ネルシイ万博

 朝起きると、そこはいつもの議員宿舎の天井と違う景色が広がっていた。

 ベットの質感も違う。

 そこで私が在ネルシイ・ユマイル総領事館にいることを理解した。


 窓から外を見ると、ネルシイの首都"ネルシイシティ"の雄大な風景が広がっていた。

 多くの人、建物。それらはフェーム帝国と対等の領土・人口を誇る、ネルシイ商業諸国連合だからこそできるものだろう。

「フェーム帝国の人口は3億弱、ネルシイは2億だからな。しかもネルシイは急速な経済発展に伴い、人口も大幅に増えている。相変わらずフェーム帝国は乳児死亡率が高止まりだから、人口が抜かされるのも時間の問題だろう」


 ネルシイ商業諸国連合がフェーム帝国を人口で抜かせば、もう領土面積くらいしか勝てるものしかなくなる。

 硬直したフェーム帝国はネルシイ商業諸国連合から見れば、資源の塊だ。

 人的資源・鉱山資源、上が無能でも価値は変わらない。


 そして、フェーム帝国という栄養の詰まった"餌"を食べ巨大化したネルシイ商業諸国連合に、我が国は手も足も出ない。

 フェーム帝国は関税同盟から排除され、一層衰退するだろう。

 それは我が国にとっていい事ばかりではない。

 フェーム帝国の権益をネルシイ商業諸国連合だけがもさぼり食うことになれば、我がユマイル民族戦線とネルシイ商業諸国連合の格差がより悪化することになる。

 …どうネルシイを弱体化するかが我が国にとっての死活問題になる。


 コンコン。柔らかいノックがドアに響いた。

「どうぞ」

 私が声をかけると、遠慮しがちにゆっくりと開いた。


「ごめんなさい、起こしてしまいましたか」

 現れたのはフィール外交部長だった。

「いいや、今起きたところだ」

 私が声をかけると、フィール外交部長は困った顔をした。

「迷惑でしたら…」


「別に迷惑ではないから大丈夫だ」

 迷惑になるか心配ならば、来なければ良いだろうに。

 そういえば同じようなことがあったな。

"用が無いなら、入っては駄目?"

 かつてのリナの言葉が私の頭の中を反芻した。

 そうだ、リナだ。

 リナはそういうのグイグイ来るタイプだからな…。


「何か用か?」

 リナに投げかけた言葉をそのまま投げてみた。フィールはおどおどとして

「いいや。特に予定はないんですけど」

 仕事中のフィール外交部長と大分印象が違う。

 それもそうか、リナも"リナ諜報長官"と"リナ"はだいぶ違うからな。

 居心地の悪い沈黙が訪れる。


「あ、新聞です!今日のネルシイの朝刊読みました?!」

「いや、今起きたばかりだから」

「そうですよね…」

 フィールは居心地悪そうに黙った後、新聞を渡してくれた。

「『ドルム大使失言「国境紛争の捕虜、既に殺した」』」

 一面には昨日の三国会議でたぐいまれなる無能っぷりを発揮した、フェーム帝国のドルム大使の発言が載っていた。


 会議から退席した後、ネルシイの記者に囲まれたドルム大使は不快だったのだろうか、"ネルシイ・フェーム国境紛争の捕虜返還問題"について「すでに殺した」などと失言をしてしまったのだ。

