第7話 変異

 男が住むという民家に足を踏み入れた。


 初めに抱いた感想は、身の回りに対して、あまりに無頓着すぎる、というものだった。

 老朽化が進んでおり、屋根や壁を支える木材の柱は黒ずみ、床には至る所に穴が見受けられ、全体を見回せば廃屋と大差がない惨状だった。こんなところを好き好んで住処にしているのならば、まともな神経は確実に持ち合わせていない。


 戸口から上がり、俵を隅に置くと男は言った。


「お茶でも出してやろうか?」


「飲まないからいらない」


 そっけなく返す。敵の出された飲食物なぞ、一口たりとも受け取る気はなかった。


「当然の反応だな。ま、とりあえずそこで楽になってくれ。さっきも言った通り、話がしたいだけだ」


 ウェンはあえて、部屋の中央にある囲炉裏を横に、堂々と胡坐を組んで座る。

 男も向かい合ってそれにならい、


「まずはそうだな。俺に聞きたいことはないか?」


 真っ直ぐに問う。「何者?」


 相手は嫌な顔一つ見せず、流暢りゅうちょうに答えた。


「俺の名はボウ。察してるだろうが、忌み子だ」


 特に驚かずに、次の質問に移る。


「どういう経緯でここにいるの?」


「およそ十三年前にカンラで生まれ、両親を食って知性と祈力れいりょくを得た。その時にも『前任者』はいたんだが、生まれた時とほぼ同時に病気で亡くなって、それからは俺がこの町を引っ張る事になった」


「……それだけ?」


「まあ正直、特別話すことなんてそんなないぜ。強いて言うなら、周りの忌み子から襲われないよう気を張り続けるのに苦労したって所だ」


「……ボウは、どういう方法で町を支配したの?」


「今の状態をより厳重に管理した形だな」


 特に変わった出来事でもないように連ねる。


「休息は最低限、仕事は最大限に働かせた、子を産ませたら即座に親から離し、年齢ごとに区分けしてそれぞれの責務を負わせる。適度に体罰を振るいながら、常に訓練を怠らせない。病気や怪我を負おうが、強引に祈力れいりょくで治して元の仕事に戻す。それが主なやり方だ」


 額の辺りを片手でおさえる。

 やはりというべきか、こいつもまともではない。


「ところが、この方法だと簡単に人が壊れちまう。ちゃんと祈力れいりょくはかけてあるのに、突然泣き出したり暴れたり無反応になったりで使い物にならん。その状態を無理やり叩き直して元に戻すのが俺流だったんだが、いかんせんその頻度が高くてな。手間がかかって仕方ない。そこに、ユーリイが生まれた」


 ボウは、人差し指を立てて笑みを浮かべる。


「あいつは、色んな意味で掌握術の才能に恵まれていたから、一任してみた。すると、あえて余裕を持たせる事で、効率良く操ったんだよ。何がなんでも道具のように動かしちゃ駄目だ、人間である以上、その心を理解する事が重要と説かれた時は目から鱗だったわ。もっとも、ユーリイなら前のやり方でも問題なく扱いこなせるかもな」


 ……忌み子の評価を改める訳ではないが、この場合は単にこいつが馬鹿、という解釈でいいのだろうか。


「人が壊れていく様は面白かったんだがなあ。もう滅多に見れないのが心残りだ。中でも傑作なのがある。あ~確か……、監視役の一人が発狂して他人の息子を殺めちまった出来事があってな、

 俺はその時、そいつをあえて正常に戻してやったんだ」


 愉快そうに話を続ける。


「自分が犯した事をその身に味わわせた瞬間の表情が、実に愉快だったな。その後、『自分から狂うのは逃げだ。一生その罪を背負い続けろ。殺したガキとその母親はいつまでもお前を恨んでるだろうがな』って付け足しておくと、また味わい深いんだこれが」


 たまらなく不愉快な言動のまま、


「しかも、今そいつは一連の出来事の記憶を消したまま一緒に過ごしてるってんだから、お笑いだよ」


 ひひひ、と下品な声を上げた。


「もうわかるだろ? タオとチュンがそうだ。あいつからつけられた名前、精々大事にする事だな。



 拳を握り締めた。


「なんでその二人に、ぼくを任せる事になった?」


 思わず口調が乱暴気味になっていた。


「偶然さ。タオがたまたまお前を見つけたから自然とその流れになった。もっとも、似たような境遇のやつなんて他にもまだまだいるもんだがな」


「……」


 深く息を吸い、吐く。

 速やかに話題を変えようと、平静を装って本題に入った。


「ぼくに会いに来た目的は何なの?」


 男は頭を掻きながら困った様子を見せる。


「まあなんというか……、基本的には今後とも仲良くやろう、という事だが、一つ注意してほしい事がある。ユーリイにな」


 こちらの無反応という反応を受け止めたのか、ボウは続けた。


「忌み子には、祈力れいりょくや異常に早い成長の他にも秘密がある。『変異』と呼ばれる現象だ」


 眉を寄せて、変異、と口だけ動かした。


「生まれて一定の期間が過ぎると、突然人格と祈力れいりょくが全く異なるものへ変わっちまう。それが『変異』だ。そろそろユーリイに表れる頃合いになる。ウェンにはそれを見張っていてほしい」


