第3話 山内くんの挑戦と敗退

 姫路城下町は観光地だが、どこでもにぎわっているわけではもちろんない。

 喫茶店「鶴豆や」は、元塩町のさびれた一角にある。


「またここかよー。オレ、駅前のスタバのクッキーフラペチーノがよかったのに」


 ぶつくさいいながら、紺はソーダフロートをストローで吸い上げる。

 すまんねえ若い人向けじゃなくて、としわがれた声。老齢の店主、鶴三がカウンターから嫌味を吐いてきたのだった。山内くんはごめんなさいごめんなさいと拝み謝る。


「紺! 失礼だよ」


 少し前、鶴三が悩まされていた〈珈琲好きの精霊事件〉をふたりは解決している。その縁で、鶴豆やはふたりがゆっくり話したいとき腰をすえる場所のひとつになっていた。

 濃く苦いドリップコーヒー「鶴ブレンド」をすすり、山内くんは小声で紺に注意する。


「だいたいスターバッ○スみたいな人多い店で君と話せるわけないだろ、目撃されたら君の学校に連絡行くじゃないか。ここならお客ほとんど来ないし、鶴三さんは僕らが会ってても黙っててくれるんだからゆっくり話すにはうってつけだよ」


「……客来ないっておまえもけっこうひどいこと言ってね?

 でも、ま、用心するにこしたことはねーか。マジでウチの学校、時代錯誤っぷりが並大抵じゃねーからなー」


 わざとらしく左頬に手を当てて、紺はものうげに声を震わせた。


「たとえ学外であっても、男のかたとお話しているところを見られたら……わたし、先生シスターがたにあなたと会わないよう釘をさされてしまいます。それだけではすまないかも。お姉さまがたや同級生のみなさまに、ソロリティー清麗学生社交クラブを抜けるよう圧力をかけられてしまうかもしれません」


「やめてやめてやめてうっわああ気持ち悪い」


 鳥肌の浮いた自分の腕に爪をくい込ませ、山内くんはうめく。

 芝居っけたっぷりに演じていた紺は、むっとした表情になった。


「言ってくれるじゃねーか、おい。さすがに失敬じゃね? いっとくけどこれ、登校中はデフォでやってんだぞ」


「もともとの君のキャラと変わりすぎだろ!」


「あのなー、童男姿おぐななりだってもともとは『そういうキャラを演じてた』んだからな! たまたま生まれてこのかたやってたから、あれが地の性格になっちゃっただけで」


 童男姿。

 紺は生まれてから、小学六年生の夏になるまでずっと、男の子として育てられていた。

 男の子の服を着て、男の口調を通していたのである。


「……ま、それが今度はお嬢サマ役だもん。極端から極端に行っちまった自覚はあるけどさ。しょーがねーだろ、周りみんなこんなんだし。それっぽくしてないと瀬知子さんが嘆くんだから」


 童男姿をやめたのち、紺は山内くんのいる姫路に来た。

 いまは、亡き父親のいとこである瀬知子さんという人のところに下宿している。

 瀬知子さんは清麗女子校のOBであり、ことのほか礼儀作法には厳しいらしい。


「オレにしみついてる野郎っぽさをぜったい矯正する、って熱意燃やしてるもんあの人」


「よく我慢してるね」


 山内くんの知る紺はけっして大人に従順な子供ではない。


「そこ以外はいい人なんだよな。だからしょーがなく付き合ってる。それに」紺はにぱっと笑った。「別の自分を作り上げてみるのって楽しーぜ? これまでのオレしか知らないやつらが、さっきのおまえみたいに目を剥くの面白いし!」


 そうだねきみはそういう性格だよね、と山内くんは嘆息した。


「ところで、そろそろ本題に入るけどいいかな」


「おー。わざわざオレ呼ぶってことは、やっぱそっち怪異方面だよな?」


「……だと思う」


 山内くんはパン屋で目撃したことを話した。

 万引きの疑いをかけられた河辺鈴明という少女のこと。

 その背後に浮いていた、なにかの獣を思わせる毛玉のこと。

 毛玉がドーナツを盗んだのであり、鈴明は毛玉のことを知らないようだということ。


「河辺さんは、これまでにもこういうことがあったって言ってた。

 あの毛玉がなんなのかわからないけど、彼女はずっとあの毛玉のせいでぬれぎぬを着せられ続けていたんだと思う」


 紺は山内くんのたどたどしい話を真剣に聞いていた。ひととおりかれの話が終わると、彼女はソーダをすすりながら、


「基本がビビリのくせに、おまえときどき無茶するね。へたしたらその子とまとめて警察に突き出されてたんじゃねーの。あんまりおじさん悲しませんなよ」


「うちのパパは理解してくれるよ」


 山内くんはパパに全幅の信頼を寄せている。


「たしかに短絡的だったけどさ……そりゃ、話し合って誤解をとくのがいちばん筋が通ったやりかただよ。でもあの場合、店員を説得するのは無理だった。河辺さんを助けるのに、僕にはいい方法がとっさに思いつかなかったんだ。逃げてあとから説明に出向くしかないかなと」


