パンパンとチョコレート

@HAKUJYA

パンパンとチョコレート 全12章

パンパンとチョコレート・・・1

僕がこんな、防空壕にすむようになったのは、

あの空襲で家を失い、

妹を、母を祖母を失ったからだ。


親戚も・・。

焼きだされ僕を引き受けるどころじゃない。


おなじ境遇の少年達にであうまで、

僕は町をうろつき、あげく、くたびれた身体を

駅舎の中にやすませていた。


「おい。おまえ」

僕を見つけた良治は

僕が孤児になってしまったことを

直ぐ、見抜いたとあとで教えてくれた。


僕は

良治に手招かれるまま、良治の後をついて歩き、

この防空壕で

暮らすようになった。


防空壕の中には

ほかにも少年が居て、

皆で助け合いながら

ここで暮らしているんだといった。


防空壕の中は

けっこう、広くて

僕らは

はじめ、その地面に

無造作に寝転がって

睡眠をとっていた。


だけど、

10月の声をきいてから、

僕らはじべたに眠るに

余りの冷たさをおぼえ、

手分けして

あちこちからりんご箱を

あつめてきて、

地面より一段高い

居間をこしらえた。


僕らは

こっそり、畑のものを盗み

それでもたりないから、

相変わらず、虫や蛙もたべた。

近くの沼から、

鯉やフナも釣った。


僕らの仲間の

恭一が死ぬまで

僕らは

そんな生活を続けていた。


パンパンとチョコレート・・・2

恭一が死んだ直接の原因は

破傷風にやられたからだ。


高い熱を出し

うわごとを繰り返し、

恭一は僕らに謝った。


「ごめんよ。ごめんよ」

恭一は自分の失敗を謝る。

畑から

芋をほりだし、

それを僕らに

持って帰ろうとしたのに、

畑の親父に見つかってしまった。


手にした芋をとりかえされるだけでなく、

恭一はこっぴどく

親父が手にした棒でぶん殴られた。


その傷から、

破傷風を拾ったんだ。

ろくなものを食べてない。

体力がなかった。


破傷風は恭一を

我が物顔で蹂躙し、

最後に

恭一の命を奪った。


僕らは

ただただ、惨めだった。


戦争に負けたから。


僕らは

同じ日本人の

財産を掠め取り、

親父は

同じ日本人の僕らを

にくんだ。


それは・・・。

僕らには

何も言い訳の出来ない罪。


僕らは

次の日。

恭一の死体を畑の真ん中に

ねころばせ、

そこいらじゅうの芋を

ほりかえし、

恭一の周りに置いた。


僕らは芋が欲しいんじゃない。


そんなこと・・・。

親父にわかるはずも無いだろうけど・・・。


僕らは

飢えていた。


飢えて、

飢えて、

どうしようもなかった。


僕の記憶の中の風景。

ハローの奴らは

ジープに乗り、

女を助手席に乗せ、

ゆっくり、ジープを走らせる。


子供達はジープを追いかけ、

チョコレートをくれ。

キャンデイをくれ。

ガムをくれ。

と、ハローを追う。


戦争に勝ったハローは

女に優位を見せ付ける。


子供達にチョコをばらまき、

女をみつめる。


待遇の優位をみせつけて、女の口に

自分の口をくっつけて、

高らかに笑ってみせる。


だけど、

だけど、

僕らはけっして、

ハローの奴らに、

ねだったことは無い。


飢えは骨身にしみて、

チョコやキャンデイの

甘さは

夢よりもいっそう

手を伸ばせる代物で。


僕らは

惨めにはいつくばってでも

それを

欲しがる飢えを満たすために

けして、

ハローにこびなかった。


そのかわり、僕らは

同じ日本人の畑から、

作物を掠め取った。


ハローの奴らから、

ほどこしをうけるもんか。

へいつくばって、

みじめになるものか。


僕らは僕らの筋を通した。


其の結果が、

恭一の死だった。


僕らは

どこまで行っても孤児だ。


僕らは惨めな孤児だ。


戦争に、・・。

戦争にまけさえしなければ・・・。


僕らは

こんな惨めな死を

まのあたりにすることはなかったはずだ。


だのに、

最後の最後まで。

恭一はあやまりつづけた。


ごめんな。あそこの親父に

めをつけられちまったな。


ごめんな。

何にも、持って帰ってこれなくて。


ごめんな。

ドジをしちゃったよ。

ごめんな。

