❅6.――決めるのは君自身だよ

「紫月の姫、本日の朝食はどちらで召し上がられますか?」

ちらりと自室の出入り口を見やれば紺色の燕尾服えんびふくを着て笑みの仮面を張り付けた執事が立っている。

「嗚呼、もうそんな時間なのか…。」

時計を見やって一つ溜息を溢す。

「今日はここで頂くよ、お願いできるかな。」

「ええ、承知いたしました。」

執事は扉の前から一歩たりとも動かずその場でなにかメモを取ると

「では、半刻後こちらに。」とうやうやしく頭を下げた後、「声をお掛けするまで絶対にこちらから出ないでくださいね。」もう一度仮面の笑みを張り付けて笑う。

「毎回言われずとも出る気はない。」と不機嫌に言い放てば執事は軽くお辞儀をして戻っていった。

「まったく、なんなんだ毎回毎回。」

母が亡くなってから執事は僕を残してこの扉から出る時必ず“声をかけるまで出るな”と言う。

聞き飽きるほどに。

カチャっと時間差で扉の鍵が閉まる音がした。

内側に鍵も鍵穴もない扉。

当然僕が鍵を持ってるはずもない。

わざわざ出るなと言わずとも僕の意志でこの部屋から出すつもりなど毛頭ないのだ。

「これじゃまるで監禁か幽閉ゆうへいか。…どっちだって一緒か。」



ここは“天上てんじょう”と呼ばれるこの魔界で一番くらいの高いものが集う城。

僕はここで生まれ育った。

もういない母とこの部屋で。

執事がいて食事でさえ用意してもらえる天上てんじょうで暮らしてはいるけど、皇族ではないし貴族でもない、伯爵でもない。普通のヴァンパイア。僕も母も。

じゃあなんで“天上”での暮らしを許されているのか?

答えは、僕が“紫月しづきの姫”の血統だから。

少し特殊な血だから。


シャワーを浴びて着替えて身なりを整える。

少し長めで猫っ毛な青みがかった銀髪が毛先に向かって紫に色づいている。

とても繊細なグラデーション。その中にマゼンタの束が存在を主張している。

鏡に映る自分はいつもと変わりない。


その時、トントンと扉が控えめにノックされメイドが数人朝食を運んできた。

自分のいる鏡の横を通れば近くて済むはずなのにメイドたちはいつもの如く少し遠回りして自分と反対位置にあるテーブルへとセットしていく。

ふとみれば扉付近に布が落ちている。

行って拾い上げて渡そうと声を掛けようとしたその時、背中にどんっと衝撃が走った。

振り返ってみれば新人か、慌ててきたのだろう若いメイドが尻餅をついて転んでしまっている。

「大丈夫ですか?」

心配になって起き上がる手助けをしようと手を差し出した。

その手にヒッとメイドは引きつった声を出して真っ青な顔を更に蒼白にした。

ここにいるヴァンパイア達やメイド達と見た目になんら変わりない手。

それでもきっとこの手はそれほどまでに恐ろしいのだろう。

固まってしまったメイド。

「ごめん。」

ただ転んだ子を助けることも出来ない自分の情けない感情が行く場所もなくおろし握った手にギリギリとこもっていった。

紫月しづきの姫、こんなところで何をしておられるのですか?」

いつのまにか現れた執事が問う。

「いえ、なんでもありません。」

慌てて立ち上がったメイドは急ぎ足で逃げていった。

眉をあげて僕を見た執事と目が合った。

僕は目を逸らし握ったままの布を差し出す。

「ああ、ありがとうございます。」

執事は作られた笑みを浮かべ僕に向けた。

覗く瞳はちっとも笑ってないくせに。

冷え切った瞳がこちらを見据えて、僕を試そうとしていた。


ここではみんな僕を避ける。

みんなが求めているのは僕じゃない。

紫月の姫としての僕。

誰も自分のことなど見ていない。

その証拠に僕は名前を一度も呼ばれたことなんてないんだから。

みんなが見ているのは自分の血と能力だけ。

寂しかった。

孤独で。

だましだましやり過ごしてきた感情が僕をつぶそうとしていた。



紫月しづきの姫、そろそろお時間です。」

「わかったよ。」

朝食が終われば僕は儀式に駆り出される。

執事に連れられて長い螺旋階段らせんかいだんを降りていく。

手元のろうそくを頼りに下る足元はいつまでたっても慣れない。

壁を伝う手がひんやりとする。

下がれば下がるほど空気がひんやりとして湿気を帯びていく。

身体をまとうそれは奇妙さを増して正直不快。

天上の地下には、儀式を行う広い講堂がある。

大きなコンクリートと鉄でできた重たい片扉を引いて中に入る。

長い廊下を更に進んで辿り着くそこ。

床には様々な呪符やら神代文字、ルーン文字、あらゆる魔法陣が描かれ印が結ばれている。

その中には人間と呼ばれる架空上の生物が使用したとされている文字も記されていた。

僕は知っている。

人間は絶対に居る。

その人間という生き物が実在することはお母さんが教えてくれたし、この講堂にはその証拠にこんなにも沢山刻み込まれている。

まるで世界中のありとあらゆる文明が刻まれたここで僕は紫月の姫の使命を果たす。


中央に入れば、今日の儀式の相手がうずくまっていた。

足元は鎖で繋がれている。

「紫月の姫、こちらが本日の一人目の方です。」

執事がうずくまるそのヴァンパイアの顎をすくい上げ上を向かせる。

衝撃で動いた足枷あしかせが床とこすれてキィと鳴き、鎖はジャラと鳴いた。

明かりのもとにさらされたそのヴァンパイアの瞳は酷く混濁こんだくして一切の光が見えなかった。

一瞬で理解する。

「このヴァンパイアは…。」

「ええ、彼は既に“血の契約”にあらがってひと月。

 罪の意識に苛まれ自我を失いかけたあわれなヴァンパイア。」

「彼は自ら“血の契約”を結んだ者?」

「いえ、どうやら無理やり結ばされた様です。」

「…そう。」


ヴァンパイアは“血の契約”と呼ばれる師弟関係していかんけいを結ぶことが出来る。

それは、婚姻の時も使用される。

“血の契約” の実質は吸血行為と同じく相手の動脈を咬むことで行われる。

ただ咬み血を吸う分には特に発生しないが吸血の際に自らのDNAを相手の遺伝子配列に自分の遺伝子配列を送り込み植え付けることで従わせることが出来る。

基本、咬み遺伝子配列を送り込む側が送り込まれる側より余程弱くない限り簡単に結ばれてしまう。

だからこそ、ヴァンパイア界では望まぬ相手に無理やり襲われ咬まれ“血の契約”を結ばされてしまうという事件が昔から多発している。

しかも、その“血の契約”は自らの遺伝子内に組み込まれてしまうため一度結ばれてしまえば解除することは不可能。

1人につき複数人と結ぶことも出来ない。

一度結ばれてしまえば永遠にその相手の支配下になるという絶望的な物でもあった。

仮に“血の契約”を結んだうえで従者にあらがえば精神に異常をきたすほどの苦しみにさいなまれ続ける。

これは秘匿ひとくだが人間とは複数人“血の契約”を結ぶことが出来る。相手の人間はそのヴァンパイアの眷属けんぞくと呼ばれるらしい。


「このひとも。」

――“血の契約”を結ばされたヴァンパイア。


治療法もなく手立てはないはずだった。

いままでは。

だけど、紫月の姫の能力だけがそれを解除することが出来た。

紫月の姫の血統である僕もその能力を受け継いでいた。


「自由になりたい?」

蹲る彼に問いかける。

「うぅ」とうなりをあげてぼろぼろと大きな涙を見開かれた目からこぼしながら大きく頷いた。

僕はそのヴァンパイアの前にしゃがみこみ彼の肩に手を置く。

彼の目がじっと僕を捉えた。

僕も彼の目を見据える。

「よく聞いて、僕の能力で君を“血の契約”から自由にしてあげれるかもしれない。

ただ、僕の力は強すぎる。だから、もし君の血が僕の毒に負けてしまったら君は衰弱して死んでしまう。今よりきっと苦しいだろうね。必ず助けてあげられるとは限らない。

今ここで死ぬことも選べるよ。もしかしたら、その方が苦しまなくて済むかもしれない。

それでも僕の毒を受け入れるかい?

 今この場で死ぬか、今より苦しいかもしれないけど僕の毒に賭けてみるか…。」

僕は彼の髪をいていた手をとめ立ち上がる。

彼は逡巡しゅんじゅんしているのか固まったまま。

僕に決定権はない。

答えを出すのは彼自身。

もし、僕を頼る決意をするのなら僕は君に応えるよ。


――「決めるのは君自身だよ。」


彼が導き出した答えは、“僕の毒に賭ける”ことだった。


「わかったよ。…君を助けてあげる。」

助けてあげるだなんて僕は何様のつもりなんだ。

それでも、ヴァンパイアの前では紫月の姫として振る舞わなければいけない。

代々受け継がれてきた紫月の姫を僕が壊すわけにはいかない。

僕だけが逃げるわけにはいかない。


もう一度彼に近づき、彼を立ち上がらせるためにグッとその腕を引く。

心だけじゃなく体もボロボロなんだろう。

立ち上がらせた体は震えていて。

ギリギリ起立を保っている状態だ。


「始めるよ。」彼の耳元でゆっくり囁いて彼を怯えさせない様にゆっくりと髪をくようにしてどかし、首筋にそっと指をわせる。

指の感触で一番大きく太い動脈を探す。

簡単に致命傷にもなりうる急所を晒し、“血の契約”で結ばれた従うべき相手でもなく、さっき会ったばかりの子供とは言え男で紫月の姫に指を這わされて体が危険を察したのか首筋をなぞるたびビクビクと揺れている。


