第五話 獅子と溝鼠⑦

 ◆

『ジャックドー』の襲撃は少なからず王都に激震を与えた。この事件をきっかけに、国王軍による下町の一斉検挙が行われ、ジャックドーのみならず下町を牛耳っていたギャングは軒並み制圧された。

 重傷を負ったロザリーを抱えていたルッツもジャックドーの関係者だと知られて連行された。王都の郊外にある犯罪者の留置所にぶち込まれ、ルッツは外で何が起こっているのかもわからず数日を過ごした。あの後『サンヴェロッチェ』の皆がどうなったのか、ロザリーは助かったのか、何一つわからず無情に時が過ぎたある日。


「――出ろ」


 ルッツは看守に言われ牢から出る事を許された。いよいよ死刑でも執行されるのかと思えば、何故か広くて立派な部屋に通された。

 留置所の中の部屋らしい。壁や天井に備え付けられた照明は牢のものと一緒だが、広く調度品は高価そうなものばかりで明らかに罪人を通す部屋ではなかった。

 そこにいた男もまた明らかに高貴な身なりの男だった。鋭い、氷のような目。いかめしい顔つき。その男がルッツを一瞥いちべつした瞬間、ルッツは身体が強張こわばって動けなくなった。


「――君がルッツ・・・か」


 男が名を呼んだだけで呼吸が浅くなる。男は立ち上がると、ゆっくりとルッツに近付いてきた。


「本名をフルネームで言えるか?」

「――ルートヴィッヒ=ブラント」


 その名を告げたのは何年ぶりか。忘れずに覚えていた事に自分でも驚き、そしてその名を聞いたその男は深いため息をついた。


「やはり……エリシア=ブラントの息子か」

「な、なんで母さんの名前を……!」

「エリシア=ブラントはかつて私の屋敷で働いていた使用人だった。私の子を身籠みごもってすぐ、私に黙って屋敷を飛び出したがな」

「えっ……!」


 ルッツは言葉に詰まった。つまりそれは、


「私はザイル=ベルクオーレン。南部領を所有している公爵、そして――君の父親だ」


 ルッツは目の前にいる男を見上げた。見た事もない、遠い世界に住む貴族の男。それが、ルッツの父親だと名乗りを上げた。


「先日下町の一掃を行ったのは私の所有する私兵だ。偶々たまたま王都に滞在していたため王に要請され兵を出したが、捕らえた鼠の中のお前の顔を見て戦慄した」

「……」

「その青い目は母親譲りか……、面影も少しある。母親共々戦争で死んだと思っていたが、まさかあんなゴミ溜めで生きていたとは」


 抑揚のない口調、怒りも呆れも感じられない。ただ淡々と話すその男にルッツは委縮し何も口をはさめない。だが、ザイル=ベルクオーレンはルッツにとって一番欲しい情報をくれた。


「『サンヴェロッチェ』の者たちは無事だ。――あの娘もな」

「……! 本当か⁉」

「娘は瀕死の重傷であったが腕のいい医師に預けた。今は回復に向かっている」


 それを聞いたルッツは泣き崩れそうになる。よかった、と安堵すると同時に、とてつもない後悔が襲ってくる。


「エドヴィンとは古くからの馴染みでな。今回の事は私としても胸の痛む出来事だった。できる限りの支援はしてやりたいと思ってな」


 そして後悔に押しつぶされそうになるルッツに、その男は語り掛けた。


「――取引をしようか、ルートヴィッヒ」

「……取引?」


 ルッツは突然の提案に目を丸くした。


「君をここから釈放してやろう。君が今まで犯してきた犯罪をあげつらえば君は無期懲役、あるいは死刑になっても文句は言えないが、それを全て免罪にするよう看守長に掛け合ってやる」

「そんな事が、できるのか?」

「無論だ。それから今回被害に遭った『サンヴェロッチェ』の者たちが気がかりだろう? 今回の損害を全て私が持つ。破壊されたキャラバンや舞台道具、その他諸々もろもろ、そしてあの娘の莫大ばくだいな治療費も全額支払う。加えて、今後の『サンヴェロッチェ』の活動資金を無償で援助する」

「……!」


 ルッツは耳を疑った。目の前の男は、ルッツが気がかりだった『サンヴェロッチェ』の者たちを救ってくれる。ルッツが何よりも望んでいた事を彼は叶えてくれるのだ。

 だがこれは取引。つまりそれに見合う代償をルッツも払わなければいけないという事だ。


「その代わり私と来い、ルートヴィッヒ」


 その代償はとてもシンプルで、そして何よりも重いものだった。


「私には後継者が必要なのだ。辺境ブラムヘンを守護する者として、お前はベルクオーレン家の駒になってもらう」


 駒。ザイルは隠すことなくそう言った。到底息子に対するものとは思えない、冷酷な所業だ。


「これは当分先の話になるが、我々ベルクオーレン家率いる南領はこの王国から自立する事になる。その際に様々な交渉を突き付けられる事になるだろう。協定、縁談、それらを円滑に進めるために少しでも使える駒が欲しい。――対外戦争もいずれ再発するだろう。ブラムヘンはその前線地となり得る。指導するべき領主がいるのだ」


 何も言い返せない。ルッツには学がなく弁が立つわけでもない。未知の生物に小難しいことを言われたってわからない。

 でも、一つだけわかる事がある。


「――あんたの言うとおりにすれば、劇団を――ロザリーを助けてくれるんだよな?」


 ルッツの問いにザイルは静かに頷く。もうそれだけで、ルッツが拒む理由は無くなった。


「これから私の屋敷に来てもらう。貴族として身に付けるべき教養、礼節、交友関係。お前には何もかも足りない」


 ザイルの冷たい目がルッツを絡めとる。もう逃げられないと、言われているようだった。


「この町で過ごした事は全て忘れろ。良い思い出も悪い思い出も――何もかも捨てて生まれ変われ。今日からお前はルートヴィッヒ=ベルクオーレンだ」


 それはルッツにとっての死の宣告、そして、


『約束だよ、ルッツ』


 あの少女と交わした約束が潰える事を意味していた。


 ◆

 それから九年の月日が流れる。

 久しぶりの王都セントレアの街並みはすっかりと様変わりし、ルートヴィッヒは懐かしさなど微塵みじんも感じられないその街並みを馬車の中から眺めため息を漏らした。


「どうした、随分と暗いな。せっかく爵位授与の記念日だというのに」


 向かいで笑っているのはルートヴィッヒの叔父にあたるロドリゲス=ベルクオーレン。セントレアに屋敷を構える彼は、本日ルートヴィッヒの後援者としてブラムヘン領の辺境伯就任の儀にも参列してくれた。


「まだ実感が湧きませんよ」

「まあそういうもんだろうさ。しかし、すっかり立派になったもんだなぁ、ルートヴィッヒ。ザイルからお前を紹介された時は、いつの間にこんな立派なガキこさえたもんかと驚いたが」


 ルートヴィッヒは過去を捨てベルクオーレン家の一員となってから、ブラムヘン領を継ぐために死に物狂いで学を積んだ。突然現れたザイルの後継者たる息子に疑念を抱くベルクオーレン家の者が多い中、ロドリゲスだけは配慮や世辞せじもなく接してくれた。彼にもルートヴィッヒの詳しい出自は明かしていないが、人のいい彼の事だからきっと知らないふりをしてくれているのだろうと思う。


「叔父さんの力添えのおかげですよ」

「そんな事はないさ、お前は立派な領主になるよ。もうすぐ南部協定の審議も始まる。この協定が締結すれば、ベルクオーレン家の所有する南部領は事実上の独立だ。さらなる発展が望めるだろう。お前もその内令嬢との縁談が決まって、ベルクオーレン家にはくが付く」


 ルートヴィッヒは朗らかな笑みを浮かべつつも、心臓がずきりと痛むのを確かに感じた。


 馬車は軽快にセントレアの繁華街を駆けていく。だが、その歩みがふと止まり長い停泊が訪れた。


「なんだ? 道が混んでるのか?」


 ロドリゲスが怪訝な顔をして窓の外を覗き込む。ざわざわと辺りはやけに人の声で騒々しかった。ロドリゲスが外の様子を御者に尋ねると、


「伯爵様、人込みで通りが塞がってます」

「何か事故か?」

「いいや、――広場でもよおし物みたいです」


 催し物、と首を傾げたその時、外から歓声が聞こえた。わあっ、と高揚する空気にルートヴィッヒも気になって窓の外を覗き込む。そして、


「――!」


 強烈な既視感に襲われた。

 中央広場に集まった大観衆。その視線の先にあるのは、精巧につくられた舞台のセット。吟遊詩人の口上があたりに響く中、期待を一身に受けた役者がその歓声の中に姿を現した。

 その役者は威風堂々と舞台の中央にやってくる。ハリボテの甲冑と剣は本物の銀のように輝き、短く切りそろえられた小麦色の髪は太陽の光を受けて金獅子のたてがみのようになびいた。


 若く美しい聖騎士の姿。


 自信に満ちた顔をふっと上げた時、蜂蜜色の凛とした輝きがそこにいたすべての観客の視線を受け止める。


『我の名はバイヘン=フィル=エーゲンハルト。我は誓う。この国を脅かす悪は、我がこの剣でうち滅ぼす!』


 彼女が高く剣を掲げると、歓声が広場中――いやこの町中に轟いた。


「いやぁ、すごい歓声だな!」

「最近王都で話題になってるんですよ。『聖騎士バイヘンの唄』。なんでも主演の子、女の子なんですけど騎士道物語の聖騎士そのものだって、男女問わずにれさせちまうって評判で。うちの女房もすっかり夢中になっちまって」


 ロドリゲスと御者の話が耳に流れ来るが、ルートヴィッヒはもはや五感の全てをその少女に奪われていた。


「――おい? どうした、ルートヴィッヒ?」


 ルートヴィッヒは涙を零していた。涙だけでは足りず、大声で嗚咽おえつを漏らして泣いた。


 この馬車の外に彼女がいる。

 あの路地裏の悪夢から解き放たれて、自分の夢を叶え華やかな舞台に上がった彼女が。


 ――あの日からずっと、ルッツが恋焦がれていた少女が。


「よか、った……。よかった……!」


 ルートヴィッヒは泣きながら、何度も何度も呟いた。あの日から『サンヴェロッチェ』は再起して、何一つ変わらず素晴らしい芝居を届けている。『夢と希望を届けるのだ』とそう宣言したエドヴィンの言葉通りに。

 嬉しい事のはずなのに、ルートヴィッヒは悲しくて涙が止まらなかった。


 自分はもうあの太陽のような人たちの元にはいけない。

 彼らの前に立つ資格はもう無くなった。

 大切な人の未来のために自分の全てを売り渡し、地位も財産も手に入れた今の自分は、引き換えにたった一つ手放してはいけないものを手放してしまったのだと。

 ルートヴィッヒは、その日初めて自分の選択を後悔した。

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