第5話 反転した悪魔


 誰にでも命と引き換えにしたいほど魅惑的な世界がある。

 俺が憧れてやまないのは、夜を支配し自由に羽ばたく闇の魔界。

 月の光を浴びるPARADISE。

 毎夜、夢に見るのは狂気の沙汰さたか、それとも現実か。


 悪夢が浸食し始める。

 出来ることなら、強烈な熱に浮かされる世界線で生きたい。

 誰かに批判されてさげすまれても構わない。

 それが人間の尊厳を捨て、地獄の果てにちることだとしても。


 壊すのは本心ではなかった。

 けれど、このままではその夢に近づけないから。

 内なる悪魔との激しい葛藤にとらわれ、もだえ苦しむ日々。

 耳をふさいでも囁きが聞こてきた。そうか。


 ならば、いっそ俺が生まれ変わればいいのか──


 理性を捨て、黒いマントを羽織り、これから薔薇色の頬をした少女の魂を集めに行くよ。

 万物は流転する。いくらでもほろよみがえる。

 恐れることはない。

 さあ、ナイフを持って外へ出よう。

 自分の心に忠実に従うために。





「真綿ー、ヤバい。ポテトサラダがたりなくなっちゃった。駅前のスーパーでじゃがいも買ってきてよ、お願い!」


「おう、わかった。あ……ついでに新発売のモンブランも買って来ちゃう。この時期の栗スイーツって美味しいじゃん。ふみちゃんもいる? 三時のおやつとして」 


「ちょっとー真綿。何、のんきなこと言ってんの! もう十二時半過ぎてるよ。今日はコンビニに寄るのはダメだからね。スイーツはまた今度。今は時間ないんだから、スーパーにだけ急いで!」


「なんでダメなんだー(モンブラン食べられない 泣) コンビニスイーツなめんなよ」



 はいはい、なめてません。

 ご覧の通り一向に噛み合わないふたりは、私・花野ふみと西宮真綿の緊急時の会話である。

 私のパートナー・真綿は、湘南の海にほど近い場所で白い小さなカフェをやっている。

 爽やかな風、陽射しが眩しいコットンカフェ。

 居心地の良さと私の姓名判断が売りだ。


 それから最近では優れた洞察力であらゆるペット……違った、あらゆる謎を華麗に推理する安楽椅子探偵が話題のカフェでもある。

 どういうことかと言うとペット探偵・加納かのう伊織いおりが、犬や猫の捜索やシッターの知識を活かし、その場でたちまちお客様の難題を解決していくのだ。

 噂は口コミやSNSで徐々に広まっていき、ペット探偵の名前もちらほらと聞くようになった。

 今もランチに来ていて、私の親友・礼美とそこでおとなしく座っている。

 ただ今日は、ふたりとも私と真綿の忙しさに恐縮しているようだった。



「ふみちゃん、なんかごめん。今日って、大口のお弁当テイクアウトの予約が入ってる日だったね。知り合いがさ、ペット探偵に会いたいって言うから軽い気持ちで受けたら、今日しか伊織くんとスケジュールが合わなくて……」

