第3話 その道、危険な香りにつき

「リービットは臆病な性格で、日陰を好む。涙は甘く芳醇だとも言われ、それがまた希少性を高めているんだ。主食はナッツが多かったはずだ」

「はい。リーちゃんは中でもアーモンドが好きです」

「リラちゃんが最後にリーちゃんを見たのは、この辺なんだね?」

「ええ……通りすがりのおばあさまに道を聞かれて、答えている間に、リーちゃんが突然走り出して……」

「そのとき何か変わったことはなかったかい?」

「別にそんな……あ、でも何かが弾けるような音が聞こえたような……パン、という感じの」


 晴れた昼下がり。石畳で整備された道を歩きながら、三人は辺りを見回した。周囲は住居が中心に並んでいる。カフェや服屋といった店は少ない。そのせいかこの時間帯は人も少ないようだ。

 もう少し歩くと森が見えてきた。鬱蒼としているが、ある程度舗装もされている。少なからず人の出入りはあるらしい。


「……リラ嬢。あの森も探したか?」

「あ、はい。リーちゃんの足でそんな遠くに行けるとは思えなくて、入り口の辺りだけですけど……」

「そのとき、香水をつけてたよな」

「そんなこともわかるんですか? 今日はつけてないので、もうとっくに香りも消えてるかと……」

「気をつけた方がいい。花や果物の香りが調合された香水の中には、蜂の警報フェロモンや攻撃フェロモンを誘発するものもあるんだ」

「!」


 ハッと息を飲んだリラは小さく頷いた。それから感心したような眼差しを向けてくる。


「本当に女神の祝福を受けたみたいですね」

「はは、女神神話だね」


 それはここ、カレノルド帝国に古くから伝わる逸話だ。

 カレノルド帝国は五感を大事にする。五感はカレノルド帝国を創った女神から贈られたもの、すなわち「ギフト」だと考えられているからだ。特に形のないものを認知する力――ニオイを嗅ぎ分ける嗅覚や音を聴き取る聴力、味を感知する味覚――は女神の寵愛ゆえに認知できるものだとされている。そのため五感の鋭い者は女神の祝福を受けたと言われるのだった。その影響もあるのだろう、カレノルド帝国は昔から香水や音楽、美味しい料理を尊ぶ。


「リラちゃん。逆に忌み子のことは知ってる?」

「えっと……五感のどれかが欠けた人のことですよね」

「そうそう。その代わり人間離れした身体能力があったり……むしろその代償として五感を奪われたなんて言われてるね。神の領域を超えることを女神が許さず、ギフトを取り上げたと」

「マシロ」


 呑気に話す彼を遮り、クロウは眉根を寄せた。

 寂れた本屋の前。香ばしさの残る、ウッディ寄りのドライな香り。これは……。


「……アーモンドのニオイだ」

「おっ? もしかしてリーちゃんはそのニオイにつられたんじゃ? その元を辿れば――」

「火薬のニオイに、……リービットの涙のニオイ……それに……」


 目を閉じ、集中する。情報の塊として飛び込んでくる様々なニオイたち。ここで起きたことの痕跡や感情。

 クロウは静かに目を開いた。気がずんと重みを増してのしかかってきた。


「……マシロ。手を引こう」

「クロウ?」

「恐らく相手は、臆病なリービットを火薬でビビらせて、好きなアーモンドで釣り、掻っ攫った。道を聞いてきた婆さんもリラ嬢の意識を逸らすための仲間かもな。つまりこれは意図的なもんだ。しかも組織的な可能性まである。オレらじゃなくて自警団辺りの仕事だよ」

「そんな……」


 リラが口を覆う。ぐっと不安のニオイが強くなった。

 クロウは苦々しく目を逸らす。


「……リービットは珍しいし高値で売れる。だから盗難に遭っても不思議じゃない」

「クロウ。それだけじゃないね?」

「何が」

「犯人の見当もついてるんだろ?」

「は?」

「ニオイでわかったんだろ」

「……お前はオレの鼻を過信しすぎだ」

「いいや、わかるよ。そういう顔だ。何年一緒にいると思ってるんだ」

「一年くらいだろうが」


 そんな何年、何十年も連れ添ったかのような言い方はやめてほしい。たかだか一年。四季がようやっと巡った程度。それで何がわかるというのか。


「そう。君が十六、僕が十七のときに僕が君を拾った。十八になって店を出して、今だ。その間ずっと一緒にいたんだ。僕には君みたいな鼻はないけどさ。わかるよ」

「……」


 大事なのは時間の長さではないのだと、マシロはそう言いたいのだろうか。

 それでも。

 クロウは二人に背を向けた。歩き出す。


「……もうすぐ雨が降る。お前らも早く帰れよ」

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