❅3.この先の寂しくて孤独で退屈な人生の最後の手向けに
深紅に彩られた燃えるようなルビーの瞳をした少年がスマホを熱心に覗きこんでいる。
そのルビーは濁りきっていてお世辞にも綺麗とは言い難い。
映し出された画面の検索ボックスには、
―――――『確実に死ねる方法』
そして、少年の細長い指先が検索結果をタップする。
Loading画面に少年は寂し気にため息をついた。
パッと画面に文字の羅列が浮かんだ瞬間、ルビーの奥深く小さいけど明確に明かりが燈る。
そこにはある駅について書かれていた。
『
この駅は15歳までに1度訪れたことがあるものだけがたどり着けるというまるでオカルトめいた都市伝説のような駅。
目にした誰もが迷信だと口をそろえて言う場所。
だけど、なぜか少年はこの駅にたどり着ける気がした。
少年には確信があった。
「ここは…。」
画面をスクロールして隅々まで見る。
こころなしか文字を追う目が早くなる。
記憶にはない。
それでも、自分の中の感覚が憶えていると訴えかけていた。
ある日見た夢の場所にそっくりだった。いや、同じだった。
僕はたくさんのやつらに追われていて命からがらその駅にたどり着く。
たどり着いた時、駅には誰かいてその人と話した。
なぜか知らないはずのその人とは親友らしい。
そして、その人がそのうちせっついてきてなきながら何故と問われた。
俺は困った顔で謝る。
そして、いきなり目の前が歪む。
足元が急に硬度を無くしたように柔らかくなるから足の踏ん張りが効かなくなって倒れていくのをゆっくりと感じながら目の前のそいつが必死に何か言うのを眺めているところで目が覚める。
一度や二度ならきっと憶えてなどいなかったし気にしてもなかった。
だけど、それは両親を失った時から急速に見る頻度を増した。
香り、音、感覚、雰囲気、会話、感情、痛み。
それらは回数を重ねるごとに深くリアルに感じられたし何より夢から覚めても事細かに憶えているようになった。
毎度最後には飛び起きて夢から覚める。
それに心も体も痛いような気がして身体をまさぐってみても僕の身体は何も変わってない。
それが凄く不快で意味わからなくて怖い。
だから、眠るのが怖い。
それなのに日増しに起きていられる時間が短くなっている。
家族を失った、たった数日前から。
身体がボロボロで。
心が限界だった。
逃げたかった。
全てから。
「っ…。ゲホゲホっ。」
息苦しさに大きく息を吸い込めば自分の器官がゼロゼロと嫌な音をたてた。
それを解消しようと体が咳き込む。
何度か瀕死の呼吸を繰り返してみる。
傍から見れば溺れて必死に喘ぐ魚のようでさぞ滑稽だろう。
やっとのことで呼吸を整えてルビーの双眼をゆっくりと開けてみればそこは駅のホームで。
僕は。
「知ってる。」
夢で何度も見た『
だけど、そうじゃない。
それだけじゃなくて。
どこか記憶の片隅でも引っかかっているような。
そう、それこそ感覚。
「憶えている。この香り。この床の感触。」
ペタペタと地面を触って確かめる。
「…つめたい。のにあったかい。」
冷たさを感じるのに触り続けると何処かほのかに温かみを感じる。
「それに、この音。」
コポコポ…?
いや、ゴポゴポ?
スッと通り抜けた風に少し寒くなる。
濡れた服が地肌に張り付いて体温を容赦なく奪っていく。
と、とにかくこうして床に座り込んでいるわけにはいかない。
「ここからどうしたらいい?」
「何処に行けばいい?」
何もわからないまま駅だというのに人一人いない静かなホームをひたすら歩く。
進めば進むほど薄暗く冷え込んでくる。
その途中にはいたるところに水溜まりがあって上を見上げれば雨漏りでもしているのか透明な液体が定期的に滴り落ちている。
それはぴしゃともぴちゃともつかない音を奏でながら水溜まりの水面を揺らしたり床に叩きつけられて飛び散ったりしている。
「寒い。」
「心もとないけどやらないよりはまし。…だよな。」と誰に問いかけるでもなく呟き腕を擦りながら少し薄暗い道を進んだ。
一歩。
また一歩。
進んでも変わらない景色に少しずつ不安が絡みついてくる。
人の気配がないせいか、薄暗いせいか、段々と自分自身の心の声が聞こえてきた。
そう、それは
頭の中で泣き叫ぶ声がしている。
「寂しい」
―「ここドコ?」
「辛い」
―「パパ、ママ。」
「孤独は嫌だ」
―「どこにいるの?」
「待って!一緒に連れて行って!!」
―「ねぇ、へんじしてよぉ」
「助けて、一人は嫌だ!!」
いつの間にか叫んでいた。
喉が切れたのか口の中に鉄っぽい味が広がって顔をしかめた。
その時、急に近くで眩しい光が瞬いた。
「ここどこ」
見覚えのないホーム。
大きな扉を開くような音がどこからか聞こえる。
そして、電車が走ってきた。
「…もう嫌だ。」
その刹那。
何を考えたんだろう。
ただ、もう全てが嫌だった。
僕には何も残ってない。
もう終わりにしたい。
「そのためにここに来たんだから。」
あれだけ重かった足取りは軽い。
自分でもびっくりするほど早く迫りくる電車へと走っていた。
これで終われる。
救われる。
怖い。
怖い。
救われる…はずでしょ?