 期待を裏切らないスッピン眼鏡。グレーのスウェット上下の美人が、両手を合わせ私を拝む。

「大丈夫だよ、三人分のランチならすぐに用意出来るから。ふたりはもう身内みたいなものだし。ね、真綿。今日はお店閉めることにしたから午後はお弁当だけに集中出来るの」

 私は手を休めずに顔だけ上げて笑って答えた。


「ほんとぉ? ありがとう。ランチは三人分でいいからね。彼の妹が学校帰りに寄る予定だけど、給食あるからジュースだけでいいと思う。もうそろそろ、彼来るよ」

「うん、準備出来てる。オッケー」

「さすが~ 仕事早い!」 

 商売(No.1キャバ嬢)がら、私と真綿を持ち上げるのはお手のもの。

 真綿も「まーね」とニヤけている。

 すぐ調子に乗るんだから、私がちゃんとかさなきゃ。


「ほら真綿、早くじゃがいも買ってきてよー」

 威圧いあつはかけるタイミングが重要だ。

「ったく、芋、芋って……」

「なんて?」

「なんでもありませーん」

 真綿が口を尖らせながら、エプロンをはずし始めた。


「じゃあ、礼美ちゃんの友達が来たらランチだけよろしくな。店のドアの鍵は開けとくけど、クローズの札を掛けてるから客は来ないはず」

「うんうん了解。わかってるから大丈夫よ」

 私はひらひらと手を振る。

 背中越しに真綿も軽く右手をあげた。


 ふぅ疲れた、ちょっと休憩でもしようかな。

 冷蔵庫からお気に入りのフルーツティーを取り出した。

 朝、苺とキウイを細かく切って蜂蜜と一緒に紅茶に入れたもの。

 果肉が底に沈んでいるから、飲む時に振ると混ざって美味しい。ビタミンCも取れてリフレッシュ効果にとても優れてるドリンクだ。



 ──カランコロン。

 カウベルの音。真綿がドアから出て行った。

「あ、信野しんのくん。いらっしゃい。時間通りだね」

 あれ? 私は身を乗り出して、店内をのぞく。

 長身で色白、聡明な青年といった感じの男性がちらりと腕時計に視線を走らせ、礼美に近づいていった。

 真綿の姿はなかったので入れ違いで出て行ったみたい。

「いらっしゃいませ~」

 私はキッチンからお客様に声を掛けた。

「こんにちは。今日はお世話になります」

 彼は私の存在に気づき、丁寧におじぎをした。

 湘南の自由な空気感とは違う、ブランドの服をまとう上質な清潔感を感じる。少し背筋が伸びた。


「久しぶりだね。待ってたよ。こっち座って」

 礼美が嬉しそうな笑顔で信野という男性をうながす。テーブル席の礼美の前だ。

 たぶん初めて見るであろうスッピン・ジャージの礼美に動じない信野に、なぜか私は感心する。

 ちなみに、ボサボサの礼美の隣には伊織がいてレモネードを飲んでいた。うつむき、さらさらの前髪が目元にかかっていて何だか可愛い。

「こちらは、信野しんの芳樹よしきくん。新宿にあるIT企業で働いてるの。頭が良くてエリート社員なんだよ、ね?」

 礼美が都会的な魅力のある男性を、私と聞いてるのか微妙な伊織に紹介した。


「こちらが、このお店の花野ふみちゃん。姓名判断もやってるの。で、こっちが噂のペット探偵・加納伊織くん。伊織くんもちゃんとご挨拶して」

 礼美に言われるまま、伊織がぺこりと少年のように頭を下げた。


「初めまして。信野芳樹といいます。伊織くんの噂はかねがね礼美ちゃんから聞いてますよ。どんな謎でもランチタイムの時間で解決出来るとか。それは……どんな凶悪事件でも通用するのかな」

 言葉尻に信野の挑発的なニュアンスが溶け込んでいた。

 伊織は戸惑い気味に微笑む。

 存在感の薄い伊織を見て、信野が安楽椅子探偵という噂を半信半疑の気持ちで受け止めてるのだとわかった。


「信野くん、もしかして伊織くんのこと信じてないの?」

 礼美がムッとした顔で言う。すぐ顔に出るたちだ。

「いや、そうじゃなくて、何て言うか……思ったより伊織くん若いしね。探偵に人生経験が必要なのかはわからないけど、礼美ちゃんが話を盛ったとも考えられる」

 正直な信野の感想に納得しかけそうになったが、すぐに却下した。

 人生経験だけなら真綿のほうがずっと多いから。それを思うと人間は年齢じゃない。


 以前、伊織にペット捜索のコツを聞いたことがある。その際に言ってたのは、個々のペットの性格を知ること。

 生き物はそれぞれに性格が違う。

 人が大好きな子がいれば、怖くて逃げる子もいる。狭い場所が好きな子もいれば、暗い場所に怯える子がいる。

 迷子のペットが百匹いれば、百通りの捜し方があるのだと。

 その時、伊織の感覚は信用できると思った。

 私は小さな笑みで会釈をすると、ランチの用意をするため仕事へ戻る。

 声は普通に聞こえるので信野の相談内容はしっかり把握できる。今回の件は、私も特に興味があるのだ。


 礼美に聞いたところ、最近このあたりで発生している連続少女殺害事件に関する内容だと言う。

 意気込んで伊織を呼び出したものの、はっきり言ってペットのペの字もなかった。

 しかも今回は礼美の独断によるもので、伊織にとっては迷惑極まりないなとちょっと思う。

 せっかくのお休みの日にかり出されて、午前中からぼんやりここにいるのだから。(礼美にランチ奢るからと言われて!)

