ジッポー

八壁ゆかり

ジッポー

 俺の誕生日、四月一日に、あいつは成田空港まで呼び出したかと思ったら、やるよ、といって小さな箱を寄越してきた。俺がぽかんとしていると、じゃあ俺、世界一周してくっから、と言ってあっさりとゲートの中に入っていった。最後の表情すら覚えていないが、あいつの嫌みったらしい口角がきゅっと釣りが上がったあの笑みを浮かべていたことは想像に難くない。


 それが、大学を三月に卒業した翌月の一日の話だ。あれ以来あいつには会っていない。連絡の取りようもない。本当に世界一周したのだろうか。どこかで野垂れ死んでいないだろうか。

——などと心配はすれど、心のどこかであいつならのらりくらりと歩いているような気がしていた。


 あの日あいつが突きつけてきた小箱に入っていたのはジッポーだった。つや消しされたシルバーのもので、細かい模様が控えめに施された、俺の好みドンピシャの逸品だった。

 しかしあれは嫌がらせだろう。俺は大学三年から禁煙に挑戦していたのだ。それを一番よく知っていたのは、一番近くにいたあいつなのだから。結局俺は、紙巻きタバコとVAPEを吸うようになった。



 数年が経過した。

 俺は無味無臭のつまらない社会の歯車として働いていた。喫煙所に行ってあいつがくれたジッポーを取り出すと、年上の喫煙者から何度もかっこいいと褒められた。その度に俺の心臓の真ん中がきゅっと縮む。


——会いてぇな。


 会社で激務が続く度に、そう思うようになっていった。あいつは社会という枠から飛び出して自分の道を進むことを選んだ。

 それに比べて俺はなんだ?



 そんなある日、実家の母から電話がかかってきた。


『あんた宛に、手紙が届いてるのよ。差出人、書いてないんだけど』


 俺はその日定時で上がり、電車を乗り継いで久々に地元に戻った。両親に挨拶して、落ち着いてから問題の手紙を手に取った瞬間、あいつの筆跡だと看破できた自分が何だか恥ずかしかった。丁寧に開封すると、入っているのは一名のメモ用紙だけだった。


『九月八日 午後十時 成田空港第二ターミナル』


 今日だ。時間は——間に合う!


「ごめん、帰る」


 母は心配そうな顔をしていたが、俺は下腹部に発電所ができたかのようにエネルギーに満ちていた。



 電車をさらに乗り継ぎ、俺が成田空港の到着のゲートまで走って到着すると、


「おせーよ、バーカ」


 相変わらず人を食ったかのようなタチの悪い笑みを浮かべて、あいつがそこにいた。随分日に焼けて、最後に会った時より少々痩せていた。


「とりあえず喫煙所行こうぜ。おまえ、アレまだ持ってる?」


 俺は無言でポケットからシルバーのジッポーを取り出してあいつに突きつけた。


「おまえいい奴だな」

「おまえとは違うからな」


 ずっと俺の頭を包んでいた黒いもやもやに、真っ白な光が射し込んだような、そんな気が、した。

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