第84話

翌早朝、シレンティウム軍本陣




 染み出すように陰から現れたシルーハの闇神官は、本陣に潜入していた帝都の闇の組合員の手引きでハルの滞在する天幕へと向う。


 アルトリウスの感知能力を警戒し、闇神官は潜入させた闇の組合員達にアルトリウスの力を阻害する護符を持たせていたのだ。




「……長時間は保たんぞ」


「構わん、目標は1人だ。その時間さえ保てば良い」




 シレンティウム軍には西方帝国に倣って巡回の兵士や歩哨もいるが、巧みにその死角を突き、陰を渡って奥へ奥へと進む。


 しばらく行くと闇神官の視界に厳重な警備をされた天幕が入ってきた。




「ここか?」


「そうだ……辺境護民官の暗殺を傭兵将軍と帝国貴族、それにヒルティウス将軍から請け負った。協力するか?」


「ふん、そもそもの目的が違う。そっちはそっちで勝手にやれ……と言いたい所だが、まあよかろう」




 闇の組合員の頭と思しき者がそう声を掛けたが、闇神官は小馬鹿にした様子ながらも協力を受けた。




「分かった……よろしく頼む」




 闇の組合員の頭は手下達をハルの居る天幕周囲に配置し、歩哨や立哨している北方軍団兵達を手際よく片付けて行く。


 その傍らに遅れて組合長が現れた。




「首尾はどうだ?」


「問題ありません」




 元はと言えばクリフォナムやオランの戦士達である北方軍団兵。


 戦いや戦術戦法については習熟したものの、些かこういった後方の任務や警備については認識の甘い所があり、油断をしていたのだ。


 居眠りをしている不心得者も居り、闇の組合員達はほくそ笑みながら毒塗りの短剣を突き立て、喉を掻ききって始末してゆく。




「……良いぞ」


「ふむ」




 周囲を制圧し、殺した北方軍団兵の装備を身に纏って警戒に付く闇の組合員。


 傍目には何ら変化の無い光景のまま、闇の神官と頭が天幕へ音も無く入った。




『何者か?』




 外の気配が変わったことと、自分が気配を感知出来ない者達が現れたことで覚醒したアルトリウスが誰何の声を上げる。


 その声を聞いた闇神官がにたりと笑みを浮かべた。




「くくく……ここに居たか英雄の残滓よ」


『むう?貴様シルーハの闇神官か?何故この様な場所に……ハルヨシ!招かれざる客人であるぞ』


「先任?」




 既に殺気を感じて起きていたハルは、アルトリウスが事前感知出来なかったことに訝りつつも枕元の刀を抜く。


 その言わんとする所を察したアルトリウスが苦々しげに答えた。




『分からん……こやつら我の察知能力にひっかからなんだのである。なんぞ小細工をしているだろう』


「問答無用!」




 突如一斉にハルへ襲いかかる闇の組合員達。


 ハルが真正面からかかってきた1人を切り伏せ、右横からの攻撃を躱し、後方から迫ったもう1人の手を切り落とした所で、後方から別の1人がハルの背中を刺す。




「うわっ?」


「くくっ……目が見えまい、おえっ……」


「毒かっ?くそう」




 自分の背中を刺した組合員を斬り殺しながら吐き捨てるハル。


 即効性の失明毒が塗られている短剣であったようで、たちまちハルの視力が奪われた。


 それでも気配で何とかもう1人の攻撃を躱してその顔面を切り割くハル。


 しかし更に一撃、二撃を受け、ハルが膝を突いたのを見てアルトリウスが叫ぶ。




『ハルヨシ!』


「よそ見の暇は無いと思うぞ……」




 その背後で闇神官が杖を振りかざし、アルトリウス目掛けて黒い紐のような光線を投げ放つ。




『ぐぬっ、厄介な!』




 手の平から衝撃波を出して闇神官の術を相殺するアルトリウスの視線の先には、視力を奪われたハルが闇の組合員達に嬲られている様子があった。




『何故誰も来ないのであるかっ?!』


「知れたこと、護衛は死んでいる……周囲は我が術で物音を遮断した」


『うぬう!不覚っ』




 するとハルの動きに変化が起こる。


