第9話 前段階
「──それで、この三日間は何も動きが無かったと」
ボウは、ウェンからの報告を受けて反応を返す。
二人は、以前会った場所と同じ廃屋で内談を始めていた。
「特にこれといった何かは見せなかった。いつも
総髪の男は、不満気に腕を組んだ。
「そんな筈はないんだがなあ。見落としてんじゃねえのか、おい?」
無神経な言い草に、苛立ちながら答える。
「この三日間、どれだけ大変だったと思ってるの? ユーリイを注意深く観察して、何度も何度もバレそうになって、その度に自然な形で誤魔化し続けたんだよ。一度も失敗はできない。ぼくの普段の姿も怪しまれないようにして、
ユーリイから、ボウと接触したのか、という言及はなかったが、それが却って心に負担を及ぼしていた。
弱音をこぼし、目を伏せようとした瞬間、
「甘えた事抜かしてんじゃねえよ」
突き刺すような言葉で止められた。
「失敗した行動の過程にも意味はある、なんて宣う輩がいるが、所詮目的を成し遂げなかった事実の前に言い訳なんざ通じねえ。一丁前に泣き言を漏らすのは結果を出してからにしろや」
眉をぴくりと震わせ、反論する。
「だったらボウはどうなんだ。自分の目で見て、ユーリイに変化はあったの?」
「勿論だ。ちゃんと見せてくれたぜ。
「……」
誇らしげに語る男を、ウェンは茫然と見た。
ユーリイが
ボウは、溜め息を吐いた。
「まあいい。いつまでもお前の無能さに構っていられん。ともかく、ユーリイに変異の兆候が現れているのは確かだ。となれば、次に対処するべきは、彼女のその後を見極める事だ」
言いながら、人差し指を立てて身を乗り出す。
「今日、ユーリイと同伴でトンセンへ襲撃に行くよな? 当然
「だから、なんでボウがやらないの?」
「決行はお前とユーリイで行く。もう決まった事なんだ。それに俺が出張ったら警戒される」
ボウは元の姿勢に戻った。
「現段階ではまだ変異する二、三歩手前って所だ。ここからどう
その
冷静な口調で、しかし重みを含めた声色だった。
「今のあいつなら案外隙は生じている。特に、変異する瞬間は特に顕著だ。そこを狙え」
「……どういうふうに変異が起きるの?」
「
ボウの言葉を聞き、視線を下げて考える。
忌み子、
変異、
トンセンという町への強襲、
最後に、ユーリイの姿が思い浮かび、
「ま、お前にできるかどうかは期待薄だがな」
「……」
ウェンは、冷笑気味に表情を歪めた男を睨み付け、
「聞いていい?」
かねてから抱えていた疑問をぶつけた。
「今この場で、ボウの
「俺の? まあ構わんが」
ボウは片手を出して、金色が怪しく光る
「もっと操ってやろうか」
更にそれを、極太の腕のように変化させ、ウェンの頭部を掴む。
「なっ──」
突然、意識が揺さ振れる。顔が下へ否応なく動かされ、地面へと叩きつけられた。敷いてある古ぼけた木の板が、僅かに凹む感触を味わう。
なおも強大な力で押し続けられる。めきめきと、下から木材の悲鳴が聞こえてきた。
「ほう。咄嗟にお前も
地面と顔の間に、厚紙のような紺色が、ウェンを支えていた。
「お前の考えてる事はこうだろ。俺がユーリイに操られた、ただの一般人じゃないかってな」
男は、
「残念だが、この通り、俺は正真正銘の忌み子だ。妙な邪推すんなよ」
「……っ」
押し付けられた体勢の少年は、目の動きだけで相手を睨んだ。
「そんな目で見んなよ。不意打ちを試してみたんだ。そこは、貴重な体験どうもありがとう、だろ?」
へらへらと、ボウは見下したまま嗤った。
指定した場所である、町の東側の入り口へ向かうと、ユーリイはいた。
「お、来たね。準備は万端?」
ウェンは戦う際、
ユーリイの皮肉を受け流し、訪ねてみる。
「……そっちのそれは?」
彼女には、普段と全く異なる、際立った特徴があった。
「武器。これを両手に一本ずつ持って戦うの」
正気なのかと問おうとしたが、ユーリイが一人で最大限活かせる戦法と考えれば納得はできた。縦横無尽に素早く動き、あの長さの凶器を片手で力強く振り回せば、恐ろしい威力を発揮するのは想像に容易い。
「流石にここまでなのは珍しいけどね。今回は一切遠慮する必要ないから、全力で腕を振るうつもり。──じゃ、ぼちぼち行こっか」
恐らく
重装備の彼女に付け入る隙を見出すのは、かなりの難題だろう。
「この数日でウェンの特色が分からなかったのは残念だけど、ま、しょうがないよね。悪いけどその状態で今日は頑張って」
東へ歩き続けること
「にしたってさぁ、ウェンって
ウェンは文脈を無視して口を開いた。
「本当にカンラは大丈夫? 別の町から攻め込まれたらどうするの?」
忌み子の二人が町に不在で問題はないのか、という前提を踏まえた問いである。
「私の兵達もヤワじゃないからね。総出で迎え撃てば十分戦える。それにその時が来たら、私へすぐに伝わるようになってるから、急いで戻れば十分間に合うよ」
大体予想できた答えだった。加えて、ボウという忌み子がカンラに残っているのだから、より安全だろう。この質問をした意図は、町の心配はしなくていいのか、とユーリイから怪しまれない為の方便である。
