白の境に舞う金烏。
七海けい
白の境に舞う金烏。
町の謝肉祭で、それとなく良い雰囲気にもっていき、酒場のホールで
そんな浅はかな皮算用は、彼に、何の実りももたらさなかった。
そもそも彼女は、祭りに来なかったのだ。
「すっぽかされた。……のか?」
彼は、人が集まる酒場の周りと、彼女との待ち合わせ場所──町外れの水車小屋の間を、行ったり来たりしていた。腹の虫もそろそろ限界だが、乱痴気騒ぎを楽しめる気分でもなく、林檎1個で空腹を誤魔化す。
行き違いか。身体を壊したのか。それとも、あるいは。
「……」
確かめに行きたいところだが、彼に手立てはなかった。
彼は、彼女の家を知らなかったのだ。
彼女はいつも、町を囲む、崩れかかった城壁の外側からやってきた。
濡れたように輝く金色の髪。遠くまで響く玉のような声。人よりも記憶力が良く、一回通っただけの道も、すれ違っただけの人の顔も、町の子供たちが歌うデタラメな童歌の歌詞も、全て覚えてしまう才媛だった。
その昔、酒場の亭主が、彼女を余興の
彼女は、自分は
普段彼女が身に付けている
美しく人当たりの良い彼女に惹かれたのか。それとも、どこか掴み所のない彼女の生き方に憧れたのか。
2年前に出会って以来。彼は、彼女が町に来る度に、彼女と約束を取り付けては、近くの森や川辺に行って、たわいもない話をするのが楽しみになっていた。
彼の両親は息子のラブロマンスに反対だった。父親は
既に工房を退き、日頃は孫に甘々な祖父でさえ、青年の恋路に難色を示した。
『その娘の名は、なんと言うんだい?』
『アポロニア。……でも、友達もほとんど同じ名前だから、人から呼ばれてもあまりピンとこないらしい』
『「
「……深追い。か」
かれこれ、酒場と水車小屋を3回も往復した青年は、ガリガリになった林檎の芯を野良犬の前に放ると、この日4度目の水車小屋を拝みに行った。
年に一度の鬱憤晴らしに精を出す酔っぱらいたちの声はもちろん、大皿に積まれた果物や七面鳥の匂いも、
「……?」
水車小屋の前に、人影を見つけた。
しかし、その佇まいは年頃の女性のものではなかった。
「──金色の太陽に身を焦す
艶のある黒色──濡れ羽色のフード付きマントを纏った初老の男が、問うてきた。
男はポプラの木の杖を携え、首や腕には宝飾品を巻き付けている。一目で、彼女の同族だと分かった。
「
「アポロニアたちは、
初老の男は頭を垂れて、青年の前から忽然と姿を消した。
後には、黒いカラスの羽が一片、舞っているだけだった。
***
険しい山と深い森に囲まれた隔絶の地に、
地名の由来はその気候にあるらしい。事実、短い夏を除くほとんどの間、この地は純白の深雪に閉ざされる。
──その山々は、巨人たちの骨と肉。
──その木々は、神様たちの剣と刃。
──その湧水は、妖精たちの血と涙。
──その氷雪は、人間たちの儚き命。
「ここか。……」
彼は、岩肌が剥き出しの峻厳な高台から
鮮血のように赤く染め上がった木々を映し出す湖のほとりに、金色のカラスが参集していた。それらに「群れ」と呼べるほどの統率はなく、それぞれがめいめい勝手に
遥か遠くの稜線は、既に白く塗り潰されている。短い夏に続く、束の間の秋。長い冬を前にして、
「──もしかして、君も恋人を探しに来たのかい?」
同年代くらいの男の声に、彼は振り向いた。
「……あなたは?」
「愛しのアポロニア嬢に求婚を申し込むために」
金色の羽根が付いた帽子のツバを、クイっと指で持ち上げた青年は、
「これはこれは、お揃いのようで」
見計らったように、あのポプラの杖を携えた黒ずくめの老人が現れた。
「ようこそ
老人の背中に連れ立って、青年2人は高台を降りていった。金色の烏が戯れる湖のほとりに来たところで、老人は足を止めた。
湖畔には、青年たちの同じ目的なのか、人間の姿が幾らか見えた。老人もいれば、女性や少年もいた。
「あなた方の尋ね人は、元の姿に戻り、この湖畔のどこかで羽を休めております」
老人は、杖を少しだけかざして見せた。すると、たちまち2、3羽の金烏が飛んできて、そのうちの1羽が吟遊詩人の肩に舞い降りた。
「これまでにあなた方が育んできた思いの丈を以て、この中から、意中の烏を見つけ出すこと。これが、あなた方に課せられた試練となります」
「なるほどねぇ」
吟遊詩人は、肩に留まった金烏のくちばしを指で撫でた。
「見事真実の愛を示すことに成功した
老人は、一呼吸挟んだ。
「もし、異なる金烏の翼を借りてしまった場合、その
「要するに、この金烏たちの中から、僕の愛する小鳥ちゃんを見つけ出すことができれば、全てハッピーエンドというわけだね」
吟遊詩人はそう言うと、湖に向かって歩き出した。
「作用にございます。なお、刻限は日が暮れるまで。これを過ぎた場合、あなた方は
吟遊詩人は去り、老人も消え、彼だけが残された。
「……参ったな」
彼は、とりあえず湖を一周することにした。
途中、金烏が何羽か、彼の周りを飛び回る。
しかし、近寄ってきたカラスが彼女であるとは限らない。
妙に色っぽく鳴くカラス。せわしなく跳ね回るカラス。
謝肉祭の件もある。再会に際していきなり色仕掛けをはたらいてくるほど、彼女は開けっぴろげな性格をしていない。