 新情報を脈絡無く聞かされ、疑問を投げた。


「……なんでぼくが? それこそよく知ってるボウがやるべきじゃ?」


「勿論俺も監視するつもりだ。だが、しばらくユーリイを目にする機会が多いだろうお前には、より重要な立ち位置になる。はっきり言って、これはお前でなければ務まらん」


 ウェンは、頭を抱えた。


祈力れいりょくが変わるって、具体的に言うと?」


「それが全く予測がつかないんだよ。例を挙げると、人を傷つける事に特化した祈力れいりょく、それが一転すると自然を操る方向に変わっていたり。何の特徴もなかった祈力れいりょくが、一度ひとたび人間に触れると、急成長させて一気に老衰死してしまうとかな。

 それに伴って、人格も同様、几帳面な性格が杜撰になったり、人を支配する趣味嗜好が変わっていたりもする」


 聞くに堪えない戯言も、段々慣れつつあった。というよりは、自分が忌み子だからこそ馴染んでしまったのかもしれない。


「そっか。その『変異』が起こると、町の皆はまた別の形で支配されちゃうんだ」


 同時に、他の忌み子から見れば対策を一から立て直す必要に迫られ、世の中はより混沌とした状況に陥る、という事でもある。

 頭から手を下ろして訪ねた。


「そもそも、なんで変異なんてものが現れるの?」


 ボウは、親指で自分を指して言った。


から言わせてもらえば、いわば転換期に近いな。体が成長していくにつれ、これまで放ったイノリの反動が合わさり、それに見合う形の新たな祈力れいりょくへ突如変化するもの、……とかじゃないか? 俺自身細かいことはよくわからんけどな」


 説明を聞いても、今ひとつピンと来なかった。おまけに語ってる本人の適当さが真剣に読み解こうとするのを阻害する。


「変異が起きたボウはどうだったの?」


 けらけらと男は笑った。


「いや、俺の場合は比較的小さかったぜ。何せイノリを発する力がより強大になったってだけなんだからな。まあ一応は安心したよ。俺が俺のままで」


 そのような単純な現象もあり得るのか、と乾いた笑いが浮かびそうになる。あまり鵜呑みにするつもりもないが。


「だが、ユーリイにはくれぐれも気をつけろ。さっきも言ったが、どう変貌するかは予測不可能だ。ある日突然、全てを台無しにして襲い掛かってくる可能性も排除できん。そうなったら俺とお前、二人掛かりであいつを殺して事態を収束するしか道はない。仲良くやろう、ってのはそういう事だ」


「……」


 忌み子とは、大抵どこか歪んでいる──。彼女の言葉通り、共に過ごしてきた同類すら平然と切り捨てるさまは、変異の話も相まって納得がいく光景だった。


「……ここに来てずっと思ってたけど、ユーリイに聞かれてないの? この会話」


 諜報員が紛れていても気付ける、と豪語した彼女を誤魔化せるとは考えにくいが。


「あー。一応気付かないようにしたつもりだが、最低でも会話までは聞き取られる心配はない。もし何をしていたか聞かれたら普通にお互い自己紹介したと言え。だが当然、あいつも変異の事は知っている。どういう事かわかるな?」


 冷ややかな目で相手を見据える。


「……ようするに、ユーリイが変異するかどうか、それを彼女に気取られないようにしないといけない、って事?」


「その通りだ。察しが良くて助かるわ。今後もあいつからお前に何らかの情報を言い渡されるだろうが、変異については恐らくお前に伏せるだろう。彼女にとっては命が狙われる訳だからな。俺らの思惑がバレれば即刻殺しにかかってくると思えよ」


 相手は前のめりに言葉を紡ぐ。


「変異の前には何かしらの兆候が表れる。少しでもあいつに違和感を覚えたらなんでもいい。俺の所へ知らせに来い」


 いつになくボウは真剣な雰囲気を漂わせ、思わずその時の状況を想像する。

 彼女に怪しまれずに監視する──、果たしてできるのだろうか。


「近々お前には重要な仕事が任される。その時までしばらくユーリイと行動を共にするだろう。どう立ち回るかは、ウェン次第だ。お前に全てが掛かっていると言っていい。くれぐれも細心の注意を払え。休む暇はないからな」


 そう言うとボウは、突然立ち上がった。


「っと、そろそろ不味いな。ウェン。今すぐここから出ろ」


「え、え?」ウェンは困惑する。


「これ以上話が長引くとユーリイに勘付かれる。ほら急げ」


 一瞬の戸惑いの後、相手を睨みつけながら立ち上がり、入口へ向かう。


「重ねて言うが」


 戸に手を掛けた所で聞こえたのは、


「絶対に悟られるなよ」


 重圧を背負わせるような、呪いの言葉だった。

 外へ出る瞬間まで背に視線を感じ、その線を断つように引き戸を閉めた。


 振り返り、見えなくなった相手に向けて舌を出して、路地裏を抜ける。

 忌み子がまつわる現実を目の当たりにした率直な感想は、心の底から嫌悪感が沸くものだった。


 同時に、少しだけ気がかりな事に思いを馳せる。

 初めて耳にした『変異』という現象。


 突然人格が変わるとは、一体どういうものなんだろう。

 なぜか、頭の片隅に引っかかっていた。

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