みんな・・・なくなよ・・・。


パンパンとチョコレート・・・3

外気の冷たさより沼の水は

冬の寒さを予感する。


鯉やフナは水底に潜りだし

僕らのちゃちな

釣り針にかかる気配をなくし始めていた。


「どうする・・」

冬が来る。

僕らはこのままじゃ、

飢え死にしてしまう。


「お乞食でもするか・・・」

良治がつぶやいたけど、

誰もうなづこうとしなかった。


人通りのある場所。

例えば駅舎。

そこにうずくまっている人間に

時折食い物を与えてくれる者が居る。


だけど、

食い物を与える人間も阿呆かもしれない。


自分の哀れみに負けて

握り飯を差し出す相手は

決まって、

もう、死に掛けてそこに座っているしかない人間に渡すんだ。

目がうつろに開かれ

生死の境をさまよっている人間を見てしまった人は

見ぬふりをするのが辛いのだろう。

末期の水のつもりか。

決まって、

差し出された握り飯をつかむ事も

出来ないような人間に握り飯を差し出し、

手に取ることさえ出来ないとわかると

そっと足元に握り飯を置き、

手をあわせると、

その場を立ち去ってゆく。


その人間が立ち去るや否や、

必要の無い人間に与えられた

「生きる糧」に手を伸ばしてゆくものが居る。


だから、

僕らは誰もうなづけなかった。


「やめようよ」

昭次郎が言い出した。


「どうしようもないなら・・・。

死にかけた人間の手から

食い物を奪い取るなんてしたくないよ。

お情けを待っていたって、

皆必死なんだ・・・」


昭次郎の言葉の後ろにある思いに僕らは

うなだれる。


どうしようもないなら・・・。

食い物をうばうしかないなら。

盗みしか無いなら、

せめて、まともな盗みをしよう。

心をいてつかせるような

盗みなんかやめよう。


「そうだな」

良治は頭の中で駅舎の

人波を思い浮かべていた。


背負った荷物の中身が米だと判る男や女が

駅に降り立つ。


「ぴんしゃこ生き抜いて、食べ物を担いでいける人間も居る」

雄太も良治の頭の中の人波を見ている。

その後ろに食い物を奪い合う「乞食」が浮かぶ。


「仏様になりかけている奴の最後のお飯をくすねてなんかいなくても・・・

生きてるだけでもありがたいって程元気な奴から

ちっとばっかし、俺らがいただいても、ばちはあたらないよな?」


良治の言い出した事に

昭次郎は不安をいだいた。

「む・・むりだよ。憲兵がいるよ。

畑の親父どころじゃないよ。

つかまったら・・・。

きっと、ころされちゃうよ」


「ああ。だけど、このままだったら、飢え死にしちまうよ」


昭次郎の言葉を握りつぶす良治には

この先の

冬がどんな試練をよせてくるか、

想像がついていた。


恭一の死を弔う事よりも、

もっとむごい現実が

僕らを襲うと

良治は見抜いていた。


「だから・・・」

ごくりと飲み込んだ唾は良治の

惑いを一緒に飲み下す。

「やるしかないんだ」


そして・・・・。

僕達は悪党になった。


パンパンとチョコレート・・・4


僕らは、むごい。

いままで、僕らは

盗みをしなかったわけじゃない。


りんご箱の居間の上には二組の布団がある。

僕ら6人は・・・。

ああ。

恭一が死んで、僕らは

5人になったけど。


その5人で二組の布団の中に

もぐりこむんだ。


身体を寄せ合い、

何とか、暖を取れるだけの

二組の布団を盗んでくるときも、

畑から、作物を盗んできたときも、

これは、

本人の眼の前で

かつ、

無理やりに奪い取ったものじゃない。


こそ泥って、行為はそんなにも、

心をいためつけられるような、

悲しい声を、まなざしを見ずにすむ。


ごめんよ。

僕らもどうしようもないんだ。

でも、コレで、助かるんだよ。


僕らの罪悪感は必須という条件と、

相手を見ないことで

うめあわされていた。


だけど、今度は違う。


汽車から降り立った

人間の中から、

めぼしい「物」を持ってる人間を

みつけると、

僕らは

跡をつけてゆく。


駅舎をでて、

人通りがなくなった場所で

目標に追いつき、

時に突き倒し、

荷物を背負い込んだ

要の紐をきり、

荷物を奪い取ってゆく。


「返してくれ」

