009 裏返る。


 アメリア……さん。

 『音魔法』……凄まじいな。見てわかるほど加減されてあの威力。しかも、その全てが不可視。

 現時点の世界最強……かもしれないな。


 ──『音の矢』


 初めて見たときは震えたよ。

 俺はあんなので攻撃されたら終わると思った。

 この世界にはこんなにもえげつない魔法があるんだって心底恐怖した。

 そして同時に湧き上がる烈火の如き怒り。

 またしても俺を上回る人間。

 本当にうんざりする。


 対策を考えなければ。

 死ぬ気で対策を考えなければ。


 幸い、アメリアさんはとても詳しく魔法の理論体系を教授してくれた。


 正直あの人は狂ってる。

 最初から狂ってるんだ。

 だって俺の指導をしてくれてるときのあの人の顔。

 息が荒く、口の端から涎が垂れ、目が完全にイッちゃっている。

 明らかに頭の大事なネジが外れている人間の顔だった。


 でも教えてくれる内容に関しては信頼できる。

 それほどにアメリアさんとの時間は有意義だった。

 まあ、指導の際『グッとやってシュリリリーンって感じ♪』みたいな擬音が多すぎるのが気になるけど理解はできる。



 そして、アメリアさんの魔法に対抗する為に作り上げたのが───『闇の加護』



 無意識下だと捻出魔力量が著しく下がるというデメリットはあるが、それでも我ながらよくできたと思う。


 ほんと、呆れるほどの『才能』だ。

 ちょっと努力すればすぐに成果が出る。

 いや、努力なんてしなくてもほとんどの人間は俺の足元にも及ばないだろう。

 あらゆる出来事が、俺は“選ばれた側”であることを証明する。

 その度に自尊心が膨れ上がる。



 なのに───俺は既に自分を上回る人間に2人も出逢うことが出来た。



 あぁ……本当に幸運だ。

 努力しなければ越えられない壁がそこにある。

 “俺”にとってこれ以上の幸運が他にあるか? 


 良かった。

 本当に良かった。

 これでまた近づける。



 見上げることすら叶わない───真の高みへ。



 俺の平穏はそこにしかないんだ。

 立ちはだかる全てを叩き潰そう。

 かなりめんどくさいけど、やるしかねぇわ。


「ルーク」


 父の呼ぶ声。

 そうだ、今俺は嘘に塗れた貴族の集まるパーティーの真っ只中だった。

 あまり考え事に耽るのは良くないな。


「どうかしましたか、父上」


「気に入った女はいるか?」


「……はい?」


 本当に何を言われたのか分からなかった。


「気に入った女はいるか、と聞いているのだ」


「…………」


 聞き間違いじゃなかったぁぁぁぁ!! 

 脈絡なさすぎるだろ!! 

 渋い顔していきなり何聞いてくるんだこの人は!! 


「……特には」


 静かにそう答えた。

 実際、男女問わず多くの人間と言葉を交わしたがそんな者は一人もいなかった。


「ふむ、そうか」


 ……本当になんなんだこの人は!! 

 我が父ながら訳が分からなすぎるわ!! 


「お前の縁談の話はいくつもあった。だが私はその全てを断った。なぜだか分かるか?」


「……いえ」


「ルーク、お前自身に選ばせる為だ」


 そうなんだ。

 許嫁的な存在がいないことは知っていた。

 だけどその理由までは分からなかった。

 力を持つ者との“繋がり”を重んじるのが貴族だと思っていたが、どうやら父上は違うようだ。


「もしも、気に入った女がいたら私に言いなさい。───必ずお前の嫁に迎えてやろう。例え、それが王族であろうとな」


「…………」


 あぁ、『ルークの親』って感じだわ。

 自分ならそれが可能であると信じ、まるで疑わない傲慢さ。

 しかもその目に一欠片の悪意も宿っていないからこそ余計にタチが悪い。


「感謝します、父上」


 とりあえずそう言っておいた。


「うむ、それだけだ。パーティーを楽しみなさい」


 ため息をつかずにはいられない。

 ただでさえどうでもいい貴族共の相手で疲れてるのに。

 突然呼び出されて何の話されるかと思えばこれだよ。

『父上、余計なお世話すぎです』って正直に言ってやりゃ良かったか? 

