白紙の物語
村部
白い世界
そもそものお話として、世の中で思い通りにいくことなんてほとんどないのだ。そう言い切ってしまうにはこの人生経験は足りないのだろうが私の中では確信に到っている。予想したことが、もしくは夢想したことが、事実になることは滅多にない。だから、私は夢見ることが嫌いだ。願ってしまえば実現しないから。
そうやって、ひねくれものの私の原型は、小学校を卒業する前には既に関係していた。
気を取り直して、今は秋、上半身の露出は減れど下半身の(言ってしまえばスカートの裾と靴下の間の)肌面積はそのままの季節。シャツとブレザーの間に無理やりねじ込んだパーカーのポケットに両手を突っ込む。特定の場所の血流だけが鈍くなることなんてあり得るのかはわからないけれど、指先だけがかじかむ。
やっぱり自販機でなにか買っておくべきだった。懐はけしてあたたかくはないけれど、学内特価の缶飲料程度であればさして痛まない。それでも購入を見送ったのは、一階に降りる面倒くささに負けたのが八割、遅刻を危惧したのが一割、寄り道をためらったのが一割。まだ白くはならないため息をつき、磨りガラスのはまったドアを小突く。
「失礼します、二年三組の高橋です」
応えは待たずにドアを開ける。少々の引っ掛かりを幹事ながらもドアは開いてしまう。鍵がかかっていればいいのに。
「先生、面談お願いします」
明日のことなど、思い浮かべたくもないのに。それでも将来は、私を待ってはくれないのだ。
そもそも、なぜ夕暮れも夕闇になりそうな時間に数学科研究室に呼び出されてしまったかというと、先日の模試のせいだろう。十一月実施の指定模試。記述模試なので白さもそれなりに目立つが、怒られない程度には何事か書きなぐった。問題は、答案用紙ではなく受験カード。三校まで記入できる志望校を白紙で出した。多分というか、確実にそれ。
「先生、お説教されてから記入ですか?それとも書くだけで許してもらえます?」
「お説教はしないけど、離しは聞くかな」
普段は五人くらいで共有している研究室も、今は担任の先生と私の二人だけ。放課後の密室に二人きり。切り取り方によっては事案だ。
「たしか夏は地元の教育学部が第一志望だったでしょ?」
「はあ」
「判定は良くなかったけど、まぁ絶望的ではない。まだ半年くらいあるわけだし」
「そこは一年じゃないんですか」
「三年の今ごろは夢なんてみる時期は終わってるよ」
「現実を見なきゃいけないと」
「そりゃそうよ」
できることなら、今から現実だけを見ていたい。だって、
「夢なんて見て、なんか役に立つんですかね」
あ、と。ちょっとまずったかもしれない。優等生を自負も演じも目指しもしていないけれど、積極的に反抗したいわけではない。素直な生徒であるために、素直な気持ちは黙っているのが吉だというのに。
「現実を見せつつ夢を見させるのが仕事だからなあ。そもそも、世の中に役に立つことなんてどれくらいあるんだろうね?」
「さあ」
「ていうか、役に立つの定義って?」
「辞書引いたらいいんじゃないですかね」
「国研まで行くの面倒だな……」
一体、何を話しているんだか。とりとめのない話は迷子になっているとしか思えない。辿り着くべきゴールは果たして存在するのか。
「高橋さんはさ、たまに変になるよね」
「唐突なディスり」
「将来の夢とか目標を書くのがとても下手。少しくらい適当に書けばいいのに」
「この前の小論文の授業、真剣に書けって言ってませんでした?」
「だって余りにも全体的にお粗末な小論文書いてくるから……」
少しだけ、先生のことを見直したかもしれない。気付かれているとは思わなかった。確かに未来のことを考えるのは苦手だ。だって、考えてしまえば実現は遠ざかる。願掛けのマイナス方向とでもいえばいいのだろうか。天の邪鬼といってしまえば、それまでのこと。
ただ、それをどう伝えればいいのだろう。そのままの言葉しか私にはわからない。当たり障りのない、毒にも薬にもならない表現は見つからない。どうにかもう少しだけでいいから、共有するに向いた言い回しがほしい。こね繰り回す言葉を持たない私は、解放されるために自分でも理解しがたい本音を話すしかないのだ。
「先生は予知夢とか見たことありますか?」
「ないよ。そもそも夢を覚えてることのほうが少ない」
「たまにですね、すごく現実的な夢を見るんですよ。学校で授業受けてたり、帰りにジャンプ立ち読みしてたり」
唐突な話題にもとりあえず乗ってくれるだけ先生は優しい。暇なだけかもしれないけれど。
「昔ね、休み時間に友達と話してる夢を見まして。古本屋で見つけた漫画、友達の好きな作者さんのだったんですよ。で、読んだことある?って聞いたらないっていうんですね。次の日、その漫画の話を実際に、現実でしたんです」
「夢の通りになった?」
「逆です。当然のようにその漫画持ってました。だからなにってわけじゃないんですけど」
そう、ただの思い出話にすぎない。特別な意味を持たせるようなエピソードでもない。ただ、記憶に有る限り、それがきっかけなのだ。
「こう、想像したこととかって、実現しない気がするんですよね」
要はびびってるだけだ。希望をもって夢を描いたら泡と消えてしまうんじゃないかと心配しているだけだ。杞憂にもほどがある。
「なるほどね」
馬鹿にされるかとも思ったけれど、先生はそういっただけだった。
「高橋さんの言い分はなんとなくわかった。でも、先生は生徒に夢と希望をもってもらわないと困る仕事です。だから、練習しよう」
「はあ」
「とりあえず、明日の俺のネクタイ何色だと思う?」
「はあ?」
相槌のニュアンスが変わった。つまり、どういうこと?
「予想が外れるのが経験則なら、予想が当たる経験積めば打ち消せるでしょ」
「先生本当に理系ですか?」
「教育学部はわりと文系。ほら、ネクタイくらいどうとでもできるしさ」
たしかに、体を張るとまではいかないけれど。でも、たった一人を贔屓するような真似、許されないのでは。
「いいことを教えてあげよう。観測されなきゃ事実だと言い切れないんだよ。お誂え向きに、ここには二人きりだし」
テストの採点で必要以上に細かいといわれる先生の発言とは思えない。
「教師がそんなこと言っていいんですか?」
「高橋さんは黙っててくれるでしょ」
多分、疑問符はついていない。
いい加減な人だと呆れてしまう。
「そうですね、ピンクとかどうですかね?」
「リクスーと一緒に買ったやつあるな。じゃあ明日確かめてごらん」
結果の見え透いた運試しに意味はあるのか。このお遊びは一回限りなのか続くのか。わからないけれど、一つだけ。
珍しく、明日が少しだけ楽しみになった。
白紙の物語 村部 @murabe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます