第28話 出る杭 (鈴芽視点)
体育の授業が終わった後の女子更衣室、お喋りしていたせいで教室へ戻るのが遅れていたあーし達は次の授業を遅刻する気でいた。
次の授業が移動教室であることもあり、遅れても体調不良などと言い訳ができなくもない。
「というかさ、掲示板で言われ過ぎじゃね? 鈴芽」
「ああ、あれ……別に気にしてないから」
匿名の姫君と名乗る女がAクラスの糸園聖音であることは知っている。
あの香月詩衣の従姉妹だけど、性格は真逆でとても悪い。
「淡白な反応……一軍なんだからもう少し気にしたら?」
「そうそう。このままじゃMクラスの女子全員が舐められちゃうじゃん」
「むしろ気にしたら負けでしょ、あんなの」
「そんな甘えた考えで本当に香月降ろせんの? あの女が気に食わないから、あたいら鈴芽に付いてんだけど」
友情でつるんでいる訳ではないと暗に示される。
急かしているのね。
お前が動かないなら、自分たちで勝手に動くと言われているのだ。
「……っ、降ろすに決まっているでしょ! あの子に一番煮え湯を飲まされているあーしに本気で言っている訳!?」
ホームルームが始まる前、真琴が香月を気にかけていた事を思い出し、募っていた激情を放出させた。
ある意味、余裕の無さに見えるかもしれないと思ったあーしは、荷物を持つとそのまま二人に背を向けだす。
「あーし、先に教室戻ってるから」
「あいよ。戻る前に一度頭冷やしとけな?」
「うるさっ」
バタンと大きな音が立ち女子更衣室の扉が閉じた。
そのまま……一気に力が抜けたようにその場にしゃがみ込む。
もう授業は始まっているだろうし、一人だけ戻るのは悪目立ちするような気がしていた。
こんなはずじゃなかった。
あーしだって、出来ればみんながいがみ合う事のないクラスにしたかった。
けど、そんな力はなかった。
香月よりも優れているって証明して、認められたかっただけなのに、結局この有り様。
掲示板の件は正直どうでもいい……四大美少女とか本気で興味がないから。
ただ要らぬ誤解が生まれて、彼女達二軍女子が黙っていないのもわかる。
元々、こいつらの目的があーしか香月のどちらかを一軍という立場から降ろすことなのだから。
上手く口車に乗せてあーしの側に付けたけど、手綱を握れる自信なんて最初から持っていない。
だからあれこれ命令したりなんてしないし、ただ大人しくしてくれれば、それでいいと思っていた。
「つーかさ、マジでどうするよ。このままじゃ、一軍なんて夢のまた夢になりそうだ」
「鈴芽の船……もう泥船だもんね。掲示板で『氏ね』とか言っちゃっているの見て、うわぁって引いちゃった」
背中を預けた扉の向こうから、残った二人の会話が聞こえる。
あーしがいなくなってすぐに陰口とか、脇が甘いと言いたいけど……自分のことながら胸が痛い。
「まあ鈴芽のやつにしちゃ、感情的だった気がするな」
「意外って言いたいんじゃなくて、もう匿名の淑女レートまで下がったかって意味ね」
「そっちかよ。けど、実際どうなのかねぇ」
「何が?」
「さっき、余裕なさそうだったから煽ってみた割に、反応が薄かったじゃんよ。なんか妙なんだよなぁ」
聞きたくないのに、無意識に戒めのつもりなのかその場を離れることができなかった。
苦しみに悶えることもなく、ただ小さく溜息が零れる。
「……はぁ」
やっぱりあーしじゃ、無理だったのかな。
あの頃……地味だった中学時代と何も変わっていない。
弱気で何も出来なくて……周りの同調圧力に従って、都合よく操られて晒し物にされて……あの頃から、どう成長したというんだろう。
ふと罰ゲームで告白させられた時のことを思い出す。
『そっか、告白……嘘だったんだ。そりゃ残念』
『怒らない……んですか?』
『なんで? ああ、残念って言ったのは、妹に自慢できなくてって意味合いが強いかな』
『そうじゃ……なくて、私なんかが、プライドを傷つけちゃった……んじゃないかって』
『ははっ、プライド……か。あってないようなものだし気にしてないよ』
一瞬陰りを見せた後、浅丘真琴は真っすぐな目で言った。
『それに、可愛い女子から告白されたら、嘘でも嬉しいに決まっているさ』
