第121話 治す意味
「よっ、エドガーさんっ! すっかり顔色が良くなったね~っ!」
「・・・」
「いや~、良かった良かった。目の下の隈も消えたし、肌のつやも良い。ホント、いつ過労死するかって皆、心配してたからな」
そう言いながらバシバシと背中を叩かれ、エドガーは渋面になる。
あれほど周囲から注意を促されていたのに、なにも思わずにいた自分に呆れていたからだ。
・・・本当に。
本当に、自分のことなどどうでもいいと思っていた。
というより、思考の外だったのだ。
目的である新薬の開発のためならば、何を犠牲にしてもいいと思って。
それには自分の健康とか睡眠とか余暇とかも含まれていて。
それでいいと思っていた。それが正しいと思って、突き進んでいたから。
・・・だから。
びっくり、した。
ベアトリーチェを泣かせたのが、他でもない自分だという現実に。
最も避けたい事案を起こしたのが、よりによって自分だったということに。
・・・本当、馬鹿みたいだな。
増水した川を強行突破しようとして川に落ちて流されて。
・・・まあ、ここまで開発が進んでいれば、僕がいなくなっても新薬は無事に完成するだろうけど。
でも、そういうことじゃないのだと、エドガーもやっと気づいたのだ。
ずっと周りからは注意されていた、心配されていた。
ちゃんと休め、余裕を持て、食事の時間くらいきちんと取れ、少し横になった方がいい、などなど、挙げていったらキリがない。
でも気に留めなかった。なんとも思っていなかった。
自分のことなんて、どうでも良かったのだ。
ただ、ただベアトリーチェをなんとかして生かしたくて、兎に角もうそれしか頭になくて。
もう一度、いや、もう二度と、間に合わないなんていうことになって欲しくなかった。それだけだった。
まさか・・・まさか自分のことでアーティが泣くなんて思ってもいなかったから。
馬車から降りるなり、駆け寄って来たベアトリーチェに抱きつかれた。
真っ赤になった眼、瞼は少し腫れていて。
--- エドガーさまに何かあったら、私が元気になる意味なんてないでしょう?
そう言われた時、頭が真っ白になった。
意外だった。驚いた。
ベアトリーチェが自分の想いに応えてくれたことを嬉しく思って、両想いになれたと喜んでいて。
だけど、それでもずっと、自分の比重なんて彼女の中では大したことはないと、何故かそうエドガーは思っていたのだ。
・・・そうだよな。アーティは、僕のこと、好きだって言ってくれたんだった。
片想いが長すぎて。
自分じゃない男を見つめる姿に慣れすぎていた。
もうアーティの視界の先にいるのは自分なのに、今でも、ついうっかり忘れてしまう時がある。
だから、あの時。
わんわんと泣くベアトリーチェを見て、エドガーは漸く自分が彼女の想い人であることを、どうしようもなく実感した。やっと、心の底から理解したのだ。
・・・ああ。なんか。
少し、頭の中がクリアになった気がした。
アーティの病気を治すのが最優先なのは変わりない。今もベアトリーチェの幸せが何よりも大切だ。けれど。
彼女の幸せの中に、自分という人間がちゃんと組み込まれているということを、今さらだけど実感できたから。
エドガーは、別れ際、ベアトリーチェとした約束を思い出す。
そして、ひとつ頷いた。
・・・大丈夫。これからはちゃんと自分のことも大事にするよ。
俯いていた顔を上げ、なんやかやと話しかけていた同僚に目を向ける。
無理ばかりするエドガーを気遣い、いつも夜食や栄養剤やらをこっそりと机の上に置いておいてくれた同期だ。
必死すぎて、随分と視野が狭くなっていたと、今なら分かる。
エドガーはにこりと微笑んだ。
「・・・心配かけて悪かったよ、ロナウド。これからは、僕ももっとちゃんと休憩を取るようにするから」
「お? おお、そうだな。是非そうしてくれ」
いつもとは違う返事に驚いたのか、ロナウドは一瞬目を丸くする。
「まあ、次にあっちに帰る時はもう少し気をつけろよ。今から三か月後だったら、また長雨の時期になっちまうだろ」
「いや。次に帰るのは春だ」
「え? なんで? 春だったら半年も先になるけど?」
「ああ。でもそれでいいんだ。その代わり、半年後にあっちに帰った時は一週間ほど滞在させてもらう。だから、ここは二週間ほど休みを取らせてもらうことになるけれど」
「あ~、まあ、二、三日でトンボ帰りになるよかずっといいよな」
「うん」
「でも、エドガー。お前それでいいの?」
「うん」
だって、約束したんだ。
アーティと。
--- エドガーさま
以前と比べ、青白さが消えた顔。
真っ直ぐにこちらを見つめて。
--- 私のことを大事にしてくれるのは嬉しいけど、でも、私が好きな人のことも、大切にしてくださいね?
だって、その人に何かあったら、きっと私の病気を治す意味を失くしてしまうから ---
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