僕らの強行におびえるより

荷物を返せと哀願する。

「子供がまってるんだ」

「おふくろが・・」

色んな言葉を踏みにじって

僕らは荷物を奪い取って

その場を逃げ出してゆく。


僕らは

芯から、悪党になる

痛みを振り切るように

隠れ家まで、休むことなく

走り続ける。


一抹の罪悪感と引き換えに

口に出来た食物は

僕らの飢えを充たし


罪悪感をふさぎこむために

僕らは

目をつぶる。

文字通り、

飢えを充たされた身体は

睡魔をさそいこむ。


だけど、

こんなことをずっと続けてゆくわけには行かない。


僕らは次の手立てを模索しながら、

盗みを繰り返していた。


それは、

危険という、

小石を積み上げる賽の河原。


じきに、

憲兵という河原の鬼が

僕らを

閻魔の前に引き出しに来る。


僕らはそれが

みえていながら、


いつしか、

この甘い汁をすすることになれ、

罪悪感を蹴散らせる

立派な悪党になりきっていた・・・・。


パンパンとチョコレート・・・5

僕らも早く、何とかしようとおもっていたのに・・。


こんな浮浪児が、まともに、稼ぐ方法も

みつからないまま、

僕らは引ったくりをくりかえしていた。


「嫌な予感がする」

昭次郎がいったけど、

それは予感なんかじゃなくて、

当然の警戒態勢。


憲兵も駅舎の中に

現れた浮浪児の存在に気がつく。


当然、

其の目的も見えていただろう。

あげく、

其の強行の結果も

耳に入る。


被害が、重なれば、

いやでも、僕らの存在が

注視され、

憲兵は

悪党を摘み取る任務を

課せられる。


其の日・・・。

僕らはそれでも駅舎に向かった。


めぼしい人間を見つけると

僕らは

跡をつける。


良二がめぼしをつけた人間の跡をおう。


それを合図に僕らも動き出す。


それを待っていたかのように、

憲兵が良二を追い始める。


駅舎を出ようとした良二が憲兵に

呼び止められた。


逃げる良二を見越していたんだろう。

憲兵は良二が走り出すより先に

良二の二の腕をつかみ、警邏棒で良二を羽交い絞めにしていた。


「逃げろ!!」

良二が僕らに警告を発するより先に

僕らは

駅舎の外に走り出した。


良二がどうなってしまうのか

そんな、心配より

僕も憲兵に追われていた。


他の仲間も多分、同じ状態だろう。


今日こそ

悪党を一掃してやる。


憲兵はそう決めていたんだ。


柱の影から、飛び出してきた

二人の憲兵の手をかわしたけど、

僕が

走る後ろには

やっぱり、

憲兵が張り付いてきている。


僕は自分の身の軽さを

守りに

塀の下をくぐり

憲兵をまこうとしたけれど、


彼らは執念深く

僕を追いかけてきていた。


僕は路地を抜け、

闇雲に走り回った。


塀の下をくぐり

横丁の路地のむこうの

白い柵のむこうにまわった。


植え込みの多い小さな貸家が並ぶ一角。

アメ公相手の商売に

店を出した路地の裏に

真新しい貸家がならんでいるんだ。


ココで、憲兵をまく。


僕のもくろみがうまくいくことを祈りながら、

小さな植え込みの中に隠れこんだ。


パンパンとチョコレート・・・6

背の低い植え込みの木は、どの借家の前にも

うえこまれていて、

憲兵はそれをいちいちのぞきこまなきゃ、

僕を見つけられないだろう。


うまくいけば、

他の場所に逃げ込んだと思って

むこうにいってしまうだろう。


僕は植え込みと家の壁の隙間に

身体を埋め込んで

息をひそめていた。


憲兵の罵倒と

足音が近寄ってくる。


僕はますます、身をちじめ

憲兵の通り過ぎてゆく気配を待った。


其のときだった。


僕の隠れた植え込みの直ぐ横の

扉が開き

中からハローが出てきやがった。


そうだ。

この界隈には「オンリー」と呼ばれる

娼婦も住んでいるんだ。


パンパンとも呼ばれる娼婦だけど、

オンリーになると

待遇がいい。


ハローの奴も階級が上だから、

女を囲うだけの、財力もある。


其のハローの独占物になるんだから、

ときには、こうやって

家を一軒あてがわれるってわけだ。


ハローは

今日が休日だったのか、

何かの用事にかこつけて

女の元にやってきたのか?