 だけど、私も含めてミステリマニアにとっては興味津々で断ることの出来ない案件なのだ。



「さあ、じゃあ早速信野くんの相談を聞きましょうか。来たばかりで申し訳ないけど、ふみちゃんたち仕事で忙しいから長居は良くないし。途中ランチ頂きながらでいいかな?」

 礼美がテーブルのふたりに同意を求めた。

「僕はそれで問題ないですよ。あ……もう少ししたら、妹が学校を早退してここに寄ることになってます。この店、小学校の通学路沿いにあるんで、ちょうどいいから一緒に帰ろうと思って」

 信野が窓の外を指差す。


「妹さん、小学六年生だっけ。ゆずちゃん? 漢字は木偏きへんの柚だよね、かわいい名前。年が離れてたのは覚えてる」

 ほんとだ。かわいい。

 私はいつもの癖で、頭の中で名前を縦にして字画をあてた。

 信野柚。

 字画以前に姓名を縦にして漢字の部首と作りにまっすぐ隙間があくと、姓名判断では昔から縦割たてわれと呼ばれる。

 今は気にしない人も多いが、別離を連想させることがある。割れが名前の部分だけとか、字画が良ければいいんだけど。


「礼美ちゃん、妹のことよく覚えてたね。そう、名前はゆず。実は最近、妹の友達が例の連続少女殺害事件に巻き込まれて……亡くなった。五日前に近くの公園で遺体で発見されたんだ。君たち、この辺で起きてる殺人事件のことはもちろん知ってるよね?」

 信野は、礼美と伊織に確認するように念を押して言った。


「知ってるに決まってるじゃん。みんな、今その話題でもちきりだよ。小学生の女の子がこの十日間でもう三人もナイフで刺殺されてる。全員この地域でだけど、殺害場所は微妙に違う。三人に共通するものは今のところ特になし。背格好も家族構成もなにも……そうでしょ」

「そうだ」

 信野は重々しく言った。

「……まだ容疑者さえ見つかってない。通り魔的で無計画のように見えるんだ」

 おとなしく話を聞いてた伊織が、ほんの少し顔を上げるのが見えた。

 私はランチを運ぶため、トレーを三つ用意してカウンターに置く。

「礼美ちゃん、一緒にランチ運んでもらっていいかな?」

 先に立ち上がったのは伊織だった。

「僕、ひとりで運べます。礼美さんは座ってていいです」


「あーごめんね。ありがとう」

 伊織は本日のランチがのったトレーを両手にひとつずつ持ち、まず信野と礼美の前に置いた。そして自分の分を取りにきた時に私は声を掛ける。

「お肉ボリュームアップしといたから」

 いつものようにふわっと笑顔を見せると、少しだけはにかんだ。

 今日のランチは三人のための特別メニューだ。

 牛肉とパプリカの炒め物。きのこのクリームソース・オムレツ。シーザーサラダ。コンソメスープ。そして、お手製キャラメルプリン。

 このプリンは礼美の大好物。

「やったぁ♪」という可愛らしい声が礼美から漏れた。これから殺人事件の話をするとは思えない笑顔がおかしい。


 

「ところで……殺人事件の概要ってそれくらいだよね。それで、信野くんは伊織くんにどうしてもらいたいの。ペット探偵は難事件の推理もするけど、そんなざっくりとした内容じゃ流石に謎解きなんて出来ない。警察だって証拠も何もないからいまだに犯人を捕まえられないんでしょ?」

 礼美が一変して冷静な口調で信野に言った。 

 ほんと。その通りだと思う。

 いくら妹さんの友達が殺されたからと言って、そんなニュースで聞きかじったような情報では私たちは何も出来ない。


「礼美ちゃん聞いて。あのさ、前に僕が秘密を打ち明けたこと覚えてる? ほら、あの夜、トランプのマジック見せただろ」

 突然の信野のフレンドリーな内容に、礼美は口をモグモグさせながらきょとんとした瞳で見つめた。

「あの夜……」 

 礼美はなぜか一瞬、伊織の様子を確認すると音量をあげて立ち上がった。

「ちょっ、夜って。やだなー 信野くん私たち何もなかったじゃーん。やだー その言い方じゃ、みんなに誤解されちゃうよーー」

 礼美ちゃん、私たち誰も何も誤解なんかしてないです。

 そこで騒ぐ礼美の意味がわからない。いいから座って。

 それよりも信野の秘密というのが気になった。私もキッチンから眺めながら話を聞く。

 

「……秘密ってなんですか」

 おおー、ここで初めて伊織がちゃんと喋った。ペット探偵の勘も、秘密という言葉にくすぐられたらしい。

 信野が伊織に視線を移す。

「秘密というか……、実は僕には昔から霊感があるんですよ」

 ん、霊感?