本当に聞きたい事柄はこの後だった。
「……こんなに堂々と歩いていいの? 特に、そんな目立つ
「普段だったら流石に躊躇うけどね。今回は別に気にしなくていい。相手が相手だから」
「それだけ強敵ってこと?」
「厄介な奴、ではあるかな」
「……ぼくが聞きたいのは戦う相手だけじゃなくて。今の姿を他に見られないかってこと。これから戦う相手以外の忌み子から見られて不都合にならないの?」
「それはない。まず今歩いている東の方向とは横、つまり南北は山に囲まれている。その先の周辺に人里は存在しない。となると、わざわざ山を越えて遠くからこんな所へ来ようと思わない。仮に来たとしてもすぐに分かるようになってる」
ウェンはうんざりするような顔を見せた。
「そこにも人員を配置しているっていうの? ……いくらなんでも町一つからじゃ人数がまかないきれないんじゃ……」
「確かにね。でもそれは簡単に解決できる。他から持ってくればいい」
「……」
後ろ姿で分からないが、笑みを浮かべているだろう事は想像できた。
「一つ言っとくけど、元々その人達は私らに襲い掛かってきた連中なわけ。
ウェンは密かに、その人達へお悔やみの気持ちを捧げた。
ユーリイは続ける。
「そんな訳で、ちゃんとその人たちが見張ってくれてるから、今この場を見られる心配はしないでいいよ」
「……そう。じゃあ、肝心の襲う町の実態はいつになったら教えてくれるの? いい加減きかせてほしい」
「んー、じゃあまあそろそろ教えるか。トンセンという町はね、とにかく圧政の限りに尽くされてた」
ユーリイは語った。
「その忌み子は、
彼女からしてそこまで言わせるとは、余程だったのか。
「町民は逆らったら、
背筋が凍り、手汗がじとりと滲んだ。
「しかも、その欲望はだいぶ捻じくれてた。無作為に選んだ人間を五人くらい選んで並ばせて、空気を吸い込んでしまうと肺が破裂してしまう
婚儀の時に初夜権を使って、先端に棘が幾つもある棒で挿し入れして、その状態で新郎への愛を延々語らせて、気に入る内容じゃなかったらその夫だけを殺すとか。
子供に何の益にもならない勉学をさせて、成績下位になったら責め苦に落とすぞー、って親にだけ伝えて歪んだ教育を強要させるとか。他にも──」
「もういい! 聞きたくない!」
想像するだけで耐えられそうになく、ウェンは立ち止まって声を荒げた。
「……」
その様子を、ユーリイは振り返ってじっと見つめ、言葉をかける。
「ごめんごめん。流石に刺激が過ぎた。まあ君からすればやっつけがいのある相手でしょ? やる気を出させてあげようと思ってさ」
少年は落ち着いて、大きく嘆息した。
「それで、どうやってその町を奇襲するつもり?」
「いや、普通に正面から襲う」
「え?」
再び歩き始めた彼女の背中を、
「ほら、見えてきた」
ユーリイの言う通り、トンセンと思しき町の外辺が見え始め、
すぐにその悍ましい異様、異質さに気付く。
これまで代り映えしなかった緑の景色、そこから先の領域が灰色に染め上がっていた。さらに近付くにつれ、その様相が徐々に判明してくる。
大地の至る所から絶えず噴出している
一体、何が起きたらこんな恐ろしい光景を生み出すのか。思わず一歩引いてしまう。
しかし、異界の住人はその僅かな心の隙を許すつもりはなかった。
引いた足に反応した塊が二匹、『両足』を駆使してこちらへ駆け寄る。
「っ!」
二人は、それぞれ後方斜めへ下がった。それぞれ一匹ずつが、標的へ狙いを定める。形を変え、不規則な動きで迫る。
ユーリイは、最大限の長さを生かすよう片方の
ウェンは、両手から
「……っ⁉」
小さな違和感が生じ、動作が遅れてしまう。その機を逃さないかのように、塊は飛び出した。
目鼻の先まで詰め寄られ、ウェンは手を叩く。
瞬間、左右に用意した
地割れのような轟音を響かせ、塊を叩き潰した。
間一髪で事無きを得て、深く息を吐く。
そこにユーリイがやってきた。
「今のはね、例の忌み子の
ウェンは彼女へ向き直る。
「……ここで、何があったの?」
「あまりに暴政として
「……自滅?」
「ほら、ウェンも
「……」
話を聞く限り、忌み子については全く同情が沸かないからいいとしても、その周りの人達が不憫でならなかった。終始いい様に扱われ、最後に至るまで怪異に巻き込まれるなんて──。
「じゃ、気を張って奥まで進むよ。今回の目的はその忌み子を仕留めることだから」
「……ねえ、そいつは、まだ生きてるの?」
「知性はもう失っちゃってるけどね。その状態でもこうして際限なく
「……わかった」
ウェンは、満足げに二度頷いたユーリイから、白が滲んだ黒の町へ視線を移す。
呪われた景色を、そのままじっと見据えて思案する。
腹をくくるべきなのだろう。
問題があるとすれば、先ほど
その力が弱まっていた事だった。
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