機密案件

月森 乙@「弁当男子の白石くん」文芸社刊

第1話

 あれは、二十年近く前のことだった。


 ギリシャのサントリーニ島。海沿いのレストラン。夕日が水平線に近づき、水面をオレンジに染めていた。なのに、空の遠いところから、じわじわと夜の闇が近づいてきていた。


 イーサンは、よく冷えた甘口の白ワインのグラスを取った。平均的なアメリカ人よりはやせていて、ひょろっと背が高い。運動よりも勉強の方が好きだ、と笑うその顔がわたしは好きだった。

「ここだけの話だけど」

「うん?」

 わたしは、魚介のスープを取り分ける手を止めた。

「最近、死んだ後も体を冷凍保存できる技術が進歩してるんだって」

 スープには、ぶつ切りにされた魚の切り身が浮かんでいる。……目の前の海で、今朝とれたばかりの魚だとウエイターは言っていなかったか?

「これのこと?」

「いや、そうじゃなくて」

 イーサンは苦笑いをかくすように、ワインを口にふくんだ。


「人間」


 想像もしていなかった言葉に、もう一度考えを巡らせた。


「人間?」


 ふたたび手を動かしはじめたけれど、やっぱり意味がよく分からなかった。

「なにかの小説? 映画とか?」

「そうじゃなくて、本物の人間。たとえばぼくとか」

 かたむけかけたグラスをふと止め、その水色の瞳でじっとわたしを見つめた。

「……君とか」

「へえ」


 なんとなく、心がざわついた。でも、新婚旅行の最終日だったし、イーサンは理系で、ちょっと変人じみたところがあるのは知っていた。

「でも、お金かかりそう」

 どうにかそんな言葉だけをひねりだした。

「脳だけなら、それほど高くないらしいよ。二十年くらいしたら、蘇生させる技術も完成するんだって」

 変人よろしく、生き生きと目をかがやかせた。

 こういう話が楽しいなら、まあ、それもいいか。

「なら、いいかもね」

 自分に言い聞かせるみたいに、つぶやいた。



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