『かっ、かわ……』
髪も染めず三つ編みに眼鏡をかけて地味だったから、あーしのことだって覚えていないと思うけど、それでも許すどころか慰めてくれた真琴が、唯一の光になって勇気を分けてくれた。
あの後、裏であーしを引っかけた女子達に言い返してくれたことも全部ちゃんと知っている。
それからあーしは、真琴に釣りあう女子になるって決めたのに……こんなんじゃ真琴の役に立たないよ……。
折角、真琴の靴に仕掛けたGPSで運命的な出会いを演出しようといつも機会を伺っているのに、最後の一歩が踏み出せない。前に盗撮した時も反射で逃げてしまった。
悔しいよ……素直に悔しい。
言い訳のしようがない……自分の弱さが憎い。
気付けば一番恋敵にしたくない香月が真琴に近づいてきていて、どうすればいいのかわからなくなった。
そして女子更衣室の中で、未だに授業をサボってのお喋りが続いているのが、聞き耳を立てずとも聞こえる。
「香月の弱みでもありゃいいんだけどねぇ」
「ないない。あの桜の淑女さんにだよ? ある訳ないし、でっち上げようにもリスクりすぎ。相手は権力者なんだよ!」
「わかんないよ? あれだけ恵まれた人間が慎ましく生きて行けるなんて性善説、あたいは信じたくないんだ」
「……妬みじゃん」
禄でもない話なのはわかっていたが、本当にあーしを無視して勝手に動こうとしているらしい。
後で責任だけあーしに転嫁されないとも限らないので、注意深く聴き取る事にした。
「兎に角、弱点探すって決定な。ったく、だからお前彼氏できないんだわ」
「それ今関係ある? 意味不明なんですけどー」
「告白したくても怖くて出来ないお前の姿が容易に想像できるっつてんだよ」
「ひっどぉ。こっちはちゃんと利益と危険を計算しているってんのにぃ」
「お前、ほんと捕らぬ狸の皮算用好きだな。まっ、危険はわかってる。嫌なら代替案を出せってあたいは言ってんの」
「う~ん、じゃあ香月じゃなくて――」
急いで静かに立ち上がり、更衣室から離れた。
彼女達は香月の弱みを探そうとしている。
そして、あーしには香月の弱みに心当たりがあってしまった。
真琴が同じ趣味を持っていると話していた通りなら、コスプレとかに興味があるのかもしれない。
まさかコスプレ衣装を学校に持ってきたりなんてしていないと思うけど、準ずるものが見つかってしまったらどうする?
そうすれば、香月の立場は悪くなるかもしれない……あーしに利のある結果が待っている。
だから、正直望む展開だ……けど、何かモヤモヤする。
卑劣な方法でのし上がって、本当にあーしは誇れるのか。
そういう疑問が浮かんでくる。
『正直ね、Mクラスではしーちゃんと並んで一軍って言われているのが理解できないの』
掲示板で罵られた言葉……その通りだと思ってしまった。
かりそめの地位はハリボテで、今でさえ不安定なのに……正直、身の丈に合わない気がしている。
怖気づいてしまったのかな、あーし。
いや……絶対に違う!
後悔することになっても、ここで歩みを止める方が怖い。
これは、あーしのプライドの問題なんだっ!
教室へ急ぐ。
移動教室で静けさが支配する室内、香月の机と鞄を漁ると怪しい物はすぐに見つかった。
「冗談じゃないっての」
綺麗にたたんで仕舞われていた地雷系と呼ばれるような衣装を取り出し、苦笑いを零す。
急いで自分の鞄へと忍ばせた。
やっていることが窃盗である自覚はあるけど、他人にGPSを仕掛けている時点で今更だと思った……この辺、麻痺している自覚は持っている。
だから、これは香月詩衣を助ける為の行為では決してありえない……むしろ、嫌いな相手だからこそ躊躇なく行動できたことなのかもしれない。
もちろん、あくまで緊急避難。
二軍女子達が弱みを探る瞬間を確認した後に返すつもりだ。
一息吐いて、遅れて移動先の教室へと向かう。
少し、足が軽やかになった気がした。
この時はまだ……楽観的に解決したと思っていたことが、どんな災厄を招くことになるのか想像もついていなかった。
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