 人は見かけによらないものだ。どちらかといえば冷静沈着で、霊感などの目に見えない世界とは真逆にいそうな人なのに。

「母方が先祖代々そういう特殊能力の持ち主でね。母も祖母も、僕に負けず鋭い霊感を持ってました」


「あー霊感? 思い出した! トランプね、うちのお店に来てくれたときに女の子たちの前で披露してくれた。透視で、女の子の持ってるカードを全部当てるってやつでしょ。すごかったよねー、信野くんの透視能力。全問正解だった。しかも最後はマミカちゃんのこと泣かせちゃってさぁ」

 冗談で信野をにらむ礼美。


「そうだったね。マミカちゃんを泣かせたことは不本意だった。実は……透視は余興よきょうで、マジックにはちゃんと仕掛けがあるんだ。鏡を利用した簡単なもの。それより……あの日、マミカちゃんは毎晩眠れないほど悩んでただろ、青白い顔で目のくまが異常だった。その場で霊視をしたら、女性の怨念おんねんに取りかれたんだよ……あの激しい感情は生き霊だ。だから、マジックで僕を信頼させてから悩みを聞いてあげようと思った。少し話を振っただけで、自分からいろいろ話してくれたよ。……結局、執着心の強い客のにマミカちゃんうらまれてたみたいだね。同性の恨みは怖いから。その後、信頼できる霊媒師を紹介して除霊してあげたんだ」

 礼美が真顔でうなずいた。

 その顔を見ると、思い当たる節があったようだ。


「信野くんに霊感があるのはよくわかったよ。で、それが今回の連続少女殺害事件と何か関係があるの?」

 核心をつく礼美の質問に私たちは信野を見つめる。

「ん……実はね、柚の同級生の女の子が五日前に殺されてから、自分でコツコツとこの事件を調べてる。そして、僕流のやり方でひとつの仮説を結論づけた。その犯人を、謎解きで話題のペット探偵に確かめてもらいたいと思ってここに来たというわけ」

「僕流のやり方……って、もしかして」

 信野が礼美に向き直る。

「そうだよ、霊視で得た情報だ」



 霊感がいくら鋭かったとして、現実社会で発生する実際の犯人捜しにそれは役立つのだろうか。

 この世の中、数多あまたの霊能力者がいても、犯人検挙に繋がったなんて話聞いたことないけど。

「霊感で犯人をもう見つけたっていうの?」

 礼美は驚きを隠せない。

 もちろん私もだ。


「ああ、でも霊感だけじゃない。もしかしたら、それはきっかけに過ぎないのかも。問題はそこじゃないだろ。大事なのはこれ以上、奴に人を殺させないこと。犯人を見つけるということだ。その答え合わせに、ペット探偵の推理能力を総動員してもらいたい。どうかな?」 

 信野の本気の表情に、伊織の心が動いたと思った。

「……信野さん、いいですよ。僕もこの事件は早く解決してもらいたいです。解決するならどんな方法を使ってもいいとさえ思ってますから」

「ありがとう」

 ふたりの間に、絆らしきものが芽生えた瞬間だと思った。



「では早速だけど、僕の霊感について話しておきたい。霊感にはいろいろあって、僕が出来るのはいわゆる幽霊、死んだ人間や動物をる能力だ。あとはそれらの声を聞くこと。この二つだけ。霊感の中では原始的な部類なのかもしれない。だってペットや赤ちゃんなんか、何もない天井をじっと見つめてたりそれを見て笑ったりするだろ。それの延長線上にある能力だから。僕はを視るんだ」

 信野はそこで一旦息を継いだ。


「……例えば駅だったり、古いホテルや百貨店、大きな工場など人の出入りの多い場所には必ず霊もいる。僕はそれらをスルーせず見つけることが出来る。逆に過去が見えたり未来予知、除霊といったようなことは全く出来ない。霊感がある人間は結構いるが出来ることは人それぞれなんだ。そこは理解してほしい。そして最近、僕が霊視したのは『殺された少女』だ。……霊視は偶然だった。二番目に殺された少女・和葉かずはちゃん(九歳)の殺害現場をたまたま通りがかった時、がいたんだ。うずくまって僕をじっと見てたよ。僕が視えることをその子は知っていた」


 私は誰かに保護してもらうのを願う、ひとりぼっちの仔猫のような子供の霊を想像して胸が締め付けられた。

 一刻も早く犯人を捜し出さなければ。不幸の連鎖を断ち切らなければいけない。

「少女の霊は口を開いてこう言ったんだ。『しざわせんせいに……ころされた』と」

 信野の顔が曇る。

「しざわせんせい!? その幽霊、犯人を知ってたの!」

 礼美が驚きの表情で立ち上がった。はいはい、座って。


「ああ、自分が誰に殺されたのかを知ってたよ。きっと二番目に殺されたその子だけ、犯人と面識があったんだね。僕にとっては運が良かった。だからこそ犯人捜しを始めたんだ。だがそれもむなしく、早々そうそうに三番目の殺人も起こってしまった……」