 その意味を察したアルトリウスが動きを止めて闇神官と対峙すると、言葉を発した。




『貴様ッ!はっきり正体を言え!』


「ふっ、シルーハ闇の大神官、しかしそれを知った所で役には立たぬ……お前はここで消滅するのだからな……」


『はん、出来る物ならやってみるが良い!ほれ、我は此処であるっ!』


「ではやってやろう……ぐわああっ?」




 杖を振るい、術を発動させようとした所で闇の神官が絶叫する。


 自分の胸元を見る闇神官。


 その胸からはハルの刀が半ばほども突き出されていた。


 背中からアルトリウスと闇神官の声を頼りに、闇の組合員の包囲を突き破ったハルが一気に刀ごと身体をぶつけたのだ。




「ははは……や、やりましたっ」


「お……おおおおおおおおおおっ!?」




 血の代わりに黒い煙を轟轟と心臓から噴出し、闇の大神官は一瞬で枯れ木のようになってしまう。


 闇の大神官はしばらくそのまま形を保っていたがやがて砂と化し、さらさらと地に落ちて散っていった。


 それと同時に術が解け、周囲が騒がしくなる。




「ちっ!」




 闇の組合長と頭が不利を悟って引き上げの合図を出そうとしたが、ハルが舌打ちの声を頼りに闇の組合長へ飛びつくと、その身体を袈裟懸けに切り下ろした。


無言で血煙の中に沈む闇の組合長。


 組合員や頭は怒気も露わに目の見えないハルを包囲する。


 ハルは体中の怪我から血を流しながらも刀を構え、闇の組合員達を牽制して近寄らせない。


 そこにアルトリウスの声が掛かった。




『……そこまでであるっ』


「アキルシウス殿!」




 殺されている兵士やハルの天幕の異変を感じ取ったベリウスとルーダがようやく兵士達を率いて天幕に駆けつけたのだ。


 たちまち入り口付近の組合員と北方軍団兵の間で死闘が始まる。


 しかし完全武装の兵士に軽装の組合員が正面から挑んで敵うはずも無く、短剣を大盾で防がれ、剣や槍を浴びせられて次々と討たれていった。


 形勢不利とみた組合員達は脱出を謀るが、背中を見せた所でベリウスとルーダに切り伏せられ、気配を察したハルの斬撃を受けて全滅する。


 最後に鋭い斬撃を浴びせて闇の組合員の首を飛ばしたハルは、その場に力尽きて倒れ伏した。




『くぬうっ!ここまで来てっ……!ハルヨシよ、死ぬではない!』




 アルトリウスが慌てて近寄るが、ハルは手を振って応じる。




「毒は大丈夫そうです、目は見えませんが……ちょっとあちこち斬られ過ぎました」


「治療術士と薬師を呼べ!」




 ベリウスが近くに居た兵士に怒鳴る。


 慌てて天幕を飛び出る兵士。




「いてて……」


『ハルヨシよ、大丈夫では……なさそうであるな?』


「まあ、何とか……それよりもこのタイミングで仕掛けてくると言うことは……?」




 ハルが痛みで顔を顰め、ルーダとベリウスに抱えられて寝台に移されながら言うと、アルトリウスがはっと気付いた。




『うぬっ、直ぐに兵どもを叩き起こすのである!』


「は、はい!」




ルーダがアルトリウスの剣幕に仰天して天幕を飛び出す。


 程なくして起床のラッパが吹鳴された。


 それと同時に歩哨に就いていた兵士長が慌てて天幕に飛び込んできた。




「た、大変です!」


「どうした?」




 ベリウスが尋ねるが、その兵士長はハルが負傷していることに気付いて肝を潰す。


 あうあうと言葉を発せずに居る兵士長をベリウスがどやしつけた。




「はっきりしろ!報告かっ?」


「は、はひっ、帝都の北に布陣していたヒルティウス副総司令官の軍がこちらに向ってきています!」


「分かったご苦労、将官達をここに集めろ……但し!ここで見たことは他言無用だ」


「りょ、了解です!」




 兵士長が天幕から飛び出していくと、ハルはゆっくり呼吸を整えながら言葉を発する。




