弐第74話 ロートア商人組合商議場-1

 タクトがあまりにも興奮したように大声を出すもんで、一瞬怯んでしまった。

 そしてタクトも、はっ、としたように居住まいを正す。

 今更ながら、平静を装ってか、咳払い。

 はははは、こーいう本まで『好き』なのか?


「んんっ……この本、どこの迷宮で?」

 言いにくい。

 てか、どう言っていいのか解らない。


「迷宮じゃないのか?」

 こいつの蒼い瞳って、なんだか見透かされているような気がする。

「……ある教会……が壊されることになって、読めないから捨ててくれって言われたから、もらってきた」


 嘘を言って誤魔化すよりは言わなければ平気かと思ったが、どうもあまり通用していない。

 笑顔なのに、なんか『圧』がある。


「へぇ、どこの教会?」

「タ……あ、東の小大陸の、だ」

 しまった。

 うっかり『タルフ』って言いそうになった。


「タルフか」

 俺の馬鹿。

 こいつ、察しが良過ぎだ。

 タクトがちょっと視線を外して、ふぅー、と息をつく。


「大丈夫だよ。誰にも言わないし。でも……条件がある」

 密入国と解られている……でも、条件?

「その本、見せてくれ」

「読めないと思うが……」

「多分、読めるよ」


 は?

 中身を見てもいないのに、随分と自信があるんだな。

 本はかなり傷んでいて、開いたら壊れるぞ。


 タクトが本に触れ、魔法を……いくつか……発動しているみたいだ。

 こいつの魔法、光の剣を改造した時もなんとなく感じていたけど、一種類ずつ発動しているんじゃないのかもしれない。

 同時に、なんて一等位魔法師だからできることなのか?


 あっという間に、崩れそうだった本は全くの新品のようになっていた。

 全部の本を取り出したタクトの足元に、ぱさっ、と折りたたまれた紙が落ちた。

 あ……そうだ、一緒にタルフの地図を入れていたんだった!


「おまえ……こんなものどうやって」


 拾い上げたそれが、入れないはずの国の地図だと解ったのだろう。

 これは……密入国の決定的な証拠だよなー。

 誤魔化せねぇなぁ……

 俺は観念し、どうやってタルフに入ったのか、なんで地図なんか買ったのかを話した。


「迷宮を辿っていったら町に近い山に出て、そのまま町まで降りた。兵士に見つかったけど、誰かと勘違いしてくれたのかすぐ解放された。だから、ちょっとだけ町を見て歩いて……教会も、その時に」


 無表情で瞬きだけが多くなるのは、こいつ特有の驚き方なのだろう。

 どこも大きくならないのは、今のところタクトだけだなぁ。

 そして、取り敢えず、と地図だけ返してくれた。


「あ、食事がやたら辛くて、吃驚した」


 地図を受け取って気が抜けた時にそう言ったら、今度は瞬きがなくなって、呆れているような表情になる。

 そうだよなぁ……あの時は『これくらい平気だろう』とかいう変な自信で、おかしなことをやっていた自覚はあるんだよ。

 今なら、絶対にやらない。


 やれやれ、という風情でタクトが俺から視線を外して、修復が終わった本をぱらぱらとめくり始めた。

 読んで、いるのか?

 本当に?


「本、何が書かれているか、本当に読めるのか?」

「ああ。俺は『文字魔法師』……カリグラファーだからな」


『文字魔法師』? かりぐらふぁー?

 初めて聞いたぞ、そんな職業。

『文字』に特化した魔法師ってことなのか?

 その魔法で、全ての文字が読めるのか!

 俺が、全ての方陣を使えるように。


 タクトが言うには、五冊のうち四冊は歴史書のようだ。

 もう一冊は……医療書のようだと言っている。

 なるほど。

 それは、俺じゃ読まないな。


「欲しいなら、おまえにやるよ。俺が持っていても、役に立たない」

「……いいのか?」

「ああ」


 抑え気味にしてるけど、ワクワク顔だ。

 ……そうか。

 本とかでも喜ぶんだな。

 石板も、読みたいかな?

