第124話 既視感



「もう本当ありがとね、ナタリア。あんたのお陰で後半すっごく楽に過ごせたよ」



感謝の気持ちの表れなのか、ナタリアの手を包み込むアニエスの両手は、力強く上下にぶんぶんと振られている。



「いえ、私は何も」


「そんなことないって。元はと言えば、あんたの彼氏があいつらをやっつけてくれたお陰だもん。あいつらいつも偉そうに指図してくるから正直うんざりしてたんだ」



アニエスは眉間に皺を寄せ、いかにも不機嫌そうな表情を作り、だがすぐに笑顔に戻る。



「とにかく、こうやって後期は何事もなく卒業にこぎつけられたからさ」



アニエスの笑顔は輝いていた。



何事もなく。


そうなのだ。


ニコラスが予告した通り、ジェイクたちは夏休みが明けても二週間ほど学校に姿を現すことはなかった。



『本気を出して叩きのめした』というニコラスの言に誇張も何もなかったらしい。けれど、武器を所持していたのはあちら側、多勢だったのもあちら側、更にはニコラスがストライダム侯爵家に属する騎士ということで、普段やっている金での揉み消しも叶わなかった。


要は、ジェイクたちの起こした事件が公になってしまったという事。


これで大人しくなってくれればそれで良いと思っていた。若気の至り、考えなしの馬鹿な行動だって、それで最後となればまだ周囲も大目に見るだけの心の余裕はあった。



けれどやはり『相当なお馬鹿さんたち揃い』というニコラスの評価が正確だったようだ。



怪我が治った後も、学校に真面目に通うどころか金で破落戸を雇い、学校内の人気のない場所でナタリアを浚い、町外れの邸宅で襲う計画を立てていた。


だが、実際にその日になってみれば、意気揚々と邸宅に入って来た彼らの前にいたのは捕縛された破落戸たちと証拠書類を持った警吏官たち。


レオポルドが付けたライナルファ家の影が、実行日の数日前に証拠を揃えて学校側と領主側の両方に送りつけた結果だ。勿論、秘匿を課した家名付きで。



結果、ナタリアはこの計画について一切知ることのないまま全ての処理が終わる。



その後、何故か町からも姿を消した彼らに、クラスメイトたちも最早その力に怯える必要はないと気づく。



それからは全てが平穏に進んだ。



「今日の卒業式には彼氏も来るんでしょ。よろしく伝えてね」


「・・・う、うん」



彼氏、未だその響きには慣れない。だって、まだニコラスはちゃんとした彼氏でもなんでもないのだ。


まだナタリアが子爵令嬢だった頃。

学園にいた時に、模擬戦の観戦後に受けたニコラスからの真っ直ぐな告白。


あの時に答えをはぐらかした結果、友達というスタンスをニコラスは取り続けている。好意を端々に覗かせながら、でも決して直接的に口にすることはなく。


だから、あれ以来決定的な言葉はもらっていないし、ナタリアも何も言えていない。



・・・でも、きっと。



今度は、言ってもらえるのを待っていてはいけないと思うのだ。



最初にニコラスが示してくれた勇気を、あの時に受け取れなかったのは自分。

ならば今度は、自分が勇気を示す番。



講堂に入り、一人ひとりの生徒の名前が呼ばれ、卒業認定証明を手にする。



アニエスはこのまま学校附属の病院に看護師見習いとして働くことが決まっている。



王都に戻るナタリアとは、今日でお別れだ。



「これからは、職場でも彼氏とずっと一緒だね」


「・・・っ、もうアニエスったら、揶揄わないで」



そう。


ナタリアは夏に手伝いをやらせてもらったストライダム私設騎士団の医務室に、看護助手として正式に勤めることが決まったのだ。



実は今日の卒業式にニコラスが来るのも、そのための送迎に過ぎない。アニエスは誤解しているが、本当に逢瀬でも何でもないのだ。



ナタリアは講堂の二階席へと視線を向ける。


右の端近くの最前列。

大柄なニコラスの姿が見える。



あちらもナタリアが向けた視線に、すぐに気づいたようだ。


ニコラスが手を緩く振るのが見えた。



「・・・」



じわり、と胸が温かくなる。


自然と笑みが溢れた。







ストライダム侯爵家の家紋付きの馬車に乗り、王都に向かう道を走り始めて数日、無事に侯爵家に到着したニコラスたちを、ベアトリーチェたちが出迎えた。



彼女のすぐ後ろに立つのは、顔に少し疲労の色を滲ませているレンブラント。



頭を下げたニコラスの肩にレンブラントは手を置き、労いの言葉をかける。



それから、ナタリアへと視線を向けて。



珍しくも、困ったように眉を下げた。




レンブラントには不似合いなその表情に、けれどナタリアは既視感を覚え。



そしてすぐに、それを見たのがいつだったかを思い出す。



そうだ。あれは確か。


夏にここで医務室の手伝いをさせてもらった時。それが終わる三日前にーーー




「・・・っ」




そして気づく。



これが中身のない美辞麗句や虚言ならばナタリアは何も分からなかっただろう。けれど、幼い頃から周囲の顔色を窺って生きていた彼女には。



何も言われずとも気づいてしまった。



・・・ああ、アレハンドロ。あなたは。



レンブラントの言っていたその日・・・は既に来ていたのだ。




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