第56話 守るべきもの 守りたかったもの



走り寄ったレオポルドたちが橋から下を覗き込む。

それとほぼ同時に、下方で派手に水しぶきが上がった。



「・・・っ!」



衝動のままに欄干に足をかけようとして思いとどまり、レオポルドはまず腰に下げた剣を外す。


それから上着を脱ぎ始めたのを見て、彼が何をしようとしているかをレンブラントは察した。


すかさず、レンブラントは周囲の兵たちを見回し、声を上げる。



「二人を救助するには、もう一人必要だ。誰か彼と共に・・・」


「ーーー 俺が参ります」



レンブラントの要請に、一人の鎧姿の兵が志願した。



「・・・ニコラスか。では頼む」


「はっ」



ニコラスは手早く鎧を外し始める。


レオポルドは上半身を覆っていた衣服を全て脱ぎ去り、欄干に足をかけようとして振り返る。

だが、共に飛び込むことを志願した兵士に視線を向けた時、バシネットを取った彼の顔を見て動きが止まった。



「・・・ニコラス、ニコラス・トラッド・・・?」



驚愕に満ちた声が漏れた。


ナタリアに対する恋心ゆえにアレハンドロの仕掛けた罠に嵌められ、第一学年の終了時に学園を去ることになったかつての同級生がそこにいたのだ。



「・・・」



ガシャンという重々しい音がその場に響き、ニコラスが身に纏っていた鎧が次々と地面に投げ出されていく。


そうして薄手のシャツとスラックスのみとなったニコラスもまた、欄干に足をかけた。



「・・・お前、王国騎士団に入ったのでは」



レオポルドは、思わず口を突いて出た疑問を言葉途中で呑み込んだ。



今はそんな話をする時ではない。



欄干に立ち、勢いよく飛び込もうとしたレオポルドたちをレンブラントが止める。



「救助する側が怪我をしては本末転倒だ。可能な限り安全な状態で入水しろ。欄干を越え橋の外にぶら下がれ。ギリギリまで体の位置を下げるんだ。手を離す前に救助対象の位置を確認するのを忘れるな」



二人は頷くと、レンブラントの指示通り橋の外側にぶら下がり、眼下に広がる水の流れを見渡した。



アレハンドロたちの位置を確認する。まだあまり遠くまでは流されていない。



「今は夏、冬場より入水時の衝撃は緩い。それでもかなりのものが来る筈だ・・・気をつけて行け。俺たちは今から岸に回る」



その指示に頷きを返し、深呼吸をひとつ。

レオポルドとニコラスの二人が、橋の土台を掴んでいた手を離す。



レンブラントたちが地面を蹴る音が、時が止まったかのように思えた浮遊感の後に耳に響いた。




この川は深く、川底にぶつかる心配はない。


両手を上げ、大きなしぶきを上げて水流の中へと身を投じる。



深く深く沈んだ後、息を止めて水面を目指す。


ニコラスの気配を辿る余裕はなく、レオポルドは必死で水上の光を目指して水を蹴った。



「・・・っ、はっ!」



思い切り空気を吸い込み、急いで周囲を見回した。


救助対象を見逃しては意味がない。


橋から手を離す前に確認した場所へと視線を走らせる。


それらしき姿を遠方に見つけ、それと同時に少しばかり前方に浮き上がったもう一人の仲間の姿を認めた。



「・・・ニコラス・・・ッ!」



声を上げれば、ニコラスもまたそれに応え軽く右手を上げる。



水を蹴るレオポルドの右足に痛みが走る。

着水時の衝撃で傷めたようだ。



ニコラスは大丈夫だろうか。

自分と同じく軽い怪我であれば良いが。



飛び降りた橋を下から見上げ、その高さに息を吐く。



それから、レオポルドとニコラスの二人は、遥か前方を漂う救助対象を見据えた。



右足首がズキリと痛む。

だが水を蹴れない程ではない。


昨夜から明け方にかけて全身につけられた傷跡に川の冷えた水がヒリヒリと染みた。

簡単な手当をしただけの傷だ。些かの熱も帯びていた。こんな時なのにその痛みが却ってレオポルドの頭を冷静にさせる。



流されるままに浮き沈みを繰り返し、ゆっくりと漂う遠くの塊を目指して、レオポルドとニコラスは懸命に水を掻く。




ナタリア。


どうしてなんだ、なぜ影の指示を聞かずにあいつの後を追った?


なぜ、自らあいつのもとに駆け寄り、橋によじ上り、共に川に落ちることを選んだんだ?



身体は冷え、右足首や身体中の傷が鈍い痛みを訴える。

今となっては、それがレオポルドの生きている証のように思えた。



理解出来なかった。

ナタリアが何を思い、どう判断してあんなことをしたのか。


恋人なのに。

未来を共にしようと誓った相手なのに。



ナタリアのあのような姿を、レオポルドは知らない。あんな一面があったなんて。


レオポルドがよく知るナタリアは、笑顔が可愛らしい子で。

人見知りもせず誰とでも話せる明るい子で。


寂しがりで、一人にするとすぐに不安がる。

側にいてと甘える顔はとても可愛くて庇護欲を唆った。



ナタリアはレオポルドにとってのお姫さまで、レオポルドはナタリアの王子さまで。


だから、ずっと守ってあげると心に誓った。

どんな困難でも乗り越えてみせると、打ち砕いてみせると、そう思って、思ったから、レンブラントの提案を受け入れて、あんな奴隷の真似事までして、あいつの企みを暴いてみせると心に誓った。




--- お前には荷が勝ちすぎる相手だ




レンブラントの声が蘇る。



何を馬鹿な、とあの時は思った。


未だ少女らしさが抜けない無垢な女性ナタリアのどこに、自分の手に負えない部分があると言うのか。



--- 人は、表に見えるものだけが全てではない



--- ライナルファ家の当主となるのなら、あの娘をそれでも娶りたいと言うのなら、お前が変われ、変わってみせろ。俺に助けられなきゃ何も出来ないような男が何を言っても説得力がない




--- あの男の方が、ある意味よほど現実を知っている




そんなことはない、と反論したあの時の青臭い自分を笑ってやりたい。



ああそうだな、レンブラント。


あの時は分からなかった。何も分かっていなかった。

レンブラント、お前の方が間違っていると、そう思ってたけど。


俺はどこまでも未熟で、何も見えていなくて。


人の表も裏も、そこに幅や深さがあることも、親兄弟さえ知らない隠された一面があることも。


何ひとつ、知らなかった。


何もかも全部、お前の言う通りだった。


だって俺は、ナタリアの考えていることが分からない。誰よりも側にいた筈なのに。





レオポルドとニコラスがやっとの思いで救助対象の二人に追いついた時、意識を失ったアレハンドロは、それでもまだナタリアを腕の中に抱えていた。


ナタリアの小柄な身体をしっかりと両の腕で抱え込み、覆い被さるようにアレハンドロの体は丸まっていて。



そんな二人の腕を掴み、レオポルドとニコラスは彼らを挟み込むようにして泳ぎ、岸を目指す。



レオポルドとニコラスは、無言で、ただひたすらに水を掻き、蹴り続けた。

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