 前に白森の狩猟小屋では欲しがらなかったから、そんなに興味がないんだと思っていたんだけど。

 方陣が描かれていたから、読んでくれるなら助かる。


「それと、こっちは東の小大陸南西の無人島にあった石板だ。読めるなら読んで教えてくれ。方陣があったから気になってるんだ。もう……当分、無人島には行かないだろうし」


 喜ぶような石も拾ってきてやれない気がするし、文字魔法師ならタルフとかアイソルの古語だとしても全部読めるだろうから。

 ……袋は返してくれた。

 律儀な奴だ。


 無人島じゃないなら、マイウリアに行ってみたいのか、なんて少し心配しているような顔をするからそれもないと否定した。

 家族はもう居ないし、町もないところに行って態々荒廃した場所を見たいとは思わない。

 途端に、タクトはまずいことを聞いたって顔をする。

 気にしていないから、いいんだけどな。


「んな、顔するなよ。兄貴達は……どっかで生きてるかもしれないけど、俺が生まれた時はもう、みんな家から出ちゃって行方が解らないだけだ」

「随分年が離れているんだな」

「かなり遅くにできた末っ子だからな、俺は」


 そうだな。

 いつか、どこかで会えるかもしれないけどお互いにきっと兄弟だとは解らないだろう。

 一度も会ったことなど、ないんだから。


 少し視線を外し、窓から入ってくる光に顔を向けた。

 思っていたより時間は経っていないみたいだが、少し腹も落ち着いてきた。

 残っていた珈琲を飲みきって、一息つくとタクトは石板じゃなくて俺の左手を見ている

 ……?

 あ、腕輪が気になるのか?


「その腕輪、加護法具だろ?」

 凄いな。

 錬成師だと、見ただけで加護法具って解るのか?


「手入れ、ちゃんとしてる?」

「手入れ?」

「ああ、貴石とか銀とかは、ちゃんと手入れしないとくすんだり色が悪くなったりする」


 俺は気にもしていなかったことを告げられ、改めて『礬柘榴ばんざくろ銀環ぎんかん』を見る。

 所々色が変わっている?


「もしかして、海水に浸かったりしたか? 黒ずみが出ているし、石も少し浮いちゃってるから調整した方がいい」

「直せるのか?」


 セーラント公からの下賜品だ。

 絶対に壊せないし、俺の手入れ不足で使えなくなったなんて申し訳なさ過ぎる。

 それに……今この加護がなくなったら、俺の左足ももっと治りが遅くなるかもしれない。


 洗浄しながら、タクトは銀も柘榴石も、海水につけたりしたらダメだと教えてくれた。

 そうか……原因は俺があの迷宮で、海に入ったことだったんだな。

 海ってのは、やっぱり入っちゃいけない場所なのかもしれない……


 銀の部分が、みるみるうちに輝きを取り戻していく。

 いや、元の色よりも煌めいているくらいだ。

 こいつ、錬成師としてもかなり上の段位なのか?

 もしかして、宝具師?

 柘榴石の緑色まで、輝きが違う。



「はい、できあがり。もう一度魔力を通してから、腕に嵌めてみて」

 そう言われて渡された『礬柘榴ばんざくろ銀環ぎんかん』は、受け取った時以上に『力』を感じる。

 嵌めてみると、信じられないくらい全身が楽になった。

 初めてこの法具を身に着けた時みたいだ。

 手入れをちゃんとするって、こういうことなのか……


 ……羨ましい。


『自分の魔法』として獲得している魔法を、こんな風に完璧に使いこなせているのが。

 きっと段位も、相当高い。

 なんでもできる方陣魔法の、唯一と言っていい欠点は『成長』にある。

 方陣は、新たに強いものを見つけるか作り出さない限り、どんなに【方陣魔法】の段位が上がったとしても方陣の魔法は強力にも大きくもならない。

 そんなことはずっと前から解っていたし、だからこそ強い方陣を捜している。


 だけど……海で、その全てを否定された気がした。


 「せめて、方陣が海で使えりゃいいんだけどな」

 つい、そう呟いてしまった俺に、タクトはとんでもなく意外だという顔をする。

 そうか、セイリーレは海がなかったっけ。

 それじゃ、試したことはないよなぁ。

 あの『移動の方陣』も、きっとこいつの無効化なんていう聖魔法が含まれているから使える特殊なものなのだろう。


 タクトに、海の中では土系も錯視も全く使えなくて、使えた方陣は『移動の方陣』だけだったと言うと更に驚いた様子になる。

 そして何やら考え込みだした。

 まさか、思い当たるようなことでもあるのか?