 いや、もっとめんどくなるだけだな。


 ……というか、分かったぞ。

 原作で『ルーク』が実家に引きこもった後、次に主人公の敵になるのはたぶん父上だ。

 主人公を逆恨みし、持てる力全てで潰そうとする。

 言うなれば『第二章 貴族の謀略編』って感じだろうか。



 まぁ、そうはならないけど。



「───希少属性を発現させたというのに、随分と浮かない顔をしているのね」


 女の声がした。

 今度は何だ、と思わず言ってしまいそうになる。

 疲れた心のまま目を向けた。

 そこに居たのはやたらと美人な女だ。


 透き通った銀色の長髪、切れ長の碧い眼、きめの細かい色白の肌。


 彼女が街を歩けば多くの者が目を奪われることになるだろう。

 しかし、美人特有の冷たさのようなものを強く感じる。


 はっきり言って好みじゃない。


 俺が好きなのは、些細な日常にも一喜一憂するような感情豊かで元気な子だ。


 目の前にいる女はまさにその対極。


 ……こんなことを考えてしまったのは間違いなく父上のせいだ。


「───アリス・ルーン・ロンズデール、だったか?」


「あら、私のことを知っていたのね。ルーク・ウィザリア・ギルバート」


 直接会うのは初めてのはずだ。

 ロンズデール伯爵家の長女。

 俺が名前を覚えているということは、それなりに有力貴族であるということだ。


「ルーク、とお呼びしても?」 


「好きにしろ」


「そう。なら私もアリスでいいわ」


 ……あぁ、なんなんだ。

 なんで絡んでくるんだ本当に。


「お前は属性魔法を使えるか?」


 何となく聞いてみた。


「随分と上から物を言うのね。でも答えてあげる。使えるわ」


「そうか」


 コイツを見て一つ思ったことがある。

 たぶん、『氷属性』だろうってこと。

 見るからに氷の女って感じだもん。

 ここが物語の世界なら尚更だ。


「『氷』か?」


「……誰に聞いたのかしら」


 本当に当たってた。

 見たまんますぎて逆にびっくりだわ。


「でも、それだけじゃないわ」


「……ほう」


「───『氷』と『毒』。それが私の属性よ」


 うわぁ。

 2属性は本当に凄いけど……悪役っぽいなぁ。

 俺の『闇属性』に負けてないわ。


「……あまり驚かないのね」


 アリスは俺の反応が不服だったようだ。

 表情はほとんど変化ないが、声にその感情が込められている。


「希少属性だからって見下しているの?」


「クク、そんなつもりはないが?」


 俺の言葉に彼女の雰囲気は更に剣呑なものとなった。


「……いいわ。明日の予定は空いてるかしら。模擬戦をしましょう」


「模擬戦だと?」


「えぇ。本来このようなことは許されないのだけれど、彼女がいれば可能じゃないかしら」


 アリスの目線の先にいたのはアメリアだった。

 普段の姿からは考えられないほど“マトモ”。

 今の彼女は正しく模範的な貴族令嬢だ。


 ……ギャップありすぎだろ。


 とはいえ、


「あぁ、やろうか」


 挑まれた勝負から逃げるなんて選択肢、俺にはない。



 ++++++++++



 アリスは容姿に優れ、魔法の才能にも恵まれた。

 そのため彼女は自身を『肯定』する者に囲まれて育った。

 だがアリスの兄『ヨランド』はそうではなかった為に、彼女の人格は歪むことになる。


 ヨランドは優しかった。

 底抜けに優しかったのだ。

 どんなに見下されようと、どんなにぞんざいな扱いを受けようと家族への愛情を失うことはない。

 そんな優しい男だった。


 当然、アリスとヨランドは比較される。

 アリスは褒められ、ヨランドは叱られる。

 そんな光景がロンズデール家では当たり前だった。


 子は親を見て育つ。

 アリスもいつの間にか兄のヨランドを見下すようになっていった。

 そしてそれは次第にエスカレートしていく。

 気づけば暴力こそないものの、アリスがヨランドに罵詈雑言を浴びせるのは珍しくないものとなっていた。


 しかしどんなに優しくとも、正常な人間にこんな生活を続けることはできないだろう。


 そう、ヨランドには秘密があった。



 それは───彼が極度の『シスコン』であり『ドM』であるということ。



 ゆえに彼はそれを苦とも思わない。

 それどころかアリスに見下され罵倒されることに性的興奮を覚えていたのだ。

 だから彼は優しい。

 どこまでも優しく振る舞えたのだ。


 ただ、ヨランドのその『優しさ』はアリスの人格を歪めてしまうこととなる。

 自身より年上の兄を罵倒し続けるうちに、彼女の心に『嗜虐心』が芽生えたのだ。

 その小さな芽は時間と共に育ち、彼女をゆっくりと『ドS』へと変えていったのである。


 それから時を経て、アリスはルークと出逢うことになる。


 ルークの全てを見下す目を見た瞬間、アリスの心は一つの強烈な欲望に支配された。

 その傲慢な目を『屈辱に染めてやりたい』という、抗うことのできない欲望だ。


 ルークは『闇属性』を発現させた存在。

 しかし、彼が魔法を学び始めて1ヶ月も経っていないことをアリスは知っていたのだ。

 彼女は既に3年以上も魔法について学んでおり、2つの属性を発現させた正しく逸材。


 負ける道理はない。


 そう、負けるはずなんてなかったのだ。


「アアァアァアァアァァアッ!!!」


 悲痛な叫びと共にアリスは魔法を乱射する。

 だが、何の意味もない。

 ただ“闇”に飲まれて消えるだけ。

 ゆっくりと歩み寄るルークを止めることはできない。


 そして、アリスの首筋に剣が突きつけられた。


「る、ルーク君! そこまで! そこまでだよー! これ以上はダメだからね! あぁ、でももうちょっとだけ……やっぱりダメ!」


 アメリアの声が響く。


「中途半端だなァ、お前は。何もかもが中途半端だ」


「ハァ……ハァ……」


 アリスは地べたに倒れ伏した。

 ほぼ全ての魔力を使い果たし、もはや立っていることすら出来なくなってしまったのだ。


 何度挑んでも結果は毎回同じ。


 ただ近づかれ、首に剣をつきつけられる。


 それで終わり。


『氷属性』の魔法を使おうと、『毒属性』の魔法を使おうともなんの意味もない。

 ただ“闇”に飲み込まれて終わり。

 何一つ理解できない。

 もはや勝負にすらなっていない。


「ハァ……ハァ……」


 アリスが負ける度に浴びせられる自尊心を踏みにじる言葉の数々。

 それはアリスがこれまで兄に浴びせてきた言葉そのものだった。


「無様だなァお前は。この程度でよく俺に挑んできたものだ」


 屈辱に染めるはずが、染められたのはアリスの方だった。

 彼女の自尊心が音を立て崩れていく。

 これまでの全てが跡形もなく消え去っていく。


 彼女の心はその負荷に耐えられなかった。



「ハァ……ハァ……もっと……」



 ───時として人の心は『裏返る』



 それは自分を守る為なのか、それとも元からそうであった本質が暴かれたのか。

 その答えは定かではないが、アリスの心は確かに裏返った。


「もっと……ハァ……罵倒しなさいよ……罵倒すればいいわ……ハァ……」


「……は?」



 すなわち───『S』から『M』へと。



 ++++++++++



 気に入った女がいたら言え。


 そう言った翌日、何やらルークが女の子と会っているではないか。


 これはつまりそういうことだろう。


 盛大に勘違いしたルークの父クロードにより、その見事な手腕も相まってアリスとの縁談が極めて円滑に進められているのだが、その事実をルークが知るのはまだ先の話だ───。

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