第31話 疑惑
オルセン子爵邸のナタリアの部屋から出て来たレンブラントを、見張りに立っていたマルケスが迎える。
「レンブラントさまが、わざわざ出向く必要なんてなかったでしょうに」
レンブラントに頭を下げつつも、その口調はどこか咎める様なものだった。
「・・・確認がしたかった」
「何の確認かお聞きしても?」
「・・・」
そのまま無言で馬車に乗り込んだレンブラントの後ろで、見張り兼護衛として供をしていたマルケスは眉根を寄せる。
「侯爵さまから僕たち影を借りる程の案件なのに、四か月経った今も、まだ何をやらされているのかよく分からないんですよね。いやぁ、困っちゃうなぁ」
そして、マルケスはレンブラントの目をじっと見つめた。
「レンブラントさまは何を目指して動いてらっしゃるんです?」
「・・・さて、何だろうな」
仮とはいえ、現在マルケスが仕える様に言いつかったのはレンブラントだ。なのに、マルケスはそのレンブラントの前で、盛大な溜息を吐いた。
「この任務のどこに、ストライダム家が関わっているんですか? 僕は学園でのベアトリーチェさまの護衛を命じられてはいますが、今となってはその意味も掴みかねています。だって、お嬢さまは例の商会の息子との交友など、ほぼありませんよね?」
「・・・
「僕が仕えているのはストライダム侯爵家当主、つまりノイスさまです。今回の件に関してもノイスさまに報告を上げる責務が僕にはあります。ですが」
「今のところは、俺が私情で影を動かしている様にしか見えない、そう言いたいのか?」
「そうですね、残念ながら」
マルケスはすっと居住まいを正し、レンブラントを見据える。
「ナタリア・オルセン子爵令嬢、アレハンドロ・レジェス男爵令息、そしてレオポルド・ライナルファ侯爵令息の歪な三角関係。傍から見る限り、ここにストライダム侯爵家が関わるべき要素はどこにもない」
「・・・」
「確かにナタリア嬢とアレハンドロ令息はベアトリーチェお嬢さまのご学友ですが、たまに挨拶を交わす程度の仲。レオポルド令息も幼い頃から交友があるとはいえ、エドガーさまほど親しい間柄でもない。なのに貴方が動くのはなぜです? 影である僕らまで使って」
マルケスが普段見せる朗らかな様子はなりを顰め、いたく真剣な表情を仮の主に向けている。
影としてこのまま命令に従うべきか、真の主であるストライダム侯爵家当主に報告すべきかを考えているのだろう。
「・・・今夜のことで不安になったか? 俺があの子爵令嬢に懸想でもしているのかと」
「ストライダム侯爵家のためだという確信が欲しいだけです。でなければ、影として任務に就く意義がない」
「では一言だけ言っておこう・・・これら全ては、ベアトリーチェのためだ」
その名前はマルケスにとって予想外だったらしい。目を大きく見開いた。
「ベアトリーチェ、さまの」
「そうだ」
前の時のように、ベアトリーチェまでもを巻き込んでその人生を奪われることのないため。今度こそ全てを間に合わせるため。
「付け加えるなら、今まで父上に報告を上げなかったのは、ベアトリーチェの主張が正しいかどうかの証拠を集めるためだ」
自分の不用意な行動が、マルケスを余計に不安がらせたのだろう。確かに、夜半に独身女性の部屋に忍び込むなど、懸想したと結論づけられても仕方がない。だがそれでも。
一度だけでも会ってみたかった。
会って確かめてみたかった。
それでも心優しい人なのだと、ベアトリーチェが今もなお言い張る女性を。
それが、実際にはどんな女なのかを見極めたかった。
恐らくはオルセン子爵邸にも、そしてライナルファ侯爵邸にも、アレハンドロの手の者がいる筈。
だから夜半にしか動けないと、そう判断してこの時間帯に来た。まあナタリアを気にした理由ならばもう一つあるのだが。
「すまなかったな、マルケス」
我が侯爵家に対する影の忠義を甘く見ていたかもしれない。
そう考え、率直に謝罪の言葉を口にした。
「・・・いえ、こちらこそ差し出がましいことを」
「いや、そろそろ父上も痺れを切らしている事だろう。邸に戻ったら父上に報告に行く。父上の判断によっては、お前にも事情を説明するかもしれない」
「分かりました」
「まあ、聞けば余計に混乱すると思うが」
そう言って、レンブラントは苦笑した。
その時のマルケスは、レンブラントが発した言葉の意味を、よく分かっていなかったのだが。
「巻き戻り・・・ですか」
「『予知夢を見た』と思ってくれても構わんが、どちらにせよ、胡散臭い事には変わりないな」
帰って早々にノイスとの約束を取り付けたレンブラントは父親の執務室に入って暫く話し合っていた。その後、マルケスもまた呼ばれて中に入ったのだが。
ここでマルケスは、先ほどのレンブラントの言葉を意味を悟る。
見れば、ノイスもまた微妙な表情を浮かべていた。
確かに、レジェス商会の怪しい動きについてある程度の証拠が揃ってからでなければ、ベアトリーチェの主張に耳を貸す気になどならなかっただろう。そのぐらい荒唐無稽な話だ。
そうは言っても、マルケスにとって、いや恐らくはノイスにとっても『巻き戻り』という説明は現実として今も受け入れ難いものではある。だが、それを裏付けるかの様なアレハンドロの行動が報告された事が反論しようとする気持ちを取り敢えず抑え込んだ。
ノイスも初めはベアトリーチェの正気を疑ったようだ。確かに、レンブラントの主張通り、最初にその話をされていたら影を貸す許可など出さなかっただろう。
ここで、ノイスは一旦、影の貸し出しについては保留とし、当主としての眼差しをレンブラントに向けた。
「ではその所謂『前の人生』で、ベアトリーチェの命にも関わる出来事があったという話はひとまず置いておくとして、だ。今回、レオポルドに、引いてはライナルファ家に肩入れする事の利は、ストライダム侯爵家にあるのか?」
「・・・それは、ベアトリーチェの願いとは別に、という事でしょうか」
「そうだ。影を五人も動かして、ライナルファ家のために慈善活動をしてやるほど我が家はお人好しではないぞ」
「勿論です。レオポルドともその事は話し合っております」
「ほう。言ってみろ」
「全てが片付いた暁には、この国最大の規模を誇るレジェス商会を我が侯爵家が吸収するつもりでいます。この件でライナルファ家が口は挟むことはありません。これがレオポルドに手を貸す条件です」
ノイスの片眉が上がる。
「つまり・・・息子だけではなく、現当主もクロという事か」
「まだ確かな事は言えませんが、息子があれだけの事をしたのです。知らぬ存ぜぬは通せないでしょう。最低でも傘下に置くことは可能かと」
「なるほどな」
ソファの背もたれに寄りかかりながら、ノイスは暫しの間思案した。
「・・・それにしても、若い令嬢の部屋に忍び込むのはやり過ぎではないか?」
やはりそこは気になったのだろう。
確かに、レオポルドからの手紙や贈り物を渡すのは影に頼めば済むことだ。レンブラントがわざわざ出向く必要はどこにもない。
だが、当のレンブラントはしれっと謝った。
「申し訳ありません。トリーチェがあれほど心を開いた相手という事と、それからアレハンドロが執着する相手という事で少々気にかかって」
「レオポルドが恋した相手、という所にはないのだな。アレハンドロの執着する相手への関心だと」
「ええ」
それから一呼吸置いて、レンブラントはこう続けた。
「なにせ過去にアレハンドロが執着したというあいつの妹は、奴自身に殺された様でしたから」
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