第90話 それは突然


アレハンドロが喋らなくなった。



マッケイの襲撃後から突然に。


医師に診せても何の異常も見つからず、他に異変がある訳でもない。


話しかければ反応するし、言った動きはちゃんとする。


ただ話さないだけなのだ。




「アレハンドロ? どうしたの。本当に大丈夫?」



夕食を運んできたナタリアが、心配そうに問いかける。



だがやはりアレハンドロは、ただこくりと頷くだけだ。



「食べ終わるまで側にいようか?」



そう聞いてみたが、首は左右へと静かに振られた。




食事を出せば大人しく食べ、排泄処置の際も態度は協力的らしい。


結局、実父の襲撃にショックを受けた一時的なものだろうという診断が下されて終わった。



ただナタリアとしては、最近アレハンドロと視線が合わなくなった事が少し気になっていた。



その後、食器などの片付けを手伝ってから、ナタリアが部屋に戻ろうと厨房を出て廊下を歩いていた時だ。



「あら?」



例の襲撃があった一週間前にも顔を合わせたザカライアスの後ろ姿が目に入った。


あの時と同じ、事務室前。



「この間来たばかりよね。何か用事でもあったのかな」



基本、ザカライアスは月に二度か三度くらいしかここに顔は出さない。



その一度はひと月に一度の入院費の支払い。残りはアレハンドロに必要な消耗品の補充である。



この間、そうマッケイの襲撃の日は入院費を払いに来ていた。

何か足りなくなった物を届けに来たのなら、病室に来る筈だけど。



少し不思議には思った。だけど。



ザカライアスは今も昔も、アレハンドロ一人に忠節を誓っている。そんな彼のことだから、きっとアレハンドロの為に奔走しているのだろうとそう結論して。



この時ナタリアは、あまり深く考えることはしなかった。








学園の卒業まで、あとひと月半を切っていた。


この時期になると、曜日によっては授業が午前で終わったり、丸一日休みの日なども出てくるようになる。


科目によっては既に終了していたり、課題提出が控えているだけのものもあるからだ。


生徒たちは、空いた時間を卒業後に予定している活動の準備に充てるのが通例だ。


例えば婚姻、出仕、進学、留学など。

だから、この時期の卒業予定生は結構忙しなく過ごしている。



当然ナタリアもその時間を使って、卒業後に進む予定の看護学校の資料や提出書類などの準備を進めていた。




「ナタリアさん。少しよろしいかしら」



この日は普段通りに授業があり、いつもならば病院の手伝いに鐘が鳴るとほぼ同時に教室を出るのであるが。


その前に、珍しく彼女を呼び止める声があった。



ナタリアが振り返ると、そこに立っていたのはヴィヴィアン・バートランド公爵令嬢。


レオポルドの現在の婚約者、メラニーの姉だった。



「・・・バートランドさま・・・」



意外な人物からの声かけに、ナタリアの目は僅かに揺れる。


ヴィヴィアンの後ろ、少し離れた席では、ベアトリーチェが驚いたように二人を交互に視線で追っている。


だが、見れば注目しているのはベアトリーチェだけではない。

このあり得ない組み合わせに、クラス全員と言っていい程の視線が集中していた。



レオポルドと別れた後、あちらこちらで噂を撒かれたナタリアではあったが、そのどれにもヴィヴィアンが関わることはなかった。


親切心を振りかざした誰かが故意に彼女を巻き込もうとしても、ヴィヴィアンは中立の立場を貫いた。



貴族としては最高位の公爵家、しかも同じクラスだったからこそ、余計にヴィヴィアンの態度は有難かった。



だが、今回はそのヴィヴィアンがナタリアを呼び止めている。


学園では、同じくナタリアをそっとしておいてくれた彼女ヴィヴィアンの親友、ベアトリーチェが密かに慌てるのも無理はないことだった。



「・・・何でしょう」



ナタリアは、深呼吸をしてから努めてゆっくりと声を出した。



「少しお話いいかしら。ナタリアさんにお願いしたい事があるの」


「お願い、ですか?」


「ええ。少しの時間で構わないわ。話を聞いて下さる?」


「・・・分かりました」



既に平民になったナタリアに、今はオルセンの姓はない。


ただのナタリア。


それでも、公爵令嬢のヴィヴィアンがナタリアさんと呼んでくれるその態度に、緊張が少しだけ柔らぐ。



「あの、ヴィヴィアン。私も一緒に行きましょうか?」



ナタリアのことも、そして今の親友であるヴィヴィアンのことも心配なのだろう。ベアトリーチェがおずおずと申し出た。


だがヴィヴィアンは頷かない。



「すぐに戻りますから・・・さ、ナタリアさん。あちらに参りましょう」



こんな時だが、言いづらいだろうに心配して声をかけてくれたベアトリーチェの心遣いをナタリアは嬉しく思い、頭を下げる。


そして、ヴィヴィアンの後を付いて教室を出た。




「・・・ごめんなさいね。突然に声をかけて、驚いたでしょう・・・?」



普通科と騎士訓練科の校舎の間にある庭で、ヴィヴィアンは開口一番、ナタリアにそう言った。


やはり、敵意はないようだ。



ナタリアはホッと息を吐くと、大丈夫ですと微笑んだ、




「あなたも色々と忙しいと聞いてるわ。手短に話すわね・・・」


「はい」


「あの・・・実は、あなたに会いたいと言っている人がいるの」


「私に・・・?」


「ええ。それで、そのための場を設けたいと思っているのだけれど」



ヴィヴィアンは困ったように眉を下げる。



「・・・あなたに会いたいと言っているのは、私の妹なの」


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