第15話、あらゆ

 姫月と翔太が戻ってきてから俺達はすぐ帰ることになった。というのも翔太の最後のアプローチも失敗に終わり、撃沈してしまったからだ。


 今日は一日中、姫月を口説き落とす為に猛烈アピールをしていた翔太だが、それは全く通用する事無く遠回しに断られる連続だったそうだ。そして姫月も翔太に絡まれ続けて疲れてしまったようで、割とぐったりとした様子で俺とメアの所に戻ってきた。


「今日は買い物に付き合ってくれてありがとうね、葵くん」

「姫月や女子だけだとナンパされるらしいから付いてきたけど、力になれてたら良かったよ」

「うん。おかげで今日は珍しいくらい誰も声をかけてこなかったわ、葵くんのおかげよ」

「翔太の方は大丈夫……か?」


 椅子に座っている翔太はしなしなになって真っ白になっていた。ガチガチにワックスで固めていた髪もヘタって哀愁を漂わせている。どんまいだ、翔太。チャンスは何度でも来る、今日はきっとツイていなかっただけだ。


「それじゃあ解散にするか。今日は楽しかったよ、ありがとう」

「あたしもよ。それでね――」


 姫月は俺の耳元で囁いた。


「――今度は二人きりで遊ぼうね」


 そう言って彼女は手を振ってその場を離れていった。タクシーを止めてそれに乗り込んでいく。


 二人きりで、というのは一体どういう意味なのか……もしかして翔太のアタックに懲りてしまって買い物の際のボディーガードは俺だけで十分だという事なのだろうか?


 翔太は力なく立ち上がって大きなため息をつきながら。


「葵……今日は手伝ってくれてありがとよ……また学校でな」

「ああ。元気出せよな……」


 とぼとぼと歩いていく翔太の後ろ姿を見送った。


 さてこうして解散となったわけだが、俺にはまだ用事がある。それはメアへのプレゼントタイムだ。今日買った白のワンピースと新冊の小説、これを手渡さなければならない。どう渡そうかと考えていると、メアが本屋の入り口近くで何かを見つけたようだ。


 彼女はその何かに向かって歩いていく。


 そしてその何かをじっと見つめた。


「雨宮、どうしたんだ?」

「あ……これ」


 メアが気になっているそれは本に挟む栞だ。店に並べられた栞は紙ではなく別の素材を使った割と頑丈そうなもので、それにカラフルでおしゃれだった。本が好きな俺やメアには必須のアイテムで、どれだけあっても困らないものだ。


 セールをやっているおかげか税込で300円を切っている。彼女の所持金はちょうど300円。今日のお出かけで初めての買い物をしようとしているのかもしれない。


「栞が欲しいのか?」

「……っ」


 メアは小さな財布を取り出していた。彼女は青い色の栞を手に取るとレジに向かっていく。こうして買える範囲の中で欲しい物が見つかって良かったなと思いながら、俺はレジで会計を済ます彼女の姿を見守った。


 そして栞を片手にメアが戻ってくる。

 無事に買えたようで何よりだと胸を撫で下ろした。こうして買い物をする姿も初めて見た、まあコンビニで日の丸弁当は買っていたし流石にレジでの会計は大丈夫か。


「良かったな。メアも欲しいものが見つかって」

「うん」


 メアはその栞を大事そうにしまい込む。それを確認すると再び彼女に手を伸ばした。


「それじゃあ帰ろうか。家まで送るよ、もう外も暗くなるしさ」

「う、うん……」


 いくら元は魔王と言っても今はか弱い女の子。そんな彼女が夜の道を歩いて何かあったら、なんて事は絶対にあってはならない。彼女を家まで送り届けるのがベストだろう。メアも俺の手を取ると頷いて一緒に帰るのを選んだ。


 俺が立てた予定では本を買って他にもいくつか買い物を済ませたら帰るだけだったのだが、姫月と買い物を共にする事になり、メアと翔太とも遊ぶ事になって、なんだかんだで今日は一日中遊んでしまった。


 メアは楽しんでくれただろうか。それともただ疲れてしまっただけだったろうか、心配しながら彼女の様子を横目で見るが俺の手を握りしめる彼女の表情は緩んでいて何処か楽しげに見えた。


 店の外に出ると既に太陽は傾き始め西日が差し込んでくる。俺とメアの二人は夕焼け空でオレンジ色に染まる帰路へとついた。


 メアの住んでいる家の場所は分からないので俺はひたすらに彼女の案内に従った。


 そうして俺達は車の音と人の声でごった返していた繁華街を離れて、しんとした静けさが包み込む住宅街へと辿り着く。太陽は落ちて辺りは既に暗くなっていた。


 この先にメアの家があると思うのだが、彼女は電柱の明かりの下で立ち止まった。


「どうした?」

「も、もうすぐ家だから……もう大丈夫」

「そうか。寄り道しないで帰るんだぞ、親御さんも心配するだろうし」


 彼女を家の近くまで送り届ける事が出来た、次は俺が家に帰る番だ。だがその前に俺からのプレゼントを渡さないとな、そう思った時。


 メアが無言のまま俺の前へと立った。


「どうしたんだ?」

「……っ」


 彼女は何かを取り出していた。

 それを静かに俺へと差し出す。


「メア……これ?」


 彼女が差し出したものとは、本屋を出る直前に買っていた栞だ。


 顔を真っ赤にしながら差し出す手が震えている。

 目線は決して俺の方へと合わせようとはしないが、それでも彼女は言葉の続きを口にする。


「きょ、今日……すごいお世話になったから、お礼……」

「お礼、って雨宮が使う為じゃなくて、俺の為にこの栞を買ってくれたのか?」


 彼女は小さく頷いた。


 なんてことだ。彼女にプレゼントを渡そうと思っていたはずが、それよりも先にメアの方が俺にプレゼントをしてくれた。しかも、しかもだ、彼女にとっての300円は彼女が持ってこれる精一杯のお小遣いで、それを俺の為に使ってくれたのだ。


 ありがとう、嬉しいよ。俺も本は良く読むから、これ大切に使わせてもらうな。


 いつもなら笑顔でそれを受け取ってすぐに気の利いたセリフを返す事が出来た。けれど、彼女からその栞を受け取った瞬間に、ふつふつと頭が焼けるように熱くなってくるのを感じて、心臓はどきどきと高鳴って言葉が全く出てこなかった。

 

 異世界で旅をして色々な人に出会って、世界を救ったあの時ですら感じた事のないその感情に俺の頭は混乱しかけていた。

 

 そして俺が栞を受け取った直後、彼女は顔を真っ赤にしたまま異世界の言葉を口にする。


「あ、あらゆ……!」


 そう言った直後、彼女は一人で走り去ってしまう。

 俺は何も声をかける事も出来ないまま、ただメアの後ろ姿を眺めていた。


 渡された栞を見つめながらさっきの言葉が頭の中に反響する。


 あらゆ、あらゆって言ったよな? 聞き間違いじゃ、ないよな……?


『あらゆ』


 それは『あなたが好き』という意味だった。

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