どっちでもいいけど、

女への用事をすませたのは、

間違いないだろう。


玄関先にたったハローは僕に気がついたようだけど、

直ぐに後から出て来た女が

僕に一瞥をくれたのと同時に

ハローに手を伸ばして

玄関先で

別れを惜しむ抱擁をねだり、

ハローは

嬉しそうに女を抱きしめ

僕にはわからない言葉で

女に何か喋りかけると

ねちゃねちゃと

口をくっつけあっていた。


「ちっ・・・」

憲兵の舌打ちが僕の直ぐ傍で

聞こえた気がした。

「みたくもねえ」

「外道さ・・」

パンパンとハローの人目をはばからぬ

抱擁の横を通り過ぎる憲兵の雑言。

それは、

敵だったハローに

媚を売るものへの侮蔑でしかない。


「ち、厄日だぜ」

「え?いい大人が恥も知らないんだ。

ガキが人のものをかっぱらうなんか、

朝飯まえになっちまうさ」

「いい大人?

アメ公のオンリーになるような、

考え方しか出来ない女が

いい大人かよ・・」

「まったく・・

日本の恥だぜ・・」

憲兵が横目で女を盗み見ながら

悪態をついて、その場から

立ち去ってゆこうとするのは

パンパンの醜態のおかげだろう。


僕は

パンパンのお陰で

どうやら、難を逃れる事が出来そうだった。


パンパンとチョコレート・・・7

憲兵の足音はむこうにとおざかっていくようだけど、

この一角は

僕が入り込んだ柵を境界に

袋小路になっていたんだ。


憲兵の一人は柵を見渡せるこの敷地の入り口に

立って、

もう一人が敷地の中に潜んだ僕を追い立てるって

手はずだったようだ。


僕は迷い込んだ敷地の地形を知るわけもなく、

憲兵達が遠ざかってゆく気配をかいでいた。


ハローは、しゃがみながら

動き出した僕を見た。

僕は一気にそこから、柵へ戻るために

邪魔っ気なハローを見上げていた。

女が僕を見ようとするハローの顔を

両手で挟みこんで、判らない言葉を

女も喋りながら、

相変わらず、口をくっつけようとしている。


僕はハローが早く其の場所をどいてくれないものかと

そればかり、待っていた。


「何度言ったら、判るのよ。あんたにいってるのよ」


女はハローに手を回し、ハローをみつめたままだった。

今度は日本語を喋りだした女を僕はみあげた。

女は相変わらず、

ハローにねちゃねちゃとひっついていたままだった。


「憲兵はむこうに立ってる。しゃがんだまま、家の中にはいんな」


今度こそ、僕は女が僕に話しかけてるのだとわかった。

女は僕の方をみて、

何かいったら、憲兵に僕の存在を嗅ぎ取られると

わざと、ハローを見て言ったんだ。

たぶん、

さっき、ハローが僕を見ようとしたときも、そうだったんだ。

わざと、

ハローを女のほうに向かせたんだ。

そして、その格好のまま、僕に何度も話しかけていたんだ。


「まったく、あたしが日本の恥なら、

あいつらは、

おめおめ、生き残って、

何をしてるんだろうね・・・」

女は憲兵が僕を追い回してることを

毒づいていた。


じっとしている僕を

横目でみて、ハローとねちゃつきながら、

女はもう一度、同じ事をいった。

「はやく、はいんなよ。

あたしだって、なにも、こんなこと

玄関先でいつまでもやっていたくないんだよ」


女はなにか、ハローに喋りかけていたのも、

僕のことを説明していたのかもしれない。

ハローは僕をみようとせず、

大げさに

女をだきよせていた。

「キューッ・キューッ」

訳のわからない言葉は僕のことを言うのか

女の事をいうのか。

いずれにせよ、

僕は女の立ててくれた

盾の中にしゃがみながら

入り込んだんだ。


パンパンとチョコレート・・・8

僕は玄関の隅でぼんやりとつったっていた。

女がハローに別れを告げ、家の中にはいってくると、

僕にいった。


「大丈夫だよ。あいつらは、ここにはこない」


治外法権というほどに大げさなことじゃないけど、

GHQ絡みに話が進んでゆけば、

事が面倒に成る。


憲兵達が、仮に僕が此処にかくまわれたと感づいたとしても

手出しができない。

かといって僕が此処を出るまで、ずっと、外で見張っているわけにも行かない。


「しばらくしたら、かえっちまうよ」


女は小気味よさそうな笑みをうかべ、

部屋の中に入れと僕を促した。


女は先に立つと

僕を手招きして、

少し、笑った。


「やだね。あたしがこうやると、客をひいてるみたいだね」