 伊織が最後のプリンを食べる手をとめ言った。

「しざわせんせいとは誰なんですか。実在する人物ですか」

「担任の先生とか?」

 礼美も身を乗り出した。


「それは真っ先に調べた。学校の先生ではなかった。……趣味の習い事の先生だったんだ。和葉ちゃんは生前花が好きで、月に二度『子供のガーデニング』という習い事に通っていた。そこの講師が四澤しざわ侑人ゆきとだ。フラワーデザイナーを経て、今はホームセンターの園芸コーナーを担当している。華々しくフラワーデザイナーでデビューしたが、大した活躍も出来ず結局鳴かず飛ばずだった。芸術の世界もビジネスだから、自己アピールが下手な奴は消えていくのはよくあることだろ。花の世界からはもうとっくに干されてる。人間関係の構築が苦手なのか、せっかくホームセンターの職につけたのに続けられずそこも今月で辞めるらしい」



 私にとっては、驚きの展開だった。

 犯人がすでにわかっている。

 だが名前がわかって身元が判明していても、霊感で導かれた証言では警察も動いてくれないし何の効果もないのだ。

「このまま犯人を野放しにしてはいけない。そう思って僕は四澤の尾行を始めた。なんとか現行犯逮捕出来ないものか、せめて犯行を裏付ける物的証拠を掴めればと……」

「それでどうなったの?」

 礼美が信野の言葉にかぶせる。


「先日、奴は仕事が終わってホームセンターの制服を着替えると、全身真っ黒い服にマントのようなコートを羽織って繁華街へ出て行った。まるであれはドラキュラだな……奴の細身の身体にはピッタリのコスプレだ。そして行った先は……フィリピンパブだった。フィリピン人の可愛い女の子が接客してくれる店だ。男の行動は、誰も似たり寄ったりだと思ったよ」 


「どういうつもりなのかしらね。少女を三人も殺しておいて、自分はフィリピンパブで女の子と楽しむなんて。サイコパス過ぎるよ、想像するだけでムカつく男」

 礼美と一緒で私も理解出来ないし、したくもない。殺された少女たちの無念を思うと涙が出そうになる。


「僕は四澤が特定のホステス・ミラを指名して、店に通ってることを知った。だからすぐに、その女の子を指名していろいろと話を聞いたんだ。……すると、意外なことがわかったよ」

「意外なことって?」

「四澤はミラのことが好きで店に通ってるんじゃなくて、自分の知りたい情報を得るためにミラを指名してるってことだ」

 礼美は意味不明の顔で眉をしかめた。きっと私も似たような表情をしているのだろう。


「ミラが言うには、四澤は以前から時々客として来ていた。顧客としては悪い客じゃないそうだ。だが、最近見た目も性格も変貌へんぼうしたように思うって。以前はおとなしくて花や草木が好きな優しい青年だったのに、今は横暴さが増して、他の客と喧嘩したり、食事もおろそかにしてるのかひどく痩せた。生活も荒れていて、不衛生な家では猫がネズミを追ってる状態だそうだ。考えただけでもゾッとするだろ。そして四澤本人はに熱中していて、フィリピンへの移住を考えていると」


 あるもの?

 そこに四澤の秘密を探る鍵があるのか。

「フィリピンの田舎なんだが、ミラの生まれた村では不思議な民話が語り継がれてるらしいんだ」

 そこで伊織が口を挟む。

「民話ですか」

 信野が伊織を見て、微かにうなずく。


「そう。昔々の話。──その村では闇の魔界からやって来た存在によって、村の美しさと幸福を維持していた。悩みも苦しみもない場所。人は生まれ変わりを信じて、魔王が美しい少女を殺し魂を解き放つ。村人たちは魂の旅立ちを祝福した。その魂が村の苦しみを持ち去ってくれると信じてるんだ。浄化の意味を込めた謎の風習だな。……もちろん、現代はそんなバカげたことはない。ただ、ミラのように家族のために出稼ぎに出る女の子はその村では今でも祝福されるという。女の子が村を出る時、一緒に苦しみが遠のくと信じられてるから。現代でも民話が何かの役目を担っているのかもしれない」



 古く悲しい話だった。

 四澤はなぜそんな昔話に魅入られたのだろう。

 その時、ふいに伊織が瞳を閉じた。

 この謎の出口を求め、迷路のように入り組んだトラップから考えを整理しているのだと思う。どんな状況下においても集中出来る、類いまれなる才能だった。

 信野が続きを口にする。

「その民話の話が、今回の連続少女殺害事件に関係してると僕は思った。きっと四澤は民話にある自分に都合のいい楽園を信じて、これからその村へ移住しようとしている。少女たちの魂をたずさえた闇の魔王として……。仕事も辞めた。一刻も早く捕まえないと奴は高飛びするだろう。時間がないのに、それなのに確固たる証拠がない」