「へー。お化けが盗んだんだってどうやって店員に説明すんの?」


「紺……」


 情けない顔つきになった山内くんを見て、紺はくっくっと意地悪く笑った。


「んな顔すんなよ。つまりオレをあてにしてたんだろ?」


 紺は“専門家”だ。


「いーぜ。最近刺激足りなくて退屈してたし。暇つぶしにおまえの尻ぬぐいしてやるよ。あ、ここの勘定おごれよ」


「助かるよ、ありがと!」


 ぱあっと山内くんは顔を輝かせた。

 そのタイミングで、からんからんと店の入り口のベルが鳴った。

 大学生くらいのカップルが入店してくる。この蒸し暑い夕方に、しっかりと手をつないでいた。かれらは山内くんたちの座るテーブルの横に来て腰を下ろした。


「……鶴豆やに客来るなんて、めずらしーこともあるもんだ」


 紺はそう言うと、アイスの最後のひとかけをスプーンで口に放りこみ、ずずっとソーダをすすりきった。


「あとは今日、その子に会ってみないとなんとも言えないな。怪異にもいろんな種類があるから、それを見極めないと。連絡つくんだろ?

 よし、早いほうがいい。これから行ってみようぜ」


 紺は立とうとした。


(あ、そうだ)


「紺、ちょっと待って」


 思い出して山内くんは彼女の腕をつかまえた。

 立ちかけた紺が驚きの表情になる。


「せっかく会ったんだし、その、しておきたいことが」山内くんはごにょごにょ歯切れ悪く言う。


(この機会に、今度こそきちんと訂正しておかないと)


 山内くんは、紺に誤解されていることがある。

 それは一年前の、小学六年生の夏から続く誤解だ。

 その内容は、


(言わないと。「僕はべつに、君が好きってわけじゃないんだ」と)


 いろいろあって、山内くんは紺にその勘違いを植えつけたままになっているのだ。当時の状況からいって、責任は少なからずかれにあるのだが。

 これまで何度も、折を見て訂正しようとしてきたのだが、間が悪くなかなか切り出せないでいた。

 次会ったときにちゃんと話さなきゃ、とかれは決意している。毎回。


「山内?」


 腕をつかまれた紺は、きょとんとしてかれの言葉を待っている。


「紺」


 山内くんは言いさして深呼吸する。咳払いする。汗がじわりと背ににじむのを感じた。

 まただ。のどで言葉がつっかえる。

 これは口に出せばかんたんに解ける誤解だ。それなのに、なぜだか容易に口に出せない。

 一対一で決闘を申しこむ挑戦者のような気分。


「僕は」


 意志の力をかきたてて、山内くんは一気に言ってしまおうとし――



 横のテーブルで上がった嬌声にびくりとして顔を向けた。



 そちらでは大学生カップルがいちゃついている真っ最中だった。指をからめるようにして卓上で手を握りあい、ついばむようなキスを交わしている。男のほうが積極的にスキンシップを行い、女がくすぐったげに笑っている。

 人目を考えてくれればいいのに、と山内くんは頬を染めた。


 気まずさにそそくさと視線を正面に戻す。

 ……なぜか紺はカップルと山内くんを交互に見て、じわじわ狼狽を面に浮かべはじめていた。

 少女はかれと目を合わせようとせず、桜色に上気しきった顔をそらした。消えそうな声で言う。


「だ。だめ」


「……紺?」


「そ、そういうのは、まだヤだ!」


 彼女は山内くんの手から自分の腕を抜いて逃れ、かばんを抱えて店の外に駆け去ってしまった。

 山内くんはぽかんとしていたが、もぞもぞと座りなおして頭を抱える。


(また言えなかった)


 どころか、あらたな誤解を重ねた気がする。


「あー、逃げられちゃったか彼氏くん」


 横からの声に、山内くんはもういちど隣席のカップルを見る。

 いつのまにかかれらはこっちを見てにやにやしていた。


「次のステップに進みたくても焦っちゃだめよ」女のほうがウインクして、「次はうまくやれよな、BOY」笑顔の男がぐっと親指を突き出してきた。


 山内くんは基本的には穏やかな子である。

 が、たまには殺意を抱くこともある。


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