第一話 サンヴェロッチェの花形役者①

 ◆

 ――三年前 王都セントレア 中央広場


『我こそはロタール領の騎士、バイヘン=フィル=エーゲンハルトである! この国の民を守るため、そして我が友リーヴィルの無念を晴らすため、汝ら悪の軍勢を打ち倒す事をここに誓う! この身が打ち砕かれようとも、最期まで戦場に立ち、華々しく散ってみせよう!』


 周囲から黄色い歓声が湧く。舞台上のロザリーが剣を抜くと、広場は一層の緊迫感と高揚に包まれた。

 フォルテ王国の各地を巡業し、旅の先々で劇や大道芸を披露する劇団『サンヴェロッチェ』。毎年王都で披露される舞台。今年の演目は、正義の騎士と国を侵略する異教徒との戦いを描いた古典劇『聖騎士バイヘンの唄』。主人公、聖騎士バイヘンを演じたのは、『サンヴェロッチェ』の花形役者、当時まだ十五歳の少女ロザリーであった。


 王都の広場に集まった二百人を超える観客が、聖騎士バイヘンの雄姿をその目に焼き付けようとこちらを注視する。その何百という瞳がロザリーに注がれるのは、恐れ多いと同時にある種の快感を生み出した。

 花形と称されるに相応しい整った容姿に華奢きゃしゃな体躯は、男にはない優雅さと気品さを兼ね備え、中性的で気高い美青年騎士バイヘンをよく体現していた。その容姿もさることながら彼女を花形役者に押し上げたのは高い演技力に付随する洗練された体術にある。

 特に彼女の殺陣たては一級だ。騎士の鎧を身に纏い、まるで舞を舞うかのように敵を次々と切り伏せる。その姿は本物の騎士と見紛うばかりの凛々しさがあり、その力強さは大の男にも引けを取らない。戦隊ものが好きな小さな子供に留まらず、世の女性たちすらとりこにしてしまうのだ。


「お前は本当に身が軽いなぁ」


 団長であった父からはいつもそう言われて頭を撫でられた。かつて傭兵であった父から仕込まれた武術を余すことなく吸収した一人娘のロザリーは彼にとっての自慢だった。本当は年頃の女の子が夢見るみたいなお姫様役をやってみたいと思った事もあったけど、父の喜ぶ姿が見たくてロザリーはいつも綺麗なドレスではなく重い甲冑か動きやすい盗賊の服を選んで舞台に上がった。


「私はずっとこの世界で生きていくんだ」


 お姫様でなくても、お金持ちでなくても、この小さな舞台で自分の演技を披露し沢山の人々を楽しませる事が出来る。老若男女問わずの喝采、脚光を浴びる事の快感。普通の町娘の人生では手に入れる事の出来ないものをロザリーは持っていたのだ。




 その日々が一変したのは十七歳の秋。父が突然病に倒れ急死した。

 父がまとめていた『サンヴェロッチェ』はその柱を失って嘘のように瓦解した。

 家族同然に過ごしていた劇団員たちが一人、また一人とロザリーの元を去っていく。皆父の劇団を愛していた人たちだった。愛していたがゆえに父がいなくなってしまった劇団を続けていくことが出来なくなったのだと、ロザリーが本当の姉のように慕っていた女性が言っていた。


「ロザリーちゃん、一緒に行かない?」


 その人は新しく立ち上がった劇団に移籍する事が決まった時ロザリーを誘ってくれた。その劇団もロザリーの活躍を知っていたから、きっとロザリーが頷けば快く受け入れてくれただろう。同じように、『サンヴェロッチェ』を去る仲間たちはロザリーの事を気にかけてくれた。

 けれどもロザリーは首を横に振り続けた。


「私は絶対に行かない」


 ロザリーの居場所はただ一つだけ、父の立ち上げたこの『サンヴェロッチェ』だけだ。


「私は一人でも『サンヴェロッチェ』を続けていくんだ。他の劇団なんか入るもんか!」


 ロザリーにとって父が残した唯一の遺産。それがこの劇団だ。たとえロザリー一人になったって父の遺したこの劇団は死なせない。この劇団が死ぬという事は父の遺志すら無に帰すという事だ。


 だがそうやって意地を張り続けて気が付いたらロザリーは本当に一人になっていた。あちこちを旅しながら劇団の皆で芝居を続けていたあの温かい日々は終焉しゅうえんを迎え、ロザリーは一人王都に取り残される。寝泊まりしていたテントやキャラバン、衣装や小道具を売り払って工面した金で借りた下町のぼろい借家で貧しい生活を送る日々が始まった。

 男みたいな恰好をして、港で沖仲仕ステベドアとして日々を過ごすうちに気づいた。



 ――私はもう、あの華やかな世界には戻れない。



 そう悟った瞬間、ロザリーの目から馬鹿みたいに涙が溢れ出して、空に向かって大声で泣いた。

 子供みたいにわめいて、何が悲しいのかもわからないままひたすらに泣いた。

 それでも世界は止まってくれない。ロザリーを――『サンヴェロッチェ』を置き去りにしたまま残酷に時が過ぎていった。




 日雇い暮らしを始めてからちょうど一年、十八歳になったロザリーの元に初めて尋ね人がやってきた。下町の街角に高貴な馬車。中から降りてきた男たちもまたあからさまに上等な身なりをしていた。彼らはロザリーの借家のドアをノックすると、無遠慮に家に入ってきた。


「お前がロザリーか?」

「何者だ、お前ら」


 突然の来訪者に、ロザリーはふところに忍ばせたナイフの柄に手をかけた。


「お前たち貴族だな。こんな汚い街に何の用だ?」

「……ふん、これが本当にあの『聖騎士』なのか? 見る影もないではないか」


 聖騎士とは昔ロザリーが演じていた役の事だ。この男たちはロザリーの正体を知っている。ロザリーは立ち上がると目にもとまらぬ動作でナイフを抜いた。高飛車な男たちが僅かに怯える。


「私に近付くな」


 一人暮らしを始めてからこういう事は何度かあった。身寄りのない女一人でこんな治安の悪い場所に暮らしていたら危機回避能力は嫌でも身につく。幸いロザリーは自分を守る武術を身に着けている。屈強な男数人に囲まれたところで怖気おじけづく事はないが絶対に油断は出来ない。

 すると及び腰になった男たちの間からまた新たに別の男が顔を出した。他の者たちとは明らかに纏うオーラが異なるその男に、ロザリーは我知らず身震いした。


「ほう、賢明なお嬢さんだな。そうだ、突然現れたこんな怪しい連中に警戒心を持たない方がおかしい」


 男は何故か感心していた。そして周囲の男たちに下がるように手で合図すると、ゆっくりとこちらに近付いてくる。


「……っ、来るな!」


 その男はナイフに目もくれずこちらに近付いてくる。ナイフを突き出して脅そうとしても、一歩引きさがったのはロザリーの方だった。


「私の名前はカイン=エルメルト、この町の財務長官をしている、爵位は侯爵だ」


 エルメルト。さすがのロザリーも聞いたことがある。この町でも有数の上流貴族だ。ロザリーは思わず息を呑む。


「お貴族様が……私に何の用だ?」

「君をずっと探していたんだよ。劇団『サンヴェロッチェ』の聖騎士バイヘン。――いや、ロザリー=ヴェロッチェ、君の演技力と剣の腕を見込んで頼みたいことがある」


 するとエルメルト卿はあろうことかロザリーに向かって深々と頭を下げた。ロザリーも彼の後ろに控えていた臣下たちさえも目を丸くして動揺する。


「君に――娘の影武者を頼みたいのだ」


 予想外の懇願にロザリーはナイフを構えたまま数十秒固まって、


「――は?」


 思わず間抜けた声を上げてしまった。

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