―――――「…嫌だ、いやだ、助けて。」
無意識に紡がれた声は電車の騒音にかき消された。
ゴッともグッともつかない鈍い音と共に身体に衝撃が走った。
「いっっったぁ。」
背中に走る痛みに思わず目を開ければ電車が遠くに見える。
そして、ゆっくり男が近づいてくる。
すらりと伸びた細長い手足、僕をゆうに超えるだろう長身。
男にしては長いストレートな紺髪、白くまろい肌に不機嫌そうに細められた夜空を閉じ込めたような双眼、スッと通った鼻筋や堀の深さ、影を落とす長いまつげ。
極めつけは整った顔立ち。
モデルですといわれても納得する美形。
そんな人が忽然と不機嫌な圧をにじませて近づいてくる。
はっきり言って怖い。
自分の体がさっきぐらい俊敏に動けるのなら今すぐ逃げ出したいくらいには。
男は僕の目の前で立ち止まりゆっくりと見下ろす。
質のよさそうなシャツが乱れてはだけ真っ白な首筋と妙に浮き出た鎖骨、腹にかけて中心が見えてしまっている。その原因、そこにあるべきボタン簿幾つかは取れかけて中にはなくなっているものもある。
ポケットに突っこんだままの手。
シャツが腕まくりされているその腕は右側だけ赤黒く内出血が広がって真っ白な皮膚がその存在を主張している。
「その腕…。」
目が合った瞬間、恐怖は何処かに吹き飛んで僕は衝動のまま声を張り上げた。
「なんで…。なんで助けたりなんかしたんだよ!」
「もう苦しいのは嫌だった。」
「楽になりたかった。」
こんな気持ち抱えてずっと生きてなんかいたくない。
目の前の男にふつふつと湧いてくる怒りをむきになってぶつけた。
男の胸ぐらをつかんでも微動だにしないことにまた苛立って。
目の前の胸板をポカポカと殴りつけた。
分かってる。
こんなのは八つ当たりだ。
まるで自分の思い通りにならないからって癇癪を起こす子供みたいだ。
吐き出しきれない感情が真っ黒い濁りきった何かが僕を搔き乱す。
涙を流しながら項垂れた。
自分の意思に反してとめどなく溢れては零れていく涙が鬱陶しい。
僕の右手は相変わらず男の胸元のシャツをきつく握りしめたままで。
ようやく静かになったからか目の前の男は一つ息を吸って。
「なんで泣いてんだよ。」
男はぶっきらぼうに言った。
素っ気無いはずのそのテノールに何故か酷く安心する。
ゆっくりと強張っていた力を抜いて男を見上げればその整った顔は不機嫌のような呆れたかのような顔をしていた。
「寂しいんならなんで求めない?」と男は問うた。
僕は答えられない。
答えない僕に男は眉根を潜めた。
「…なんでだよ。」
小さく小さく呟かれたテノール。
「…なんで。“あんた”も“あいつ”も。」
ぎりっと噛み締められた音が聞こえた気がした。
「辛くて仕方なくて死にたくなるくらいしんどいんなら感情のまま求めろよ!」
「…足掻けよ。
みっともなくてもいい、情けなくてもいい、辛いなら変えたいなら受け入れんな、諦めんな!!」
苦しそうな今にも叫びだしてしまいそうなそんな声だった。
じっとこれでもかと言うほどの眼光で睨みつけられる。
でも、じっと見つめたその細められた夜空を閉じ込めた瞳の奥に憂いのような愛しさのようなものが確かに向けられているそんな気がした。
男が一つ息を吐き出す。
見つめたまま何もしゃべらない僕に男は形のいい唇をゆったりと歪ませて笑った。
泣き笑いみたいな。
無理やり笑ってるようなつらい顔。
でも、その作られたまるで挑発的なその笑みでさえこの人には魅力的で。よく似合う。
その隙間から覗いた真っ白く鋭い牙に僕の心臓が一つ大きくはねたのがわかった。
「あんた、助けてって言っただろ。」
男は少しかがんで僕の目を覗き来む。
そうしてより一層低くしたテノールで確認するようにもう一度言った。
「いやだ、助けてってあんた言ったよな。」
僕は男から目を背けられなかった。
それ、すなわち肯定。
男はゆっくりまばたきを一つして
「だから、お前は死ねない。死なせない。」
鋭い牙を携えた端正な口ではっきりとそう言った。
もう負けだ。
どう言い訳しようか考えていた。
だけど、きっとこの男には通用しないだろう。
僕の決意は揺らがないけど、どのみち終わりにするのなら少しぐらい遠回りして付き合ってやってもいい。
この先の寂しくて孤独で退屈な人生の最後の
見ず知らずのアンタが僕のことを思うというのなら
「…わかった。どうせ、捨てようと思ってた命だ。アンタの好きにすればいい。」
そう言って男に委ねた。
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