「……直ぐに反撃準備とユリアヌス陛下に報告を、これは罠です。ヒルティウス将軍の行動は私が倒れたことを見越していた以外に考えられません」


『相違あるまい……全く最後の最後に何たる事態であるか。ヒルティウスとやらもおそらく皇帝に袖にされて破れかぶれになったに違いない』




 アルトリウスの言に寝台へ身体を横たえたままハルが言葉を継ぐ。




「では、私が姿を見せれば……」


「無茶な!その怪我では無理ですぞ!」




 無茶を言うハルを素早くベリウスが諫める。




「しかし、私が健在であることを示せれば攻撃は止むかも知れません」


「それこそ無茶です。今は養生して貰いませんと……指揮などもってのほかですよ」




 ルーダが泣きそうな声で言う。


 そうこうしている内にアダマンティウスが他の将官達を率い、ハルの天幕へと駆けつけてきた。


 そしてハルの惨状を見て全員が息を呑み、絶句する。


 次いで駆けつけた治療術士や薬師が手早くハルの衣服をはぎ取り、傷の手当てを施す。




『不覚を取った……我が付いていながら……』




 謝罪するアルトリウスの姿に驚く将官達であったが、それよりも目の前の光景が衝撃的過ぎて誰もその存在を糾弾する者は居ない。




「……毒はおそらく一過性の物ではありますが、安静にして頂きませんとどう作用するか分かりません。しばらくは治療に専念して下さい」




 治療術士がハルの両目にかざしていた手をどけながら忠告するが、ハルは薬師が止めるのも聞かず青白い顔のまま上半身を無理矢理起こすと頭を振った。




「悪いのですが、事態は一刻を争います……今日ここで無理をしなければ、先はありません。ヒルティウス将軍の兵は私たちより少数とは言え、西方国境で常日頃から西方諸国との実戦を通じて鍛え上げられた歴戦の兵士達、油断は出来ませんし、後手を踏んだ私たちに打てる手はそう多くはありません」




 そのハルの言葉に黙り込む将官達であったが、ハルが衣服を着け、顔を顰めながら手探りで鎧と兜を探し当て、身に着ける姿を呆然と見る。


 最後、苦しそうに息を吐きながら兜を被り終えたハルが虚ろな目で言った。




「……先任、ここまで来て負けるわけにはいきません。お願いします」


『くぬうっ!呆けている暇は無いのである!ハルヨシよ、我がその方の目となろう!』
















 ヒルティウス軍は秘密裏に移動していたがそれでも2万の重装歩兵ともなれば、その移動の際に発する足音や装具の音は消せるはずも無く、油断無く斥候を周囲に派遣していたシレンティウム軍に感付かれた。




「……これ程早く反応するとは、やはり軍中で騒ぎが起こっているな」




 ヒルティウスは早朝であるにも拘わらず既にシレンティウム軍が活動に入っていることを知り、そう考える。


 そうして行き着く先は1つである。




「どうやら襲撃は上手く言ったらしい……」




 副官や将官達はシレンティウム軍の疲労や矢弾の不足についてはヒルティウスと認識を同じくしていたが、戦うことについては非常に消極的であった。


 と言うのも既に大勢が決し、今更辺境護民官と争ってまで得られる物は何も無いと判断したからである。


 概ねその判断は正しく、また彼らは西方帝国の将官であった。


 ヒルティウスに従ったと雖も西方帝国内部の勢力同士で争うことも余り褒められた話では無く、彼らの反応はむしろ自然であろう。


それでもヒルティウスには他に道が無い、敢えて秘密にしていた闇の組合との関係も主立った将官達には既に話してある。




「行くぞ!」




 ヒルティウスの号令がかかったが、軍の動きは鈍かった。














ヒルティウス軍が近づいてきた時、既にシレンティウム側は臨戦態勢にあった。




 ヒルティウスが睨んだ通り、シレンティウム軍の矢弾は残り少なくはなっていたが、それでもまだ一戦するに十分な矢弾は保有しており、また本陣での暗殺騒ぎでシレンティウム軍は起き出していたのだ。


 それ故にヒルティウス軍が接近してきた時には既に戦闘準備を終えており、万全の態勢で迎えることが出来た。


 その最前線にハルが現れた。




「……大丈夫なのですか?」


「はは、まあ何とか……」




 心配そうなアダマンティウスの近くに立ち止まるハル。


 しかしその光景に狼狽えている者が居た。














「何だと……?」




 ヒルティウスの目に襲撃されたはずのハルが映る。


 見た感じ大きな怪我を負ったようにも見えず、アダマンティウスや北方人と思しき将官達と会話しているようで、特に異状は無いように見えた。




「くっそ……失敗したのか?」




 ヒルティウスが思わずこぼすと、1人の将官が周囲の兵や将官に目配せする。


 そして静かにヒルティウスを取り囲んだ。


 もちろん、手に剣が握られていることは言うまでも無い。




「何の真似だ?」


「……貴官を逮捕します。これ以上無謀な戦いに貴重な兵を費やすわけにはいきません」




 抵抗の意思を示さないヒルティウスから剣を取り上げながら、将官の1人が言う。




「ふん、予想外の反撃に臆したか?」


「どう取られても構いませんが、これ以上の戦いは無意味です。辺境護民官殿は健在で、指揮を執っておられるようだ……貴官がウソをついているとしか思えない」




 将官の言う通り、辺境護民官に仕掛けるに当たってヒルティウスは理由は言わないまでもその不在を告げていた。


 将官達とて馬鹿ではないので、その意味する所をヒルティウスが何らかの形で辺境護民官に仕掛けを施したのだと正確に察し、それが正しい情報であればとこの無謀な企てに加わったのであるが、その前提条件が崩れた。




「馬鹿を言え、この様な早朝に辺境護民官が活動していることこそ何か異変のあった証拠だろう」




 内心はこの事態に大いに焦りつつも、ヒルティウスは努めて冷静に将官達を説得しようと試みる。




「……あるいは我々の動きを察知したか、ですね」


「そんな事は無いっ」




掌握したと思っていた配下の裏切りに焦り、また自分も想定していたことを先に発言された焦りも加わった事から声を荒らげるヒルティウス。 


 確かに自分には人間的な魅力に欠ける部分がある事は自覚している。


 それ故に魅力だけは十分以上に持っていたスキピウスと組み、自分が参謀役となる事で軍閥の頂点に立ったのである。


 スキピウスという重石が存在した頃と同じ感覚で部下と接してしまったが故に反逆、反発を招いてしまったようだ。


 こういった場合、何時も前に出て緩衝役と威圧役を担っていたスキピウスはもう居ない。


 敵意が何時まで経っても解消しないことに、ヒルティウスはようやく諦めた。




「分かった……皇帝陛下に降伏することにする」


「賢明な判断ですが……しばらくは身柄を拘束させて頂きます」




















 帝都中央街区、元老院議場






 マグヌス帝の葬儀が終わり、短縮された喪が開けた日の翌日。




 元老院は異様な雰囲気に包まれていた。


 帝都市民達も、元老院で何が行われているかを知っており、元老院前の広場には貴族派貴族の無頼兵士達によって陰惨で非道な被害を受け続けた帝都市民達が詰めかけ、怨嗟と怒りの声を上げ続けていた。


 最近ユリアヌスが復活させた元老院衛兵隊が元老院前の広場で規制を行い、万が一にも元老院へ市民達が雪崩れ込んだり、暴徒と化して乱暴狼藉に及ばないよう目を光らせている。


 朝早くから始まった元老院は、佳境を迎えようとしていた。














「以上……国家反逆罪、外患誘致罪、偽勅罪、公権力濫用罪、帝都騒擾罪、貴族特権濫用罪、私闘罪、不正蓄財の罪、議員に相応しくない振る舞いをした罪等により、ルシーリウス卿の貴族籍を一族諸共剥奪し、領地は全土没収、財産は全て接収とする……なお、当代は死刑!」




「ふざけるな!」


「こんな裁判は無効だ!」


「申し開きをさせろ!」


「私たちは貴族だぞ!!」




 クィンキナトゥス卿の宣告に、縄を打たれ議場に引き出されていた貴族派貴が一斉に反発する。


なお、一連の動乱に荷担した貴族派貴族280名全てが同罪に処されて既に宣告を受けており、たった今ルシーリウス卿が最後の宣告を受けたのであった。




「裁判は公平無私に行われている。無用な誹謗中傷は止めて頂こう……元老院衛兵、黙らせろ」




 臨席していたユリアヌスが冷たく命じた。


 悪口雑言の限りを尽くしていた貴族派貴族、今は全ての権限を剥奪された元貴族達は、たちまち黒色で装備を統一された衛兵達に押さえ付けられ、拳を振るわれて黙らされてしまう。




「こ、このような真似を貴族にして許されると思っているのかっ?」


「もう貴様は貴族ではない」




タルニウスが新たに衛兵隊長に任命されたロングスに抗議するが、ロングスは全く取り合わず拳をその顔に見舞った。


 くぐもった悲鳴と共に元老院議場の床に倒れるタルニウス。


 その隣では殴られる前から悲鳴を上げているプルトゥスを衛兵が2人がかりでタコ殴りにしている。




「あなたも文句がおありか?」


「……ない」




 かつての覇気はどこへやら、すっかり塞ぎ込んでしまったルシーリウスを一瞥しながらロングスが問うと、本人は生気の無い声でそれだけ答えた。


 ロングスは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、その腹部へ右拳を撃ち込む。


 ぐっとうずくまったルシーリウスの尻を蹴飛ばして床へ倒すと、ロングスは配下の兵士達に命じた。




「連れて行け!」




この後、元の貴族派貴族達は帝都市民達に晒された後、磔刑に処されるのだ。


 帝国創草以来、帝国の地方経営を担い、重要な政策決定に携わり続けてきた貴族派貴族はこうしてほぼ壊滅することとなったのである。














 皇帝宮殿、皇帝執務室






「これで長く西方帝国の地方経営を担っていた貴族派貴族は役目を終えますことでしょう」


「ようやく帝国の形が整って参りましたのう」




 新たに元老院議長に就任したクィンキナトゥス卿と、前議長で執政官に就任した大クィンキナトゥス卿が言うと、ユリアヌスは頷きながら答えた。




「ああ、これでようやく帝国を立て直せる……良くも悪くもこの動乱がなければ改革は出来なかっただろうな。早速だが執政官、元老院議委員を辞めて貰うぞ?」


「ほほう……なるほど、元老院を一元化する訳ですかの?」




 ユリアヌスの突然の言葉に動じた風もなく、大クィンキナトゥス卿は面白そうに言った。




「そうだ、政策決定の場から官吏と軍人を排除する。政策を実行する者がその決定に携わっていると、その力加減によっては今回の南方作戦のような無謀な政策が通ってしまう。そしてその政策が成功すれば益々我が通し易くなって、自らの利になる政策決定、つまりは自分達が実行する政策の実施だけを追い求めるようになる。帝国では無く、自らの仕事を為すために政策決定を行うような方向へと動いてしまう事がはっきりした。それに伴う派閥争いの深化も深刻だ。今後元老院議員については他官職との併任を認めない、議員専従とする」




