002 アルフレッド。


 俺の名はアルフレッド・ディーグ。

 元々は王国騎士団副団長を務めていたんだが、昔の話だ。

 とっくに引退して、今はギルバート家の執事なんてのをやっている。

 もう随分と長くやってるが……つくづく思うぜ。


 執事なんてやめときゃあ良かった、てな。


 俺は嫌いなんだ……貴族って連中が。

 向いてねぇんだよ、俺には。

 じゃあなんで執事なんてやってんだよって話だが、まあ恩義だな。


 当時、俺は戦場で大きな判断ミスをした。

 多くの仲間を俺の指示で殺してしまったんだ。

 今でも夢に見るぜ。

 死んでいった仲間たちの姿。

 あの状況なら仕方ない、お前のミスじゃないと団長は言ってくれたが、俺が自分自身を許せなかった。


 だから騎士を辞めたんだ。


 指南役をやれとも言われたが、どの顔下げてやれってんだ。

 仲間を死なせるような無能に務まるはずねぇだろ。

 だから指南役も断った。


 当然俺は路頭に迷ったんだが、ギルバート家の先代が拾ってくれた。

 物好きな人だった。

 平民出身で言葉遣いすらままならない俺に一から執事としての振る舞い方を教えてくれた。


 当時から貴族嫌いだった俺だが、あの人のおかげで価値観がほんの少し変わったんだ。


 だが、やはりあの人が変わり者だっただけだ。


 当代からは平民というだけで同じ人間ではないかのように見下すクソな貴族になりさがった。

 いや、貴族ってのはこれが普通なんだ。

 むしろ見下すだけでなんの悪事にも手を染めていないギルバート家はマシな方さ。


 まあ、この仕事は俺に向いてねぇがコツは覚えた。

 心と体を完全に切り離すことだ。

 淡々と仕事をこなす。

 それだけでいい。


 もう随分とそうやって過ごしてきた。

 今日だって変わりゃしねぇ。

 変わりゃしねぇ……はずだった。


「俺にィィィィィィィッ!!」


 突然俺の前で苦しむように叫びだしたコイツの名は、ルーク・ウィザリア・ギルバート。

 ギルバート家の長男だ。

 メイド達がよく話してるんだが、コイツはやればなんでも涼しい顔してできてしまうらしい。

 実際このガキは異常に要領がいい。


 だが、俺は好きになれねぇ。

 コイツの目が気に入らねぇんだ。

 全てを見下したその目が。


 なんだが……この日は少し違った。

 何かに必死に抗い、もがき苦しんでいるようだった。

 明らかに異常だ。

 どんなに嫌いな貴族だろうと、俺は受けた恩義は忘れねぇ。


 それ以前に、こんな一目でわかる異常事態を放置することなんてできるわけねぇだろ。

 だから俺は聞き返した。


「どうなさいましたかルーク様! はっ! やはり体調が───」


「違ァァァァう!!!」


 ……どうやら体調不良じゃないらしい。

 じゃあなんだってんだ。

 執事になる為にたいていのことは学んだが、それでも今のコイツの状態がさっぱりわからねぇ。

 というか、突然なんだってんだ。


 一度も面と向かって話されたことねぇ。

 同じ人間として認知してない。

 俺の貴族に対する嫌悪を凝縮したようなガキだった。


 だが今はどうだ。

 相変わらず目の奥では見下してやがる。

 それでもしっかりと目を見て、何かを必死に訴えようとしている。

 その一点だけは僅かに好感がもてる。

 まあ今までが悪すぎたがゆえの評価だがな。


「俺にィィ……剣をォ……教え、ろ……」


 ……コイツは今なんて言ったんだ? 

 剣を教えろだと? 

 剣を教えろって言ったのか? 

 剣術ってのは、騎士の家系でもない限り貴族は毛嫌いしている。

 それはあまりに当たり前な話だ。

 ギルバート家だって例外じゃねぇ。

 剣術を魔法が使えない蛮族の遊戯くらいにしか思ってねぇはずのコイツが、今俺に剣術を教えろって言ったのか? 


「……はい? 今なんと?」


 それはほとんど反射的に出た言葉だった。

 あまりに現実味のない言葉を脳が理解することを拒みやがったんだ。


「俺にィィィィィ……剣をォォォ……」


「いや、失礼。老体ゆえ、己の耳を疑ってしまいました」


「ハァ……ハァ……そうか」


 どうやら俺の聞き間違えじゃないらしい。

 それはそうと本当になんなんだコイツ。

 なんでいちいちそんな苦しそうに叫びだすんだ? 