女の言葉に僕は笑えなかった。

それは、

僕が女のいう意味合いが判らないからじゃない。

女に染み付いた

「娼婦」が哀れに思えたせいだ。

きっと、そこらのおばさんが、同じようにてまねきをしても、

「娼婦」をにおわすものひとつさえなかっただろう。

あわれなのは、

女が「娼婦」色の自分を熟知しているという事だ。


そして、女はそのせりふをはく事で、

「とって食いやしないよ」

と、「娼婦」でない自分を

僕に告知しなければならないことだ。


娼婦としてしか見られない女。

娼婦と侮辱される事に慣れてしまった女。


だけど・・・。

僕はいつも、思う。


町で見かける娼婦は

きらびやかだ。

それは、服装のことを言ってるんじゃない。

身を売らなきゃ生きてゆけないという惨憺たる現状を

欠片ひとつ、みせず、

明るく

したたかに、

しなやかに、

笑っている。

僕は彼女達をたくましいと

思っていた。


だから・・・。

女のせりふは僕には無用な言い訳でしかなかった。


でも、僕にそんなことを言わなきゃ成らないほど、

それは、たとえば、さっきの憲兵のように、

女の心の後ろ側を

汚辱にまみれさせ、

さげすまれる存在と自分を位置づけさせ、

それを許容しながら、あきらめるしかなかった。

と、いう事だろう。


たとえば、女の心を引きずり出し、

僕が鞭打てば、

女は必死に抗弁しただろう。


「どうすりゃいいというのさ?

死んでしまえというのかい?

娼婦という手段で

それでも、いきてちゃいけないのかい?」


僕は女のたった一言の下に

幾重にも積み重なる

「苦しみ」を、見た気がした。


それは、たぶん、

盗みをしながら生きてゆくしかなかった僕だったから、

感じ取ってしまった事柄かもしれない。


パンパンとチョコレート・・・9

僕が入っていった部屋は板の間の台所だった。

そこには、丸い、足の長いテーブルがあり、

椅子が二脚おかれていた。


ひとつは、ハローが座る椅子なんだろう。

「そこにすわりなよ」

女のいいなりに僕は椅子に座った。

女は水屋にちかよると、

しゃがみこんで、一番下の扉を開けた。

銀色の包み紙に包まれた

チョコレートが何枚も積み重ねられていた。


女は水屋から持ち出してきたチョコレートを僕の前にさしだした。


「おたべよ。コレをたべてる間にうどんをつくってあげるよ。

腹がへってるんだろ?」


僕は伸びてゆきそうな手をおさえて、首を振った。


「そうかあ・・・。でも、うどんならたべるだろ?」


女は僕がチョコレートをいらないと、

断ったわけを察していた。

女がハローに貰ったチョコを口にせず、

水屋の下に隠しておいた理由があるように、

僕の拒絶にも理由がある。


「はい・・」

僕が素直にうなづくと、女は鍋に汲み置きの水をいれ、

コンロに火をつけた。


背中越しに女が僕に尋ねてきた。

訊ねるというより、

話し聞かせてくるという感じに近かった。


「おかしいだろ?」


パンパンとチョコレート・・・10

女はハローに貰ったチョコレートを

食べなかったんだ。


ハローに身体を売っても、

施しをうけたくなかったんだ。


其のチョコレートをよほどどこかにすてちまいたかっただろう。

だけど、

食い物を粗末に出来ないんだ。

甘い物ほしさにチョコをねだる子供もいる。

それを見ている女は捨てる事など

いっそうできはしない。


ならば、女が子供達にチョコレートを

わたしてやればいいと、いうことになるだろう。


なのに、チョコレートは食べられもせず、

捨てられもせず、

誰かに渡されもせず

水屋の隅に積まれていた。


女がおかしいだろうというのは、

そのことだけど、

僕には女の気持がわかる。


「あたしはね。はじめは、日本人相手に商売をしてたのよ。

でもね。

無性にみじめになってしまったんだ」


女は沸いてきた湯の中にうどんを放り込みながら

話を続けた。


「なんで・・・。日本人が日本人に買われたり、

売ったりしなきゃなんないんだ?ってね。

お互いをかすのように扱ってるって、思えてね。

それでも、まだ、あたしは、日本人を相手にしていたんだけど・・・」


「ある日ね。

あたしは受け取ったお金をみて、おもっちまったんだ。

「なんで、この金があたしのところにくるんだろう」ってね。

その金で、飢えている人間の空腹を満たしてやれるだろう?