 ユリアヌスの言葉に、クィンキナトゥス卿が唸る。




「しかし、軍人や中央官吏派の連中は納得しませんぞ?」


「中央官吏派は大丈夫だ、その為に大クィンキナトゥス卿、あなたを執政官にしたのだ」


「曲がり形にも官吏の頂点に立つわしが議員身分を返上すれば、下も否やとは言えますまいのう」




 ユリアヌスと大クィンキナトゥス卿の言葉を聞いて、クィンキナトゥス卿がその意味戦とする所を察した。




「なるほど……そして市民派貴族と軍人のみの元老院にして、官職併任禁止の法律を元老院で採決する訳ですな?」


「その通りだ、それであれば戦死したり、地方へ派遣されたりして元老院に出席出来る高位軍人が多くない今、市民派貴族の方が数が多いから採決で勝てる」


「軍事蜂起の可能性はありませんか?特にヒルティウス臨時総司令官やロングス将軍は典型的な軍閥です」




 ユリアヌスの言葉にクィンキナトゥス卿が危惧すべき点を述べるが、これについてもユリアヌスは既に手を打っている。




「ロングスは名誉職の元老院衛兵に任命して兵権を取り上げ、ヒルティウスは臨時総司令官に据え置いた上で帝国皇帝に忠誠を誓わせた。他の軍閥に連なる有力な将軍達も名誉職に祭り上げて兵権を奪っていく……それにスキピウスが死んでから軍閥の中で序列争いが起きているようだ。互いに協力はしないだろ」




 元老院衛兵、近衛兵、帝都守備隊は軍総司令官と同等の地位とされてはいるが、兵権は殆ど無い名誉職で、ここ40年ほどは誰もその隊長に任命されていない。


 ユリアヌスは厄介なロングスをまず元老院衛兵隊長に任命して兵権を事実上奪い取り、さらに地方の軍閥で面倒な人物がいれば残り2つの名誉職へ転任させるつもりであった。


 しかし、軍閥の主要人物は既に南方戦線で戦死しており、ヒルティウスを除けば残っているのは第1軍団長のロングス、第17軍団軍団長ラベリウス、北東管区国境警備隊のマルケルスぐらいである。




 このうちマルケルスは早い段階でユリアヌス支持を表明しており、ラベリウスは大怪我をして群島嶼で配下の軍団と一緒に療養中。


 ヒルティウスは帝都まで進軍して来たもののユリアヌスに降伏した。


 他の軍団長達は良くも悪くも色はなく、ユリアヌスの呼びかけには積極的には応じてこなかったものの、敢えて反抗もしていない。


 加えて彼らは南方作戦のために軍兵を引き抜かれ、守りの薄くなった状態で国境守備を果たさねばならなかったため、積極的に中央情勢へ関与する事が出来なかったという事情もあった。


 ユリアヌスは自分に帰順して元老院議員の地位を大人しく放棄するならば、いずれは任期を見て解任はするにせよ、そのまま引き続き各地の軍団長については認めてやっても良いと考えている。




 そしてヒルティウスであるが、ユリアヌスはまだ誰にも打ち明けていないが彼にはいずれ南方作戦失敗の責任を取らせるつもりでいた。


 今のままでは責任の所在がはっきりせず、帝国市民の不満の矛先をどこかに向けて解消させる必要がある。


 その為には主導していたかつてのスキピウス派閥の中心人物であるヒルティウスが必要で、軍権を奪い取って反抗出来なくしてから元老院で背信と敵前逃亡を追及し、罷免するか退官に追い込むつもりで居る。


