家の名前だって何だって利用して見せるわ」


 その自信に満ちた笑顔に、今まで隠されてきたフロレンツィア=エルメルトの本質を垣間見た気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る