 ……解決策……じゃ、ないよな?



「系統?」


 初めて耳にする話だった。

 タクト自身も最近ある古文書を読んで知ったばかりで、詳しくはないと言う。


「あくまで仮説だ」

 と、前置きしながら説明してくれたものは、あまりに衝撃的だった。


 魔法には『系統』というものがあり『空系』『地系』『海系』があるということ。

 そしてそれは加護神にも当て嵌まり、俺の聖神三位の加護は『空系』と『地系』。

 しかも【方陣魔法】は、海に適性のある系統がないだろうということ、そして方陣というもの自体が海には殆ど対応できないだろうということ。


「俺の加護は賢神一位で『空系』と『海系』だ。だから俺が作った方陣だと、海でもなんとかなっているのかもしれない」

 そうか……俺には全く『海』に対して有効な魔力も魔法もないから……

 だけど『水の中』では、風魔法が発動できたんだが。


 そのことを言ったら『水』と『海』は別物だという。

 しかも水系の魔法には、全くと言っていいほど『海系』への対応がないらしい。

 ……古文書って、そんなことも書かれているのか……こいつが読みたがるはずだなぁ。


「まぁ、海には入るなってことだよ。元々、人が生きていける場所じゃないんだ」

 タクトは苦笑いでそんな慰めにもならないようなことを言いつつ、海でも使えそうな魔法を獲得するしかないかもなーと暢気なことを言う。


「魔法の、獲得……か」

「【方陣魔法】でしか魔法を使っていないと、なかなか獲得は難しそうだけどな」

「どういうことだ?」


「方陣は魔法の試行になるから、方陣の作りと呪文じゅぶんを理解して使い続けると魔法は獲得しやすくなる。だけど【方陣魔法】では、ある程度解っているだけで理解していなくても『完全な魔法』が発動する。それだと【方陣魔法】を使ったことにはなっても『方陣で発動した魔法』の試行としては『弱い』んだよ。魔法獲得は『知識の質』と『試行の量』に関わるからね。だから、普通の人が五十回方陣を使ったら覚えられる魔法でも【方陣魔法】を使ってしまうと倍以上の発動をしても、獲得には到らない可能性がある」


 なんだ、そりゃ。

 俺は【方陣魔法】があるから、他の魔法が獲得しづらいってことなのか?


「完璧に理解している方陣でも『方陣を使おう』と思って発動するのではなく『その魔法を使おう』と思い込まないと獲得は遅い」


 更にタクトは、自分の周りの人が方陣から魔法を獲得した時のことを説明してくれた。

 同じ時期に鑑定系の方陣を渡し、同じように毎日使ったのに、技能や魔法が獲得できた人とできなかった人がいたという。


「主神も『示されし道と与えられし才のもといはより高きへと至れる。しかしてたがうは更なるひろきざはしを越えてより導かれん』って仰有っているからな。大変かもしれないけど、頑張れよ」


 こんな風に締めくくられても、はいそうですか、と言えないほどの衝撃なんだが。

 いや……でも、今タクトが言ったように『意識的に使い方を変える』ってのができたらいいのか?

 え? どうやって?

 そもそも、俺は【方陣魔法】を『使おうとして使っている』訳じゃないような気がする。

 第一『思い込み』ってのは……どうやるんだ?


 そう思いつつ、俺は珈琲をあおる。

 あれ?

 さっき、飲みきらなかったっけ?



 ********


『カリグラファーの美文字異世界生活』第440話とリンクしております。

 別視点の物語も、是非w 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る