 それ以外にも西方領での暴虐が既にユリアヌスの耳に届いており、罷免若しくは退官後に逮捕して処刑する算段も付けている所だ。




「まあ、アイツは一筋縄じゃいかんだろうが、南方作戦の失敗で軍の権威が堕ちてる内になら何とか出来るだろ……準備も進めてる」


「……例の件ですな?承知しております」




 ユリアヌスが人の悪い笑みを向けると、クィンキナトゥス卿も鷹揚に頷く。




「さて……それから今回の非常時に、皇帝の代官であるはずの州総督が全く機能しなかった。そんな者達に強大な権限を与える訳には行かない」




 辛辣なユリアヌスの言葉に、クィンキナトゥス卿は再度頷く。


ユリアヌスは地方行政に関しても州総督の任期を短縮し、更には州を細分化して総督の権限を弱くする事を決めていた。


 執政官のカッシウスを解任して皇帝顧問官に任じてこの政策を研究させており、程なくその骨子が出来上がる事となっている。


 新たに属州へ編入される貴族派貴族から取り上げた領地と併せて、西方帝国全土の行政区分を再編するのだ。




「貴族派貴族から取り上げた領地は帝国領の約5分の1、接収した財産は我が西方帝国の年間予算約5年分となりました」




 貴族派貴族は根刮ぎ動員した私兵をハルに撃破されているため実力で抵抗しようにもその術がなく、中には一家での憤死を選んだ者達も居たが、ユリアヌスの命令で財産や領地の接収に赴いた州総督や軍団司令官への抵抗はごく僅かであった。


 これで改革に必要な費用は十分賄えるだけでなく、それまで貴族が貪っていた税収も国庫に入ってくるようになった為、来期からは資金的に余裕が出来るだろう。


 ユリアヌスの進めた海賊討伐で海路に安全が戻ったことと相まって、貴族領で遮られていた資金や商品の流れも良くなり始め、西方帝国は少しずつ経済が復調しつつあった。




「領地も金も貯めも貯めたり、じゃなあ。全く貴族ともあろう者が何をしておったのだか……聞いて呆れるわい」




 息子の報告に呆れる大クィンキナトゥス卿。


 接収された貴族派貴族の財産は、まず今回の戦災に遭った東部諸州や帝都の復興、市民達への賠償に使用される事が決まっていたが、それに加えてユリアヌスは辺境護民官軍への戦費を接収費用から支払う事にしていた。


 ハル達シレンティウム軍は、シルーハ縦断作戦、ユリアルス城攻略戦、ポ-タ河畔の戦い、帝都東部平原の戦いと連戦し、更には西方帝国がユリアヌスの下に態勢が整うまで東部諸州や占領したシルーハ領の治安維持を担っていたのである。




 一旦呼び戻そうと使者を帰したが、ハルはこれを固辞した。


 今は軍をまとめてシレンティウムへと向かっている最中であろうか。




「金をやるから来いというのも生々しすぎるだろうから、北の護民官への任命式典と戦勝祝いを執り行なうと言えば問題ないだろ?」


「うむ、帝国内戦を治めた立役者が帝都へ来るとなれば帝都市民も喜ぶじゃろうの。日取りは追って決めるとしよう。差配はわしに任せよ!今度は辺境護民官も断るまい……いや、今度は断らせぬぞ」




 ユリアヌスの言葉に、大クィンキナトゥス卿が嬉しそうに言葉を発する。


 この老貴族は古風で遠慮深い所のある辺境護民官の態度をすっかり気に入ってしまったようで、事あるごとにシレンティウムへ赴きたいと言っていたが、ハルを帝都へ呼ぶ事が決まったことでようやくそのお騒がせ虫が治まりそうであった。


そんな父親の姿に苦笑を漏らしつつ、クィンキナトゥス卿はユリアヌスへ次の案件について語り始める。




「それから辺境護民官から引き渡しを受けたシルーハ領ですが、今後のシルーハとの交渉にもよりますが、今の所帝国領へ編入する方向で検討しています。またルグーサを返還し、東照との講和を為す見返りにセトリア内海沿岸のシルーハ領を全て引き渡させようと思っていますので、ご承認を頂きたいのですが」