 記事を読む限りその場で書記が発言を撤回しているようだが、ネルシイ商業諸国連合にとってこれは最重要問題。

 それを"捕虜を既に殺した"と言えば極めて大きな国際問題になるに決まっている。


「実際、杜撰なフェーム帝国を考えれば本当に捕虜を殺害していても不思議じゃないよな」

 私は頷いて、フィール外交部長に新聞を返した。

「ありがとう。…でも、これホールに来た時に渡してくれれば良かったのでは」

 私の問いにフィールは慌てふためく。

「いや、は、早くお伝えしたほうがいいかなって」

「はぁ」


「ベッドですか?」

「そうだな、私のベッドだ」

「ここで寝たんですか?」

「ああ。逆に私はベッド以外でどこに寝ればいいんだ?」

「座っても?」

 フィールは上目遣いに私に問いかけた。


「駄目だ。そういうのは好きな男にやるべきことだ、君は軽はずみにするべきじゃない」

 私は思わず叱りつけてしまった。私自身自分のベッドに女性が座るというのはドキドキしてしまう、精神状態によろしくない。

 それにフィールがそういうことを軽はずみにやるのが腹立たしかった。

「ですが、リナさんは座っていたって聞きますよ」

「それはリナだからだ」

「はぁ」

 こんどはフィールがため息をつく番だった。


「リナが幼馴染だからだ」

 私が反復して繰り返すと、フィールは笑った。

「リナさんのことお好きなんですね」

「別に好きじゃない。付き合っているわけではないから。信用しているんだろう」

「それを好きっていうんですよ」

 フィールはボソッと呟いた。


「ごめんなさい、ちょっと踏み込みすぎました」

 フィールは慌てて取り繕った。

「いいんだ。そうなのかもしれない。けれど、そうなるわけにはいかない」

「…どうして」

「私は議長で大陸の統一をしなければならない…いいや、したい。私はユマイルの指導者として大陸統一を実現したい。これは多くの人から憎まれたり嫌われる職業だ。いつ暗殺されてもおかしくない、リナを未亡人にしたくない」

 そして居心地の悪い沈黙が訪れて、私は思わず付け加えてしまった。


「リナを諜報長官として政治の中枢に置いてしまったことを悔やんでいる。彼女ももはや私と近い立場にしてしまった。実際、リナ率いる諜報部がスキャンダルで前政権が倒れなければ、我がウォール政権は絶対に誕生しなかった。結局のところ、その後もリナを諜報長官にせざるを得なかったのは私の未熟さが原因なんだ」