「信野さん、すみません。今日これからシッターの仕事が入ってまして時間が……。推理の前にいくつか質問があります。答えてもらってもいいですか」

 スマホで何やら検索していた伊織だったが、瞳にきらりと理性が宿るのを私は見た。

 別人の顔つきになっている。さすがに信野も気づいて二度見していた。

 この瞬間は何回見てもゾクゾクする。

 あっけにとられていた信野だが、すかさず「もちろん」と言った。



「ドラキュラのような黒い服とは? タキシードを着ていたんですか」


「四澤はいつ頃から痩せ始めましたか」


「猫がネズミを追ってたと言ってましたが、四澤は猫を飼ってますか。それは子供の頃からですか」


「最後に、信野さんは本当にんでしょうか」


 

 いつもの怒濤どとうの質問が、伊織の本気度を感じさせた。

 私たちの先の先を行く天才の思考に嫉妬する瞬間。

 伊織にはきっともう見えているのだ、この事件の全貌が。



「わかった、じゃあ最初の質問から答えるよ。ドラキュラがマントの下にタキシードを着ていたか? ……いや、違うな。真っ黒な服を着てただけだ。奴は、黒装束くろしょうぞくに黒いマントを身体に巻き付けていた」


「次。ミラに聞いた話だと、四澤は以前から太ってはいないそうだが、現在の骨と皮だけのような容姿になったのはこの二、三ヶ月とか」


「猫は子供の頃から飼っていたそうだ。古い家も荒れ放題で、野良猫が勝手に家に上がり込む始末だった。そして、ネズミを追いかけ回してると笑ってたらしい」


「霊感は……本当だよ、伊織くん。この命をかけてもいい。誓う」



 信野が命をかけると言った時、礼美が「やめて、命なんて言うの」と怒った。

 礼美の言うとおり。

 命の儚さ、尊さを私たち人間は本能的に知っている。

 そう、命をかける時は今じゃない。


 

「皆さん、信野さんが霊感で視た通り連続少女殺害事件の犯人は、僕もで間違いないと思います」

 伊織の言葉に礼美が驚きの声をあげた。

「そうなの?! すごい。信野くんの霊感が本物ってことがこれで証明されたね! あ……でも、どういう理由で犯人が四澤と言い切れるの? ちゃんとすごい裏付けがあるのよね。ペット探偵の推理を聞かせてよ」

 礼美が伊織に言い寄った。


「四澤が犯人ということは、すでに僕も確信している。ペット探偵の推理によって、四澤を逮捕出来るかどうかが知りたい」

 信野も礼美ほどではないがちゃんと圧をかけてきた。

「あの……四澤が犯人というのは僕の中にもありますが、推理によって四澤を逮捕出来るかどうかは別で……」

 伊織が若干、言葉に詰まりながらふたりの視線をかわす。

「あーもう、それは後でこっちで判断するから、探偵なら早くこの謎を解いてちょうだい!」

 礼美に肩を叩かれてよろめく伊織。私は見なかったことにしてあげた。

「あ、はい。わかりました。えーでは、まず……」

 本調子にはほど遠いようだが、伊織は小さな咳をした後、核心に向かい歩み始めた。



「まず僕が気になったのは、四澤の人柄でした」

「人柄?」

 礼美が口を挟む。

「はい、フィリピンパブのミラさんが言っていた四澤の人柄です。元々は草花が好きな気弱な青年だった。しかし最近、性格が変わり横暴になる。他の客と喧嘩をしたり……」

「ああ、確かにここ二、三ヶ月で性格が変化したと言ってたな」

 信野もうなづく。


「次は、四澤が奇妙なコスプレをしていたことです。黒装束に黒いマント。怪しすぎますよね。彼は何かに影響を受けてそういう格好をしたのだと思うのですが」

「だから、ドラキュラだろ?」

「あ、まあ。ですがドラキュラにしては中途半端で、牙もなければマントの下にタキシードも着ていない。それにドラキュラの真似をするくらいなら、なぜ四澤からヨーロッパの香りを感じないのか。フィリピンではなく少しはヨーロッパに関する情報が見えたり、小物が身の回りにあってもいい」

 信野は伊織を黙って見つめた。


「ドラキュラの真似にしては何だか雑ですし、特徴も足りてないんです。では、ドラキュラでないとしたら? ……四澤は、ミラさんの出身地であるフィリピンの村に伝わる民話に興味を持っていました。少女の魂が村を美しくするとかナントカ。実際にはありえない話ですが」

 伊織がグラスの水で喉をうるおし、また話を続ける。

「そのフィリピンのありえないファンタジーに四澤は心を奪われてしまった。全身全霊で。だとしたら話は変わってきます。……四澤が本当に傾倒したのはドラキュラではなく、フィリピンに生息している、なんじゃないかと」

 スマホを指でタップすると、伊織は画像が見えるようにふたりに差し出した。

「キャッ!」


「え、どうしたの。礼美ちゃん? 大丈夫?」

 突然の悲鳴に驚く私。

「ちょっと、伊織くん! そんなの急に見せないで。いくらなんでも驚くよ。ねぇ、ふみちゃん見て。その写真、めちゃくちゃビックリするから」

 私は伊織から手渡されたスマホの写真を見る。

「うわぁ、マジで? このコウモリ、ヤバいね。ホントにこんな大きいの?」

 伊織のスマホに写っていたものは人間の子供ほどありそうな大きなコウモリだった。フィリピンに生息するオオコウモリと書いてある。本当は三十センチほどらしいが、写真はもっと大きく見えた。

 羽を広げて飛ぶと、横幅が一メートル以上のものもいるって。


「なんで四澤はこんなものに憧れたんだ?」

 いつの間にか信野は自分のスマホで検索していた。

 冷静にじっと画面を見ている。

「好みは人それぞれですからね。たぶん内向的な自分に嫌悪して、他のものになりたいと思ったんじゃないでしょうか」

 真顔で言う伊織。

「いや、それにしてももっと他にあるだろ普通」

 伊織の言葉に信野がツッコんだ。


「四澤の本心まではわかりません。ですが精神に限界がきて、もう人間でいることさえ拒否したかったのかもしれない。民話にある闇の魔王というのはきっとオオコウモリのことで、この容姿からきてるんでしょう。フィリピンに生息する実際のオオコウモリは人を襲ったりしないのに……。草食性で果実や花の蜜が主食のようです。そこも草花の好きな四澤らしい。フィリピンの田舎の民話とオオコウモリの存在を知り、興味から魅了へ、心を囚われて特別な親愛しんあいに変化していった。そこに自身の楽園を見出したとしても理解出来なくはない」


「親愛だって? ばかばかしい。で、フィリピンに憧れ、生き甲斐みたいなものが出来て気が大きくなったって言うのか。ほら、ミラが四澤の性格が変わったと言ってたのはそれか。嘘だろ。そんな村に逃げ込んだとしても永久に殺人犯ってことに変わりはない。警察だってばかじゃないんだ。いずれ捕まるに決まってる。捕まる恐怖さえも、コウモリのコスプレで消えるっていうのかよ。頭の中までお花畑か」

 信野は激しい口調になって怒りをあらわにした。


「四澤のオオコウモリに対する願望は好きなだけでは飽き足らず、自分がそれになりきることでした。激痩せしたのもコウモリの容姿に近づくため。コウモリの足は自分の上半身を支えられないほど細いんです。知ってましたか。だから、いつも逆さにぶら下がっている。例えば、つま先立ちするだけでも世界は少し違って見える。逆さまの世界は、瞳にどんな景色を映し出したのでしょうか。 ──四澤はやっと癒やされる方法を見つけた。愛情を感じなければ、やがて人は壊れる生き物だ。草花だって愛情をかけられれば分かります。愛の形態はいろいろありますが、そのひとつに融合ゆうごうというのがある。例えばアニメのコスプレや、大好きな同性のアイドルの真似をしたり、心を許しあった親友と同じ服を買ったり。その存在と同じになりたいと思うことは異常ではありません。四澤にしてもそれは一緒です」

 伊織はどこまでも冷静な表情を崩さなかった。


「じゃあ、そのオオコウモリに傾倒しすぎて、気がおかしくなって殺人まで犯したのか。そんな……嘘だろ。いくら頭でそう思ったとしても、実行する前には理性が働くんだ人間は」

 信野が悲痛な声をあげる。 


「はい、普通はそうですよね。ですがもし四澤が普通の状態ではなく、精神障害を負っていたとしたらどうでしょうか? あくまでも可能性としての僕の想像ですが、信じられないことは世の中にいくらでもあります。彼の性格が大きく変化した原因……それは、のせいだと僕は思いました」

 トキソプラズマ?

 初めて聞く言葉だった。

「どういう意味? その、トキトウプラザって」

 どこそれ? 礼美ちゃん。

「トキソプラズマ……です」

 

「寄生虫の一種ですが、猫から人間に感染することがあるんです。ネコ科の動物を宿主としており、ネズミなどを介して人間に感染するとトキソプラズマ症を引き起こす。寄生虫に脳が支配され、マインドコントロールされる病気です。通常は感染しても人体にさほど影響はありません。しかし、妊婦さんや免疫力の低いの人は注意したほうがいい。感染すると人間は、恐怖心が薄まり不安感を失う。男性はホルモンの変化で攻撃的になったりキレやすくなる精神障害が出るんです。実際、理性のストッパーが外れたかのように犯罪や自殺が増えるとか。四澤は激痩せの影響で、免疫力が低下していたと考えられる。そして、性格が明らかに横暴になったとミラさんは言っていた」  

 信野はあ然とした顔で伊織を見ていた。

「そんな……」

 ペット探偵の推理を目のあたりにして、やっと出た一言だった。


「……じゃあ、そのトキソナントカのせいで四澤は精神が崩壊したっていうかよ。……それでも人を殺していい理由にはならない。そうだろ、ペット探偵。僕は許さない。どうすれば奴を捕まえることが出来るんだ!」

 苦しい沈黙が続く。店内が静まり返る。

 伊織が唇を噛んだ。

「信野さん……すみません。僕に出来るのはここまでです。もう僕たちにはどうすることも出来ません。あとは、四澤の動向を注視するだけです」

 私も何も言えなかった。

 いくら霊感で得た情報の裏付けを突きつめても、警察は動いてくれないのだから。

 ……仕方ないよね。これ以上無理。

 これ以上、ペット探偵に出来ることはもうないのだ。



 ――カランコロン。



「あー、おかえり」

 礼美の声がした。

「おう、柚」

 信野の声も。

 柚ちゃん、着いたのね。

 えっと、ジュースはオレンジでいいのかな。

 ん……せっかくだから、フルーツティーを出してあげよう。蜂蜜入りでほんのり甘いから女子はきっとみんな好き。

 私はグラスを手に取り、ゆっくり冷蔵庫へ向かう。


「ふみちゃん、重たかったー」

 あれ、真綿もいる。

 両手にいっぱいのじゃがいもを抱え、キッチンに入って来た。

「おかえり。大丈夫? 遅かったね」

「それがさ、いつもの駅前のスーパーが今日に限って臨時休業してて休みだったんだよ。しょうがないから駅の反対側まで行ったら時間かかった。ごめんごめん。お湯湧かしてよ、芋茹でる準備しといて」

 真綿が二階に上がった。

 やだ、大変だったんだ。

 休憩してたよ、ごめんね。

 えっと……お鍋、お鍋。急がなきゃ。これからまた忙しくなりそう。


「柚、どうした? 立ってないで、こっちにおいで」

 信野の優しい声が聞こえた。

 礼美ちゃん、柚ちゃんを椅子まで案内してあげたらいいのに。

「え……柚、なんて? もう一度言って。そこに誰がいたって?」

「……ドラキュラが?」

「そこに……いた?」



「信野さん!」

 突然、伊織らしくもない取り乱した声が店内に響いた。

「信野くん!!」

 礼美も悲鳴を帯びた声をあげる。

「いったいどうしたの?」

 私が驚きキッチンカウンターから顔を覗かすと、伊織が蒼ざめた顔で信野を見ていた。


「ふみさん、早く……救急車を、いや、遅い。警察を……はやく警察を呼んでください! 今なら捕まえられる。四澤が……このすぐ近くに」

 伊織が激しい声で私に言う。

 どういうこと?

「今、四澤がこの付近にいるのか! くそっ、絶対この手で捕まえてやる。柚、いいからこっちに来なさい」

 血相を変えた信野が強い口調になった。



 緊迫した空気。

「信野くん! やめて、お願いやめて」

 礼美が涙声になりながら、震える両手で自分の顔を覆った。

 何が起こってるの。

 伊織が苦しそうに続けて言った。


「信野さん、お願いです。聞いて下さい。柚ちゃんは……たぶんもう、亡くなっている。四澤に……殺されてます」


「は、何を言ってるんだ、ペット探偵。柚なら、そこに……」

 信野がドアの辺りを指差しながら、伊織に振り向く。

 私は動けぬまま、ドアを凝視していた。


「……柚ちゃんは、そこにはいません。信野さん、僕たちに、柚ちゃんは見えてません。のは……信野さんだけです」


 伊織が言葉を刻んだ。

 頬の涙を拭おうともしない礼美に、不安げな信野の視線がゆっくりと止まる。

 礼美は首を横に振り、そのままその場に崩れ落ちた。

 数秒後、静かだったカフェに、すべてを理解した信野の慟哭どうこくが響き渡った。

 

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