第27話 ムキになって
学校は憂鬱だ。
つい数日前までは変わらない場所で落ち着くなどと考えた気がするが、もうそれも過去の話だ。
詩衣といる時間がそれなりに楽しくなって、充実しているからなのだろう。
結局、催眠が出鱈目だった件については、あまり考えないようにしている。
なんだか照れ臭い……という純情も本心だが、それ以上に渦巻く感情が潜む。
どこか心の中で、自分と詩衣では釣り合わない……と自己卑下してしまいたくなるからだ。
彼女を追い詰めて自分の言いなりにする方が一緒にいられることに納得感が持てる。
普通の恋愛なんて出来る訳がないと考えていなかったから、ストーカーをしていたんだ。
自信が持てない……自覚はあるのに矯正できないのも無理はない。
自信を失った要因でもある妹が、遠くに行ってしまった為に、どうしようもなく寄生してくる劣等感のコンプレックス。
皆から恐れられるまで至った原因さえ、元を辿ればこの弱点を刺激されて起こした事件のせいだった。
しかし、現実ではなぜか普通の恋愛らしい展開が訪れている……訪れてしまった。
正直なところ……困ってしまっているのだ。
嬉しいことだけども、これまで妄想してきた計画と暗く燃やしていた欲望が纏めて灰燼に帰したのだから、当然と言えば当然だろう。
「おはようございます。真琴くん」
「ああ、おはよう……ん?」
「どうしましたか?」
「いや、何でもない」
ホームルームが始める前、いつものように詩衣が挨拶してくれたので、小慣れたように言い返す。
しかし、ふと何か違和感を覚えた。
本当に俺の事が好きだという彼女の言葉に照れ臭くなって緊張してしまったのだろうか。
そんな楽観的な思考から現実に意識を寄せた時、教室がシーンと静まり返った事に気付いた。
クラスメイト達の啞然とする表情と視線は、何故か俺の席へと注がれていた。
早くこのモヤモヤを消したいのに、詩衣は席に戻らずじっと俺の顔を覗く。
「あっ、あれ? 席、戻らないのか?」
「当然じゃないですか。これでも真琴くんとは友達ですもん。ねっ?」
ねっ? ……じゃないだろ!
頷きながらも戸惑いを隠しきれそうになかった。
詩衣の言葉と共にドッと騒がしくなった教室は静けさを忘れ、同時に謎が解けた。
違和感の正体は学校で俺を名前で呼んでいることだった。家では当たり前のように呼ばれていたせいで気付くのが遅れてしまったみたいだ。
「まあ……そうかもな」
「……ねえ、どういうことなの? 真琴」
振り返ると鈴芽が怪訝な表情を浮かべ、恐る恐る訊いてきた。
疑いの目を向けるのも当然だ。
つい数日前、詩衣と俺が話す場に鈴芽が偶然出くわしたこともあるが、咄嗟のことだった為にある程度の距離感があったのだから。
「一昨日、偶然会ったんだよ。それで少しお話したっていうか……そんな感じ」
そして、あの時に俺から提案したことでもある。
まさか教室の中盛大に公言するなんて、もっと何段階かのプロセスを踏むと思っていた。
「そんなこと、言ってなかったじゃない……」
「えっ?」
「一昨日の夜、日中に何していたのか訊いたでしょ。なんで教えてくれなかったの?」
彼女の立場からすれば当然の指摘だ。
あくまでコスプレを俺自身の趣味と嘘を吐いて詳細な会話を避けたから。
「だって鈴芽、女の匂いがどうとか変な勘繰り入れてきただろ」
「それがどうしたって言うわけ?」
「……偶々詩衣が同じ趣味を持っていて、偶然出会った。そう言って信じたのか?」
作り話だ。
鈴芽が俺を目撃したのは、詩衣がいない時だけだったみたいだし、通じるだろうと考えた。
サラッと詩衣の趣味をバラしたのは、下手な嘘を吐くよりも納得してもらえると思ったからだ。
「信じるでしょ! 逆になんであーしが信じないと思ったの? それってさ、あーしのこと信頼していないからじゃないの?」