 私はつい本音を言ってしまったことを思わず悔やんだ。だが、後の祭りだ。


「リナ諜報長官のことですから、ウォール政権誕生まで視野を入れて警察に情報横流ししたんじゃないですか…?」

「まさか、リナもそこまで考えていないだろう」

「リナさん、思ったよりもウォール議長のことお好きですよ」

「前から思っていたんだけど、君たち一体何があったんだ」

「それは内緒です。言いたくないです」

「リナからもそう言われた」

「リナさんも反省しているんじゃないですか。…いまだに許してないですけど、私」

「『許す』?」

「え?ああ!何でもないです!!忘れてください…!!」

 謎が深まるばかりだった。これでは全く分からない。


 理解もできないプライベートの話をしても仕方がない、別に話題を振るか。

「我々がネルシイ商業諸国連合に来たのは、もう一つ理由があっただろう。今日はそっちをやろう」

「ええ。"ネルシイ万博"ですよね…!!」

 ネルシイ万博、ネルシイ商業諸国連合が主催している発明品に関する万博だ。年一度開かれ、世界各国から発明品・発明家・資本家などが集まる。

 私たちユマイルも同じような"ユマイル発明会議"というイベントがあるが、ネルシイ万博の規模は誠に遺憾ながら我が国のものより一回り大きい。

 そういうわけでわが国でも非公式ながら見ておこうというわけになった。


 だが

「ウージ・ボーン財務部長はユマイル経済界の会合。エマリー・ユナイテッド軍代理はフェーム・ユマイル国境間の師団視察。そして、リナ諜報長官は外交部の反対か」

 実は外交部には諜報部と似た機関の"外交部調査課"という実働部隊がある。

 それらは外交上必要な情報収集を担っていて、直接外交部のフィードバックとして活用される。だが、似ているだけあってこの二機関はすこぶる仲が悪い。

 諜報部は外交部調査課を"似非諜報部"と呼び、外交部調査課は諜報部を"汚犬(おけん)"と呼ぶ。

 "汚犬(おけん)"の蔑称の由来は、外交部の連中は諜報部が議長の権力の"犬"で、"汚"い非合法活動も平気でやると思っているから、その名前が付いたのだろう。


 リナも同行するかとなった時に、外交部が反対。

 それを聞きつけた諜報部は逆に、諜報長官を外交部長と同行させるのは恥さらしとばかりに反対した。

 こうしてリナは私たちに同行せずに、フィール外交部長とお付き人数人で"ネルシイ万博"を見ることになった。

 違う部署同士の官僚が仲が悪いのは良くあることだが、あんまり度を超すようなら我々も干渉しなければならなくなる。

 現段階では実害はないので、放置しているが、もしかしたら将来考えなければならない問題なのかもしれない。


「私たち二人ですか…ちょっと緊張しますね」

「ああ。それは私も同感だ。そして素晴らしい発明品を見れると思うと楽しみでもある」

「行きますか?」

 なぜかフィールは不満そうに私をせかした。

「準備をするから、ちょっと待ってくれ」

「…はい」

 フィールは頷いた。そして、動かない。


「あのだな。私は着替えたいんだ。出て行ってくれないと困る」

「え?!あ、はい!!いいえ、そういう意図は全くなくて…」

「分かっているから、早くしてほしい」

「はい!!」

 フィールはまるで新兵のように返事をすると、そそくさと部屋から出て行った。




「さすが、ネルシイ万博。活気が違う」

 人の数、建物、雰囲気、どれもが巨大でスケールが大きい。

 人種もフェーニング大陸の秘境の先住民らしき人や中にはユマイル民族らしい人もいた。

 人人、数センチ先に人がいる。腕を伸ばせば人にぶつかるのだ。

 そのため、付きそう人たちも私たちから離れぬようぴったりとついてきている。


「そうですね」

 となりのフィールも思わず感嘆の声を上げざるおえなかった。

「とりあえず見に行ってみるか」

 フィールは頷いた。

 最初には華々しい物が置かれている。

 まず目につくであろうのが大砲。

 ネルシイ商業諸国連合が誇る軍事企業『ミリタリー・ネルシイ・カンパニー』の展示だった。


 商人発祥の国、ネルシイでは国防の要である"軍事産業"でさえ、民間企業が存在するのだ。

 我がユマイル民族戦線にも軍事企業が存在するが、シェアは3割にしか満たない。

 ユマイルのほとんどが軍の研究機関が開発・製造した兵器だ。

 更に言えばネルシイは最新鋭の兵器でさえ民間企業に委託するという話を聞いたのだから、これまた驚きである。


 大砲の周りには若い女性が、周りの有力者たちに声をかけている。

 よく見てみると『ミリタリー・ネルシイ・カンパニー』の営業だ。

 若い女性が集客をやると絶大な効果があるというのは私も当然知っているが、まさか兵器を製造する機関がそんなことをやるとは。居酒屋かよ。


 大砲のスペックは諜報部が抑えてあるので、私たちは把握している。

 念のため展示物を見るとやはりカタログスペックも諜報部の情報と全く同じだった。

 正直、民間企業に委託してくれれば防諜が脆弱なので、我がユマイルとしてはありがたい話だ。


 その横、少し離れた誰もいない閑散としたところに、ボロボロの木の机にそれは展示されていた。

 私たちが近づくと、臭いがあり、小汚い青年が机に突っ伏して寝ていた。

 隣には何かラッパのような物が置かれている。なんだろうか。

 見た感じ、個人発明家だろう。


「すまない。展示物が見たいんだが」

 私が声をかけると青年は飛び起きた。

「はい、是非見ていってください」

 飛び起きるが否や、青年は食い気味に声をかける。

 フィールが若干驚いて後ろに引いていた。

 といっても狭い長机には二つの展示物しかない。