ー滑稽だ。

ー僕も。

ー彼も。


「見つけた。」

指先でトントンと軽くつついて爪先ですこし引っ掻く。

表面にあかく浮かび上がった筋に牙を立てた。


彼の血は悲しみの味がした。

一度引き抜けば綺麗な楕円形だえんけいから真っ直ぐなあかが直線を描いた。

テラテラと艶めく命の燈火ともしびの色はやっぱり綺麗だ。

自分の血を流し込むためにグッと舌を噛む。

自分の肌を突き破っていく感覚も溢れ出る血の味も何度しても慣れない。

舌から流れ出る液体を感じてもう一度首筋に口を寄せる。

開けた穴から動脈へ僕の血を流し込む。

これ以上さいなまれない様に。

そう願いながら。

彼の体がほぐれてきたころを合図に血を送り込むのをやめ彼を床に横たえる。

ヴァンパイアの吸血作用よりも紫月の姫の血には強い筋弛緩剤きんしかんざいのような作用があるらしい、血を送り込み相手の体に作用が認められればその証拠にこうして筋弛緩きんしかん作用が現れて筋肉が緩まる。


「負けるなよ。」

そう声をかけ次の“血の契約”に苛まれているヴァンパイアの所へ向かう。


冷え切った長い廊下が寒い。

紫月の姫として振る舞わなくてもいいと言われたなら今すぐに背を丸めてだんを取りたいくらいには。


紫月の姫がなぜ“血の契約”を解除出来るのか。

それは、紫月の姫の血はどの血より濃くそして猛毒を含んでいる。

そのため後天的な遺伝子配列を上塗りして相殺そうさいする力がある。

しかし、その猛毒は元のそのヴァンプ自身の遺伝子配列すら相殺そうさい払拭ふっしょくしようとしてしまう。

そうすると、自らが自らだと認識し定義する遺伝子配列が崩れていくことで自分が自分で理解出来なくなっていき自分という存在が感じられなくなっていき精神を崩し最後には自己を見失って衰弱死してしまう。


それが紫月の…僕の毒。





今日訪れた三人のヴァンパイア達の“血の契約”を切り終わった僕は自室にやっとたどり着いた。

ベットに上がって大きく息を吸い込む。

「寒い。」

「寒くてたまらない。」

「疲れた。」

「しんどい。」

どの言葉を吐いても自室ではとがめられることもない。

ここでだけは紫月の姫じゃなく紫月凛弥しづきりんやとしていられる。

だけど、最近まであったはずの優しい声は今はもうどこにもない。

「寂しい。」

この声は誰にも届かない。


喉が渇く。

エネルギーの枯渇こかつが酷い飢餓きがを引き連れて僕の体を心をつんざく。

ほんとうに助けてあげるだなんて僕は何様のつもりなんだ。

どうかしてる。

「僕だって助けて欲しい。」

「…誰でもいい。」

「…なんでもいい。」

「…助けて。」


紫月の姫の血を受け入れたものが解除できるという光の面に希望を抱いて賭けるがその血には毒性があり自分の遺伝子が負ければその毒にいずれ近いうちに命をわれるという闇の面がある。

しかもそれは心を段々とむしばまれ侵食しんしょくされていく恐怖と激しい苦痛を伴う。

命をかけてまで紫月の血を受け入れ望まぬ“血の契約”を解除して人生の自由を求めるか

人生の自由を諦めて“血の契約”のもとある程度、最低限保証された命を過ごすか。

彼らは自分で選択できる。

ーーでも僕は。

ーーーー「最初っから選択肢なんかない。」

絶対に解除できないという“血の契約”を遺伝子配列ごと相殺する。

そんな力を猛毒を秘めた血が苛むのは紫月の姫の血を受け入れるものだけか。

答えは、いな

その猛毒は、僕さえも蝕む。

僕もまた、紫月の姫の能力によって苛まれる。

光と闇、心を段々と蝕まれ侵食されていく恐怖と激しい苦痛。

紫月の姫自身も闇と光を同時に色濃く持ちながらも上手くその矛盾をコントロールしていた。

だが、どちらかに時と場合で傾いてしまうと力ごと均衡きんこうが崩れ相反そうはんする能力が上手く両者を牽制けんせいして成り立つ。

その反発ゆえに保たれていたが傾き崩れてしまえば身の内側の有り余る能力ゆえに己を蝕み尽くしてしまう。

だけど、矛盾するものをもつから常に揺らぎと戦っている。

僕の存在は…心は、まるで天秤の上だ。

ふらふらと不安定で安心がない。

少しでも傾いてしまえばこうしてとことん落ちていく。

それは、僕が僕である限り永遠に。

「終わりない時の苦痛…か。」

一層酷い発作に耐えきれずベットサイドの棚を開け中を引っ掻きまわす。

紫月の姫の能力が強すぎる僕にお母さんが与えてくれた抑制剤よくせいざい安定剤あんていざい血液錠剤けつえきじょうざいをガリガリとむさぼった。




そんなことはつゆ知らず。

“血の契約”を結ばれてしまったヴァンパイア達は紫月の姫の血を。

強いおさのヴァンパイア達は紫月の姫の能力を欲していた。

その姫の力と能力は壮大でひきいれれば勝利は確実。

だから、闇も光も彼を。

いや、彼の能力を奪おうとしていた。

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