それを、あたしが横から掠め取ってる。

あいての男もそうさ。

同胞の困窮より女をへの欲のほうが大事。

あたしは、そんな日本人の相手をしている自分も

そんな日本人をみているのも

いやになっちゃったんだ」


そんな時にハローに声を掛けられたんだと、女は付け足した。


「欲にまみれるなら、惨めな売買をするなら、

よほど、ハロー相手のほうが、「らしい」だろ?」


落ちるならとことんおちたほうがいいというのと、

似たようなことかもしれない。

女の中の日本人としての誇りは、

日本人を相手にすればするほど、

いっそう、深まったということだろう。


日本男児と程遠い見たくもない姿。

を、引き出させているのは、

ほかならぬ自分である。


女は其の苦しみから逃げるために

ハローの相手を始めた。


魂から、心の底から

娼婦になりはてたけど、

せめて・・・一つの名分があった。

身体を売る。

金を貰う。


物を売ったらそれなりの代価が支払われる。

一つの職業としてわりきること。


チョコレートが欲しければ

自分が稼いだ金で買う。


女のほんねはそこだろう。


だけど、ハローは女のご機嫌を取り結ぶためにチョコをもってきたりする。


顧客のしがらみ。


女は「嬉しいわ」と、差し出されたチョコを受け取るしか無いって事だろう。


パンパンとチョコレート・・・11

女が喋りたかった事は

何故、自分がハローのオンリーになっているかという事。


そして、

僕にチョコレートを渡そうとしたいいわけ。


もし、僕が断らなかったら、

女は自分の身の上話などしなかっただろう。


僕の拒絶を見て、

女は自分にこだわりがあるくせに僕にチョコレートを渡そうとした自分を煎じ詰められてしまったんだ。


僕の「いらない」は、女が娼婦でない部分と合致する。


僕はまた、「女が娼婦でない部分」と、合致する僕を煎じ詰める。


「僕らは最初・・・。畑から、作物をぬすんでいたんだ」


女は茹で上げたうどんをざるにいれ、あいた鍋でうどんの汁を作り始めていた。


「盗みって事がろくでもない事だって事はよくわかってたよ。

でも・・・」


それしか、生きてゆく方法がなかったなんていいたいんじゃない。


「どんなに間違っていても、無理やり盗んでゆく事であっても・・・。

僕らは形として、同じ日本人の「お陰」でいきのびたかったんだ」


挙句得たものは恭一の死だった。

それでも、

「僕らは、盗人だ。あんたみたいに、金と交換できるものが

なにもなくて、ただ、うばいとることしかできないんだ」


僕の言葉に女の背中が少しうごめいた気がした。


「奪い取るしか出来なくても、僕らはそれで助かる。

僕らは助けられるのだから、

その相手は、日本人であって欲しかった。

僕らを助けるのは日本人なんだ」


ハローの奴からだって、ぬすみはできるだろう。

それでも、僕らはハローに助けられたくはなかったんだ。

『たとえ、盗むにしろ、施しをうけるにしろ、

僕らを助けるのは

同じ日本人であるべきなんだ』


「だから、僕はいらないって、いったんだ」

チョコレートだって、どんなにほしいか。

どんなにたべてみたいか。

それでも、僕がそれをうけとってしまったら、

畑から作物を盗まれた親父はどうなる?

僕らにリュックごと、荷物を奪い取られた人はどうなる?


女の背中が細かく震えていた。

泣いてるんだ。

僕にはそう見えた。


茹で上げたうどんを水で洗い鍋の汁の中に移して

あたためたら、うどんが出来上がる。

女は水屋のうどん鉢を取りにいく。


「そうだよね」

無理な事は分かってるけど、

同じ日本人が困ってるなら、

なんとかしてやろう。

そう思って欲しかったのは、女も同じだ。


「なのに、僕らは、盗みのせいで、仲間をひとり、

死なせてしまったんだ」

それは、僕の懺悔だ。

それは、僕のいいわけだ。

「だから、もう、畑のものをぬすむのはやめた」


「なのに、ぼくらは、やっぱり、盗みしかできないんだ。

駅舎で・・・」


僕の声が震えてる。

良二はどうなったんだろう。

他の仲間はうまく、にげられたんだろうか?

僕の不安がよみがえってくると

女に告げてゆく言葉が途切れていた。


みなまで、いわずとも、女は事情を察していた。

「そして、やり損なって、憲兵におわれてたってわけだね?」

「うん・・・」

僕の手の上に涙が落ちた。


落ちた涙を手の平でもみこんでしまうのを待ってたかのように

女が出来上がったうどんを僕の前においた。


「でも、もう、だいじょうぶだよ」

女は少しだけ僕を慰める。

憲兵からは逃れられただろうけど、

僕がかかえる現実はかわらないんだ。


「なにも、のせてあげるものがないけど、おたべよ」

箸をわたされ、まず、僕はうどんの汁をすすった。


「それに・・・。良二が憲兵につかまっちまったんだ・・・」

胸のつっかえをはきださないと、

僕の喉にうどんは通りそうもなかった。


「だいじょうぶだよ。あんたみたいに、きっと、うまく、にげてるよ」


女がくれた慰めの言葉は一時のまやかしにしかすぎないけど、

僕はそれを、あるかなしかの、

安心の芽の肥やしにしてやることができた。

うどんをすすりだした僕が

空腹をつんでやれたことで、

わずかだけど、僕の気持に

やっと、ゆとりが生じて来ていた・・・・。


パンパンとチョコレート・・・おしまい。

腹がくちると、僕は猛烈な眠気に襲われていた。

椅子に背を当て

僕は目をつぶりそうになる。


「いやじゃ、なかったら・・・」

女は僕に女達の戯れの後の

布団で、眠らないかと

言葉をそえた。


「うん」

畳の上。

屋根の下の布団。

空腹の無い眠り。


その条件は魅惑的だった。


女は台所の横のふすまを開けた。

そこには、夜具がしきのべられ、

乱れた布団はさっきまでの

ハローと女の狂態をにおわせた。


だけど、僕はただ、ひたすら、

眠りの中に落ち込みたかった。


女は布団の乱れを取り繕い、

僕がそこで

安息を得る手続きをしてくれた。


僕は遠慮なく・・・。

と、いうより、

寄せてくる睡魔に

抗う事も出来ず、

布団の中にもぐりこんだ。


久しぶりの安住。


それが僕の体の疲れを思い切り

とびださせて。

僕は

着ている服のまま、布団の中に飛び込んだ。


女は斜めに入り込む夕暮れの光を

さえぎる術も無いと窓のカーテンを

ひきなおした。


それでも、まだ明るい部屋の中。


女は僕を残すと

台所に戻っていった。


僕は女の布団にもぐりこんだ。


「・・・・・」


女の布団には洗いざらしの敷布が敷かれている。

何度となく

洗濯された敷布。


だけど、そこには、

度重なる売春の後が残っている。


ハローに抱かれた名残だろうか?


洗っても洗っても落ちないしみが敷布に染み付いていた。


いまさらに・・・。


女がここで、この場所で、この布団で。

命をつむいでゆく糧を得る作業をしていると教える。


しみついて、どうしても落ちないしみをつけて、

女は春をひさぐしかない。


僕も・・・・。

分かっていながら、

うまい言いぬけの気持を底にひめたまま、

罪悪というしみをつくっていきてゆくしかない。


女も僕も

どんなに「こだわり」をもってみたって、

けっきょく、

しみを作って生きてゆくだけなんだ。


売春というしみ。

盗人というしみ。


そのしみを魂にまでしみつけておきたくない僕と女は

チョコレートを食べずに置く。


でも、そのチョコレートは

捨てる事も出来ず、僕の心にしのびよってくる。


僕は・・・・

女は・・・・。


ぬぐいきれないしみを作りながら

いきてゆくしかできないんだろう。


そんな悲しみにさえ

蓋をして・・・。


僕も女も

僕らも・・・・・。


いきぬいてゆくだけ。


                     終わり。

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パンパンとチョコレート @HAKUJYA

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