 ラッパと…金属の触覚らしき触角のようなものがついた、謎の機械だ。


「これは?」

 私がその青年に尋ねてみた。

「へい。『電信』です」

「『電信』?」

 私の問いに彼はうなづいた。

「遠く離れた人間と会話することができます」

 なるほど、なんとなくわかってきたぞ。

 この二つの『電信』という機械を使えば、遠く離れていてもこれらを通じてコミュニケーションをとれるわけか。


「糸電話のようなものか」

 私はかつてガラクタを使って、リナと一緒に糸電話を作ったのを思い出した。

 ちなみにフィールには通じていないようでポカンとしていた。

 貴族の娘さんは糸電話なんてやらないのか。


「近いかもしれません。でも糸はありません」

「糸がない?本当だ」

 確かに見てみると、『電信』と呼ばれる機械には糸どころか何もつながっていない。

 完全に独立した二つだ。


「こんな状態でどうやって情報を伝えるんだ」

「『電波』を使うんです」

「『電波』?」

 なんだそれは。

 私は首を傾げた、私は初等学校と軍学校にした行ったことがない。

 こんなことなら大学にも行っておくべきだった。

 そこにフィールが口をはさんできた。


「ああ、知ってます!なんか光の一種だとか」

「知っているのか?フィール外交部長」

「ええ。お父様の知り合いの物理学者さんが昔教えてくれました。といっても教養としてですけど」

「正確には電波は電磁波の一つです。私たちの見ている光は可視光線。ああ、可視光線というのは青とか、赤とか、緑とか。今現実で見えている光のことです」

 その青年は流ちょうに説明してくれた。


「では、可視光線と電波の違いってなんだ?」

「波長が違うんです。そのため可視光線は見ることができますが、電波は見ることができません」

「なるほど」

 波長というものが分からないが概ね理解できた。

 だが、見ることのできない光か…。

 もしそんなものが存在するなら、今も知らずにその光を浴びているということだろうか。

 どうも狐につままれた話だ。

 お馬鹿な私には、中世の狂信的な宗教家が唱える"悪魔"と大差ないように感じる。


「まあいい。ものは試しだ。実際に使って見せてもらえるか」

「へい」

 青年は一方の機器ほうへ近づいた。

 私とフィールはもう一方機器に近づく。

 私はフィールに遠慮して距離を取り耳を澄ます、が、慎みを重んじる貴族の娘だけあってフィールも遠慮しがちに離れてしまう。

 結果的に私たちに空間が開いて、一番聞きやすいであろう位置に誰もいないのだ。


 青年は表を見ながら機器のでっぱりを規則的に叩く。

 何かのリズムだろうか、いいや音楽には聞こえないが。

 するとどいうことだろう、彼が叩いたリズムに合わせて機器が『音を出す』ではないか。

 思わずフィールと私は顔を見合わせてしまった。


「なるほど、興味深い。私たちにもやらせてくれないか」

「へい」

 青年から同意を得ることができた。

 私はフィールのほうを向いた。

「え?私ですか?」

 フィールは驚いてきょとんとする。

「他に誰がいるんだ?」

「確かに」


 フィールがもう一方の機器に耳を貸してくれたので、私が試しに機器のでっぱりをたたいてみる。

すると

「聞こえます!聞こえますよ!!ウォール議長」

 フィールが嬉しそうに報告してくれた。

 次にフィールがでっぱりを叩いていた。まるでピアノをたたくようだ。

 するとやはりこっちにも聞こえた。


「いかがでしょうか」

 青年が恐る恐る我々に近づいてきた。

「素晴らしい発明品だな」

 私の言葉に青年は喜んだ。

「しかし、こんな貧相な環境で出展とは」

 私はボロボロの長机をなでる。

「個人発明家なので、結構カツカツです」

「お名前は?」

「ウッデイ・ライです。フェーム帝国国民です」

「…フェーム帝国か。よく出国許可が下りたな」

 保守的なフェーム帝国は外の情報に触れるのを恐れ、一般国民を外に出そうとしない。

 そして国民も自分たちを"領主の所有物"であることを理解しているため、持ち主からは逃げ出そうともしない。


「いえ…まあ…」

 ウッデイ・ライが言い淀んだ。やはり、不法滞在者か。

「そういうのは最後まで頑張るんだぞ」

「へい…」

 彼は力なく項垂れる。


「金に困っていると言ったな。我がユマイルの陸軍中央研究所にポストを用意するから来ないか?」

 するとウッデイは驚いてこちらを見た後、周りを見渡した。

「ああ。あなた方、ユマイルのお偉いさんだったんですね」

「そうだ。ある程度給与も出す。悪い条件ではないと思う。それとも、"下等ユマイル民族"の下で働くのは不満か?」

「めっそうもない。明日の生活費が貰えるなら何も不満はないですよ」

「交渉は成立だな。ああ、ここの二台の機器はユマイルが70万FCで買い取る。前金の代わりにしてくれ」


 私は付き添いの一人に声をかけ耳打ちする。

「彼を総領事館まで。あとスパイの可能性もあるので念のため見張るのも君の仕事だ」

 付き添いが頷いた。


「ちょっと、本当にいいんですか?」

 彼を連れて行こうとしたときに首を突っ込んできたのはフィールだった。

「ああ。有益な研究だと思うが」

「そうですけど。一応エマリー軍代理にご許可を…」

「大丈夫だ。後で話を通す」

 そういうと引き下がってくれた。


 彼と付き添いの人を見送ると、フィールが言った。

「私たちもほかの展示物を見てみましょうか」

「ああ、そうだな」

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