「……防衛上の問題は無いのじゃろうな?無理な領土拡張は破滅のもとじゃぞ」




それまでの無邪気とも言える笑みを消し、大クィンキナトゥス卿が息子をぎろりと睨むが、クィンキナトゥス卿はたじろぐ素振りも見せず、澄ました口調で言葉を継いだ。




「はい、セトリア内海沿岸は文化的にシルーハよりも我が方に近く、占領後も特に文化的な摩擦は生じていません。そして防衛に関してですが、占領地は丁度山脈を隔ててシルーハと国境を引く形になりますので問題ありません。恐らくいくつかの砦を築き、ユリアルス城のような関所的な要塞を峠や街道に設ければ事は足りるでしょう。費用は接収した分で十分に賄えます」


「防衛は再建した第3軍団と、引き上げさせた第17軍団か?」


「はい、その様に想定しています。また東部国境警備隊の担当区域を伸ばします」


「分かった、承認しよう。元老院に諮ってから動くように」




 ユリアヌスの言葉に、クィンキナトゥス卿が黙って頭を下げる。


 その話を黙って聞いていた大クィンキナトゥス卿が首を捻りつつ質問の言葉を発した。




「シルーハとの予備交渉はどうなっておるのじゃ?」


「今の所我々の提案を断る様子は見られませんが、もし断った場合は……」


「ふむ……辺境護民官をけしかけると脅かす訳じゃな?」




 息子の言葉を遮るように引き継ぐ大クィンキナトゥス卿。




「その通りです。実際やるかどうかはさておき、この脅し文句は威力があるでしょう」




 そう父親に言ってから自分へ向き直ったクィンキナトゥス卿に、ユリアヌスは頷いた。


 帝国は内戦によって国内立て直しの真最中である為、実際問題としてシルーハと事を構えている余裕はないし、東照も本国ががたついていて兵をそれ程集められない。


 シレンティウムも事情は同じで、兵数に問題がある上に、長期の遠征で兵は心身共に相当疲れている。


 それぞれ単独ではシルーハ攻略をなしえないものの、3国で掛かればシルーハを分割してしまう事は可能ではある。


 しかしそう言った事情から派兵は実質上不可能であるのだ。


 ただ、脅し文句としては使える程度の現実味はある。


 ましてや分割されるかも知れない当のシルーハにとってはこれ以上無い脅迫。




「軍の大半を失った今のシルーハに断る事は出来無いだろう。これを断るような真似をすれば、帝国に西の国境を侵され、辺境護民官に首都を突かれ、東照に東から雪崩れ込まれる訳だからな……東照の黎盛行都督との連絡は?」


「シレンティウム経由の伝送石通信で問題なく為されております。今のシルーハは帝国と東照、シレンティウムの3正面からの攻撃を防ぐ手立てを持っておりませんので、可能性とは言えそういう動きを見せさえしておけば良いのです。東照は国境に軍を集めており、辺境護民官軍は我々の依頼によりユリアルスとルグーサを経由して帰還途中です。再建した第3軍団はユリアルス城へ入りました。既に準備交渉に入っていますが、シルーハは我々の動きを察知しており疑心暗鬼に陥っているようです。おそらくこちらの条件を受け入れるでしょう」


「やれやれ世の中はどう転ぶか分からんもんじゃ……攻めたシルーハが勢力を減じ、攻められた帝国が伸びた。北の護民官は国を手に入れる。本当に分からんもんじゃ」 




 ユリアヌスの質問によどみなく答える息子を見つつ、大クィンキナトゥス卿は苦笑混じりに言った。


 国を手に入れるという言葉でふと気付いたユリアヌスが口を開く。




「群島嶼はどうなった?」


「……それなんじゃが、反乱を起こそうとした大氏共を押えた者がおるようじゃ。その者の説得によって大氏は反乱を断念したと、療養中のラベリウス将軍から報告が来ておる。何でも辺境護民官の親類とか何とか……名は秋瑠源継という、ヤマトの剣士の総帥であるそうじゃ」


「なるほど、我々は辺境護民官に全て頼りきりという訳か……はあ」


「わはははははっ、違いない!礼も兼ねて式典は派手に為さねばならんのうっ!」




 大クィンキナトゥス卿の答えを聞き、ユリアヌスが歎息すると、大クィンキナトゥスは大笑いするのだった。


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