「この手合いの子たちは、たぶん違うだろうな……」
彼は、湖の向こう側──小高い丘や岩場の方も見渡してみた。
そもそも、人間を寄せ付けないようなところにいるカラスたちは、試練とは関係のない野次馬たちなのだろうか。
彼は、試しに彼女の名前を呼んでみることにした。
「アポロニア!」
彼が声を張った途端、周りにいる金烏の半分近くが振り向いたり、動きを止めたりした。そして、一斉に翼を広げ、水しぶきや羽を散らしながら飛んでくる。
「うわっ!」
彼は、予想以上の反応に腰を抜かした。
彼女たちの名前のほとんどが「アポロニア」である以上、名前自体は何の識別にもならないことくらい、彼も分かっていた。そうではなくて、彼の声に、彼女が反応を示してくれたら、と彼は思ったのだ。
しかし、ことはそう簡単にはいかなかった。
群がる金烏に
彼が息を整えていると、上空から、情けない悲鳴のようなものが聞こえてきた。
「──いや! 違うんだ! 君の瞳が余りにも綺麗だったから、ね!?」
「うるさい! バカ! 死ね死ね死ね!」
「ふふふ。わたしの妹を泣かせた罪は重ですよ~?」
さっきまで余裕綽々だった吟遊詩人が、ダダをこねる子供のように、秋空を漂っていた。吟遊詩人の背中からは金色の翼が片側だけ生えており、その右腕は、これまた片翼の金髪女性に抱きかかえられている。
2人の後ろには、吟遊詩人に罵詈雑言を浴びせる有翼の少女がいた。
「おろしてっ! おろしてっ! おろしてくれぇえええ──────────ッ!」
「はいは~い。森に着いたら落としますからね~」
「あ~もう最悪! 一度でもコイツに心を許したのが間違いだったわ!」
どうやら、吟遊詩人は試練に失敗したようだ。辺りからは、ゲラゲラ、カーカーと金烏たちの笑い渦が巻き起こる。
「……」
彼は、手の平や背中に
すると、湖に足を浸した金烏と目が合った。
──命が惜しければ、
──口をつぐんで、
──目を閉じて、
──求めることをやめ、
──探すことを諦めて、
──全てを忘れ、
──日常に帰れ。
──さもなくば、
──土に還ることになる。
試練に破れた吟遊詩人を嘲る金烏たちの大合唱に紛れて、そんな忠言めいた言葉が聞こえてくる。
辺りを見渡せば、既に試練を諦めたのか、雑魚寝をしている人間もいた。
その目は、遠い記憶の彼方を見ているように穏やかだった。このまま日没を迎え、思い出に抱かれながら忘れたい……。そんな願望が、あちこちに横たわっていた。
「……」
愛する誰かより、愛する誰かとの思い出の方が大切で、美しい。
なるほど。一理あるな。と、彼は心の中で呟いた。
「……。アポロニア」
彼は片膝をつき、その辺の金烏に手を伸ばした。
「──カッ!」
「痛たっ!!」
その手の甲に、1羽の金烏がくちばしを突き立てた。
鋭い一撃に、彼は堪らず手を引っ込めた。
そして、微笑した。
「……僕が空や遠くばかりを見ているから、隠れるなら案外近いところにいるんじゃないかと思っていたけど、ずっと後ろにいたなんてね」
彼は、手の甲の傷を唇に当てた。
「──そういうの、本当に良くないから」
彼女の姿は、金烏から人間に変わっていた。その丸い瞳は怒りの涙をたたえ、その金色の翼は、柳のように
「なら、僕がヤケを起こす前に、誘ってくれないと」
「誘っても、意味ないんだよ」
彼女は、自分の胸の辺りを手で押さえた。
「……わたしは喘息持ちだから、長く飛ぶ体力がないの。体力がないから飛ぶ練習も足りてない。そのことは、郷の人なら、誰でも知ってること」
彼女は、自分の顔を覆い隠すように翼を広げた。
辺りは、すっかり西日の色に染まっていた。
「飛べないのに、つがいを作ってもしょうがない。見つけてもらえたところで、
彼らを見つめる金烏の群れは、砂金に紛れた琥珀のように、郷の景色に溶け込んでいた。風の音とカラスの鳴き声が、水面の輝きとカラスの目が、彼と彼女を包み込むように、あるいは押し潰すかのように、夕暮れの湖畔を
「……その翼は、周りの目を遮るためにあるのか?」
うつむく彼女の翼に、彼は指を通した。
「降りる場所はどこでも良い。君が羽を伸ばせるところなら、
彼は、彼女の羽根を手で梳いた。さらさらとした掴み所のない羽根は、今にも彼の指をすり抜けて、どこかに飛び去ってしまいそうだった。
だからこそ、彼は強く願った。
「翼を、広げて欲しい」
倒れ込むように頭を垂れる彼の背中に、彼女は手を回した。
「……どうなっても、知らないからね」
彼女は、自分の翼から引き抜いた1枚の羽根を、彼の背中に突き立てた。
「ありがとう」
彼も彼女も、それが自分の口から出た言葉だったのか、それとも、愛する人からの言葉だったのか。分からなかった。
翼を動かすには、互いの肺と心臓に大きな負荷をかけなければならない。
ドクドクと震える鼓動を胸に、二人の足は大地を離れた。
###
後日。
人里に、
彼は運悪く
詩人は、たいそう不思議がっていたという。
白の境に舞う金烏。 七海けい @kk-rabi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます