042 氷竜。


 ルークはそのとき確信した。

 やはり、この世界には『運命』というものが確実に存在していることを。

 でなければ説明がつかない。なぜ、アベルがここに居るのか。理解できない、全くもって理解できない。

 そんなルークの嘆きなど露知らず、アベルは心から気遣うように覗き込む。それを見て、ルークの心はさらに憂鬱な色に染っていった。──しかし、ふと思う。


 一体いつから、不愉快な現実を仕方がない事だと受け入れてしまうようになったのだろう、と。

 次から次へと押し寄せる自身の想定を超える面倒事は、結局どうにもならない。だから妥協しなくてはならないのだと、ルークは無意識に考えるようになっていたことに気づいたのだ。


(この俺が妥協していた……だと?)


「クク……笑わせてくれる」

「──ひぃ」


 瞬間、空気が凍る。

 そして、同時に誰しもが思い出した。

 あの日の悪夢を。ルークという存在を。

 憂いに満ちたルークの心を塗りつぶしたのは怒り。目の前にいるアベルに対してだけではない。自身を煩わせる全てに対する怒りである。

 ルークの高ぶった感情と共に底冷えするような膨大な魔力が解き放たれた。

 最も近くでそれを感じたザックは小さな悲鳴を上げる。それは、生物として圧倒的格上の強大な魔物が、手を伸ばせば届く距離に居るかの如き威圧感だ。


「キィィイイイヤァァアアアアッ!!!!!」

「も、モッケル!?」


 またしてもモッケルという冒険者は発狂し、どこかへと走り去ってしまった。

 しかし、この場に居る者の大半はルークの放つ暴力的な魔力に足が竦み、動くことすら出来ないのだ。逃げ出すことができた彼は、やはり優秀な冒険者なのだろう。


「いつから、俺とお前が対等な存在になった? なァ、教えてくれよアベル」

「……え」


 今度はルークの方からアベルへと詰め寄った。


「勘違いしているようだから言ってやろう。俺にとって、お前など──」

「ちょっと、やめなさいよ!」


 まるで臆することなく、リリーはルークとアベルの間に割って入った。

 そして強気にルークを睨み返す。──いや、彼女の手足は僅かに震えている。


「お、同じ学園に通ってる同級生なんだし、遊びに来たって良いじゃない! アベルはあんたに会えるの、すっごく楽しみにしていたのよ!」


 恐怖に屈しないように、リリーはいつもより少しだけ大きく声を張り上げた。

 

「……お前は──ん、なんだ?」


 自身に真っ向から異を唱える存在。

 それに対しルークが僅かに新鮮な感情を抱いたその時、体の芯を揺らすような鐘の音が鳴った。


『緊急!! 討伐難易度S、災害指定モンスター『氷竜』の接近を確認ッ!! この街の騎士および冒険者の皆様は直ちに武装し、西門へと集まって下さいッ!!』


 続けて、僅かに震えた声の緊急アナウンスが街中に響き渡った。


 ++++++++++


 人間の魔力は『属性』を宿すことがある。ならば、魔物はどうか? 当然、魔物にも起こり得る。

 その最たる例が竜だ。『属性竜』と呼ばれるソイツらは、正しく災害。

 肉体は強固な鱗に覆われ、鋼を容易く断ち切る牙や爪を持ち、ブレスによる強力な広範囲攻撃も可能。

 生物として人間よりも遥かに優れ、高度な知能により魔法すら扱うのだから、それを災害と呼ばずしてなんと呼ぶのか。


「……ククク」


 しかし、この脈絡の無さ。

 なぜ氷竜なんて災害級の魔物が突然この街に現れるのか。俺は、その原因について心当たりがある。


「……る、ルーク君……あの、ごめんね。こんなときに言うべきじゃないかもしれないけど……僕──」


 俺の隣でオドオドとしているコイツだ。この世界の主人公であるアベルの、何かしらのイベントに巻き込まれたのだと俺は考えている。

 コイツが王都にいたならば、王都で何らかのイベントが起こっていたのではないか? だがどういうわけか、コイツはギルバディアへとやってきた。

 その結果がこれだ。全く、どうしていつもこうなるのか。本当に理解できないことばかりだ。

 しかし──


「よく来たなァ、アベル。遅れたが、歓迎するぞ──クク」

「……え? あ、ありがとう……?」


 正直コイツは目障りでしかないが、今回ばかりは俺にとっても都合がいい。

 どうしようもなく、俺は氷竜という強敵との邂逅に心躍らせている。ジャイアント・リザードの討伐には飽きていたところだ。


 続々と冒険者達が集まってくる。しかしその表情は暗く、希望を見いだせないといった様子だ。

 心配せずとも、どうせ俺が狩り殺すというのに。

 未だ氷竜の姿は見えない。ただ、確かに感じる。着実に近づいてきているぞ。

 そういえば、あの獣人の二人はどうしたのか。

 ふと気になり、辺りを見渡してみるがやはりその姿は見えない。

 アイツらには聞きたいことがあったのだが──


「──ルーク!」


 そのとき、声がした。

 振り返れば、そこに居たのは数多の騎士を引き連れた父上だった。アルフレッドも居る。


「父上、避難なされないのですか?」

「馬鹿を言え。そんなみっともない真似、この私がするはずなかろう。それよりもお前だルーク。すぐにアルフレッドと共に──」

「──まさか、私に逃げろと仰るつもりではありませんよね?」


 俺は父上の言葉を遮った。

 普段ならばそんなことは絶対にしない。しかし、こればかりはダメだ。心の奥底で燃えたぎる、氷竜と戦いたいという欲望。それはあまりに強烈で、とても抗うことなどできはしない。

 ゆえに、思考を巡らせる。

 それらしい大義名分を探す為に。そして──


「──私はギルバート家の血をひく者として、守るべき領民を残して逃げることなどできません。身命を賭し、最後まで戦います」

「…………ッ」


 模範解答はすぐに見つかった。

 だからそれを口にしたのだが……その瞬間やたらと周囲が静まり返った。

 様々な感情の視線が俺に突き刺さる。それは、アベルや父上とて例外ではない。


「……さすがは我が息子だッ!! 感服したぞッ!! お前の覚悟がそれほどとはな……ッ!! 分かった。もう、逃げろとは言わん」

「あ、ありがとうございます……」


 やたらと喜ばれた。少し引いてしまうほどに。

 本当は、氷竜と戦いたいだけなのだが……。


「しかし、死ぬことは許さん。分かったな?」

「かしこまりました、父上」


 父上の表情は普段とあまり変わらない。だが、俺には様々な感情が読み取れた。

 本当は逃げて欲しいのだろう。それでも、父上は俺の覚悟を尊重することを選んだ。

 感謝しなくてはな。


「ルーク君は……もうそれだけの覚悟を。やっぱりすごい。本当に凄いよ。 ──僕も協力させて欲しい!」

「フン、少しだけ見直したわ。しょうがないから、あたしも力になってあげるわ!」

「…………」


 アベルとリリーも妙に熱い視線を向けてくる。

 ……なんだコイツら。


「……申し訳ないです。俺は誤解していました。ルーク様が、そこまで俺たちのことを思ってくれていたなんて……」


 唐突にそんなことを言い出したのはザックだ。

 それと同時に俺は気づいた。

 先程までとは違い、この場にいる者たちの目に確かな闘志が宿っていることに。


「ルーク様!! 俺は感激しましたぜッ!!」

「おい、ザッ──」

「おう、お前らッ!! ルーク様にここまで言われて、俺たち冒険者が黙っていられるはずねぇよなぁッ!!」


 そう言って、ザックは己の剣を高らかと掲げた。


『ウォォォォオオオオオオオオオオッ!!!!』


 爆発するように上がった喊声が、大地を震わせた。


「氷竜、絶対に倒そうね! ルーク君!」

「…………」


 なぜ、コイツらはこんなにも盛り上がっているのだろう。

 俺が適当に吐いた言葉で、どうしてそこまでやる気を漲らせることができるのだろう。

 愚かな人間の思考はよく分からん。

 だが、まあいい。

 凍てつく魔力が漂い始めた。

 肌で分かるほどに周囲の温度が下がっていく。

 さァ、ご対面だ。


「グルガアアアアアアアアアアッ!!!」


 ついに、氷竜がその姿を現した。

 思わず口角が吊り上がる。

 お前がどの程度か。お手並み拝見といこう。

 俺は剣を抜き──その時、どこからともなく笛の音が聞こえた。どこか悲しげで、思わず聞き惚れてしまうほどに美しい音色だ。


「こ、この笛の音は……っ」


 すると、アベルが驚愕の声を上げた。

 明らかに何か知っている様子。──やはり、か。この状況の全てはコイツが持ち込んだ何かしらのイベントであり、俺は巻き込まれたというわけだ。

 まァ、そんなことはもうどうでもいいがな。


 さて──やろうか氷竜。

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