 挙句の果てに肩で息してやがる。


 まぁいい。

 俺は少しだけ考える。

 おそらく、コイツは剣術をナメてる。

 一朝一夕で身につくもんじゃねぇんだよ、剣術ってのは。

 魔法のように優雅に机に座ってお勉強とはいかねぇ。

 何度も泥に塗れながら身体で学ぶもんだ。


 そんなことをコイツの両親が許すはずもねぇ。

 野蛮やらなんやら言われて、とばっちりを食うのは俺だ。

 まぁ、コイツも本気じゃねぇだろ。

 貴族の思いつき、ほんの戯れ。

 ちょっとでもめんどくさいと感じりゃあ飽きてやめるだろう。


 俺はそう結論付けた。


「かしこまりました。私で良ければ、その役目務めさせていただきます」


「…………」



 ───この時の俺は、本当にこの程度にしか思っていなかったんだ。



 ++++++++++



 翌朝、コイツは約束通り現れた。

 内心ガッカリしているのは言うまでもない。

 来なけりゃ教えずに済んだ。

 だが来たとなりゃ教えなきゃならん。


 めんどくせぇ。


 一応、昨日の段階で旦那に話を通している。

 めちゃくちゃ嫌な顔をされたが、なんだかんだ許可された。

 俺はルークに剣を渡す。

 当然レプリカだ。


「ではまず『型』を見せます。私の後に続いて同じように剣を振ってみてください」


 剣を志す者でも型を嫌う者は多い。

 その理由は至極単純、つまらないからだ。

 もし俺が本当に弟子をとって剣を教えるとなりゃあ、まずは実戦的な技術を最初に教える。

 剣に興味を持ってもらい、それから型だ。

 どの道全ての基礎が詰まったこの『型』ってやつを避けて通ることはできねぇからな。


 でもいい。

 俺の目的はさっさとこのガキに剣はつまらないものだって理解してもらうことなんだから。


「よ、よよよ、よォォォォォ……ハァ……ハァ……さっさとしろ」


 ……昨日からなんなんだコイツの情緒不安定具合は。

 ったく、さっさとしろだァ? 

 仮にも教えを乞う立場だろうが。

 俺が弟子をとるならまずその根性を……いや、考えるだけ無駄だ。


 さっさと終わらせよう。


「ではいきます」



 ───数回。



 ほんの数回、その剣裁きを見ただけでその異様さに嫌でも気付かされる。

 剣を振る、と言ってもそう単純じゃねぇ。


 足さばき、重心の移動、力の伝え方、タイミング、呼吸……それら全て会得して初めてまともに剣を振ることができるんだ。


 だから素人に剣を振らせてもデタラメな動きになっちまう。

 それをコイツは……コイツはたった1回俺の動きを見ただけでやりやがった。

 いや、まぐれかもしれない。


 ……確信に近いその直感を俺は何とか否定した。


 それからしばらく型を続けてみた。

 そして、もはやそれは否定しようがないものとなる。



 ───化け物。



 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


「……ルーク様。失礼ですが、どこかで剣のご経験が?」


 あるわけない。

 答えは既に出ている。

 俺は四六時中コイツと一緒にいるんだ。

 それでも聞いてしまったのは、この理解できない存在をどうにか理解しようとした結果だ。


「……あると思うのか?」


 心底見下した目でそう問いかえされた。

 だがもはやそんなことはどうでもいい。

 些細なことすぎる。


「……続けます」


「…………」


 それから型を続けた。

 どうやら人間ってなぁ、理解できないものを見たときに抱く感情は『恐怖』らしい。

 結局一度も勝つことができなかった“団長”にすら抱かなかった感情を、俺は剣を握って数分のガキに抱いている。


 剣を一度振る度に動きが洗練されていく。

 暴力的な成長速度。

 このガキは知る由もねぇだろうが、スタート地点がそもそも並の剣士が必死に努力してようやく到達できる地点なんだ。


 そして、一時間が経った頃。

 その一振を目の当たりする。



 あれ、今の一振───俺のより良くね? 



 俺の剣が錆び付いてるわけじゃねぇ。

 コイツの執事であると共に護衛も兼ねてる俺は、この歳になるまで剣を握らなかった日々なんざ数える程しかねぇんだ。


 ぼんやりとメイド達の会話を思い出す。

 ルーク様は凄い。

 なんでもたちどころにできてしまう。

 きっと天才なんだ。

 口々にそう話していた。


 ……いや、違ぇな。


 コイツはそんな陳腐な言葉で片付けちゃ絶対にいけねぇ。


 化け物、人外、逸脱者。


 そういった言葉が相応しい。


「ルーク様、今日はこのくらいに」


「……なんだと? もう終わりか?」


「はい、ルーク様は今日初めて剣を握られました。急いでも良いことはございません」


「そうか。そういうものか」


 俺はルーク様を部屋に届けてから、旦那様の元へと向かった。

 自然と足が速くなる。

 思わず顔に笑みが零れる。


「2、3年だ……ほんの2、3年で俺を超えるぜありゃあ……」


 今の俺は随分と気味の悪い笑みを浮かべている事だろう。

 だがなぁ、これが笑わずにいられるか? 


 曲がりなりにも俺は元王国騎士団副団長。

 この国において、剣の腕に関しちゃNo.2の地位にいた男だぜ? 

 何にもなかった俺は物心付いた頃から剣を振っていたんだ。

 その俺を、一振とはいえ剣を握って高々一時間のガキが超えるだぁ? 


「……タッハ! ヤベェじゃねぇの」


 羨望、嫉妬。

 そんな感情を抱くことすらできない圧倒的才能。

 間違いない。

 アイツは剣を振る為に生まれてきた存在だ。


「見てみてぇなァ……」


 アイツがどこまで上り詰めるのか見てみてぇ。

 俺は抗いがたい強烈な感情に支配されていた。

 いや、魅力されちまったんだ。

 悪魔の暴力的な才能に。


 俺は勢いそのままに扉をノックした。


「旦那様、少しお話が」


「入れ」


 さて、どうやって切り出そうか。

 まあいい。

 地べたに這いつくばってでも懇願するつもりだ。



 ───ルーク様に剣を教えさせて欲しいと。

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