「えっ?」
信頼……? しているに決まっている。
鈴芽の口は堅いし、大丈夫だろうって信頼していたからこそ、詩衣の趣味さえもバラしたというのに、そりゃないだろ。
今すぐに納得してほしかっただけの言葉に信じるも信じないもない……適当に言っただけだ。
けど、許嫁の事情は説明できないし、こういう言い方をするしかなかった。
本当は言いたいけど、言えない。やるせなさが洪水のように湧き出てくる。
気を緩めたら、つい本音が漏れてしまいそうだ。
「というか、真琴の方も香月のこと下の名前で呼ぶんだね」
「……それは、別にいいだろ」
何故、そんな怒った表情をするのか理解できない。
そりゃ鈴芽が詩衣を目の敵にしているのは知っているけど、今まで彼女の交友関係にまで咎めるような事なかったじゃないか。
「あっ……うん。そうね、あーしがとやかく言うことじゃない……か。ははっ、確かにそうかもね」
「あのっ、霜鳥さん!」
「……なんなん?」
「きっと真琴くんは、私のことを気遣って言わなかっただけなんだと思います。だから――」
「素直に言ったら? 真琴は霜鳥さんじゃなくて私の方を気遣ってくれたんだって――」
我慢の限界かというように、敵意の目を詩衣に向けだす。
しかし声色は穏やかで、不気味だった。
「そういうマウントには懲り懲りしているの」
「……ごめんなさい」
次に聴こえたのは思いがけない謝罪だった。
「は?」
「マウントとったことを謝っているんです。ごめんなさい」
「…………あっそ、言えるじゃないの」
鈴芽は何かを察したように落ち着きを取り戻し、悔いた顔を見せる。
一方詩衣は本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
何かがおかしい。
詩衣の謝罪に一切の嘘を感じられなかった。
まさか本当にマウントを取っていたのか?
空気は読めるはずだろうけど、あっておかしくない話だと思ってしまった。
俺の詩衣に対する印象も変わったものだ……数週間前の俺が聞いたら絶対にその場しのぎの冗談だとしか思えず、鈴芽にヘイトを向けていたに違いない。
「あーしの方こそ、ごめんなさい」
これ以上言い合って口論に発展すれば、鈴芽に不利な状況は一目瞭然だ。
だから鈴芽も謝るアピールをしてから自分の席へ戻ることにしたらしい。
「そうやって可愛い顔して情に訴えようってわけ……ずるい女」
すれ違った際、俺にだけ小声の捨て台詞が聴こえた。
やっぱりこっちが本心だよな……絶対に勘違いしている。
やっかみを吹っ掛けて、謝られるなんて思ってもいなかっただろうから無理もないが、早く誤解を解いてやらないといけなそうだ。
放課後家に帰ってから、出来るだけ早く電話しよう。
「真琴くん、真琴くん」
「ん? 何か話があったのか」
残った詩衣が、内緒話をするみたいに小さな声で語りかけてくる。
元々、挨拶した後にも自分の席へ戻らなかった訳だし、何か話があったのはわかっていたが、なんだろう。
鈴芽との衝突をもう忘れたように澄ました顔に加えて、期待の眼差しを向けられてしまい、切り替えの早さを感じた。
「はい。放課後は空いていますよね? 実はコスプレ衣装、鞄に入れて持ってきたんですよ」
「そうなのか……学校でコスプレは禁止だ」
「えっ、でもコスプレ――」
「すぐ帰るから」
「ちょっとだけ――」
「ダメだ」
「……しゅん」
詩衣には悪いけど、胃が持たないからこれ以上問題ごとを増やさないでほしい。
彼女に対して強気になることも大切だと思った。
落ち込む彼女を見て……少しだけなら付き合ってもいいかと考えながら。
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